街道で盗賊に襲われ殺されそうになった「私」は、偶然通りがかった「彼」に助けられる。
私は恩返しがしたい一心で彼を待ち続け、ついに再会を果たした。
……のだが、どうやら私は既に死んで幽霊になっているらしい。
しかも記憶が曖昧で名前すら思い出せなかった。
私が何者であるのか、その足跡を彼は一緒に探してくれるという。
これは幽霊令嬢が隣国皇子に恩返しするまでのお話。

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幽霊令嬢「あの時に助けて頂いた者です。恩返しに来ました」 隣国皇子「し、死んでる……」

 私を助けてくれたのは、長い銀髪が印象的な人だった。

 顔も女の人かと見間違えるくらい整っていて、襲いかかる盗賊たちを華麗な剣技で返り討ちにする。

 外套(マント)を羽織った旅人風の服装だったけれど、その光景はまるで舞踏会で踊っているかのよう。

 

 私の人生は誰かに奉仕する日々だった。

 どんなに苦しくても辛くても、私のことは誰も助けてくれない。

 病気になって高熱を出しても、怪我をして痛みで夜眠れなくても、私ひとりで乗り越えるしかなかった。

 

 だからこれが初めて私に差し伸べられた手だ。

 偶然通りかかっただけかもしれない。他の誰かを助けるついでだったかもしれない。

 

 それでも私は嬉しかった。

 初めて同じ人として扱ってもらえた気がした。

 彼にお礼を言いたい、恩返しがしたい。

 

 そう思い、ひたすら待ち続けて――――――――

 

 ――――

 

 ―――

 

 ――

 

 ついに彼を見つけた。

 彼を追いかけて、この思いを打ち明ける。

 

「あの時に助けて頂いた者です。恩返しに来ました」

 

「……し」

 

「し?」

 

「死んでる……」

 

 

 

 

 

 どうやら私は死んでいるらしい。

 驚いた表情の彼にそう言われて、改めて私は自分の体を見下ろす。

 

 服装は下級貴族向けの質素なドレス。

 あの時は盗賊に腹を斬られたはずだが、ドレスは破れておらず血の跡もない。

 体は透けて宙に浮いていた。

 

「自覚していなかったのか?」

 

「はい。貴方への恩返し以外考えていませんでしたから」

 

「恩返しも何も、君は死んでいるではないか。救ってもらえなかった恨みを晴らしに来たと言われるほうが納得できるのだが」

 

 彼は腕を組み、胡乱気な表情で宙に浮く私を見上げた。

 助けてもらった時とは違って上等な貴族服を身に纏い、腰まである長い銀髪を背中の肩甲骨あたりで束ねている。

 彼がいるこの部屋も王族が滞在できそうなくらい豪奢だ。

 

「しかし君のような存在は初めて見るな。部屋の外の護衛は君に気付かなかったのか? 幽霊と死霊系の魔獣は別物なのか? 敵感知の魔術具も無反応か……」

 

「あ、あの」

 

「なんだ?」

 

「というわけで恩返しさせてください」

 

「だから君は死んでいるではいか、返されるような恩はない」

 

「そんなことはありません! 確かに私は死んでしまったようですが、あの時に心は救われたんです。だからその分だけでも恩返しをさせてください!」

 

「そう言われてもな……幽霊の君に何が出来るというんだ?」

 

「これでも生前は治癒魔術が得意だったんです。《再生(リジェネレイト)》の魔術も使えたんですよ」

 

「……ほう、《再生》を」

 

 私がふんすと息巻いて薄い胸を張って答えると、彼は興味深げに呟いた。

 

「はい。まずはお試しで《小治癒(マイナーヒーリング)》をかけてみますね」

 

 私は毎日毎日、呼吸をするのと同じくらい使い続けていた《小治癒》を彼にかけようとする。

 次の瞬間、私の意識は霧散した。

 

 …

 

 ……

 

