絢なせば
針刺せば裂け
飾れば崩れ
旗は
掲げ続けて
いつまで?
「────逃げてすみませんでした!」
「お、おぉう……」
やること決まったらね、あとはやるだけだよね。
前のバンドの子に謝るために、私はよそのクラスを尋ねていた。
「最近ちゃんとギターの練習してるけど、ぶっちゃけAfterglowの曲弾ける自信ないです! タブ譜とかもないから耳コピできる気しないし!」
「待って、あの、すごいぶっちゃけてない!?」
下げてた頭を肩ごと上げられて「大丈夫!? どうしたの!?」ってがっくんがっくん揺さぶられてるけど別になんか脅迫とかされてるわけじゃないよ。ていうか眼鏡、眼鏡吹っ飛んじゃうってば。
ズレたのを直して「なんてゆーか……」と言葉を選ぶ。いちいち説明してもしょうがないっていうか、合間合間のドラマを端折ったら『反省しました! ごめん!』以上に言うことないし。
「なんていうか……そう、やりたいことできたって感じなんだよね。だからその前に、こう……悪いことしちゃったの清算して、身軽にしなきゃなー……なんて」
「そっかぁ……」
すごい自分本位な言い方になっちゃったけど、まあぶっちゃけ本心だし、飾ったってしょうがないよね。うん。向こうも気にしてないみたいで、普通に納得してくれてるみたいだった。
私が思い詰めた雰囲気でもなかったからかな、彼女はちょっと安心したようにほっぺを掻いた。
「ほんと言うとさ、千早がやめちゃったこと……まあそもそも怒ってないけど、責められる立場じゃないんだ」
「へ……?」
「事実上解散、みたいな? そう、千早も言ってたけどタブ譜とかないじゃない? それで、リフとかカンタンなのなら耳コピできるけど、コードとか全然難しくて……」
「あー……や、すっごいわかる。聞き取れないよねぜんぜん」
リフとか、えーとアルペッジョ? アルペジオ? とか、単音で弾いてるのはギリ聞き取れるんだけど、コードは無理。響きの違いがあるのはわかってもなに押さえたら鳴らせるのかがわかんないし。
「最初はなんとなくみんなで集まって一瞬耳コピしたりして、それなりに楽しんでたんだけど……そっから先には足が出なかったや。だからある意味、千早が先に行って道拓いてくれて助かったとこあるんだ」
「えー……逃げただけだよ?」
「あのままだったら義務感でバンドっぽい集まりを続けて、息苦しくなって、喧嘩とかしてたかもだからさ。だから、ありがと」
「……そっか」
まさか、逃げたことを肯定される日が来るなんて。逃げるは恥だがナントヤラ? ……いや、なんとか向き合おうとしたボーナスかも? それなら燈ちゃんとつぐみさんのお陰かな。
「ね、千早。やりたいことってギター関係なの?」
「……そんなとこ」
「そっか。まあギタリストでも、なんかすごい作曲家とかインフルエンサーとか、なんでもいいケド」
彼女は私の後ろに回って「えいっ」「いだぁっ!?」はぁ!? 背中叩かれたんだけど! 痛……くはないけどなんかむずがゆい!
