その日は、呆れ返るほどの晴天だった。
季節に合わない日照りの中、1人の男が汗を滴らせながらも長い石畳の階段を歩いていた。
男はオシャレ……と言うには少し前衛的なヘアバンドと白い上着、動きやすい生地のシャツとズボンを身につけている上スタイルも良く、ここが街中であれば何人もの視線を奪っていたであろう装いをしていた。
だが、この寂れた山には人どころか動物の姿さえない。あるのは木と草、少しばかりの虫、そして……
「……ここか」
見上げるほどの、赤い鳥居だけだった。
石畳を登り切った男───岸辺露伴は、一目でその神社の異常性に気がついた。
「
その神社は確かに汚れてはいたが、それも常識の範疇であるし落ち葉も少ない。もしこの神社が街中にあったとしても、「まあそういうものか」という感情を抱くにとどまる程度の清潔さを保っていた。
「境内もある程度綺麗で……まあ、見れないものじゃあない。どうやら、物好きな奴が掃除でもしているらしい」
周囲の光景を細かく記憶しながら、露伴は鳥居の前に立つ。
「だが、今重要なのはそれじゃあない。僕が今知りたいのは、
そう言いながら露伴は静かに2回手を合わせる。ついで、その噂……
[
1.◼️◼️◼️県◼️◼️◼️市にある◼️◼️◼️山、その中に位置する博麗神社に行く。
この時、同行者をつけてはならない。
また、◼️◼️◼️山に入る姿を見られてはならない。
2.博麗神社についたら、鳥居の前で2回手を合わせる。
この時、音を出してはならない。
3.鳥居をくぐり、賽銭箱の前まで歩く。
この時、正中以外を通ってはならない。
4.賽銭箱の前についたら、財布の中から115円を取り出し、5円、10円、100円の順に入れていく。
この時、投げ入れてはならない。
また、入れる際に賽銭箱に体が触れてはならない。
5.二礼二拍手一礼を行う。
この時、音を出してはならない。
また、一礼の後には必ず「幻想郷へ行きたい」と強く願わなくてはいけない。
6.目を瞑ったまま、真っ直ぐ前へと歩き続ける。
この時、賽銭箱にぶつかったなら目を開けなくてはならない。そして、それ以上何もせずに帰らなくてはならない。
※こうなった時点であなたに資格はない。死にたくなければ、大人しく帰ること。
この時、賽銭箱にぶつからなかったなら、誰かに声を掛けられるか別の何かにぶつかるまで、絶対に止まってはいけない。目を開けてはいけない。元いた世界のことを考えてはいけない。
以上である。
なお、この方法を実践する時、絶対に中断してはならない。中断すれば、あなたは異世界に行けないどころか、この世の者ですらなくなってしまうだろう。
(今思い返しても長ったらしい手順だ。禁止事項を何個も作って信憑性を持たせるというやり方にも飽き飽きする)
心の中で露伴は悪態をつく。というのも、彼はこの噂を信じていなかった。
以前、ネタ探しにネットの海に潜っていたところ偶然この噂を見つけ、更に偶然噂に書かれていた市に近々取材する予定があったため、そのついでに試しに来ただけのこと。
はっきり言って、期待などこれっぽっちもしていなかった。
(それに、3番は少しどうかと思うぞ。正中……すなわち参道の真ん中は神の通り道だとする場合も多い。まあ別に敬意の表し方の一つだし、必ずやらなきゃいけないものでもないが……この書き方はそういうのじゃないだろうしな)
露伴は神を信仰しているわけではない。しかし、神に敬意を払っていないわけでもない。そのような人の力を大きく超えたものと、彼は数多く接してきたからだ。
そんな彼にとって、この手順はどうにも受け入れ難いものだった……が。
(だが、だからといってやらない訳じゃあない。この噂が本当だったなら、それは極上のネタになりうる)
ネタになりそうなら、平気でやる。それが岸辺露伴という男である。
というわけで順調に手順をこなし、気づけば手順の5番まで来ていた露伴。指定通りに5円、10円、100円の順番に賽銭を静かに、かつ体が賽銭箱に触れないように入れた後、音を立てないように二礼二拍手一礼を行う。そして……
([幻想郷に行きたい])
そう強く願ったその瞬間、露伴は全身に……否、
(なんだ……?空気が変わった……?)