 ………

 

「あれっ」

 

「大丈夫か?」

 

「ひゃっ」

 

 私が意識を取り戻すと、彼の整った顔が目の前にあった。

 宝石のような翡翠の双眸に覗き込まれ、私は思わず仰け反りながら後退する。

 

 息遣いも感じられる距離のはずだったが何も感じなかったし、頬が紅潮した気がして両手で触ったが、ひんやりしたままだ。

 失われている体の感覚に気が付いて、私はようやく死を実感し始めていた。

 

「私、どうなってました?」

 

「《小治癒》が発動する直前に君の体が霧散した。どうやら君の体は魔力に近いもので出来ていて、《小治癒》で魔力を消費したため体が維持できなくなったようだ。そして時間経過で元に戻った。なんとも興味深いな」

 

「そんな……」

 

 私の唯一の取柄である治癒魔術が使えなかったら、どうやって恩返しすればいいのだろう。

 ショックで顔から血の気が引いた気がして両手で触ったが、やっぱり変化はなかった。

 

「そろそろ自己紹介くらいはしておこうか。俺はクレメンス。この国の人間ではないが訳があって王都に滞在している。君の名前は?」

 

「はい、私は……。あれ、えっと……」

 

 私は何も思い出せなかった。

 名前も、家族も、住んでいた家も、幼い頃の記憶も、何もかも。

 

 いや、私の人生が誰かに奉仕する日々だったことと、どんなに苦しくても辛くても誰も助けてくれなかったことだけは覚えている。

 なのに奉仕する相手も、奉仕を強要する誰かの顔も、靄がかかっていてわからない。

 

「思い出せないのか?」

 

「は、はい。すみません。乗っていた馬車が盗賊に襲われ、クレメンス様に助けて頂いた記憶はあるんですが」

 

「馬車が盗賊に……もしかして、六年前のあの出来事だろうか」

 

「えっ、そんなに前なんですか」

 

 そう言われて私は改めてクレメンス様を観察した。

 あの頃はまだ少年っぽさが残っていたが、現在は大人びた顔つきになっている。

 

 自分のことは何も思い出せないのに、クレメンス様の姿だけは鮮明に思い出すことができた。

 クレメンス様によると、通りかかった街道で盗賊に襲われている馬車と遭遇し、助けに入ったのだという。

 

「賊は五人いたが、全員を俺と護衛で斬り捨てた。襲われていたのは御者の老人と護衛らしき冒険者が二人。そして少女が一人。それが君だったのか? 俺がこの国に来るのは六年ぶりで、賊から誰かを助けたのもその一度きり。だから間違いないだろう」

 

 助けに入った時点で冒険者二人は殺されていて、老人は盗賊に拘束され、横転した馬車の近くに少女が血に濡れて倒れていた。

 

「俺たちにも事情があって最後まで付き合うことはできなかった。賊を全員倒したあと老人を助け、倒れている君? の手当てをして立ち去ったのだ。六年ぶりにその街道を通り過ぎた俺を見つけて、君は宿まで追いかけてきたというわけか。その時はそこまで重傷に見えなかったのだが、そうではなかったのかもしれない。すまなかった」

 

「あ、謝らないでください! こうして無事に再会できたので問題ありません」

 

「いや、無事ではなく死んでいるのだが」

 

「ですがすみません、この姿では恩返しもままならないです」

 

 折角クレメンス様に会えたのに、《小治癒》すら唱えられない。

 しょんぼり項垂れる私を、クレメンス様は腕を組み胸元のペンダントを触りながら眺めていた。

 そしてこう提案する。

 

「恩返しは置いておくとしても、君の素性は気になる。早速だが明日、調べてみようじゃないか」

 

「でもどうやってですか? 私、何も覚えていないんです」

 