患部にぎりぎり手が届かなくてもどかしく思いながら振り向くと、彼女はにひっと笑った。
「頑張れ、応援してるっ!」
「……ありが、とっ」
「あたっ……あっはは。そのうちまたスタジオ行こ!」
「そのうちね!」
ちょうどチャイムが鳴った。近くに置いてた鞄を持って教室を出ると、戻って来る生徒たちを所在なさげに眺めて不安そうな燈ちゃんがすぐそこに立っていた。
「よーし、行くよ燈ちゃん!」
「お、おー……だけど、いいのかな。欠席なんて」
「大丈夫じゃないけど大丈夫!」
午前中サボったことを先生に謝るとき、開き直って祥子ちゃんと喧嘩になったことを喋った。
祥子ちゃんのバンド解散とかは伏せて私の恥をメインに事情を説明したらしっかり同情してもらえて、出席とか成績的にはもちろん普通にアウトなんだけど先生方の心象的には大丈夫になった。普段マジメでよかった。
そんなわけで。
「まず祥子ちゃんの家、行こう!」
祥子ちゃんは、あのまま朝から欠席している。
「……あのちゃんのことを探してるわけじゃない、よね」
「たぶん! それだったらつぐみさんが連絡したときに気づいてると思うし」
昇降口まで降りてきた。靴を履き替えながら振り返って答える。
私が羽沢珈琲店で慰められてるとき、お冷持ってきたりで裏に引っ込んでる間にこっそり連絡した、っていうのが燈ちゃんが駆けつけられた真相らしい。で、そのときに一応祥子ちゃんにも連絡したそうなんだけど。
隣、ちょっと後ろをちょこちょこついてきた燈ちゃんは思い出すように目を伏せた。
「既読だけしてそのままは、さきちゃんにしては珍しい……よね?」
「すっごい珍しいね。そもそも既読自体つかないことはあるけど」
あの子音楽作ってるときはスマホ見てないっぽいんだよね。ご飯作ってるときですらちょっと待つと既読ついて「いま料理中ですのよ!」とか返ってくるのにたまに何時間か完全スルーのタイミングがあるから、たぶんそうなんだと思う。
あ、つぐみさんから返信来た。『返信まだないね。大丈夫かな』……ふーん、なにしてるんだろうね。音楽制作かな。
まさか私みたいにアテもなく走ってて帰ってないとか、そんなことは……いや、わかんないや。いつもならともかく、私との喧嘩のせいで普通のメンタルじゃないだろうし。
追い込んでおいて言うセリフじゃないか。
「……お金儲けのためにーとか、なんにも言わないくせにとか、いくらなんでも最低だったね、ホント。改めてごめんなさい」
立ち止まって……あんまり何度も謝っても押し付けがましいんだけど、抑えきれなかった。頭を下げる私に「へ、平気、平気だから……!」と慌てる燈ちゃん。
「私は、大丈夫。……ほんとだよ」
顔を上げたらちょうど雲間から日が差して、ちかりと眩しかった。
「CRYCHICがなくなったのがどんな理由でも……私がさきちゃんを好きな理由とは、なんにも関係ない」
「……強いね、燈ちゃん」
この子すんごい芯強いじゃん。なんも言わないくせにとかよく言えたね私。祥子ちゃんの嫉妬疑惑といい、思ってる以上にふたりのことをわかってなかったみたい。
燈ちゃんはふるふると首を振った。
「強く、ないよ……あのちゃんの言う通り、ずっと黙り込んだままだったから」
「……どうしてか、聞かせてくれる?」
「うん。聞いてほしい」
歩きながら語られたのはふたりの出会いとこれまでだった。周りに馴染めずにいたこと、ひらひら舞う花びらに釣られて橋から落ちかけたところを祥子ちゃんに助けられたこと、歌詞を見せたらいたく気にいられて、祥子ちゃんの家に招かれて、即興で曲を付けてもらって……バンドを組もうと誘われたこと。そのときの祥子ちゃんの瞳が、夕暮れの部屋の中で一際眩しくて、優しくて、春の日差しのように暖かかったこと。
気づいたら最寄りの駅に向かう道から逸れちゃってて、三人でお喋りしながら帰るときの定番コースに入ってた。宝石をひとつひとつ拾い直すように話してくれてた燈ちゃんが、ふっと表情を和らげる。
「……嬉しかったんだ。人の気持ちがわからなくて、こっちからも伝わらなくて、誰かに打ち明ける意味なんてないと思ってた言葉が、初めて誰かの心に響いたから」
