マキマは見ている。
デンジとパワーが出かけて行ったのも、どこに向かっているのかも。
自身が支配している上司たちの言葉を聞き流しながら……ストレスを溜め、早く話が終わらないかなと上の空だ。その様子は教師の話を聞いているふりをしている子供と大差ない。
マキマの心中は、ただただ「早くユカリと会いたいなあ」という願望のみだった。
報告はあくまでも形だけだ。彼女は既に自身の親への反抗を叶え、そして逃れ、自由な妖怪に連れられてその首輪を抜け出している。いまだ彼女に首輪がついていると思っているのは国の上層部の人間たちだけだった。
熱心に話すその言葉を聞き流されているというのに、すでに支配が完了している人間たちはそのことには決して気づくことはない。
故に話を聞きながらも彼女の視界は片方、デンジたちを見張らせているカラスの景色が見えている。
彼女がそうして退屈な『仕事』を耐えている最中、ユカリは姫野と新人たちを連れてある場所に待機していた。
デンジとパワーが向かった家の周辺である。パワーがなにかことを起こすのは明らかであったため、待機して話に介入する気満々だった。
バスでやってきたデンジたちが家への道のりを歩きながら話している。
「ああ?」
「おお、どうした?」
「テメーが姿見せたら猫を人質にされんだろ? こんな近くまでついてきちゃダメでしょ」
「おお、そういう設定じゃったか?」
「設定~?」
「言い間違い、じゃ」
一瞬の出来事だった。
女性に弱いデンジでも、さすがに元は警戒心の強い男。パワーの異変をすぐさま察知して所持した手斧を構える。しかし、自身の血液でハンマーを作り、デンジの隙を縫うように振りかぶったパワーの動きのほうが素早かった。
「……んあ?」
デンジの頭部に吸い込まれるようにして振られたハンマーはしかし、彼の後頭部に『不自然に』開いた空間の穴に吸い込まれる。その手応えのなさにパワーが間抜けな声をあげたとき、手斧を振ったあとのデンジが体勢を立て直して足払いをかけた。
「うおおおお!?」
どっちーん! と足を取られ、倒れてしまったパワーはなにが起きたのかも分からず仰向けになる。
「残念だったなァ〜パワー。俺は事前にマキマさんにテメェのこと聞いてるもんね〜」
「んなっ!? ウヌはワシを騙したのか!?」
見下ろすデンジにパワーが吠える。起き上がり、応戦しようと血武器を再度作ってもデンジは危なげなく躱していく。
「話聞けっての!」
「嫌じゃ嫌じゃ! ワシはなんとしてでも手土産を連れて行かないといかん!」
「はぁ〜? お前マキマさんに言われてんじゃねぇの? 猫助けてやる協力するって」
「はぁ!? そんなこと言われておらんが!?」
「はぁ〜〜〜? マキマさんからそう聞いてるんだけど!?」
「知らんが?」
盗聴中だったマキマはこれを聞いて盛大なため息を吐いた。
都合の良いことばかりを記憶しているパワーであっても、少し前の出来事は忘れてしまっているらしい。
マキマとの約束よりも、その恐ろしさと、その後の人間生活への順応に思考のリソースが取られて約束が押し出されてしまったのだろう。
「いじめすぎちゃったかしら」
同じく、映画を眺めるように様子を見ていたユカリも笑った。
「ッチ、めんどくせぇなあ……俺がついていってやるから、猫助けてあの家の悪魔をぶっ殺すんだよ。お前はその案内! えーっと、せんぷ……? 隠れてた悪魔を発見してェ、通報と討伐をしっかりできたら俺たちの手柄になるの!!」
「ワシの手柄か!? なんだそれを早く言わんか! っし、行くぞデンジ!」
「調子いいやつ……」
「しっかしちゃんとニャーコは安全なんじゃろうな?」
「ウチには『猫の悪魔』がいるから安全なんだとよ」
「ほう、猫の悪魔か……それはさぞかし可愛いじゃろうなぁ〜」
「かわいくねーぞ」
「なにを言うとる。猫とは等しくこの世で最も可愛らしい存在じゃろう」
うきうきとしながら隠れ家に歩みを進める彼女に、呆れながらもデンジが続く。計画と騙し討ちがバレて台無しになったからか、パワーはもう彼を襲撃する素振りを見せなかった。
はじめにパワーが彼を襲いかけた際、待機している新人組の中でハナがハラハラとして見守っていたが今は落ち着いている。
大規模な戦闘に発展した場合は彼らの見学とし、安全を確保する役目のある姫野とアキ。そしてハナは一軒家が見える位置でデンジらの動向を見守っている。
「安心しろよ、俺がお前のニャーコ、助けてやるからよ」
「……うむ」
扉の前で話しかけ、デンジがにかっと笑う。
