往日の夕凪詠草   作:鏡之翡翠

3 / 10
2

 数人が病院送りになるほどの怪我(けが)を負ったタイミングで、事態を見かねた現場監督(げんばかんとく)が無理矢理その場を(おさ)めた。

 さすがに、その場にいた誰もが警察沙汰(ざた)にするのを(はばか)ったので、(いさか)いの件は内々に処理される事となった。

 すっかり日も()れた時間帯だが、立ち並ぶホテルや飲食店から発せられる明かりが、絶えず夜の街を照らし続けている。

 伊庭(いば)は、打撲痕(だぼくこん)の残る左脚(ひだりあし)を引き()りながら仙石通(せんごくどお)りを歩く。作業着は(いた)るところが破れ、もはやボロ雑巾と化している。上から薄手の黒のジップパーカーを羽織(はお)っていなければ、露出狂(ろしゅつきょう)として通報(つうほう)されていてもおかしくない有様(ありさま)だった。

 しかし長髪はぐしゃぐしゃに乱れ、顔面は青痣(あおあざ)だらけ。(はた)から見ただけでは分からないが、奥歯(おくば)も一本行方不明(ゆくえふめい)になっていた。口腔内(こうくうない)(にじ)む鉄の味は、未だに消える様子はない。

 とはいえ、あれだけの人数に囲まれて袋叩きに()った上で、この程度の傷で済んだのは不幸中の幸いだっただろう。

 ——いや……。

 伊庭は内心(ないしん)で直前の考えを否定する。

 ——あのお人好しが……。

 事態が比較的(ひかくてき)すぐに収束(しゅうそく)したのは、騒動が起きてからすぐさま梗弥(きょうや)が現場監督を呼びに行ったからだ。彼の行動力がなければ、今ごろ伊庭は文字通り床の染みとなっていたかもしれない。

 ——あいつは、もうあの現場にはいられないだろうな。

 余計な手出しをした者に対する報復(ほうふく)を我慢できるほど、連中が人格者でない事を伊庭は知っている。人間という奴は、多数派に同調できない『異物』を排除(はいじょ)するのに躊躇(ためら)いを見せないものだ。

 それが間違いだとは思わない。出る(くい)を打つ事が、コミュニティを円滑(えんかつ)に回すための最良(さいりょう)の手段なのだから。

 だから、伊庭(いば)庸二(ようじ)は、これまでも、これからも、排除される(がわ)の存在であり続けるのだ。

 色づけされたアスファルトを()()める(たび)に、足裏から全身にかけて痛みが走る。体の不調に辟易(へきえき)としながら、路肩(ろかた)に座り込んだ。

 煙草(たばこ)の箱を取り出し、赤く()れそぼったフィルターを(つま)んだところで、「――あのっ、大丈夫でありますか?」と、どこか不自然な敬語(けいご)が頭上から降り注いだ。

 (いぶか)しみながら顔を上げると、心配そうにこちらを(のぞ)き込む少女と目が合った。

 彼女が高校生だとすぐに分かったのは、この時間帯には不釣(ふつ)り合いな制服姿をしていたからだ。これまた六月の初夏(しょか)には相応(ふさわ)しくない長袖のセーラー服を着用しており、すらりと伸びた両脚は薄手の黒タイツで覆われている。足許(あしもと)は女学生らしいローファーではなく、革製(かわせい)のショートブーツで固められていた。

 世間の常識とは少しばかり乖離(かいり)した装い。だが、それ以上に目を()く特徴がある。

 それは、全ての色素が抜け落ち切ったような白い髪。

 新雪(しんせつ)を思わせる鮮やかな銀髪(ぎんぱつ)のサイドテールが夏の風に(なび)き、甘い香りを漂わせる。

 着火(ちゃっか)するタイミングを逃した煙草(たばこ)を箱に押し込み直しながら、疑念の視線を少女へと向ける。「……お前には関係ねえよ。ガキはさっさと(うち)に帰れ」とぶっきらぼうに言う。