だが、中断してしまえばこれまでの全てが無駄になる。故にそれはできない。
露伴は瞼を持ち上げることなく、そのまま前へ歩く。
(……何か変だが……まあしかし、どうせすぐ賽銭箱にぶつかって終わりだろう。「異世界に行く方法はありますけど、あなたにはその資格がなかったみたいですね」……なんてオチは、こういうガセを作る上で一番便利だからな……)
心の中でため息をつきながら、露伴は歩みを進める。
(……にしても、妙だな。もうとっくに賽銭箱にぶつかっていてもおかしくはないはずだが)
それでもなお、足は進む。
(いや待て……流石におかしいぞッ!こんな歩けるわけがない!本来これほど歩いていたら、僕はとっくにあの神社から出て木にでも突っ込んでいるはずだ!)
だが、足は止まらない。
(進む方向を間違えた訳もない!僕は確かに賽銭箱の方に歩き出したからだ!……まさか、あの噂は本当だったのか!?)
露伴がようやくこのことに気づいた、瞬間。
(なっ!?)
先ほどまで歩いていた勢いそのまま、露伴の体が前のめりに倒れていく。
「うおおおおおおおおォォーーーーーッ!!??」
落下する感覚に咄嗟に目を開けた露伴だったが、受け身を取るには間に合わず、草で舗装された坂を転がり落ちる。
「クソッ!!」
ジムで拵えた持ち前の肉体を使って無理やり回転を抑えるも、落下の勢いは止まらない。そしてむしろ体勢を安定させてしまったために、この後自分がどのような末路を辿るのかをしかと理解してしまう。何故なら……
「───ハッ!?」
坂の終着点にて、人体を貫ける程までに成長した鋭い枝を持つ倒木がその牙をこっち側に向けて待ち構えているのを、その目ではっきりと視認してしまったからだ。
「なにィィーーーーーー!?」
慌てて腕を坂に突き刺す露伴だが、この速度では柔らかい土や草程度では彼を止める命綱足りえず、ただ無意味な直線が刻まれるだけだった。
「オイオイオイ!この僕が坂の先にある倒木ごときに殺されそうになるだと!?冗談じゃあないッ!!」
露伴にとって、「坂から転げ落ちた上にその先にあった倒木に刺さって死んだ」などという無様な死因は到底受け入れられないものである。
死んでしまえばこれ以上漫画を描くことが出来なくなる。それだけで露伴が死を拒む理由たりえるのに、その死因がよりにもよってこんな小学生の書いた稚拙なギャグ漫画のようなふざけた物であることなど、漫画家として、そして人間としてのプライドにかけて、絶対に許す訳にはいかない───!
「う────おおおおおォォォ!!」
しかし。
そんな彼を嘲笑うように、倒木は口を開けて彼の到来を今か今かと待つ。そして、その口中に露伴が収まるまであと10秒もない。
もはや、彼がこの状況を抜け出すことは誰が見ても不可能にしか思えないだろう。
「……だが、この岸辺露伴を舐めるなよ!この程度、僕にとっては取材先でファンに会っちまった、みたいな
露伴がそう叫んだ次の瞬間、彼のすぐ横に帽子を被った少年のイメージが姿を現す。
その名は<
それが露伴の右腕に触れた瞬間、その一部分が本となり幾つものページが音を立てて開かれる。そして間髪入れず、そのぺージに目にも留まらぬ速さで書き込みを入れる。内容はこうだ。
「───<博麗神社まで吹っ飛ぶ>!」
ヘブンズ・ドアーによって書き込まれた内容は、物理法則を超えた強制力を持つ。例えそれが人間には到底不可能な内容だったとしても……大抵の場合は、その通りになる。
「ウグッ!」
背中を打ちつけた露伴が苦悶の声を漏らす。しかし、背中をぶつけたのは先ほどの草まみれの坂でも、ましてや倒木でもない。
「……なんとか、戻ってこれたか……」
先ほどと何も変わらない博麗神社、その鳥居にである。
「全く……酷い目に遭った。まさかとは思うが、あの噂を投稿したやつはこれが狙いだったりするのか……?」
体中についた土をはたき落とし、崩れた髪をある程度整えて、上着を大きく振って着直す。
身なりを整えた後、彼は何気なく振り返った。当然、そこに広がる光景は先ほどとは何も変わらない、鳥居の前から見た光景と一緒の───
「……いや、おかしい。僕は神社の奥に進んでいたはずだ。それなのに、
