稗田阿求。
時に『幻想郷の記憶』とも呼ばれる彼女は、『一度見た物を忘れない程度の能力』を有している。
加えて、彼女は『転生』を幾度も重ねることで人間を遥かに超えた知識量と経験を蓄えたらしい……ただ、その代償なのかは不明だが、どの転生体も三十代前後で寿命を迎えてしまうのだとか。
(今考えても、便利なのか不便なのか分からない体質だな)
それから一分もしない内に、いかにも使用人といった服装の、長い黒髪を携えた若い女性が扉を開けて出てきた。
「はい……どちら様でしょうか?」
「岸辺露伴と言う。いきなりで悪いんだが、稗田阿求さんに会いたい。紹介状も持って来てある。『守矢神社の風祝』と『紅魔館の主』の直筆だ、知らないとは言わせないぞ」
そう伝えると、使用人は困ったように顔を曇らせた。
「……その、大変申し訳ないのですが。阿求様は現在体調を崩しており……」
「悪いがこっちも余裕がない。数分でいいんだ、話させてくれないか」
「と、言われましても……」
受け取った紹介状と露伴の顔とを交互に見ながら、使用人は呟き……そして、観念したように目を閉じた。
「……わかりました。これより阿求様のところへ案内させていただきます」
✒︎
屋敷の中は思ったより騒がしく、使用人が忙しなく動いていることが見てとれた。それだけでなく、なんとなくだが焦っているようにも見えた。
「申し訳ありません。本来であれば、もう少し静かなのですが……」
「確かに随分と賑やかだな。何があった?」
「説明するより見ていただいた方が早いかと……鈴仙様、入ってもよろしいでしょうか?お客人をお連れしました。東風谷早苗様とレミリア・スカーレット様の紹介の元、こちらに」
「……なんかすごいメンツね……まあでも、それなら変装しなくてもいいでしょ。事情は分かった、いいわよ」
「失礼します」
「天内」と呼ばれた使用人が襖をゆっくりと開く。
そして、その先に広がっていたのは……
部屋の中央に寝かされた1人の少女と、それを囲むように下された帷のような物。加えて、その帷の前に兎の耳が生えた制服姿の女性と飴色髪の少女が立っているという異様な光景だった。
「改めまして、岸辺露伴様でございます」
「よろしく」
「私は『永遠亭』の鈴仙・優曇華院・イナバ。鈴仙でも優曇華院でもイナバでもお好きに呼んで。で、こっちが───」
鈴仙がそう言いかけたところで、飴色髪の少女が慌てて立ち上がり、軽く咳払いをした。
「私は阿求の友人の本居小鈴と言います。よろしくお願いします」
「ああ」
「それで、何の用?」
「ちょっとした用があってね……稗田阿求さんと少しでいいから話したいんだが」
「あー、それ無理。
「……何だって?」
その言葉を聞き、思わず露伴は真ん中の少女へと近寄ろうとしたが……横から伸ばされた鈴仙の腕によって阻止された。
「近寄らないで。彼女は今かなり危ない状況なの、ああやってお師匠様の作った簡易的な無菌室に入れておかないとダメってくらいに」
「……天内さんが僕を入れるのを渋ったのはそういう事だったのか」
背後に立っていた天内を一瞥すると、彼女は申し訳なさそうに頭を下げるのみだった。
「露伴さん、よね。悪いんだけど、別室に移動してくれる?詳しい話はそこで───」
「私が説明します」
静かに立っていた小鈴が突如として会話に割って入った。鈴仙はその事に少々驚きながら、彼女の方へと向き直る。
「いいの?阿求さんのそばにいたいんじゃ───」
「鈴仙さんにはこれから投薬してもらわないといけませんし……何より、ここに居たところで私には何も出来ないと分かってしまったので」
そう言って、小鈴は笑みを作る。
そしてそれが無理やり笑ったのだということは、露伴の目にすら明らかだった。
鈴仙はその痛ましい顔を見て少し考えると、今度は天内の方に顔を向けた。
「天内さん、この人たち案内してくれる?」
✒︎
「それでは、私は下がらせていただきます。何かあればお申し付けください」
「ああ」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げ、天内は襖を閉めていった。
露伴は彼女が去っていた後、部屋全体を見回した。
