灰の祈りと蒼の名   作:見届人A

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第九話 見えなくなった人

 

 夕方に近い時間だった。

 

 王都の空は少しだけ色を変え始めている。

 昼の明るさが緩み、影が長く伸びる。

 それでも人の流れは途切れていない。

 

 二人は通りを歩いていた。

 

 ソラの足取りは、さらに不安定になっている。

 さっきよりも、はっきりと。

 歩くたびにリズムが崩れ、

 遅れ、止まりかけ、そして戻る。

 

「……おい」

 

「……うん」

 

 返事はあるが弱い。視線も揺れている。

 

「……ちゃんとついて来い」

 

「……ついてってる」

 

 言葉は出る。だが、どこか遅い。

 その“間”が、

 はっきりと分かるようになっていた。

 

 灰かぶりは何も言わず歩く速度を落とす。

 それでも完全には合わない。

 

 その時だった。

 

「――ちょっと待ってくれ」

 

 前方から声がした。少し焦った男の声。

 

 二人はそちらを見る。

 人の流れの中で、

 一人の男が立ち止まっていた。

 

「おい、今いたよな?」

 

 誰かに話しかけている。

 だが、その先にいるはずの相手が見えない。

 

「……え?」

 

 近くの別の男が振り返る。

 

「誰がだよ」

 

「今、ここに……」

 

 言いながら手を伸ばす。

 何かを掴もうとして、空を切る。

 

「……は?」

 

 男の声が止まる。

 

 周囲がざわつく。

 

「最初から一人だろ」

 

「いや、違うって」

 

「誰もいねえよ」

 

 あっさりと否定される。

 

 男は言葉を失う。

 目の前を見ている。

 だが、そこには何もない。

 

「……今、話してた」

 

 かすれた声で言う。

 

「すぐそこに」

 

 誰も答えない。

 周囲の人間は興味を失ったように視線を外し、

 日常に戻る。

 笑い声。呼び込み。何も変わらない。

 

 ただ一人、男だけが取り残される。

 

「……なんでだよ」

 

 小さく呟く。その声が、少しだけ震えていた。

 

 灰かぶりは動けなかった。

 

 見えていたからだ。

 

 確かに、さっきまでそこにいた。

 輪郭だけの、影のような、

 それでも人の形をした何かが。

 

 そして、それが消えた。

 

 音もなく、痕跡もなく。

 

「……おい」

 

 ソラの方を見る。

 

 ソラはその場に立ち尽くしていた。

 顔が青い。

 

「……見た」

 

 小さく言う。

 

「……消えた」

 

「……ああ」

 

 否定できない。

 

 これは確定した。

 

 戻らない。

 

 消える。

 

 完全に。

 

「……ねえ」

 

 ソラが言う。

 

「なんだよ」

 

「……私も」

 

 一拍置く。

 

「……ああなるのかな」

 

 静かな声だった。だが、重い。

 

「……ならねえ」

 

 灰かぶりは言う。

 即答だった。

 根拠はない。それでも否定するしかない。

 

「……分かんないけど」

 

 ソラは続ける。

 

「……さっきより、薄い」

 

 胸に手を当てる。

 

「……戻らない部分、増えてる」

 

 その言葉が現実だった。

 

 もう戻らない。

 

 少しずつ、削れていく。

 

 その時。

 

「ねえ」

 

 すぐ後ろで声がした。

 

 二人は止まる。振り返る。誰もいない。

 

 だが、距離が近すぎる。

 

「名前、なんていうの」

 

 耳元で囁くように。

 

 ソラの身体が揺れる。反応が遅れる。

 

「……ソラ」

 

 灰かぶりはすぐに呼ぶ。間を置かない。

 

「……うん」

 

 返事はある。

 

 だが、遅い。

 

 一瞬だけ、意識が抜ける。

 

「ねえ」

 

 声が重なる。

 

「教えてよ」

 

 優しく、逃げ道を潰すように。

 

 ソラの口がまた動く。

 

「……っ」

 

 灰かぶりは迷わない。

 

「ソラ!」

 

 強く呼ぶ。

 

「ソラ」

 

 続ける。

 

「ソラ」

 

 重ねる。

 

 その度に、ソラの輪郭がわずかに戻る。

 

「……あ」

 

 息を吸う。

 

「……聞こえた」

 

 だが、完全ではない。

 

「……ねえ」

 

 ソラが言う。

 

「……さっきの人」

 

「……ああ」

 

「……戻らないよね」

 

「……うん」

 

 答えは出ている。

 

「……怖い」

 

 はっきりと言った。

 

「……消えるの」

 

 その言葉に、何も返せない。

 

 灰かぶりはただ立っている。

 

 何もできないまま。

 

 王都は変わらない。

 人は笑い、店は開く。

 何も起きていないように。

 

 その中で、確実に何かが消えている。

 

 そして、それはもう、すぐ隣まで来ていた。

 

「ねえ」

 

 声がする。

 

「名前、教えてよ」

 

 繰り返される。

 

 何度も。

 

 何度も。

 

 逃げ場は、もうなかった。

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