 これで怖気(おじけ)づいて、どこかへ行ってくれるのを期待したのだが、「見つけてしまったからには、無関係とは言えないであります!」と少女は予想に反して強情(ごうじょう)だった。その場に(かが)み込むと、伊庭の肩に手を回し始める。

「おい、何を……」

病院(びょういん)に連れて行くであります」少女はきっぱりと言う。「どう見ても、そのままにしておいて良い怪我じゃないであります」

「こんなもん放っておいても勝手に治る」「駄目(だめ)であります」「だから」「駄目」「…………」

 銀髪の少女は、伊庭に肩を()しながら立ち上がると、迷いのない足取りで歩き始めた。

 すでに一人では思うように動けなくなっていた伊庭(いば)には、少女の介助(かいじょ)(こば)む気力さえ残されていない。少女に連れられるがまま歩みを進める。

「何だ、お前」と伊庭は視線を()らしたまま(たず)ねる。「いつも、こんな事やってんのか」

「人助けは私の責務(せきむ)でありますので」

「責務ときたか」嘲笑(ちょうしょう)するように鼻を鳴らす。「誰だか知らねえが、善人(ぜんにん)を演じるのが、そんなに気持ち良いかよ」

「気持ち良く……はないであります」皮肉(ひにく)のつもりだったが、存外(ぞんがい)真面目(まじめ)な回答が返ってきた。

 落ちた声のトーンに(うなが)されるように、伊庭は彼女の方を見やる。吐息(といき)が掛かりそうなほどの距離から覗く少女の横顔は、どこか美術品を連想させる端正(たんせい)さがあった。思わず見惚(みと)れてしまいそうになり、再び目を()らした。「じゃあ、何でだよ」

「……そうしないと、私は世界に許してもらえないからであります」

「はあ?」抽象的(ちゅうしょうてき)な言い回しに、(まゆ)(ひそ)める。少女の真意を問い詰めようと口を開こうとした瞬間――。

 ――……おいおい。

 ――嘘だろ。

 ――()()()()()()()……。

 伊庭の脊髄(せきずい)に、液体窒素(えきたいちっそ)を流し込まれたかのような悪寒(おかん)が走る。とっさに首だけを動かして周囲を見回し、自らが見逃した異変(いへん)(おそ)まきながら気づく。

 ――来やがった。

 ――()()()

 歩道に面したところに佇立(ちょりつ)する雑居(ざっきょ)ビル(ぐん)。そして車道の向こう岸には、青々とした植え込みと街路樹(がいろじゅ)が並ぶ。何の変哲(へんてつ)もない普段通りの景色――だが、そこには本来あるべき要素が、決定的に抜け落ちていた。

 人がいない。

 歩道を()群衆(ぐんしゅう)も、車道を()ける自動車も――その全てが最初から存在などしていなかったかのように、綺麗(きれい)さっぱり姿を消してしまっていた。

 日は落ちているとはいえ、深夜にはまだ程遠(ほどとお)い。観光地として(にぎ)わうこの地が、こんなに早く閑散(かんさん)とするはずがないのだ。

「……おい」と声を押し殺しながら、(かたわ)らの少女へ呼びかける。「俺を置いて、さっさと逃げろ」

「いえ、逃げません。――逃げる訳には、いかないであります」しかし少女は引き下がらない。「怪恨(かいこん)を滅するのは滅恨士(めっこんし)の使命でありますので」

「かい、こん……?」

 ザリ、と地面を(にじ)る音がした。

 人の気配が丸ごと消え失せた世界で、一人(たたず)むシルエットがあった。

 それは異様(いよう)としか形容のしようがない容貌(ようぼう)をしていた。異常に長い手脚(てあし)と、刃物(はもの)のように伸びた(つめ)。眼球が見えないほど真っ黒に(えぐ)れた目許(めもと)と、完全に外れた(あご)の関節によって、口裂(くちさ)け女のごとく開かれた口。ボサボサで不衛生(ふえいせい)な黒の長髪を揺らし、女性のように見えるそれは、軽く首を(かし)げて伊庭と少女の方を見やった。