上等なソファに大きな机、本棚に詰め込まれた本の数々と高そうな照明に、煌びやかな陶芸品の数々。ここが接待や応接に使われる部屋だというのが、一目で分かった。
そして、その部屋にいるのは露伴と小鈴の2人のみ。
露伴からすれば、極めて
「それで、事情を説明してくれるんだったか?」
「あ、はい。えっと……じゃあまずは、なんであいつが……阿求がああなったかについて話します」
それとなくソファに腰掛けながら小鈴は話を始め。
露伴もそれに合わせ、向かいのソファに座った。
「3日前、あいつの体調が悪くなり始めたんです。と言っても最初はただのちょっとした風邪って感じで、人里の薬でも十分だったらしいんですが……数時間のうちに咳が止まらなくなって、血反吐を吐くようになり……最終的に、意識すらも失った」
「で、あの無菌室に入れられたんだな」
「そうです。その、今のあいつは肉体的にも精神的にも本当に不安定で、ほんのちょっとの変化が最悪の展開に繋がってしまうらしいんです。ですから、それを防ぐためにあちらが用意してくれたんです」
「ふうん……これは仮の話なんだが、
「いやもう絶対にダメ!……です。さっきも言いましたが、彼女は今本当に弱ってるんです。ですから、精神に干渉なんて負担のかかることをすれば……最悪、一分も持たずに……」
……思っていたより、面倒くさいな。
口にこそ出さなかったが、露伴は心底そう思った。
(つまり、僕の『
最悪阿求の記憶を読めばいいだろうと考えていた露伴にとって、この事実はあまりにも面白くなかった。
「じゃあ彼女が目覚めるのはいつだ?」
「………………」
「オイ、聞いてんのか?」
「……多分、
「……どういうことだ?」
眉を顰めて聞き返す露伴に、服の裾を握りしめながら悔しそうに小鈴は声を漏らした。
「このままだとあいつは、阿求は……遅ければ3日後、早ければ……明日、には……
「何だってッ!?」
露伴は思わず、ソファから立ち上がってしまった。
晴天の霹靂だった。まさか、よりにもよって唯一の手掛かりの余命が残りわずかだとは。
「オイオイオイオイ……そりゃないだろう……」
「……そもそも、露伴先生は何故阿求と会いたかったんですか?」
その狼狽えように疑問を覚えたのか、小鈴はおずおずといった口調でそう尋ねた。
露伴は彼女を一瞥すると、顔を上げて話し始めた。
「……小鈴君、だったか。博麗霊夢って覚えてるか?」
「…………………
「だろうな、期待してないからいい。僕が探してんのはそいつだ。色々調べて、稗田阿求なら覚えているはずだと分かった」
「……よくわかりませんが、多分人の名前ですよね。それもあいつと関わりのある……なら、もしかしたら幻想郷縁起に……」
小鈴の提案を打ち砕くように、露伴は息を短く吐いた。
「稗田阿求が書いた本だろう?この岸辺露伴がそんなことに思い当たらないと思っているのか?調べたよ、だがその上で
「無駄?」
「『落丁』してたんだよ、一ページだけ。多分博麗霊夢について書かれていたのだろうページがな。言っとくが、一冊だけの話じゃあないからな」
「落丁って、そんなの……」
「そんなことより何かないのか、稗田阿求を治す方法。鈴仙さんが『永遠亭』とか言ってただろう、そこはどうなんだ」
その問いに、小鈴は静かに首を横に振った。
「……今は永遠亭も
「クソッ、八方塞がりじゃあないか……」
ここまで来たのなら、一か八か阿求に『
「……露伴さんは『精神に干渉する能力』を使えるんですか?」
「……何?」
小鈴が、不意にそんなことを言った。
「さっき、そんなことを言ってたじゃないですか。それは、露伴さんがそういう力を持ってるからじゃないんですか?」
「…………」
露伴は答えない。
小鈴はそれを肯定とみなした。
「もし……もし
「ああ、『治せる』」
その次の質問、露伴は確信に満ちた声で答えた。
それを聞いた小鈴は一度目を閉じて……そして立ち上がった。
「実は昨日、鈴仙さんと天内さんの会話を盗み聞きした時、こんなことを言っていました。「命までは救えなくとも、体調を安定させる薬がある」と。そして、「その薬は材料に
「ナアナアナアナア、ちょっと待てよ。もう壁にぶち当たってんじゃあないか、今はもう夏じゃあ───」
