灰の祈りと蒼の名   作:見届人A

3 / 15
第三話 いなくなる

 

 昼過ぎだった。

 

 王都の通りは、相変わらず人で溢れている。

 露店の呼び声、笑い声、足音。

 朝とも昼とも変わらない、いつもの景色。

 

 二人は並んで歩いていた。

 

「……ねえ」

 

 ソラが言う。

 

「なんだよ」

 

「さっきの店、もう一回行かない?」

 

 手に持った菓子を少し持ち上げる。

 

「もう一個買いたい」

 

「食いすぎだろ」

 

「いいじゃん」

 

 軽く笑う。いつもの調子だった。

 

「まあいいけど」

 

 灰かぶりは肩をすくめる。

 

 二人は来た道を少し戻る。露店の並ぶ通り。

 同じ匂い。同じ場所。

 

 ――のはずだった。

 

「……あれ」

 

 ソラが足を止める。

 

「なんだよ」

 

「ここ」

 

 露店の前を指さす。

 

 焼き菓子は、並んでいる。

 さっきと同じように、まだ温かそうに見える。

 

 けれど。

 

 誰もいない。

 

「……いねえな」

 

 灰かぶりが言う。

 

「さっきの人」

 

「奥にいるんだろ」

 

「……かな」

 

 ソラはそう言いながらも、

 少しだけ首を傾げる。

 

「……すいませーん」

 

 声をかける。

 

 返事はない。

 

 少し待つ。

 

 やっぱり、何もない。

 

「……いないね」

 

「ああ」

 

 短く答える。

 

 それだけのことのはずなのに、

 どこか引っかかる。

 

 妙に静かだった。

 

 周りは騒がしいのに、

 この場所だけ音が薄い気がする。

 

「……ねえ」

 

 ソラが小さく言う。

 

「なんだよ」

 

「さっきの人」

 

 一拍置く。

 

「……どんな人だったっけ」

 

 灰かぶりは少し考える。

 

 思い出そうとする。

 

 さっき、確かに見ていた。

 

 目の前にいた。

 

 金を受け取った。

 

 頷いた。

 

 それは覚えている。

 

 なのに。

 

 顔が出てこない。

 

 声も曖昧だ。

 

「……分かんねえ」

 

 口に出る。

 

 その瞬間、違和感がはっきり形になる。

 

「……私も」

 

 ソラが言う。

 

 手の中の菓子を見る。

 

 確かに受け取ったもの。

 

 でも、

 それを渡した相手が、何も残っていない。

 

「……おかしくない?」

 

 今度は、はっきりした声だった。

 

「ああ」

 

 灰かぶりも否定しない。

 

「おかしい」

 

 言い切る。

 

 それで、何かが確定する。

 

 その時。

 

 隣の露店の男が、ちらりとこちらを見る。

 

「どうした?」

 

 普通の声だった。

 

「この店の人、どこ行ったんですか?」

 

 ソラが聞く。少しだけ期待を込めて。

 

「……は?」

 

 男は眉をひそめる。

 

「何言ってんだ」

 

「ここにいた人」

 

「ここ?」

 

 男は露店を見る。

 

 そして。

 

「最初から誰もいねえだろ」

 

 あっさりと言った。

 

 迷いもなく。

 

「……え」

 

 ソラの声が止まる。

 

「いや、さっき――」

 

「誰もいなかったぞ」

 

 重ねて言う。当然みたいに。

 

 その言葉が、静かに落ちる。

 

 周りの音が、少しだけ遠くなる。

 

 人の声も、足音も、全部。

 

「……なあ」

 

 灰かぶりが言う。

 

 少し低い声で。

 

「今の、どう思う」

 

 ソラはすぐに答えない。

 

 ただ、露店を見る。

 

 焼き菓子は並んでいる。温かさも残っている。

 

 でも。

 

 それを売った人間だけが、存在していない。

 

「……消えた」

 

 ソラが言う。

 

 小さく、でもはっきりと。

 

「……ああ」

 

 否定できない。

 

 目の前で起きている。

 

 確実に。

 

 さっきまでいたものが。

 

 もう、どこにもいない。

 

 記憶からも。

 

 他の人間からも。

 

 最初からいなかったことになっている。

 

「……やばいね」

 

 ソラが言う。

 

 今度は、少しだけ声が震えていた。

 

「……ああ」

 

 灰かぶりも短く答える。

 

 二人はしばらく、その場に立ち尽くす。

 

 誰もいない露店の前で。

 

 人の流れが横を通り過ぎる。

 

 声が戻る。

 

 足音が戻る。

 

 日常が、何事もなかったみたいに続いていく。

 

 その中で。

 

 一つだけ。

 

 確かに“消えたもの”があった。

 

 それはもう、どこにも存在していない。

 

 ――二人の記憶を除いて。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。