「俺は記憶力はあるほうだ。君が乗っていた馬車についていたシンボルを覚えている。月の輪のリースの中央に大樹が描かれたものだった。あれは地母神を祀る地神教のシンボルだ。地神教の神殿に行ってみよう。丁度その予定だったからな」

 

「月の輪に大樹……うぐぐ、思い出せない」

 

 六年も昔にあった出来事の、馬車についていたシンボルを覚えているなんて凄い記憶力だ。

 あれ、ならどうして私の顔は覚えてくれていなかったのだろう。

 クレメンス様にとっては私は馬車以下の存在だったのかなと思うと、心がちくりと痛んだ。

 

「さて、君のことはなんて呼べばいい?」

 

「なんでもいいです」

 

「急にどうした? そうだな、ならルルというのはどうだ?」

 

「ルル! 可愛い名前ですね。何か由来があるのですか?」

 

「昔買っていた犬の名前だ。君のその黄金色のふわりとした髪型がルルそっくりでな」

 

「い、犬……」

 

 

 

 

 

「クレメンス様、本当に隣のそのルルという少女の幽霊がいるのですか?」

 

 翌朝、クレメンス様の部屋に茶髪の男性がやってきた。

 クレメンス様と同年代くらいで、鋭い目つきで私が浮かんでいる辺りを凝視している。

 

「ああ。何故か俺以外には姿は見えず、声も聞こえないようだ」

 

「それはクレメンス様に憑りついている悪霊だからでは?」

 

「誰が悪霊ですかっ。私はクレメンス様に恩返しするために来たんです」

 

 私が抗議の声を上げるが、茶髪の男性には届かない。

 

「まあ見えないかも知れないが仲良くしてくれ。ルル、こいつは私の護衛のルーファスだ」

 

「よろしくなルルちゃん。ちなみに六年前、僕も嬢ちゃんを助けたんだぜ」

 

「えっ、そうなんですか? 思い出せない……」

 

「思い出せないそうだ」

 

「おいおい、手当をしたのは僕だってのに薄情なやつだなぁ」

 

「うっ」

 

 手当をしてくれたのに覚えていないなんて、確かに私は薄情なのかもしれない。

 

「そう言うな。自分の名前も思い出せないのだから仕方ないだろう」

 

「クレメンス様が女の肩を持つなんて珍しいですね。無垢な動物にしか心を許さないのに。あ~、もしかしてルルって昔の飼い犬からですか」

 

「そうだ。毛並みが似ていてな」

 

「け、毛並み……」

 

「さて、自己紹介も済んだことだし神殿に向かうぞ」

 

 

 

 

 

「このままルルちゃんに憑りつかれていれば、クレメンス様は諜報し放題ですね。クレメンス様以外には見ることもできないんですから」

 

 神殿へと向かう馬車の中でルーファスさんが呟く。

 

「かといってこのままというわけにもいくまい。この世に未練を残して幽霊となっているのであれば、解決して神の元へ還すのが正しい在り方だろう。そしてこれから向かう神殿が得意とする分野でもある」

 

「あ、そうか。改めて考えてみると、私って悪霊みたいなものなんですね……」

 

 馬車の天井付近にふわふわと浮きながら、私は一人で落ち込む。

 今のところ私はクレメンス様以外に見えないが、神殿に行けば見える人がいるかもしれない。

 それどころか悪霊扱いされ滅ぼされる光景を想像して怖くなった。

 

「心配するな。ルルを悪霊扱いは決してさせない」

 

「ルルちゃんはクレメンス様に恩返ししに来たんだよね? なら恩返しできれば未練はなくなって天に還れるのでは?」

 

 明後日の方向を見ながらルーファスさんが話しかけてくる。

 その通りなのだが、《小治癒》の魔術すら使えない今の私に恩を返す手段はなかった。

 

 それに恩を返してしまえばクレメンス様とは永遠の別れになってしまう。

 永遠にクレメンス様に憑りついていたい……などと本物の悪霊のようなことを考えてしまい、私は慌てて頭を振った。

 