「話は終わってない!あんたも幻想郷縁起読んだんでしょ!?なら知ってるはずよ、
「花って……おい待て、君まさか……」
「これから私は、太陽の畑に行って……
半ば叫ぶように、小鈴はそう宣言した。
「……本気で言ってるのか」
「本気も本気よ!半年くらい前にもあいつと会ったことあるんだから!……その時は、遠巻きから目があっただけで失神しちゃったけど」
「何ィ?」
「だってやばかったんだって!気分が悪かったのか知らないけどめちゃくちゃ怒ってて、溢れる妖気の量がやばかったのよ!ビンビンとかじゃなくて『ゴゴゴゴ』って感じだったの、ほんとに!……けど、今度は失神しないわ、絶対に!」
「なあ、本当に出来るのか?かなり心配なんだが」
「……
その言葉は、震えていた。
さらに言えば、体だって震えていた。腕や足、その指先に至るまで。
……けれど、彼女は両の足で
どれだけ恐れていようとも、自らの足で床を踏み締めていた。
彼女は今、紛れもなく
そして、その姿を見た露伴は……
「いいねぇ〜〜〜っ!気に入ったぞ小鈴君!」
「えっ?」
「僕はそういう、『まるで劇画』っていうような根性を持ってるヤツにグッとくるんだ」
「……あ、ありがと?」
「……だから、
「ほ、ほんとに!?……いやダメよ、いくら何でも危な過ぎるわ!」
「心配するな、僕には『能力』があると言っただろ。……ついでだ、君にも教えておこうか」
「……ええ?」
「教えてやろう、僕の能力の名は……」
露伴は小鈴の前まで歩いてくると、彼女の顔の前に手を出した。
「な、何を……」
「『
そして、手をめくるように動かし……それに合わせ、小鈴も静かにソファに倒れ込んだ。
彼女を優しく起こし、部屋に置かれていたペンで命令を書き込む。
「こんなことしてやるのは、今回だけだからな」
露伴はペンを戻すと、襖を静かに開けて廊下へと出ていき……小鈴が目を覚ました頃には、屋敷内に彼の姿はなかった。
そして……彼女がそれを思い出すこともまた、なかった。
✒︎
露伴は、道を歩いていた。
紅魔館への道でもなければ、守矢神社への道でもない。
言うまでもなく、先ほど話に上がった妖怪『風見幽香』の居る『太陽の畑』への道である。
「僕がこんなことをしてやる義理なんてのは、全くないが……」
そう、義理はない。稗田阿求にも、本居小鈴にも。
……だが、興味が湧いた。
危険度「極高」にして、人間友好度「最悪」の妖怪がどのような存在なのか、そして……親友が生き延びた時、小鈴という少女はどんな顔を浮かべるのか。
それと、もう一つ。
稗田阿求は三日前に倒れ、明日には死んでしまうかもしれないと聞いて……露伴は少し───考えすぎかもしれないが───タイミングが良すぎるように感じたのだ。
(もしかしたら……彼女もまた、この『異変』に関わる何かを知っているのかもしれない……)
「……と、この辺りのはずだが……」
手に持っていた地図を閉じ、辺りを見渡す露伴。
彼が『太陽の畑』を見つけるまでには、さほど時間が掛からなかった。
遠くから見ても分かるほどまでに多く生えた、季節外れの向日葵の群れ。それらが美しい山吹色の花をこれでもかと咲かせていたからである。
露伴は迷うことなく、その畑へと歩みを進めた。
✒︎
「これは……すごいな」
近くから見てみると、その向日葵たちの咲き誇り方は異様ですらあった。外の世界でも相当な手間暇をかけなければ為せないほどの美しさを、向日葵一本一本が兼ね備えていた。
「花びらの一枚一枚から『生命の息吹』を感じる。今まで数多くの花を見てきたが……これほどまでの色彩を放っている物はそれほど多くはない。これが『植物を操る程度の能力』の力というわけか……」
露伴が向日葵に見惚れていた時……その向日葵たちが、突如として動き始めた。しかし、露伴に驚きはなかった。どこか確信めいたものがあったのだ。『何かが来る』、と。
「……何してるのかしら」
そして、
日傘を差した、緑髪の女性。赤い瞳から放たれる冷たい眼差しは、彼女が人間ではないという何よりの証明だった。
そして何より……彼女の周囲には渦巻いていた。
(心臓を掴まれたような感覚、小鈴君が失神したのも頷ける……!)