鳥居をくぐり、無人の境内に入り込む。辺りを見回してみるが、やはり最初にここに来た風景と変わらない……いや、先ほどよりも明らかに落ち葉や汚れが減っているように思える。と言うより、人の手入れが行き届いているような……
「……一瞬、この神社が<シンメトリー>だったりするんじゃないかと思ったがそれはないな。悪魔に憑かれてたりしない限り、そんな悪趣味なことをする奴はいない」
であれば、自ずと答えは出る。
あるはずの賽銭箱にぶつからなかったこと、突然坂から転げ落ちたこと。何より、神社の様子が違うこと。
それ即ち───
「どうやら……僕には
博麗神社の外に広がる、
それを見ながら、そう露伴は結論づけた。
それから数刻が経った頃。深い森の中に彼、露伴の姿があった。先ほど博麗神社の上から一望したときにうっすらと見えた、集落のような物。彼は今、そこを目指して歩いていた。
(随分と遠そうだったが……しかし他に当てがないのも事実だ。ここに来てからスマホは圏外だし、神社にもやはり人はいなかった)
背の高い草をかき分け、露伴は歩みを進める。その右手にはコンパスが握られていた。
(一応成功した時に備えてコンパスや携帯食を持ち込んでおいたが、正解だったな)
この発達した現代ではアナログなどは骨董品で、デジタルこそが至高だ。
───そう考える者は少なくない。かくいう露伴も、デジタルの便利さは十分知っているし、活用もしている。
しかしながら、このような現代科学の立ち入れない状況においてはいつの日もアナログの方が信頼できるのだということを、彼は知っていた。
そこからしばらくの間、運良く───露伴にとっては運悪く、だろうが───何者とも遭遇することなく、彼は
(……ン?)
視界の隅で何かが動いたように感じ、ふとそちらに目をやると……
「……馬鹿な。何故君がここにいる───」
本来ここにはいない、否、いてはならない男が目の前に立っていた。
「───
彼の名は志士十五。かつて
当然、彼がここにいるはずはない。彼には勿論、どの編集者にも異世界の噂の話をしていないからである。
───しかし、現に彼はここにいる。
いつでも<ヘブンズ・ドアー>を叩き込めるよう構えた上で、露伴は目の前の男に問いかける。
「………………」
「答えろッ!何故ここにいるッ!」
「………………」
「……?」
しかし、どれほど声を荒げても彼は動くどころか口を開くことすらしない。その態度に、露伴は小さく首を傾げながらもゆっくり距離をとる。
その時、ふと足に何か触れた感覚がした。慎重にそちらに視線を向けると、そこには一つのキノコが生えていた。
ここに来るまでにも数えきれないほど生えていた、もはや露伴にとって見慣れた物。しかし今の彼は、そのキノコに対して今までとは別の考えを巡らせていた。
(……キノコの中には、幻覚作用を引き起こす物もある。僕はここに来てから自然のものは口にしていないが……このキノコの
一種の仮説の元、露伴はゆっくりと十五に近づいていく。
やはりと言うべきか、十五はこちらに対しなんのアクションも起こさず、ただこちらを凝視してくるだけである。
疑念が確信に変わった露伴は、そのまま十五の胸に手を当てた。
その瞬間。
「……ハッ!」
気づけば、露伴はただの木に手を当てていた。咄嗟に辺りを見回すが、どこにも志士十五の姿はなかった。
「やはり、今のは幻覚!このキノコ……いや、恐らくは
このまま森にいては幻覚が進行し、取り返しのつかないことになる。
そう判断し、咄嗟に元来た道を戻ろうとする露伴。だが……
「やめておいた方がいいわよ」
「……ッ!?」
目の前に現れた金髪の女性が、それを静止した。
「すでに人が見えるまでに幻覚症状が進んでいるのなら、今更出ようとした所で無駄よ。道に迷って、誰にも気付かれない場所で行き倒れるだけ」
「……君は、何者だ?」
露伴の問いに、金髪の女性は何も答えない。その代わりなのか、「着いてきて」とどこかへと歩き出す。
「……………」
あまりの唐突さ故何らかの罠のようにも思えるが、着いていく以外にこの状況を打破する方法もない。そう考えた露伴はある程度距離を空けて彼女に着いていくことにした。