 王都にある神殿なだけあって、建物は大きくて荘厳だった。

 この神殿は大地に豊穣をもたらすとされている地母神を祀る場所だ。

 

 神聖なる場所に幽霊である私が入れるか不安だったが、杞憂に終わる。

 出迎えた神官に案内されるクレメンス様を問題なく追いかけることができた。

 何人かの神官とすれ違ったが、私に気付いた様子の人はいない。

 

 暫く歩いて応接間のような所に連れてこられると、そこでは司祭服を着た二人の人物が跪いた姿勢で待っていた。

 一人は前髪が後退した中年男性で、もう一人は長い金髪の女性。

 

 女性は二十代半ばくらいだろうか。

 色白で儚げな雰囲気と司祭服が似合っていて、まるで聖女様のよう。

 

「ようこそいらっしゃいました。皇子殿下」

 

「皇子、殿下!?」

 

 中年男性がそう呼んだため、私は驚いてクレメンス様の顔を見る。

 高貴な生まれだとは思っていたけど、まさか皇子様だったなんて。

 

 そして何故か当のクレメンス様も驚きの表情を浮かべていた。

 視線の先には跪き俯いたままの女性がいる。

 

「どうされました? 皇子殿下」

 

 困惑する中年男性の声で、何か問題があったのかと女性が気が付き顔を上げる。

 クレメンス様の顔を見ると、今度は女性が驚き目を見開いた。

 

「ま、まさか貴方様は、あの時の……」

 

「……ああ、俺も君のことは覚えている」

 

「皇子殿下はルルティアと面識がおありなのですか?」

 

 この女性はルルティアという名前らしい。

 ルルティアさんはクレメンス様に向かって改めて跪くと、か細い声で言い放った。

 

「あの時は碌にお礼もできずに申し訳ありませんでした。改めて自己紹介をさせてください。私はルルティア。六年前に王都近郊の街道で盗賊に襲われているところを、クレメンス様に助けて頂いた者です」

 

 …

 

 ……

 

 ………えっ?

 

 

 

 

 

 出会い頭はお互いに驚き固まってしまったが、現在は落ち着きを取り戻していた。

 ソファーに座り、出された紅茶を飲みながらクレメンス様たちが話をしている。

 

 いや、私は全然落ち着けないのだけれども。

 

「あの日の出来事は、今でもはっきりと覚えています」

 

 ルルティアさんが当時の出来事を語る。

 街道で盗賊に襲われクレメンス様たちに助けられた状況は、私の記憶と全く同じだった。

 

「皇子殿下……クレメンス様に応急手当して頂いた後、私はこの神殿に運び込まれ治療を受け、一命を取り留めました。そして理由があって私はそのまま神殿でお世話になっているのです」

 

「理由というのは?」

 

「私にはあの事件より以前の記憶がほとんどありません」

 

「記憶がない……」

 

 クレメンス様は顔を動かさず、視線だけでちらりと私を見る。

 私はルルティアさんの言葉に混乱していた。

 

「続きは私が説明いたしましょう」

 

 ルルティアさんの隣に座る中年男性、枢機卿アレクシオさんによると、ルルティアさんが乗っていた馬車に地神教のシンボルはついていたものの、誰も手配していない素性不明の馬車だったという。

 御者の老人もいつのまにか姿を消していて、記憶のないルルティアは行く当てもないため、そのまま神殿で暮らすことになった。

 

 ルルティアという名前は老人がそう呼んでいたから判明したことだが、それ以外の手掛かりはまったくないそうだ。

 クレメンス様はルルティアさんを覚えていると言った。

 

 あの時助けたのは私ではなくルルティアさんだった?