行動の一つ一つが、命取りとなる。
その緊張感が、露伴の感覚を研ぎ澄まさせた。
「礼儀知らずね、無断で入ってくるなんて」
「悪いが、門も扉も見当たらなかったんでね」
「へえ。今の私に口をきけるなんて、大したものじゃない……で、用は何?」
「率直に言おう。稗田阿求という者が病に倒れた。彼女を治すため、輝夏花という花が欲しい」
「ふうん……」
その女……風見幽香は品定めをするように、露伴の体を足から頭までじっくりと見つめ……そして、
「いいわよ。
「だろうな。条件は」
「今から少し、遊びに付き合ってくれる?」
「……『遊び』……?」
「そう、遊び。最近嫌なことばかりだから、どこかで発散したいと思ってたの」
「……何をするんだ。鬼ごっこか、じゃんけんか?」
「そうねぇ、それも面白いわ。けど、私がしたいのは……」
その時、幽香の腕が
「狩り」
「───ッ!!」
露伴が反射的に横に跳んだ瞬間、幽香の手刀が彼の頬を掠める。
ただ掠めただけだというのに、刀で斬られたような鋭い痛みが頰に走った。
「ヘブンズ・ドアーッ!」
その
「──────」
幽香はよろめき、そのまま倒れ───
「気持ち悪いわね、
「何だとッ───!?」
幽香は踏みとどまったと同時に、露伴も地面に着地する。
次の攻撃に備えようと、露伴が顔を上げた時には───
「遅い」
「しまっ───」
眼前に、幽香の足が迫っていた。
腕で防ぐ暇もなく、彼女の足が腹部に突き刺さる。
「がはッ───」
眼前の光景が引き延ばされ、遠くなっていく。
これが幽香に蹴飛ばされたことによって起きた物だということを露伴が理解したのは、花を散らしながら数十メートルあまり吹き飛んだ後のことだった。
「ぐゥッ…………」
立ち上がろうと地面に手をつくが……力が入らない。
未だ腹部を迸る鈍痛により、四肢に力を入れることすらままならなかった。
「良かった、力加減を間違えてたらどうしようかと思ってたの」
遠くから、幽香の声がする。
それがどれほど遠くなのか露伴には分からなかったが……少なくとも、こちらに向かって近づいてきていることは理解できた。
「ルールを言ってなかったわね。あなたの勝利条件は私がスッキリするまで耐え切るか、私を殺すこと。そして私の勝利条件は、あなたを殺すこと。ハンデとして、私は手を抜いてあげる」
「ハッ……随分と、物騒じゃあないか……」
「そう?これは配慮よ、『弾幕ごっこ』が出来ないあなたへのね」
「どうせ、その弾幕ごっことやらでも……君は、僕を殺そうとするんだろ……」
「勘がいいじゃない」
「……ほんっと、いい趣味してるなッ……!」
全身に渾身の力を込めて、露伴は何とか立ち上がった。
腹には相も変わらず痛みが張り付いているが、骨や内臓はおそらくまだ無事だろう。それならば問題ない。
「へえ」
声のする方に振り向くと、幽香が初めて会った時と同じように日傘を差して立っていた。間の距離は、目測で五メートルほど。
「よく立てたわね。かなり加減したけど、それにしたって痛いでしょうに」
「この岸辺露伴を舐めるなよ。こんなの怪我の内にも入らない」
「根性あるじゃない。そういう人間、嫌いじゃないわ」
「なら、とっとと花を渡してほしいんだがな」
「それは嫌よ」
「だろう……なッ!」
「?」
「ヘブンズ・ドアーーーッ!」
あらかじめ手に握っていた土を幽香に投げつけると同時に、露伴は再び『
パラパラと音を立てて、ページがめくれていく。
「またこれ?さっき効かなかったでしょうに」
ページをたなびかせながら投げた土を容易に弾く彼女を見て、露伴は確信した。
(クソッ!やはりコイツは
「大体の妖怪より強いと思ったんだけど……気のせいだったのかしらね」
つまらなさそうに幽香はため息をついた後……露伴に急接近した。
凄まじい速度。露伴は咄嗟に反応できない。
「もういいわ、死になさい」
そのまま幽香は打撃を放つ。
当然、人間に避けれるはずもない。幽香が自身の勝利を確信した刹那───
「僕が本にしたのは、
露伴が
「何───?」
思わず幽香は露伴を目で追い、そして気づいた。
露伴の腕もまた、彼女自身のように
(さっきの土はアレを隠すためのブラフだった訳ね───面白いじゃない)
次に勝利を確信したのは、露伴だった。
油断している相手なら、例え吸血鬼だろうと先に能力を当てられる。その経験があったからこそ狙えた、渾身の奇襲。
「『書き込ませて』もらうぞ───風見幽香!」
「……フフッ」
露伴が幽香に命令を書き込むため、少年のイメージを向かわせようとした時。
(……あいつ、何をするつもりだ?)