 髪を糸の代わりに(たば)ねて作ったような不気味なワンピースを身に(まと)ったそれは、明らかにこの世の存在ではなかった。街中に、人間とは隔絶(かくぜつ)した存在が当然とばかりに存在する様は、不快(ふかい)(きわ)まるコントラストを生み出している。

 伊庭は少女から離れると、ゆっくりと背中に背負ったデイパックに手を伸ばす。(わず)かにファスナーの開いた取出し口から覗いていた、木製(もくせい)(つか)を掴む。(さや)から太刀(たち)を引き抜くかのように、勢い良く抜刀(ばっとう)する。

「……お前が何を知っているかは関係ねえ」伊庭が抜き放ったのは、持ち手に三尺(さんしゃく)ほどの片刃(かたば)刀身(とうしん)が接続された凶器(きょうき)だった。

 大鉈(おおなた)――本来の用途は枝打(えだう)ちや雑草(ざっそう)切断(せつだん)であって、武器として使うものではない。

 だが、伊庭はそれを長年使い慣れた得物(えもの)かのように迷いなく構える。

「良いか!? あの化け物の狙いは俺だ!」と叫ぶ。「俺は疫病神(えきびょうがみ)なんだよ! 俺が生きてるだけで化け物共が集まってくる! 俺が生きてるだけで周りの奴らが死んでいく! もう良い加減(かげん)ウンザリなんだよ! 頼むから――ここから逃げてくれよッ!!」

 伊庭の決死の懇願(こんがん)(さえぎ)るように、少女が前へと(おど)り出た。「まさか、こんなところで同胞(どうほう)に会えるとは思っていなかったでありますよ」

「何だと……?」

 少女の意味深な言葉に、伊庭は眉根(まゆね)()せる。

 白髪の少女は、こちらに背中を見せたまま、「――世に蔓延(まんえん)する怨嗟(えんさ)の感情が集まり、輪郭(りんかく)を与えられ、形を成した存在。それが『怪恨(かいこん)』であります」と言った。「そして――私達は生まれ持った異能の力を振るい、世に(あだ)なす異形を討ち倒す役目を(おお)せつかった存在。一三〇〇年前より、この地に根を張り、怪恨と対峙(たいじ)してきた一族――それが霞沢(かすみざわ)()であります」

「はッ! 何だよ、それ!」伊庭は失笑気味に笑いながら、「じゃあ何か!? お前がそのナントカ家の人間だってのか!?」

「いえ、私は霞沢とは何の血の繋がりもありません」と少女は、首を横に振った。「私は灰羽(はいばね)霧乃(きりの)」と自らの名を口にする。「霞沢分家、潮野(しおの)家に仕える非正規(ひせいき)滅恨士(めっこんし)であります」

 霧乃と名乗った少女は、静かに左腕を持ち上げると、ほっそりとしたそれを地面と平行に(かか)げる。

 何をする気だと疑問に思ったのも(つか)の間――。

 霧乃の左肩――肩甲骨(けんこうこつ)の辺りから、突如として異音が鳴った。(えん)(かん)を叩き折ったような音が幾度(いくど)となく重なり、制服の生地が内側から隆起(りゅうき)する。

「なッ……!?」

 呆気(あっけ)(とら)われる伊庭(いば)を置き去りにして、現実離れした光景はさらにフレーム数を増していく。

 制服を下から突き破り、弾けるように純白(じゅんぱく)骨格(こっかく)羽毛(うもう)が姿を現す。

 それは紛れもなく(つばさ)だった。

 有翼(ゆうよく)動物を思わせる巨大な羽根(はね)――それが可憐(かれん)な少女から生えている光景は、とある一つの存在を連想させた。伊庭(いば)口許(くちもと)が無意識に一つの名詞を(つむ)ぎ出す。「――……天使(てんし)……?」と――。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。