高熱は一夜にして引いた。
常人であれば数日は寝込むであろう消耗から、驚異的な回復力で立ち直った士郎は、夜が明けるや否や、むくりと身体を起こした。その瞳には、昨日までの疲労の色はなく、新たな発見に心を奪われた求道者の熱が宿っていた。
「シロウ、もう大丈夫なの?」
彼の隣でうたた寝をしていた白野が、心配そうに顔を上げる。
「ああ、問題ない。それよりキシナミ、少し手伝ってほしいことがある」
士郎はそう言うと、船倉の片隅に積まれていたガラクタの山を漁り始めた。錆びついた鉄板、折れたマストの残骸、用途不明の真鍮の塊。彼はそれらを、まるで宝石でも選ぶかのように、真剣な眼差しで選別していく。
「これを……どうするの?」
「鍛冶をする」
士郎の答えは、あまりに突飛だった。この船の上で、どうやって。
だが、彼の目は本気だった。
彼は船長に断りを入れ、甲板の隅を借りると、そこに耐火煉瓦(船の補修用に積んであったものだ)で即席の炉を組み上げた。燃料は石炭。ふいごの代わりに、自身の魔術で風を操り、炉の温度を上げていく。その手際は、まるで何十年もその仕事をしてきた熟練の職人のようだった。
「これから、俺の剣を打つ。俺だけの、本当の剣を」
士郎は、炉の炎が安定したのを見計らって、選別した鉄の塊をくべた。炎は、彼の魔力を受けて、通常ではありえないほどの高温に達している。
「キシナミ、頼みがある」
「……私に、できることなら」
「俺が剣を打っている間、ただ、見ていてほしい。そして、君が記憶している『赤い外套の男』の背中を、できるだけ強く、思い浮かべていてくれないか」
それは奇妙な頼みだった。だが、白野は彼の真剣な瞳に、ただ頷くことしかできなかった。
カン、カン、カン――。
甲板に、リズミカルな槌の音が響き始める。
赤熱した鉄の塊を、士郎は一心不乱に叩いていく。汗が噴き出し、全身の筋肉が悲鳴を上げる。だが、彼の集中は一切途切れない。
彼の脳裏にあるのは、あの地獄の夢で見た、一本の日本刀の姿。
そして、白野の脳裏にあるのは、記憶の奥底に焼き付いた、赤い外套の騎士の背中。
二人の想いが、炉の炎を介して、奇妙な共鳴を始める。
士郎が振るう槌は、ただの鉄を打つ槌ではない。それは、彼の理想を、祈りを、そしてセイバーとの約束を叩き込む、魂の槌だ。
白野の視線は、ただの見守る視線ではない。それは、彼女の愛と、信頼と、再会の願いを注ぎ込む、魂の視線だ。
槌を打つたびに、鉄は不純物を火花として散らし、その純度を高めていく。
士郎は時折、自身の指を切り、その血を赤熱した鉄に垂らした。それは、彼の起源である「剣」を、物理的な素材に結びつけるための儀式だった。
「――Trace, on」
士郎の詠唱と共に、彼の魔術回路が黄金色に輝き始める。
あの「日」の力の片鱗。彼はそれを、暴走させないように慎重に制御しながら、槌を打つ腕に、そして炉の中の剣に注ぎ込んでいく。
ジュウウウッ、と音を立てて、剣が眩い光を放った。
それは、ただの熱による光ではない。剣そのものが、内側から光を放っているかのようだった。
白野は息を呑んだ。
士郎の背中が、記憶の中の「あの背中」と、完全に重なって見えた。
皮肉屋で、どこか諦観を漂わせていた、あの背中。
真っ直ぐで、不器用で、理想に燃える、目の前の背中。
違うはずなのに、同じ。過去と未来が、この鍛冶の音の中で、一つに溶け合っていくような、不思議な感覚。
何時間経っただろうか。
太陽が中天に差し掛かった頃、槌の音は止んだ。
士郎は、汗まみれのまま、完成した一振りを、冷却水の中に突き立てる。
激しい水蒸気と共に、鋼が引き締まる甲高い音が響き渡った。
水から引き上げられたそれは、見事な一振りの日本刀だった。
夢で見た刀と、寸分違わぬ姿。反りの浅い、質実剛剛健な姿。その刀身には、美しい刃文が、まるで夜明けの空にたなびく雲のように浮かび上がっていた。
だが、それはただの刀ではなかった。
刀身は、太陽の光を浴びて、淡い黄金色の輝きを帯びている。そして、その輝きは、闇を払う浄化の力と、生命を育む温かさを、同時に感じさせた。
「……できた」
士郎は、完成した剣を手に、呆然と呟いた。
これは、投影ではない。彼が、この世の材料と、自身の魂を使って、ゼロから生み出した、初めての「本物」。
彼は、その刀に名をつけた。
あの地獄の闇を切り裂き、新たな始まりを告げる光。
「――黎明(れいめい)」
それは、衛宮士郎という一人の人間が、数多の剣の使い手から、唯一無二の「剣の創造主」へと至る、最初の第一歩だった。