次の一手が読めぬ行動に、露伴は一瞬固まる。
だがそれこそが、幽香の狙いだった。
傘の先端に、急速に魔力が充填されていく。
溜まり始めてからまだ一秒も経っていないというのに、すでに傘の先端は太陽の如く光り輝いていた。
それを見た瞬間。
露伴は言葉でなく、心で理解した。
───
「ヘブンズ・ドアーーーーーーッ!!」
露伴が自らに全速力で命令を書き込んだのと、ほぼ同時に。
「避けられるかしら」
解き放たれた『太陽』が、天を穿った。
射線上の悉くを消し飛ばす、美しくも恐ろしい光。
その威力はあまりにも凄まじく、周囲にいた妖怪や妖精が衝撃波に襲われ、人里からでも何かが光ったのが見えたほどだった。
それから数秒後、光線は粒子となって風と共に消え。
何も変わらぬ向日葵たちと、傘を下ろした風見幽香だけが残った。
「……ふう。一応、花達が吹き飛ばない程度には抑えたつもりだったけれど……流石に消し炭になったかしら」
幽香は一度息をつくと傘を差し……左斜め前方に目を向けた。
「なんてね。見えたわよ、岸辺露伴。あなた今、ギリギリで向日葵達に突っ込んだでしょう。おおかた、さっき飛び上がったのと同じ力ってところかしら」
意地悪くじっとりと喋りながら、幽香は向日葵をゆっくり動かして行く。その顔は追い詰めた獲物を嬲る肉食獣のそれに酷似していた。
「次はどうするの?私にまた能力を使う?それとも自分に?どうやって楽しませてくれるのかしら」
向日葵達の中央あたりにたどり着いた時、幽香は足元に落ちている血雫に気がついた。
「フフッ……誘ってるわね」
あまりにもわざとらしい導線に、思わず幽香は笑ってしまった。
ここでこの仕込みを潰してやるのは、彼女にとっては容易……だが、それでは
「ここまで来たんだもの、乗ってあげるわ」
自分より遥かに弱い人間が、果たしてどう勝つつもりなのか。
幽香は今、何よりもそれが気になっていた。
笑みを浮かべながら、幽香は血雫について行く。そして、数歩歩いたところで……幽香はある物を見つけた。
「……何かしら、アレ。向日葵に何か……」
向日葵の一本に、何か紙のような物が括り付けられていた。
それを見ようと幽香は近づき……そして手に取った。
「……絵、かしら。地図の裏に……?」
「
「……奇襲してくると思って見逃してあげてたのに」
そう言いながら幽香が振り返ると、そこには露伴が立っていた。地面に突っ込んだせいか全身の至る所に擦り傷があり、服も破れている……誰がどう見ても、満身創痍だった。
「あなた、絵が上手いのね……けど、これでどうしたいの?」
「僕の『
「……は?」
答えになっていない返しに、幽香は眉を顰める。
だが露伴は気にすることなく話を続けた。
「その結果として、今では一瞬で相手を『本』に出来る……だが、最初はそうじゃあなかった。『
「───!!」
幽香はそこで初めて、露伴の罠に嵌ったことを理解した。
───
「
再び、幽香が『本』となる。
「学習しないわねッ!」
露伴目掛けて跳躍しようと、幽香が足に力を込めた瞬間───
両足が、
「これは───!?」
瞬時に傘を閉じ地面に突き刺すことで、かろうじて膝立ちのような体制でとどまった幽香。
だがそれにより一瞬、ほんの一瞬───
「───ッ!」
露伴は走り出す───
(ここを逃せば、僕に勝ち目はない───!)