「そこに座って。紅茶は飲める?」
「……ええ」
「ならよかった」
そう言いながら、金髪の女性はティーカップに口をつける。程なくして、露伴の元にも紅茶が運ばれてきた……宙に浮く、可愛らしい小さな人形によって。
「これは……!?」
「私の人形よ。可愛らしいでしょう?さあ、飲んでみて」
「……では、いただきます」
促されるままにカップに口をつけて、ゆっくりと流し込んでいく。その瞬間、果実のような甘い香りと葉のさっぱりとしながら奥深い味わいが口内を駆け巡った。
その衝撃に、露伴は思わず目を見開く。
「気に入ってくれたようね」
彼女はティーカップを置くと、露伴の目を見据える。
「自己紹介が遅れたわね。私の名はアリス・マーガトロイド、アリスでいいわよ」
「……岸辺露伴と言います。先ほどは助かりました」
空となったカップをソーサーの上に置きながら、露伴も答えた。
「礼には及ばないわ。貴方みたいな人は何人も見てきたから。と言っても、幻覚に自力で気付いたのはかなり珍しいけれど」
その言葉に露伴は眉を顰める。どうやら彼女、アリスはこのような状況に慣れているらしい。
「何人も……とはどういうことか、聞かせてもらってもいいですか?」
「言葉の通りよ。この辺りは時々人が迷い込むから、そういう人が帰れるように面倒を見てあげてるだけ……それと、別に敬語じゃなくてもいいわ。特に気にしないし」
「……そーかい。なら遠慮なく。……にしても……」
「急に何?人の顔をジロジロと見て」
不愉快そうに眉間に皺を寄せるアリス。しかし露伴はそれに動じることなく言葉の続きを話す。
「いやなに、随分と綺麗だと思ってね」
露伴がそう言い放った瞬間。
アリスと、先ほどまで忙しく飛び回っていた人形達の動きが止まる。
「……ふーん。例えば、どこが?」
「僕が特に気になってるのは顔だね。正直言って、最初は出来の良い西洋人形か何かかと思ったよ。何枚かスケッチさせて欲しいぐらいさ」
「ふーーん?まあ別に何とも思っていないけれど、褒め言葉として受け取っておくわ」
真顔でそう言いながら、ティーカップを再び口につけるアリス。同時に周りの人形達も動き出すが、何故かどれもひどく震えていた。
しかし、露伴の視線は変わらず見定めるようにアリスを捉え続けていた。
「……何?そんな見られると落ち着かないのだけれど」
「飲む所作まで完璧だ。ガチャガチャ音も立てないし、頭のてっぺんからつま先まで上品さに筋が通ってる。どこかの貴族だったりするのかい?」
「そんな褒めた所で何も出ないわよ」
直後、露伴のカップに新しい紅茶が注がれる。露伴はカップを見た後もう一度アリスに視線を向けるが、依然彼女は無表情を貫いていた。それを見た露伴は、ゆっくりと右手を机の上に置いた。
「ああいや、別に口説いてる訳じゃないんだぜ。つまり僕が言いたいのはだな……」
一度紅茶を飲んで喉を潤わせてから、何でもないことのように言った。
「
その瞬間、再びアリスと人形達の動きが止まる。しかし、先ほどとはどこか雰囲気が違うようだ。
「……よく分かったわね」
「見れば分かる、その顔も所作も人間にしては整いすぎてるからな。はっきり言って、不気味とすら思うよ」
「その一言で貴方への好感度がすごく下がったわ」
極めて不機嫌そうに言うアリス。しかしやはり露伴は意に返さない。
「悪いが、僕は君のご機嫌取りにここに来た訳じゃあない。ここに来たのは
「ネタですって?……自力で幻覚に気付いた事といい、私を人間じゃないと見抜いたことといい……しかもまるで
アリスがゆっくりと立ち上がり、こちらまで歩いてくる。やはり無表情ではあったが、その瞳はとても綺麗で、吸い込まれるような感覚を露伴を覚えた。
「いいや僕は紛れもない人間さ……普通じゃない、という点は否定しないが」
「よくそんな落ち着いていられるわね。貴方の隣に立っているのは人間じゃないのよ?」
「それがどうかしたのか?」
「どれほど力の差があるかぐらい、貴方なら分かっているはずだけれど」
周りに浮いていた人形達が一斉にこちらに武器を向ける。その武器一つ一つが丁寧に手入れされており、小さな体でも人の体程度なら簡単に切り裂けるだろうことが察せた。