あんまり見たことない顔だ。なんていうか──そうだ、祥子ちゃんとおんなじ。
やさしー顔、愛しむ顔。
「それからは……いっぱい話したね」
「いっぱい聞いたね……」
ほんとにいっぱい聞いた。不思議な気分だよ、会ったことないし顔も知らないのに名前と見た目の特徴と担当パートとバンド内での立ち位置と大まかな性格と喫茶店でいつも頼むものは知っちゃってるの。ネットで友達作ったらこんな感じなのかな。
「たった一ヶ月だけど、あのとき、私は人間になれてた気がする。……でも結局、私は離れていくさきちゃんを止められなかった。壊れていくCRYCHICを支えられるような言葉も、なんにも。貝みたいに押し黙って溜め込んだ言葉だけが取り柄だったのに、真珠の輝きは宿せなかった」
悲しい、っていうより寂しさとか虚しさが広がる面持ちを見て、思い出すことがあった。ふたりがバンドをやってて、燈ちゃんが歌詞を書いてたって教えてもらったときにさ、確かぽろっと溢してたよね。
「……前に、ノートぜんぶ捨てちゃったって言ってなかったっけ。もしかして……」
「うん。意味なんかない、って思ったから」
「……本当に申し訳ありま」
「あのちゃんの言う通りだったから、謝らないで」
遮られた。今日までの印象とまったく違う、刺すって言うよりはすっと透過するみたいな声だった。波のない、静かで深い水辺みたいな声。
「言わなきゃ、明かさなきゃ誰にも伝わらない。態度でなんとなく伝えようなんて信頼じゃない、って思ったんだ。曖昧にして逃げてるだけだから」
「……そう、かな。以心伝心って素敵じゃない?」
「素敵だけど……わかんなくても、わかってもらえないかもしれなくても。怖さを乗り越えて伝える勇気を出す方が素敵だなって、思ったよ。さっき」
「さっき?」
すごいこと考えるな、って素直に感心してたらそう言われて首を傾げた。「さっき。羽沢珈琲店で」と続くけどピンと来なくて、そのまま待つ。
「あのちゃんが嫌な気持ちもぜんぶ、私の……その、好きなところと一緒に、包み隠さずに明かしてくれたとき」
「……え、あんなみっともないアレから考えるやつ? それ」
「うん」
「…………うわー……」
はっずかし。
眼鏡に触んないよう顔を覆う手の指先が冷たく感じる。
私のあんな、あんなさぁ。赤裸々な内心が、冷め切った本性が、ウソ、そんなさぁ。
「……燈ちゃんってさ」
「なに?」
「目、綺麗だよね」
「……へ……!?」
こんな心持っててさぁ、ヨゴレた世間に溶け込めるわけないじゃん。そりゃそうだよ。まったくもう燈ちゃんってばわかってないんだから。わかんないままでいてほしいなぁ。ダメか、そういうの。
すっごい今更、祥子ちゃんがなんであんなに燈ちゃんを可愛がってるのか理解できた気がした。これを一年以上浴びてたらああもなる。
「あ、あの、ほら、あのちゃん! つくよ、マンション、ね……!?」
「着いちゃうかぁ……うん、切り替える、切り替えるね……」
燈ちゃんにぐいぐい押されて、私たちは歩道橋を登っていった。
人の家に行くのにギターとかごちゃごちゃ荷物持ってるのも、と思って燈ちゃんの家に置かせてもらった。ついでにご在宅だった燈ちゃんママに連れ回してることを謝ると「友達とのケンカなんて、子供にとって最優先事項でしょ」と笑ってくれた。知っちゃいたけどすっごい良い人だ。また今度お礼しに来よう。
そんなわけで身軽になってから、ひとつ階を降りた。
「ドアの前まで来といてなんだけどさ、素直に開けてくれるかな」
「大丈夫……」
私の遅すぎる疑問にも燈ちゃんは平然としていた。
祥子ちゃんがこの角部屋らしいんだけど、私が中に入ったことはまだない。本人が「散らかっていますのよ……! どうかご勘弁を……!」っていつも言ってたし、燈ちゃんの家の方に行くと高松夫妻がすんごい喜んでくれるから。今思えば覆面ミュージシャンなことを知られたくなかったんだろうな、って感じ。
そんなわけでの質問だったんだけど、燈ちゃんはごそごそとポケットをまさぐった。
「……合鍵、持ってる」
「え」
え?
