シュールなラブコメ目指したかった。
ユウカに抱きしめられた話
夜も更け込んだシャーレには、僅かばかりの無機質な音が響いている。
音の発生源は置いてある自動販売機。
そんな絶賛稼働中の自販機は、こんな時間でも明かりを発しており、周囲を青に滲んでいる。
いつもより明らかに遅い時間。
そんな中残って、仕事をしていたのは二人。
そして今は、ひと段落ついて並んで購入したものを飲んでいる。
「…こんな遅くまで付き合わせちゃって、ごめんね」
「いえ、良いんです。私が好きでやっていることなので」
会話の合間、
二人は同時に手に持つ飲み物に口をつける。
そんなことを繰り返していた。
そして、彼は一足先に飲み終えた。
「……」
「先生?そろそろ……本格的に休んだ方がいいんじゃないですか?」
先生と呼ばれた彼は飲み終わった途端に、うつらうつらとし始める。
「……いや、まだまだ仕事はあるし、私はもう少しやってから」
二、三度頭を振り、懸命に眠気を飛ばし受け答える。
しかし彼女は、その態度を見かねた。
そして、
「なら、私も…もう少しお付き合いします」
遮るように、口が先に動いた。
「………」
先生は、彼女をそろそろ休ませ…否、帰らせようとしていた。
その矢先、彼女は後の先とも言える一本を決める。
普段の先生であれば、もう少し頭が回り会話の応酬が有ったのだが……いかんせん、とても眠い。
そして、彼女との会話が、声が心地良いものだからだろう。
先生はさながら、ぼんやりとした夢と現実の狭間に達していた。
「一昨日からあまり休めていないようですし、流石にもう休んでほしいです…。幸いここには仮眠室がありますし、数時間寝れば…効率化も図れます」
口数が増え、なんとかして、あの手この手で眠らせようとしてくる。
しかしながら、この先生……今から仮眠室で寝ようにも、一つ問題を抱えている。
非常に眠たい頭で、彼女を見ていると…「そうだ」と、一つ思い至る。
目の前の彼女なら、この問題を解決してくれるのではないかと。
「………ごめん、ユウカ。お願いがあるんだけど」
「なんですか改まって……。言っときますけど頑張っているからって、無駄遣いはダメですよ?」
「ち、違うよ……。その、実はここ最近、休みの日もちゃんと眠れていなくて……その、手を繋いでもらえないかなぁ、なんて」
ユウカは、今自分に求められていることに動揺した。
そして、僅かな時間ではあったものの、散々自分の耳を疑ってのち、再起動した。
「………それは…その、コメントに困るやつですね……」
「………ぁ、だ、だよね。ごめん、変なこと言って…疲れてるのかな、私」
ハッとして先生は慌てる。
そしてその様子を、目を細めて見る。
改めて、上から下まで先生を見ると…連日、かなり疲労をしており、邪な考えなど全くなく、ただ単に思ったことをそのまま発言をしてしまったのだと推察出来る。
「待ってください」
ユウカは小さくため息をつき、
遅れて飲み終えたペットボトルのキャップを指で弾いた。
「確かにコメントには困りますけど……でも、先生が本当に困っているのは分かりました」
「………いや、改めて自分の発言を思い返すと、相当問題なことを口走っていた気がするんだけど」
うーんと唸る様子を見せる。
今更ちょっと正気に戻ったようだ。
その様子にユウカは苦笑する。
「さっきのは本心から出た言葉なのでしょう?その証拠に、嫌というほど顔に“眠たい”って書いてあります」
思わず、先生は自分の顔を軽く触れる。
ユウカは飲み終えた飲み物の容器を、備え付けのゴミ箱に入れる。
先生が持っていた空き容器も、優雅にサッと奪ってだ。
そして今、
空き容器に塞がれていた彼の手は、ようやく空いた。
ユウカはその手を取り、仮眠室に引き始める。
「…このまま、ずっと手を繋いでてあげましょうか?」
顔を見せないように、ユウカが言う。
先生が逃げないように、なんて建前を自分の中で作りながら。
先生は返答に困っているのか、中々返事をしない。
「冗談です。先生が寝る時は、もっとしっかり握ってあげます」
「……ごめんね、変なこと頼んじゃって」
「別に良いですよ、先生がちょっと変なのは慣れました。でも本当に無理は禁物ですよ? ……先生」
〜〜〜
仮眠室前。
暗くなったシャーレに足元を照らすためだけの灯が淡く滲む。
二人の足音が止まる。
ユウカが念の為にコンコンとノックをし、ドアを開ける。
「失礼しまーす……って、あれ?」
そこには小さな札——《洗濯中》。
どうやら、枕や掛け布団といった、快適に寝るためのものが絶賛洗濯中のようだ。
幸い敷布団は残っているが…タイミングがあまりにも悪い。
せっかく先生が、半ば観念して休憩しようとしてくれているのに。
そんなユウカの様子を見て、
先生は苦笑しながら、肩をすくめた。
「布団が無いなら、まあ仕方ないね。今日はここまでにするから…帰ることにしない?」
「…本当に帰って、しっかり休みます?」
「う…」
今までのやり取りで目が覚めてきたな。
もう少し頑張れそうだ。
先生は、そう思っていたのだろう。
だから言葉を投げかけられると、
先生は言葉が紡げず、詰まった。
「…その……ごめん」
先生の反応に思わず溜め息をついた。
──ユウカは視線をベッドに落とす。
掛け布団はやっぱり見当たらない。
ただでさえ、先生は最近寝れていないと聞く。
そんな中、身体を冷やすことで睡眠効率を落としてしまうと、明日以降の体調にも響くではないか…?