「へえ、これが君のスタンドか」
「スタンド……?何を言ってるかわからないわね」
「なら君に良いことを教えてやろう。こういうスタンド使い同士の戦いの時、いつだって不利になるのは
「貴方、さっきから一体何を」
「ヘブンズ・ドアー」
彼女の顔の前に右手を出して、開くように傾ける。
それだけの動きで、アリスは力無く倒れ込んだ。それに付随してなのか、露伴を囲んでいた人形たちも一斉に床に落ちていく。
「これが僕のスタンド、<
露伴はそう言いながらアリスの顔のすぐ横にしゃがみ込み、頰に指を添えた。
「今から君の記憶を読ませてもらう。本人に直に取材するのも勿論いいが、実のところこうやって記憶を読んだ方が圧倒的に速い……それに、
そう呟きながら、露伴は頰のページをめくり始めた。
「アリス・マーガトロイド……何?元々人間だったのか?人間をやめるなんて、それはまた……へえ、この人形達は自力で動かしていたのか。それならあれほど動揺が伝わるのも頷けるな……」
ページをめくる。
「魔法の森……そうか、これがこの森の名か……妖怪?嘘だろうっ?本物の妖怪がここにはいるのか?それも大量に!?」
ページをめくる。
「人里……そうか、人もちゃんといるのか。ただ、生活基準はこちらには遠く及ばないようだ……だが、能力を有する者も中にはいると……会いに行ってみるのも良いかもしれない……」
めくる。めくる。
「河童……鬼……吸血鬼!すごい!有名どころばかりじゃないか!何なんだこの世界は!?」
めくる。めくる。めくる。
「馬鹿な、神までいるのか!?神話から派生して生まれたのか……!?クソッ、もっとノートを持ってくるべきだったか!」
めくるめくるめくるめくる!!
どれだけ読んでも驚くべき情報が次から次へと溢れ出てくる上、まだページの半分にすら至っていない。これほどのネタの宝庫を前にして、露伴の額に汗が滲む。
「フフッ……まずいなァ。ネタがありすぎるというのも困り物だ……どのネタも面白すぎて、まず何から描くかで数日は使ってしまえるぞ……ん?」
漫画家として嬉しい悩みを早くも抱え始めた露伴だったが、ある記述に目が止まる。
『このロハンという男はどこか危なっかしい。このままだと、取り返しのつかない相手にまで手を出してしまうかもしれない。その前にこの世界の恐ろしさについて知ってもらわなくては』
「……なるほど、先ほどの唐突にも思える行動は警告だったのか。びっくりするほど余計なお世話ではあるが……まあネタを大量に提供してもらったからな、ほんのちょっぴりだけ感謝してやろう……さて」
額のページ、その最初の方に手を伸ばす露伴。そこに記されているのはアリスの過去。ネタの宝庫だろう故に、あえて残しておいたのである。
「まだまだページはあるが、そろそろここが気になって来た」
はやる気持ちを抑えながら、アリスの過去の1ページ目をめくろうとした瞬間、露伴の脳裏にある記憶がよぎる。
森の中で幻覚に襲われる中助けてくれたこと、紅茶を出してくれたこと、自分を案じて警告しようとしてくれたこと。何より、とんでもない量のネタを提供してくれたこと。
彼女にはたくさんの恩がある。それなのに、人の過去を読み漁るなどといういわば人の家に土足であがるような無礼なこと、いくらネタの為といえども……
「よし、読むか」
余裕で出来てしまうのである。しかも罪悪感すらなく。それがこの男、岸辺露伴なのだから。
興奮しながら過去の記憶、その最初のページを開く。
そこに書かれていたのは……
「……何だって?」
直後、凄まじい量の糸の群れが露伴へと襲いかかる。
「これはッ……!?」
咄嗟に横に飛び退き、糸を回避する。椅子が倒れてしまったが構っている暇もない。
一方、糸束は壁にぶつかる寸前で蛇のようにトグロを巻いてこちらを見据え、再び急加速して突っ込んできた。
「何だかよく分からんが……こいつは絶対にヤバいッ!」
露伴が見据えたのは、先ほどアリスが軽そうに開けていた入り口のドア。そこ目掛けて全力で走り出す。
「悪いが、このドアを突き破らせてもらうぞッ!」
ドアを吹き飛ばそうと、全身の体重をかけた渾身のタックルを繰り出す!