不安そうにしながらも、パワーはその言葉を信じるしかなかった。騙し討ちが失敗した以上、もうデンジを瀕死にして連れて行くことはできないのだから。
デンジの中では、ポチタとの思い出が脳裏を過っていた。
ポチタがいなくなり、慌てて町中を探した記憶。そして、家に帰ってきたときにそこにいたポチタが泣いていて、抱きしめて一緒に寝た記憶。そのときの強い不安感を思い出しながら、奪われたニャーコを想うパワーの気持ちに寄り添う。
その気持ちの中には、不本意の従属で学校の悪魔に囚われていた花子さんの悪魔のことも含まれている。人質をとる行為はデンジにとって、許し難いものになっていた。
パワーが扉を開き、家の中に潜む影が明るく照らされる。
「……むう、随分と待たせたな……血の悪魔よ。逃げ出したのかと思ったぞ」
陽の光から身を縮めるように座っているその巨大な悪魔は、彼女を見て確かにそう言葉にした。
「……コウモリ。望む通り人間を連れてきたぞ」
「久しぶりの食事……人間の男か。精力の出る血が飲めそうだ」
拘束されてもいない。傷を負わされてもいない。そんなデンジを見下しながら悪魔が動く。太い腕がぐんと動いて、デンジを掴もうと伸びてきた。
「神隠し」
腕はデンジの前で神隠しの空間へとあっさり飲み込まれる。
「んなっ!?」
そして、次にデンジが拳を丸めてコウモリの悪魔の顔面に向かって突き出すと、それはやってきた。
「猫の悪魔」
「んにゃああああおおおあお!」
コウモリの顔面に渾身の猫パンチがヒットする。
「パワー。あんな野郎ぶっ殺しちまおうぜェ!」
「……お、おう!?」
吸血コウモリであるコウモリの悪魔という存在は、血の悪魔である彼女とは相性が悪い。食うもの、食われるものの関係だからだ。しかし、それ以上に同じようにコウモリを食う猫はコウモリにとって相性が悪い。
巨大な腕が神隠しに飲み込まれたまま、顔面を殴られたコウモリが狼狽える。
なくした腕を回復することもできず、残った腕も拘束されている。
「神隠し、食べていいぜ」
「はあい♡」
神隠しの空間がバツンと閉じればコウモリの悪魔の絶叫が響いた。
「うっわうるせぇ!?」
ハウリングするかのように響いた悲鳴が家をガラガラと崩れ落ちさせる。
戸惑うパワーの手を引き、どうにかその場を離れたデンジは崩れる家を足場に大暴れするコウモリの攻撃を躱わしていった。
「貴様ァァァァ!! この猫がァァァァ、どうなっても良いのかァァァァ!?」
腕をなくし、怒りのままに暴れていたコウモリが吠える。
いつのまにかコウモリの牙に引っ掛けられていた鎖の先の籠に、丸々と太った可愛らしい猫がみゃおと呑気に鳴きながら捕えられていた。
「ニャーコ!」
「うげぇ、卑怯なやつ〜〜! 最低!!」
丸呑みされて行こうとする猫に、デンジが駆け出す。猫の腕が伸ばされ、その上を走り、そして牙に引っ掛けられたままの籠を抱きかかえ、脱出しようとしてから、そのまま足を滑らせてコウモリの口の中に落下する。
「やっべ」
ごくん、とその場に丸呑みが完了した音が響く。
「あ……デンジ……!」
ショックを受けた顔でパワーが手を伸ばす。
呆然としたまま、助けられなかった一人と一匹の姿を目に焼き付けて。
そしてゆらりと立ち上がると、己の腕から出した血を斧にしてコウモリの悪魔を見上げた。
「バカなやつじゃ……バカなやつじゃ……分かっておる。ワシは賢い。勝ち目なんぞないから、逃げればいいんじゃ」
パワーの足が震える。
ペロリと舌なめずりをしたコウモリが腹を撫でて、彼女を見下ろした。
「でも、なぜじゃ? 動けん。なぜワシは、武器を持っておる……?」
コウモリの背後にリボンで装飾されたキリキリと空間が開いて行く。
「ワシは……!」
そうして血の斧を構えたパワーがコウモリに駆け出した。
――ヴヴン。
エンジンの駆動音がその場に大きく響き渡った。
「カッ、アッ……!?」
パワーを迎え撃たんとしていたコウモリが天を見上げて口から血を盛大に吐き出した。その腹に大きく真っ赤な縦の線が引かれていき、そして血飛沫とともに左右に開く。臓物が勢いよく溢れ出し、その波の中に飲み込まれたパワーは訳も分からず押し流されていった。
「うおおおお!? 血! 血じゃ!?」
そうして、コウモリの腹の中から臓物を足蹴にして血まみれになったチェンソーマンが顔を出す。その手に猫の入った鉄の籠を抱えて。
「よっ」
「ニャーコ!! ……と、ウヌは……」
ぐにぐにと柔らかい肉を踏みながら、コウモリの腹を掻っ捌いたデンジが手をあげる。しかしデンジの特異体質を知らないパワーは首を傾げた。
「オレ、デンジィ〜! イエ〜!」
「は!?」
◇
