往日の夕凪詠草   作:鏡之翡翠

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第二章 美しい言葉の詩歌が嫌
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 ヤニで黄ばんだカーテンの隙間から西陽(にしび)が差し込んできて、(まぶた)の裏側から目を()がす。思わず目を細めながら、右手で顔を覆う。

 伊庭(いば)黴臭(かびくさ)いタオルケットを(むし)り取ると、部屋中に充満(じゅうまん)する熱気と湿気(しっけ)に顔をしかめた。

 起き上がってカーテンを開けると、夕方の陽射(ひざ)しが雲間(くもま)から降り注いでいる。時計を確認すると、すでに午後五時を回っていた。

 橙色(だいだいいろ)の空の半分ほどは、厚ぼったい(なまり)色の雲に覆われつつあり、雨が近い事を予期させる。肌に(まと)わりつくような湿度(しつど)も、これのせいだろう。

 辺りを見回す。五畳(ごじょう)一間(ひとま)の和室は閑散(かんさん)としていて、まともな調度品(ちょうどひん)一つない。安物の布団(ふとん)と、仕事道具や着替えを入れる衣装(いしょう)ケースがあるくらいだ。脱ぎ散らかした作業服の側にあったアメリカンスピリットの箱を見つけると、まだ(だる)さの抜けない緩慢(かんまん)な動きで手を伸ばす。

 その時、枕許(まくらもと)から着信音が鳴った。舌を打ちながら視線を変えると、充電器に()しっぱなしの携帯電話が小気味良く振動しながら音を響かせていた。

 折り畳み式のそれを手に取って開くと、発信者は昨夜連絡先を交換したばかりの少年だった。スピーカー部を耳の横に持ってくると、『伊庭さん、これから時間はあるか』という問いが投げかけられた。『頼みたい事があるんだ』

「頼みたい事……?」

『何だ? もしかして寝起きか?』

 伊庭の気怠げな声色は、顔が見えなくとも、簡単に状態を伝えてしまうらしい。「うるせえよ」とガムでも吐き捨てるように言う。「昨日あんな事があったんだ。まともに寝れるかよ」ただのその場(しの)ぎの嘘だった。

「まあ良い」と電話越しの泰牙(たいが)も深入りはせず、「霧乃(きりの)を迎えに行ってやってほしいんだ」と言った。「学校の住所は今から送るから――」

「おいおい、冗談だろ」

『何がだ?』

「お前も、あいつも高校生だろうが。小学校入ったばっかりのガキじゃねえんだ。送迎(そうげい)なんて……」

『確かにそうかもしれないが』泰牙は特に気を悪くした様子もない。『霧乃も、何なら伊庭さんも――日が落ちてから自由に動き回れる身の上じゃない。そうだろ?』

「…………」

 確かに、泰牙の言う通り、日没(にちぼつ)までもう時間がない。

 そして伊庭は実体験に基づいて知っている。

 夜は――奴らの時間だ。人間社会の裏側に潜む異形達が表に出てきて、我がもの顔で闊歩(かっぽ)し始める。眠らない繁華街(はんかがい)であれば、遭遇(そうぐう)する確率は大幅に低くなるが、当然昨夜のようなパターンだってある。

 泰牙の言葉を思い出す。

 ――「今のあんたは制御のできない力を無闇(むやみ)()れ流しているだけだ。だから怪恨(かいこん)に目をつけられる」

 怪恨――伊庭の人生を(くる)わせ続けてきた元凶(げんきょう)。それは、異能の力に誘引(ゆういん)されるようにして集まってくる。言うまでもなく、この法則はあの少女にも当てはまるのだろう。

『本当は俺が行ってやりたいんだけどな』

「何か用事でもあんのかよ」

霞沢(かすみざわ)の人間はそれなりに(いそが)しいのさ。分家とはいえ、次期当主ともなればなおさらな』

 伊庭がこれ以上何か言おうとするよりも早く、会話は打ち切られる。スピーカーの向こうにいる少年は、『それじゃあ、住所はメールで送っておく。霧乃の事、頼んだ』とだけ言い残してから通話を切った。

 すぐさまメールが送られてくる。住所と学校名、そして地図の画像が添付(てんぷ)されていた。

 伊庭は所在(しょざい)なさげに頭を()くと、大きな溜息(ためいき)()いてから重い腰を上げた。

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