───だが。
「うぐっ!?」
吹き飛ばされたのは、露伴の方だった。
そのまま起き上がる暇もなく糸に飛びかかられ、全身を覆われてしまう。
「ぐっ……」
「惜しかったわね」
先ほどまで倒れ込んでいた人形使いが服の埃を払いながら立ち上がる。同時に周りの人形たちも浮力を取り戻し、武器を構えて露伴に群がる。
「こういう時に備えて、魔法使いは自分の精神に罠を仕込んでおく物なの。今回のは私の過去の記憶を知られそうになった時に発動する罠で、全ての出入り口を魔法で塞いだ後、相手をこうやって糸束で拘束してくれるの」
「ハッ……随分と用意周到じゃあないか」
「それが魔法使いだから」
アリスは優雅に椅子を立て直し、露伴の顔の横に座る。
「でも、これで分かったでしょう?貴方の能力は確かにすごいけれど、対策次第でどうとでもなる。加えて、吸血鬼だとかの記憶も読んだなら分かると思うけど、ああいう手合いには貴方の能力は絶対に通用しないわ」
「さあな。
「いいえ、
「……つまり、なんだ……
「……ええ、まあ、本当はすごく嫌だけど……それで貴方が死ぬよりはマシよ」
「ふゥん……?」
なるほど、中々良い条件だ。
つまりこの提案を飲めば、危険に晒されることなく幻想郷という世界や彼女の記憶を追体験出来るし、いくらでも時間がとれる。
一見して、メリットばかりの提案のようだ。
「……確かに、どれだけ良いネタを仕入れたとしても、命が無くては漫画を描けない。それは僕にとっても好ましくはない。その視点から言うなら……
「でしょ?それなら……」
「
「……何ですって?」
アリスは一瞬、魔法の誤作動で耳がおかしくなったのかとさえ考えた。これだけ懇切丁寧に手を差し伸べてやっているというのに、思春期の中学生みたいな態度で手を振り払われるなど、思いもしなかったのだ。
「生憎と僕はこの世界を前にして君の記憶だけで「あー面白かったー」なんて満足出来るほど純粋じゃあない。それとも、君はアレか?
「あのねぇ、そういう問題じゃないのよ!貴方は何も分かってない!そんな観光気分でいられるほど、
我慢の限界を迎えたのか、なるべく怖がらせないように冷静に接しようという気遣いの元生まれていたアリスの鉄面皮が崩れ、素の感情が露わになる。
「だが、
「……何でそんな自信があるのよ……」
もはや怒りを通り過ぎて呆れの領域まで到達したアリス。シワにならないよう眉間を指で挟んで懸命に伸ばしながら、「そろそろ本当にどこか怪我させないといけないのだろうか」などと考え始めた頃。
「自信も何も、僕には
「……はぁ」
「それに……」
「……?」
露伴が、ニヤリという擬音が似合うほどに不敵な笑みを浮かべる。
「
「何を……」
アリスがそう言った瞬間。
露伴を捕らえていた糸束が
「なっ!?」
驚いた彼女は咄嗟に人形を動かし、武器を持って露伴へと殺到させる。そして人形たちはその勢いのまま……
「ちょっと、何なのよこれ!?」
「僕の<
露伴はゆったりと立ち上がり、余裕綽々の態度でアリスに向かい合う。その立ち姿は隙だらけであり、まるで彼女に応戦する気がなかった。
……当然である。彼には既に、
「<対象を本にする>という能力に対抗されたことは実のところ結構ある。だが、<書き込んだ命令には絶対に従う>という能力に対応できた奴は少ない」
「このっ……!」
人形がダメだと分かるや否や、今度は
「今回はシンプルに、<露伴に危害を加えられない>と書き込んだ。だからあの糸束も僕を覆っていただけで本当はいつでもこうやって抜け出せたし、君の攻撃も僕には当たらない。何せ、
「くっ……!」
(なんて厄介な能力……!)