 それならクレメンス様が私を見ても、何も思い出さなかったのも理解できた。

 

 ルルティアさんは、全体的に体の線が細く儚い雰囲気の女性だ。

 しかし一か所だけそうじゃない場所がある。

 具体的に言うと胸の大きさが全然儚くなかった。

 

 幽霊の私は鏡に映らなかったので自分の顔はわからないが、六年という歳月を加味してもルルティアさんと私は似ていない。

 六年前ならルルティアさんは二十歳前くらいだったと思うが、私の体格は精々十三歳から十四歳くらいと小柄だ。

 

 そして胸は私の方が圧倒的に絶壁で儚かった。

 まぁ絶壁は外見年齢からすれば発育前かもしれないので置いておくとして、他には金髪くらいしか共通点がない。

 あの時に助けられたのがルルティアさんなら…………私は誰?

 

「それ以前の記憶だと、治療魔術が得意で日々奉仕していたということをぼんやり覚えているだけでした。ですから神殿でも治療のお手伝いをさせて頂いてます」

 

「そしていつの日からか〈癒しの聖女〉と呼ばれ、大陸中にその名が轟くようになったというわけか」

 

 クレメンス様はこの〈癒しの聖女〉に会う予定だった。

 それはつまり、治療を欲しているというわけで……。

 

 クレメンス様がおもむろに胸元のペンダントを首から外した。

 すると一瞬だけ眩い光が迸り、クレメンス様の体の一部に変化が現れる。

 

「折れた、角……」

 

 誰もが息を飲む中、私の呟きだけがはっきりと聞こえた。

 クレメンス様の額から、一本の角が生えている。

 

 角は黒い水晶のようで若干の透明感があり、その中に無数の輝きのようなものが見えた。

 まるで星々を閉じ込めているかのよう。

 

 表面も艶やかで美しかったけれど、真ん中あたりから折れてしまっていた。

 元が美しい故に、痛々しさが増して見える。

 

 あのペンダントは角を隠す魔道具だったのだ。

 

「〈癒しの聖女〉殿にはこの角を治してもらいたい。無駄な帝位継承争いを避けるために自ら折ったのだが、状況が変わり必要になってしまってな」

 

 私にはクレメンス様に何故角が生えているのかすらわからなかったが、他の面々は納得したように頷いていた。

 

「畏まりました。あの日の恩返しができるように、全力で務めさせて頂きます。

 

 

 

 

 

 皆で聖堂へと移動した。

 私たち以外は人払いされていて、聖堂はしんと静まり返っている。

 

 地母神の像の前には椅子が用意されているので、どうやらそこで治療を行うようだ。

 クレメンス様が椅子に座り、その正面にルルティアさんが立つ。

 

 神への祝詞のような詠唱をしながら、ルルティアさんがクレメンス様の折れた角に優しく振れると、薄緑の淡い光に包まれた。

 

「あっ、これは《再生》」

 

 かつては私も使えたはずの《再生》をルルティアさんが行使していた。

 クレメンス様の角にある星々が煌めき、少しずつ再生し始める。

 ……いや、様子がおかしい。

 

「治らない?」

 

「竜人族の角ともなると、人の手足を再生させるよりも膨大な魔力を必要とするのでしょう……これは厳しいかもしれません」

 

 ルーファスさんとアレクシオさんが治療を見守りながら話している。

 その通りなのか、ルルティアさんは大量の魔力消耗によって苦しそうに顔を顰めていた。

 

「ルルティア、無理なら諦めてくれ。〈癒しの聖女〉でも《再生》できないなら別の道を探す」

 

「いえ……あと少し……のはずなのです」

 

 そう、あと少しだ。

 なんとなくだったけど、《再生》が使えた私も感覚でわかる。

 

 あと一押しの魔力が足りない。

 

 それなら、ならもう一押しすればいい。

 私はルルティアさんに幽体を重ねると、優しくクレメンス様の角に触れた。

 

「ルル?何を……」

 

 驚いた表情のクレメンス様が私を見上げる。

 《小治癒》を唱えようとしただけで幽体が保てなかったのに、《再生》なんて使えばどうなるか。

 