「───甘いッ!」
それを迎え撃つため、幽香は左腕で先ほどの
「!?」
肘から先が
驚いた幽香は思わず腕と足を一瞥し……理解した。
(
「終わりだッ、風見幽香ッ!」
そして気付けば、露伴がすぐそこまで迫ってきていた。
動きは封じられ、弾幕を出せるような状況でもない。幽香の脳裏に一瞬『敗北』の二文字が浮かぶ。
(この私が、『弾幕ごっこ』ですらない遊びで人間に……嗚呼、それは何とも───
「がっかりさせるなよ、岸辺露伴!」
幽香は全力で腰を捻り、ばらけた腕を丸ごと振りかぶるように後ろへと飛ばした。
「あいつ、何を───!?」
「これはこれでいいじゃない!
「まさか───」
そして、プロ野球のピッチャーのように全身を捻り……思いっきり振り抜いた。
遠心力により加速した彼女の拳が、寸分の狂いなく露伴の顔目掛けて飛んでいく。当然、常人であれば……否、並大抵の妖怪であれば首から上が吹き飛ぶであろう、必殺の一撃。そしてそれは露伴も例外ではなく。
───幽香の拳が、深々と露伴の顔にめり込んだ。
「勝ったッ!」
幽香が2度目の勝利を確信した、その時。
「……
千切れ飛ぶはずの露伴の顔、正確には拳がめり込んだ部分が……
「なッ……」
「ぐうっ───!」
露伴はその状態のまま体を拳の進む方向に半回転させ、彼女の必殺の一撃をかろうじて
「風見幽香ァッ!」
そしてその勢いのまま伸び切った幽香の腕を掴み、最後の力を振り絞るように叫んだ。
「お前は、『岸辺露伴に攻撃出来なくなる』ッ!」
『書き込めた』のは、その一文だけ。それが限界だった。
……だが、そのたった一文の短い文章により、勝負は決したのだ。
風見幽香が岸辺露伴を倒す術は、なくなった。
「ハァ────ッ、ハァ──────ッ……クッ……」
数分間の、停滞の後。
露伴は息も絶え絶えに前を見据え、足を引き摺るようにして幽香の元へと向かった。
そして、肝心の幽香はと言えば……
「フフフッ、ウフフフフフフフ……!」
「……どんな情けない顔をしているのかと思えば……笑っているとはな……」
「楽しかった、楽しかったわ、岸辺露伴。こんなのは久々よ」
「そうかい、どうでもいいからとっとと花を寄越せ」
「冷たいわね。でもその前に、一つ聞かせて」
「話が違うぞ」
「いいじゃない、これくらい。私はもうあなたに攻撃できないのだし。そもそも四肢も動かないわ」
嫌らしい笑みを浮かべる幽香。要は、教えなければ花は出さないと言いたいのだろう。
『
「───チッ、何だ」
「最後のあなた、さっきまでとは全く違うように見えた。一体何をしたの?」
「そんなことも分からないのか?僕自身に『身体能力を体が壊れる直前まで引き出す』と、書き込んでおいたんだよ。さらに保険として、『攻撃された箇所を本にする』とも書き込んだ。だがまあ……実際のところ、発動する羽目になるとは思わなかったし、発動しても乗り切れるかは運次第だったがな……これでいいだろ」
「ええ、そうね。スッキリしたわ」
幽香がそう言った瞬間、彼女の前の地面が盛り上がり……土を突き破って、藍色の美しい花がいくつか顔を出した。
その花を見た幽香は、
「ほら、持っていきなさい」
露伴がその花達を引っ張ると、磁石を取るみたいに驚くほど簡単に引っこ抜くことができた。
「どーも」
「……?」
軽く礼をした後、露伴はそれ以上何もせずに幽香の横を通り過ぎていった。先ほどの戦いからは想像できないほどのあっさりした終わり方に、思わず幽香は彼を引き止めた。
「ちょっと、待ちなさいよ」
「オイオイオイオイナアナアナアナア……もう遊びは終わっただろう!」
「そうじゃなくて、なぜ私を殺そうとしないのよ」
それだけボロボロになっているくせに、なぜ自分をこのまま放っておくのか。それが幽香は気になって仕方なかったのだ。
「ハァ〜〜〜〜〜〜〜〜……」
露伴は心底面倒臭そうにため息をついた後、振り返って幽香を指差した。
「あのさぁ、自分が言ったことも覚えてないのか?「あなたの勝利条件は私がスッキリするまで耐え切るか、私を殺すこと」とか気取ったように言ってただろ。そしてさっき、「スッキリした」とも言ったはずだ」