内心、アリスは冷や汗をかく。
露伴の言うことが正しければ、彼は相手を問答無用で無力化できる上自由に洗脳出来るということだ。とはいえ、上位の妖怪などには無力化の方は通用しないだろうから、それはいい。だが、問題は洗脳の方。これだけ強制力の高い洗脳能力なら、一部の強豪相手にはもしかしたら効いてしまうかもしれない。そうなれば、確実に面倒なことになる。
(この男、場合によってはかなり面倒な
先ほどまではこの男を心配していたアリスだが、今は違う。むしろこの男を警戒し、無力化する算段を考えていた。
「さてと……」
露伴が動きを見せた瞬間、アリスは身構える。
「来るなら来なさい!魔法使いの力を見せてあげるわ!」
アリスの啖呵に対して、露伴は大きく息を吸って───
「君、何言ってんだ?」
「……へ?」
毅然と、そう言い放った。
「何か勘違いしてるみたいだが、僕は別に君や他の奴に危害を加えようって訳じゃないぞ。さっきも言ったが、僕は
「あ……」
「分かったらとっととこのドア開けてくれないか。こっちはこんなところでゆったりお茶会してる暇なんてないんだ。少なくとも日が暮れる前には
「え、えぇ……」
すっかり彼のペースに飲み込まれたアリスは、困惑しながらも扉にかかっていた魔法を解除した。
露伴がドアノブを回してみると、そのドアは蝋を塗り込んだみたいにスムーズに開いた。
「どーも。後これだけは言っておきたかったんだが……」
ドアを開き切ったところで、露伴は視線だけをアリスの方に向けた。
「君、少しおせっかいがすぎるぞ。そういうのを
ビキッ!
アリスの頭から、そんな音が響き渡った。
「うるさいわね!そういうのこそ
露伴への行いや感情に結構な罪悪感を抱いていたアリスだったが、今の余計なお世話発言を聞いてその感情も、ついでに堪忍袋の尾も吹っ飛び、再び頭の中が怒り一色に染まってしまう。
(……へえ。最初は不気味なヤツだと思ったが、案外人間らしい顔も出来るんじゃあないか)
最初こそ不気味なヤツだと思っていた露伴だったが、今の顔を赤くして怒るアリスの姿を見て、フッと笑いを漏らした。
「笑った!今笑ったわよね!?馬鹿にしてるのかしら!?」
しかし側から見れば、それは人の顔を見つめてから鼻で笑ったようにしか見えない。故にアリスはさらに激昂する。
これ以上ここにいれば碌なことにならない。露伴はそう考え、さっさとここを出ることにした。
「……それと。君のおせっかいには本当に辟易としたが……
……と、そんなことをさりげなく言いながら。
それを聞いたアリスは、露伴が出て行った後も十数秒の間固まった末。
「もう何なのよアイツはぁぁぁ………!!」
何が何だか分からなくなった彼女はしゃがみ込みながら顔を覆って、絞り出すようにそう叫んだ。
「……ここが人里か。案外賑やかだな」
露伴の眼前に広がっていたのは、現代においては歴史の資料などでない限り見ないような服装を纏った者たちが無秩序に里中を闊歩している光景。
「これほどまでに活気に溢れているとは……これを見ると、つくづく
偶然あの噂を目にしたこと、しかもそれを試す機会に恵まれたこと。
その全てを、露伴は噛み締めて。
「……だがその前に、まずは寝床と食事を取れる場所を確保しないとな」
当面の目標を決めて、その喧騒の中に露伴は足を踏み入れたのだった。
読んでいただきありがとうございました。
単発予定ではありますが、場合によっては続きを書くかもしれません。
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