ユウカはしばし考える。
そして。
「代替案を、提示します」
「?」
今、私が帰れば…先生は十中八九、仕事を続けるだろう——それは計算しなくたって分かる未来。
私のほんの少し羞恥心と、先生の健康。
天秤に乗せたらどちらに傾くかだなんて、最初から決まっている。
(だったら——)
私が、今ここで最適解になる!
「今回だけ、私が代わりになってあげます」
「ちょっと何言ってるか分かんないんだけど…!?」
〜〜〜
ユウカは立ち上がると、先生に向かう。
「とりあえず、先生はここで横になってください」
「え、わ、分かったよ」
先生は渋々、何も置かれていないベッドに横たわる。
「…えいっ!」
そして、
ユウカはかなり勢いのままベッドに飛び乗り、
「うわっ!?……え、え?ユウカさんッ??」
先生を胸元へ寄せるように、ぎゅっと腕を回した。
二人の距離感はゼロを示している。
幸福度のグラフがあったのなら、さながら指数関数を描くかのように増えていっていることだろう。
「…なんですか?あんまりそこで喋らないでもらえると助かるんですけど」
しどろもどろしながらも、先生が感じるのは、彼女の…体温と匂いに包まれている感覚。
「いやでも、ユウカさんッ!? きょ、距離感というか……!風紀とかが、その——マズ」
「しーっ……今は夜ですよ、先生?」
内心でユウカはこう思っていた。
(——ついやっちゃった!!?)
深夜テンションに毒されていて、普段であれば…おおよそ、し得ないことを実行してしまったユウカ。
自分で自分のやったことに、今更驚いている。
後日、今日のことを思い出して顔を覆うのだが、それはまた別のお話。
「えっとですね……そっ、そう先生に掛ける布団は洗濯中なわけで、かといって寝ない訳にもいかないじゃないですか。そのまま寝てしまう…と仮定したとしても、こう空調の効いた部屋ですと先生の体温が逃げてしまうのは明白で、それは睡眠効率低下に繋がり明日の生産性に悪影響を及ぼしてしまいますし…、つまり私のやっていることは合理性しかありません!」
ただでさえ、先生は焦っていた。
そんな中、早口で捲し立てられてしまった先生は、
「で、でも……!えっと…やっぱりよくないと」
処理が追いついていなかった。
「もう!先生はいい加減大人しく黙って言うことを聞いてください…そう、今回だけ、眠るためだけです。今は、おとなしく抱かれたまま……このまま寝てください」
「……でも、流石にこの状況では眠れないと——思……」
口ではそう言いながら、
彼女の胸の鼓動が一拍、二拍——と、先生に伝わる。
『教師と生徒』として良くないことだと分かりつつ、言い負かされてしまったほんの僅かな悔しさは、しっかりと彼女に抱きしめられた安堵感によって、胸の内で塗りつぶされていく。
(——眠れないはず、なんだけど…)
と最後に思ったその直後——
「……すぅ……」
「……あ、寝た。……本当にすぐですね」
彼女もまた、彼の寝静まった姿を見て、
本懐を達成したという安堵が胸の底まで降りていく。
同時に、ほんの少しだけ残念な気持ちが残った。
(本音を言えば、もう少しだけ…話していたかった。……“ありがとう”ってちゃんと聞きたかったかもしれない)
健やかに寝ている先生を見る。
「……でも、こんなに疲れているなら当然の結果ですね。…よくできました、先生」
抱きしめた腕の力をほんの少し緩めて、頭を撫でる。これで起きるようなことはない。
先生が寝やすいように、体勢を整える。
そして私は、そっと先生の胸元へ頬を寄せる。
耳のすぐそばで、規則正しい鼓動と寝息が聞こえる
「この埋め合わせは、きっちりお願いしますからね……」
私のまぶたも落ち始める。
その瞬間を大事にしたいあまり、
まだ眠りたくない、と思いながら、眠ってしまう。
先生から発せられる鼓動は、それほどまでに心地が良い。
やがて二人分の呼吸が揃い始めて、
僅かな足元の灯だけが、長く静かな夜を
やさしく塗りつぶしていった。
気が向いたらもう一つ読んでってくださいませ!