「……あ」
「「あ」じゃないんだよ、ったく……とにかく、僕は帰る。死にたいのか何なのか知らないが、そういうのは他の奴に頼んでくれ」
露伴はそう言い切って、再び歩き出し……それ以降、振り返ることはなかった。
「……にしても……妙に体が軽い気がするな……」
✒︎
「うーん……何か忘れてる気がするのよねぇ……昼頃のあの光と何か関係がある気が……」
夕暮れ時、稗田邸の縁側。小鈴はそこで頭を抱えて悩んでいた。
「どうしたのよ、こんなところで唸って」
小鈴が振り返ると、そこには鈴仙が立っていた。
ただし、制服の代わりに着物を着用し、笠を深く被っていたが。
「あ、鈴仙さん!阿求は……」
「とりあえず、今後6時間は大丈夫」
「……そうですか、良かった……」
「けど、結界には触れないこと。じゃあまた、6時間後に来るから。あなたはその時には寝てなよ」
「はい、ありがとうございます!」
「感謝ならお師匠様に」
そう言って鈴仙が外へ出ようとした時……その出入り口の方から、天内の心配そうな声が響いた。
「露伴様!?どうされたのですか!?そんなボロボロで……!」
「僕のことはどうでもいい、失礼するよ」
「え、あの、ちょっと……!?」
「露伴って、さっきの……」
「……あ!まさか……!」
その声を聞いて、小鈴が全てを思い出したタイミングで……
通路の曲がり角から、満身創痍の露伴が現れた。
「うわあっ!?」
「ちょっと、大丈夫!?」
「間に合ったらしいな……鈴仙さん、これを」
「え?はい……ってこれ、輝夏花じゃない!?露伴さん、何でこれを……露伴さん!?」
そして鈴仙に花を渡したところで、露伴は床に倒れ込んだ。
風見幽香との激闘に加え、人里までの道をそのまま歩いてきた彼の肉体は……もうとっくに、限界を迎えていたのだ。
「露伴様!?」
「血を失いすぎてる、というかそれどころじゃない!顔もそうだし、腕だの足だの……とにかく全身が傷つきすぎてる!どんな無茶したのよこれ!?」
「そんな……じゃあ、もしかして露伴さんは……!?」
「ええ、このままだと……いや、これは……
何やら遠くで誰かが騒いでいるような気がしたが、うまく聞こえなかった。露伴はせめて、どうにかして目だけでも開いておこうとしたが……唐突な疲労と眠気に襲われたので、やめた。
✒︎
「ウフフフフ……」
先ほどから、笑いが止まらなかった。
人間の、それも男に負けたのはいつぶりか……いや、よもやすると初めてかもしれない。だが、あれほど楽しい戦いは久しぶりだった。その礼として
「私の知らないところで死なれたらつまらないしね……」
ここ最近のところ、能力が勝手に発動されるようなことが多くて苛立っていた。花を動かすだけなら問題なかったが、それ以外は全く思い通りにならなかったから、なおのこと。少し前には、そんな私を見て失神した少女もいたはずだ。
ともかく、それのせいで日々にうんざりしていた。確か一人、私にも引けを取らない人間がいたはずだが、
確かに、長く遊べるよう手を抜いてはいた。だが、負けようとは一寸たりとも思っていなかった……だというのに、彼は勝った。能力も強かったが……それ以上に、精神が強かった。あれだけボロボロにされておいて、なお恐れず立ち向かってくるとは。
それを知ったのはあの花を生やした時。
あの時はもう、最高の気分だった!全身についていた枷から一気に解き放たれたような、清々しい気分だった!
「ああ、惜しい、口惜しいわ岸辺露伴。一回だけで終わりなんて」
だからこそ、足りない。
もっとあの男を知りたい。戦いたい。
普段は何を食べて、何をしているのだろう?どこにいるのだろう?どこへ行くのだろう?誰と話すのだろう?
次はどんな戦い方をするのだろう?準備をさせたら、どんな手段を用意してくるのだろう?どこまでついて来れるのだろう?
「そうねぇ、次は私から行きましょうか……ウフフフフフフフッ!」
露伴って多分相手がどんな風な本の形になるかまで指定できそうだなってのを、最近4部の億泰のシーン見返して思いました。