休日に知らない女性と仲良く歩く矢澤にこを見つけたμ'sメンバーが尾行してちょっとした騒動になる話です。
休日の午後。
穂乃果が「今日はみんなで街に出よう!」と音ノ木坂駅前に集合をかけたとき、μ’sのメンバー全員が集まった――ただ一人、矢澤にこをのぞいて。
「にこちゃん、今日は用事があるからこれないって」
穂乃果がスマホをのぞき込みながら眉をひそめる。
「にこっち……今日はバイトの日じゃないし、オフのはずやんな。誰かとデートとか?」
希が意味ありげに西真姫笑った。
「そんなわけないでしょ!プライベートの用事よ」
真姫は顔を赤らめながら言う。
そんな会話をしていたそのときだった。
にぎやかな駅前の通りを歩いていく小柄なシルエット。
ツインテールが風に揺れ、その隣には――見知らぬ大人の女性が寄り添うように並んでいた。
「……あれ、にこちゃんじゃない?」
穂乃果の声が弾んだ。
「ほんとだ……でも、あの人だれ?」
ことりが目を丸くする。
女性は落ち着いた雰囲気で、にこと親しげに話している。笑い声まで聞こえた。
「これは……気になるね!」
穂乃果が嬉しそうに言うと、絵里が眉を寄せる。
「まさか穂乃果、尾行しようなんて言うつもりじゃないでしょうね?」
「えっ……え、いや、ちょっと気になるだけで!」
「こそこそ後をつけるなんてよくないですよ」
海未がすぐさまたしなめる。
けれど、その場の空気はどこか浮き立っていた。
「まぁまぁ、ちょっとくらいええやん? なあ真姫ちゃん」
希がわざとらしく肘でつつく。
真姫は一瞬ためらったが、にこの姿をもう一度見つめて、静かに頷いた。
「……私も、気になる。あの人、見たことないし」
それで決まった。
μ’sの面々は、休日の午後を“にこの秘密を探る冒険”と化すことにしたのだった。
最初は穂乃果のワクワクがみんなを引っ張っていた。
おしゃべりしながら、笑いをこらえて、街の人混みの中をつけていく。
にこは相手の女性と楽しげに雑貨店を覗いたり、カフェに入ったり。
その光景はどこかデートのようで、次第にメンバーの表情から笑みが消えていった。
「……ねえ、あの辺、ラブホテル街じゃない?」
ことりがぽつりと言った。
「うそっ……」
穂乃果が足を止める。
「ほんとやん……!」
希が小声で息をのむ。
周囲にはピンク色の看板、カーテンの閉まった建物が並ぶ。
「にこちゃん、まさか……」
花陽の声が震えた。
「にこが、そんなことするわけ――」
絵里が言いかけて言葉を詰まらせる。
誰も笑わない。
真姫の顔色が明らかに変わった。
「……だって、にこちゃん家、母子家庭でしょ」
真姫がぽつりとつぶやく。
「弟や妹も多いし、最近物価も上がってるし……。私服もずっと同じだし、新しい服、全然見ない」
「真姫ちゃん……」
希が息をのむ。
「もしかして……ほんとに、お金のために……?」
沈黙。
穂乃果は笑おうとしたが、声が出なかった。
みんなが見つめる先で、にこと女性はゆっくりと細い通りに入っていく。
そこは――間違いなく、ラブホテル街の入り口だった。
「……いざとなったら止めましょう!」
絵里が叫んだ。
「そ、そうだね! 見過ごせないよ!」
穂乃果も焦って頷く。
「絶対に止める。にこっちがそんなことするわけないけど……確かめんと」
希が拳を握る。
海未も真剣な顔で続いた。
「友達として、見過ごせません」
全員が足早に追いかける。
だが――にこと女性はホテルには入らず、脇の路地にある小さな店の扉を開けた。
「……あそこ?」
路地の奥には、ひっそりとした古いビル。
一階の看板には小さく『COLLECTION』と書かれている。
ウィンドウ越しに見えるのは、ポスターやペンライト、アイドルグッズの数々。
「アイドルグッズ……?」
「なんでそんなところに?」
穂乃果がそっと覗き込もうとした瞬間――店の奥から振り向いたにこと、目が合った。
「……ッ!? 穂乃果ぁぁぁーー!!?」
反射的に店のドアが開き、にこが飛び出してくる。
「な、なんであんたたちがここにいるのよ!?」
「に、にこちゃん……ご、ごめん! つい……!」
一行は気まずい沈黙に包まれる。
そして事情を聞いたにこは、頬を真っ赤に染めて叫んだ。
「もう! あんたたち、最低!!」
「だ、だってにこちゃん、知らない女の人と一緒にいたし、ラブホテル街に入っていくし!」
穂乃果が慌てて言い訳する。
「だからって尾行する!? プライバシーって知ってる!?」
にこはぷるぷる震えながら睨みつける。
女性が苦笑しながら後ろから出てきた。
「ごめんね、私がにこちゃんの付き添いなの。ここ、ちょっと場所が場所だから一人じゃ入りづらいでしょ?」
「え?」