そんな彼らの場面をスキマで眺め、カラスで盗聴しながら、ハラハラと見ていたマキマが無言で酒を嗜みながら拳をあげる。見事なガッツポーズである。無表情でそんな反応をする彼女にユカリは笑いそうになりながらポップコーンをつまむ。現代であればマキマは黄色のペンライトでも振るっていたことだろう。
「チェンソーマンの活躍を画面の中ではなく、この目で……」
「ふふふ、良かったですわね」
デンジのことを認めている彼女はもう滅多なことでは解釈違いなど起こさないだろうが、それでも満足そうにしているのを見ることができてユカリは密かに安心する。
思い立って過去の映画を総浚いして、悪魔をテーマとした映画が制作されなくなった理由を突き止めた八雲紫はマキマの『人生を変えた』と言わしめた映画を知ることになった。
チェンソーマンである。
チェンソーマンという架空の悪魔の映画がきっかけで、ポチタは生まれたのだ。彼は映画の内容通りにめちゃくちゃな能力を持って生まれ、そしてそれ以降悪魔をテーマとした映画は禁止された。闇に葬られた彼の映画を直接フィルムとして発見するに至ったユカリはそれを一人で鑑賞し、そしてマキマの原点を知った。
あんなめちゃくちゃな映画を見てチェンソーマンに憧れたくせに、クソ映画を嫌うだなんて、なんて可愛らしいことなのかしらと。
デンジを毛嫌いしたり、本物のチェンソーマンに思ったのと違う、と解釈違いを起こしていたのは映画の中の存在が実写になったから……と思うと納得できる。オタクあるあるの葛藤がマキマの中でせめぎ合っていたのだろう。
「デンジくんはちゃんと乗り越えることができましたね」
「うん、安心した。ユカリは大丈夫だと思ってた? 私は結構心配しちゃったな」
「ドキドキ、ハラハラするのは間違ったことではありませんよ。生身の人間ですもの。演者ではないのですよ」
「……そうだね」
スキマの向こうでは、コウモリを退治したデンジがパワーに己のことを説明しながらあーだこーだと賑やかにしている。ぎゃーぎゃーと言い合いながらも、助け出した猫を真ん中に仲良くしているバディの二人笑微笑ましく見守る。
そんな二人の背後に迫る触手に、マキマは表情をなくしてユカリを見上げた。
彼女の三つ編みに編み込まれた己のリボンを眺め、八雲紫は雛のように自身に意見を伺う彼女に微笑んだ。なんとも可愛らしいこと。
自由にあれこれすることを知らない支配の悪魔に、悪いことを教えてばかりの妖怪はその背中をそっと後押しする。
「行っていい?」
「ええ、どうぞ」
「やった。じゃあ行ってくるね」
デンジの活躍は終わったために許可を出す。
他の人員もいくらか配置しているが、ヒルの悪魔は強い。早川アキの狐なら必ず喰らうことができるだろうが、今はマキマに対するパワーの信頼を稼ぐことも大事だろう。デンジの信頼を稼ぐことは猫の救出ですでに達成されている。ならばあとは保護者が出ていっても問題ないだろう。
パチン、と指を鳴らして一瞬でスキマによりワープしたマキマが鎖をじゃらじゃらと操ってヒルの悪魔を貫く。
「ばん、ばん、ばーん」
鎖で貫いたフリをして銃の悪魔の力の一部を使い、ヒルの悪魔をすんなりと蹂躙したマキマが血まみれのまま二人に歩み寄る。
恐ろしさのあまりに叫んだパワーと、マキマの格好いい登場に歓声をあげるデンジ。二人の違いを微笑ましく思いつつ、八雲紫もスキマをくぐって彼らの元へ移動する。
待機していた新人組もきちんと見学することができただろう。
女性陣は猫の悪魔の有効活用法を。そして男性陣は神隠しの悪魔の活用法を。
知っている顔にはなるべく死なれたくないから、と八雲紫はほくそ笑む。
さて、次は永遠の8階を彷徨い続ける話だろうか。
どうにかしてデンジの活躍を記録してあげないといけないな、と彼女は考える。彼の活躍を余すことなく、ずっとこっそりと覗き視ていたいであろう、支配の悪魔のために。
境界を通してどこにでも行ける自身の力を使い、盗聴、盗視なんでもありだ。
そのうち子供の映像記録のようにデンジコレクションができるかもしれない。
己の愛するマキマという存在のために、八雲紫は自身にできることはなんでもするのだ。デンジには知られなければそれでいいのだから。
・コウモリの悪魔
万全な対策により街中の被害は出なかった。
まだデンジくんはテレビには映らないよ!やったね!
・ヒルの悪魔
コウモリより普通に強いのでマキマさんが出張った。
・新人たち
びっくりしたり、悪魔の使いかたのレクチャーを姫野から受けたりしている。
・マキマ
推しの活躍が見られてウキウキ
・八雲紫
マキマが楽しそうでウキウキ