 多分消滅してしまうだろう。

 うん、今、ここで消滅してもいい。

 

 結局私が誰かはわからなかったけれど、恩返しできることが嬉しかった。

 だから私はルルティアさんを補助するように《再生》を唱える。

 

 微々たる魔力がルルティアさんの魔力と綺麗に混ざりあうと、薄緑の輝きが増した。

 

「これは!?」

 

 幽体を重ねているため、私の耳元から戸惑うルルティアさんの声が聞こえてきた。

 停滞していた《再生》が進み、クレメンス様の角があるべき姿に戻っていく。

 薄緑の輝きが収まると、そこには天に伸びた角が現れた。

 

「ああ……きれい」

 

 私は再生した角に手を伸ばそうとして、既に手がないことに気が付いた。

 喪失感と共に、あっと言う間に私の身体が崩れていく。

 

「ルル!」

 

 クレメンス様も手を伸ばしたが、既に私の視界も体も意識も失われていた。

 暗転した世界で私は幸福感に包まれていた。

 

 ―――そんな悲しい顔をしないでください。

 私は貴方に恩を返しただけですから。

 

 

 

 

 

 竜と人の間に生まれた竜人族を祖先とし、大陸の半分以上の国々を支配する帝国がある。

 かの国の第二皇子、クレメンス・ルドウィークの帝位継承権が復活したというニュースは、瞬く間に大陸全土へと広がった。

 ()()により皇族の証である竜人族の角が折れ、帝位継承権が失われていたが、〈癒しの聖女〉の尽力により角が再生。

 

 帝位継承権第二位として貴族社会に戻ってくると、驚異的な政治手腕を発揮して勢力を伸ばしていく。

 彼と対峙する者は揃ってこう言う。

 

「クレメンス様に隠し事は出来ない。何故か見破られてしまう」と。

 

 これには次期皇帝の座が内定していたクレメンスの兄、アーガイルも焦りを募らせる。

 説得して角を折らせ、優秀で邪魔な弟を退場させたというのに、どうして戻ってきたのか。

 

 それは己の醜態と愚策故だと気付かないアーガイルは、クレメンスと逢瀬を繰り返す〈癒しの聖女〉を攫い、人質にしようとするが……。

 

 

 

 

 

「クレメンス様、お待ちしておりました」

 

「ルルティア、兄上の追っ手が迫っている。ここは危険だ。俺と一緒に来てくれるか?」

 

「はいっ、もちろんです。私を攫ってください」

 

「クレメンス様。見つめ合っている場合じゃないですよ。本当にすぐそこまで来てますよー」

 

「ああ、そうだったな」

 

「むー、少しぐらい再会を喜んでもいいじゃないですか。ルルはいっつもクレメンス様と一緒だったからいいですよね」

 

「喜ぶのは逃げてからにしてください。あと私はそっちじゃないです。扉ではなく窓のほうです」

 

 見当違いの方を向いてルルティアが頬を膨らませているので、私が指摘した。

 《再生》を唱えて消滅した私だったが、小一時間であっさり復活する。

 悲しみに暮れながらもクレメンス様は神殿を去ろうとしていたので、危うく置いていかれるところであった。

 

 見事に角が再生したクレメンス様は帝位継承権戦に復帰。

 弟を排除して気を抜いてしまったのか、堕落してしまったお兄さんを蹴落として皇帝になるべく活動しを始めた。

 

 私はルーファスさんの言う通り、誰にも見つからない密偵としてクレメンス様の諜報員として働いている。

 

 私の正体は周辺国を統べる帝国の情報網を駆使して調べてもらい判明した。

 どうやら私はルルティアの魂から分かれた生霊らしい。

 

 生霊とは生きている人間の魂が体から外に出た状態のこと。

 極東の島国では割と知られた現象らしいのだが、大陸では前例がなかったためすぐにはわからなかった。

 