「私、にこちゃんのお母さんの昔からの友人なの。今日はレア物のアイドルグッズが入荷するって聞いて、付き添ってあげてたのよ」
全員、呆然。
空気が一気に緩む。
「……そ、そういうことだったんだぁ〜〜!」
穂乃果が安堵の声を上げる。
「も、もう……よかった……」
花陽が胸を押さえる。
しかし、次の瞬間、穂乃果は思わず口を滑らせた。
「援交じゃなくてよかった〜〜!」
「ほ・の・かぁぁぁっ!!!」
にこが真っ赤になって怒鳴り、穂乃果は慌てて後ずさる。
「ち、ちがうの! 真姫ちゃんが、にこちゃん最近服買ってないし、物価上がってるし、母子家庭だしって取り乱すから!」
「ほ、穂乃果っ!!」
真姫が顔を真っ赤にして遮る。
「わ、私そんなつもりじゃ……! ただ、心配で……!」
にこは呆れたようにため息をつき、それでも少し照れたように言った。
「うちのママ、十分稼いでるわよ。服は今日のために我慢して節約してただけ。まったく、勝手に心配しすぎ!」
その言葉にみんなが笑った。
穂乃果が頭をかきながら「にこちゃん、ほんとごめん!」と謝ると、にこは腕を組んでぷいとそっぽを向く。
「もう……あんたたち、ほんとにバカなんだから。でも……まぁ、心配してくれたってことにしておいてあげるわ」
その頬の赤みを見て、真姫はそっと微笑んだ。
夕暮れの街を帰るμ’sの背中は、どこかほっとしたようで、そしていつもより少しだけ近かった。
「ねえ、次の休みは全員そろって遊ぼうね!」
穂乃果の声に、にこが呆れながらも小さく笑う。
「……もう、しょうがないわね。にっこにっこにー、してあげるから感謝しなさい!」
笑い声が街に溶けていった。
日が落ちはじめ、街の灯がゆらゆらと揺れる。
μ’sのメンバーは、笑い疲れたような顔で駅前に戻ってきた。
「じゃあ、私はこのへんで」
「また練習でね〜」
「次は尾行じゃなくて、普通にお出かけしよう!」
穂乃果が笑うと、みんながどっと笑い声をあげる。
にこはまだ頬を膨らませたままだったけれど、その表情はもう柔らかかった。
人波の中で、それぞれが違う方向へ歩き出す。
そして、最後まで残ったのはにこと真姫だけだった。
「……ねえ、にこちゃん」
真姫が小さな声で呼びかけた。
にこは振り向かず、肩をすくめる。
「何よ。まさかまた言い訳しようってんじゃないでしょうね?」
「違う。……ごめんね、ほんとに」
真姫の声は、いつもよりずっと静かだった。
「私、あのとき、にこちゃんのこと信じられなかったわけじゃないの。ただ……心配で、怖くて」
にこが足を止めた。
振り返るその表情は、少しだけ驚いたようで、すぐに照れ隠しの笑みが浮かんだ。
「……ばっかね。そんな顔で言われたら怒れないじゃない」
「だって、にこちゃんって、何でも一人で頑張るから。助けてって言わないでしょ?」
「そりゃあ、アイドルたるもの、弱音は見せない主義なのよ!」
「……うん。でも、それで無理してたら嫌だなって思ったの」
真姫の声は、かすかに震えていた。
夜風が吹き抜け、髪を揺らす。
にこは少し黙って、それからぽつりとつぶやいた。
「……我慢してでも好きなことができるのって、幸せなことだと思うの。ママも、妹や弟たちも、みんな応援してくれてるしね」
言葉の奥には、彼女らしい強さと優しさが滲んでいた。
真姫はその横顔を見つめ、そっと微笑んだ。
「ほんと、にこちゃんって……かっこいいわよね」
「ちょ、ちょっと! 何よ急に!?」
「だって、今日また好きになったもん」
「す、好きって……!? な、なに言ってんのよ真姫っ!」
顔を真っ赤にして手を振るにこ。
けれど真姫は、その反応を楽しむようにくすりと笑った。
「友達として、ね」
「もぉ〜〜! 人をからかうんじゃないわよ!」
にこがぷいと前を向く。
でも、歩幅は少しだけ真姫に合わせていた。
二人の影が並んで長く伸びる。
街の灯りが遠ざかっていく中、真姫がぽつりとつぶやいた。
「ねえ、にこちゃん」
「ん?」
「次は……一緒にそのお店、行ってもいい?」
にこは一瞬黙り、照れくさそうに笑った。
「ふふっ。真姫ってほんと、素直じゃないわね。でも、いいわよ。今度はあんたを連れてってあげる」
「やった」
真姫が小さく笑う。
「ただし!」にこが人差し指を立てる。
「次は尾行なんて絶対ナシ! それと――」
「それと?」
「にっこにっこにー、って一緒にやるの! 罰ゲームだからね!」
「……もう、しょうがないわね」
真姫が少しだけ照れながら手を上げる。
「せーのっ!」
「「にっこにっこにー!」」
夜の街角に、二人の声が重なった。
笑いながら見つめ合うその瞬間、どちらも少しだけ頬を赤くしていた。
その笑顔は、街の灯よりもずっと温かく輝いていた。