 六年前に盗賊に襲われ瀕死の重傷を負い、ショックで記憶を失いながらも、ルルティアの恩返しをしたいという気持ちが、私という己の半身をその場に残したのだ。

 私とルルティアは同じ存在だったのだから、お互いの魔力が馴染むのも納得である。

 

 ではなぜ同じ存在なのに見た目が違うのかだが、それは私たちが記憶を失う前の、ルルティア・アスタルテという少女の生い立ちを追う中で明らかになる。

 ルルティア・アスタルテはこの国の西端にあるアスタルテ伯爵家の養女だ。

 

 アスタルテ伯爵領は西部の交易拠点としての役割があり、周辺貴族の寄り親をしていた。

 周辺貴族を取りまとめ商品の輸出入を管理しているのだが、商品は物だけではない。

 

 寄子のとある子爵家は代々優秀な治療術師を輩出しており、特に優秀な者をアスタルテ伯爵家へ献上している。

 ルルティアもその一人で、自身を癒せないという欠点を除けば、大陸で数名しか使えない《再生》を唱えられる逸材だった。

 

 逸材過ぎたが故に、ルルティアはアスタルテ伯爵家に引き取られた十四歳から三年間、治療という商品を提供させられ続けた。

 そして六年前のあの日、同派閥の貴族の元へ商品を届ける最中に、盗賊に扮装した敵対派閥に襲われる。

 

 目的はルルティアの奪取、それが不可能なら殺害。

 クレメンス様が偶然通りかかったことで、そのどちらも達成されずルルティアは神殿で匿われることになる。

 

 私の姿はアスタルテ伯爵家に引き取られた直後のものだった。

 何故襲われた直後の姿ではなかったのか。

 

 多分だけど、アスタルテ伯爵家に引き取られた三年間で、ルルティアは身も心も疲れ果てていた。

 だから私はまだ希望を持っていた頃の姿で、クレメンス様を待っていたのだろう。

 

 そんな気がする。

 疲れ果てていた割にルルティアの胸が儚くないのは、ちょっと納得いかないけれど。

 

 ちなみにアスタルテ伯爵家は、怒ったクレメンス様によって取り潰されたのでもうない。

 帝位継承権が復活して最初に行った粛清だった。

 

「真実が明らかになったのに、ルルとルルティアは一つに戻らないんだな」

 

「うーん、少しずつ戻ってる予感はありますよ? 途中からルルティアと会話ができるようになりましたし」

 

 生霊である私はともかく、ルルティアが真実を知っても記憶が戻ることはなかった。

 そして私はいつまで存在していられるだろう?

 

 これからはルルティアと共に過ごすことになるので、そう遠くないうちに私はルルティアと同化するかも。

 自分の意識がなくなるのは怖い。

 

 せめて残された時間で、クレメンス様に恩返しをしたい。

 幽体の私ではクレメンス様に触れることも、癒すこともできないから……。

 

 クレメンス様に抱きかかえられたルルティアが、頬を赤らめうっとりしていた。

 私の中で嫉妬の炎が燃え上がるが、ぶんぶんと頭を振って消化する。

 

 諜報活動は誰にも見つからず、壁も自由に通り抜けられる私だけの権能だ。

 重要な情報を手に入れて報告すると、クレメンス様は誰にも見せない笑顔で私を褒めてくれる。

 それを思い出しただけで顔が緩んでしまう。

 

「えへへ……」

 

「ルル、何をしている。行くぞ」

 

「はぁい」

 

 クレメンス様はルルティアを抱えたまま窓から飛び出す。

 同時に背中から竜の翼が生えて、大空へと舞い上がったので、幽体の私はそれを追いかける。

 

 クレメンス様には皇帝になるという目標があった。

 政敵のお兄さんに勝つには、長い年月が必要になるだろう。

 

 つまり、私の恩返しは始まったばかりなのだ。


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