「……うん。開いたよ、あのちゃん」
「…………あの、燈ちゃん、なんで?」
「え……前にさきちゃんがくれて」
「…………そっか」
ほんとに元同じバンドってだけの関係? 私なんか大変なものに挟まってない?
……聞いちゃダメかなぁ!
「入って」
「はい……」
マンションなんだから当たり前なんだけど、玄関は燈ちゃんの家になんとなく似てた。人ふたりくらい入れる広めのたたき、少し長い廊下。一番手前のドアがたぶんトイレで、隣がお風呂場? ちょっと進んで反対に並んでるのがその他、一番奥に見えてるのがリビングかな。
ただ、印象は全然違う。高松家はもっとたくさんスニーカーや革靴が並んでたり、ご飯のいい匂いがしたり、壁から漏れる照明の色が部屋によって違ったり……家族で住んでる部屋、って感じだった。
でも、ここは。
「……殺風景」
なんもない。靴すら出てなかった。明かりもついてない。香るのは剥き出しの壁紙とホコリの匂い。
燈ちゃんは気にした様子もなく靴を脱いで上がっていく。勝手知ったるって風だ。じゃあ大丈夫……? いやほんとに? ギリ不法侵入じゃない?
リビングダイニングも似たような感じだ。クロスも掛かってないテーブルとシンプルなキッチン。テレビモニターなんかも置いてなくて広々していた。
燈ちゃんの先導で廊下に戻って別の部屋へ。寝室には制服が掛けられてた。さっきまで着てたやつなのかも。ベッドは綺麗に布団を畳んである。枕もそう。
私と喧嘩でふて寝とかしたならムカついて乱れたままになってそうだし、朝起きたときの状態なんだろうな。
もうひとつの部屋へ。
仕事場だった。
ギターとベースが一本ずつ。大きな鍵盤ふたつ。
それからパソコンと、左右に並んだスピーカー。大きなボックスみたいなのが被せられたマイク。デスクに掛けられたヘッドホン。なにかのバインダー。
祥子ちゃんはいなかった。
「……さきちゃん、前はバイトしながら音楽作ってて。徹夜してたり、時間感覚おかしくなってたりしたから。起こしに来てくれたら嬉しい、って鍵くれたの」
「……家族の人は?」
「見たことない。……お父さんとは仲悪い、かも」
「へー……ねえ、実際なんで音楽作ってるのかって聞いていいの」
「……家庭の事情、って聞いた」
カテイノジジョウ。
お金儲けのためって放言にあれだけ反応したこと。お嬢様言葉と上品な仕草。月ノ森の子たちとバンドを組んでたこと。
……うへぇ。
私ほんと、今日だけでどんだけサイテー更新するわけ?
「……決めた」
「……なにを?」
「祥子ちゃんが自分から話してくれるまで、詳しいこと聞かない!」
「……もともとじゃないの?」
「そうだけど!」
「…………」
燈ちゃんは目も口もぽかんと開けて呆けちゃった。え、変なこと言った? こんなもんじゃない?
「……聞き出すのかなって思ったんだけど」
「いや、だってずっと隠してたし……まあ部屋入ったのバレたら気づかれるだろうけどさ、ポーズは取り続けよっかなって」
「……ポーズ?」
「うん!」
そっか、察するとか苦手なんだっけ。
今まではなんとなく察してただけっていうか、お互い弱みを隠してたから気遣いあってただけ、だけど。
これからは、ちゃんと、聞かない。
「もう聞いてくれてもいいんだけどーみたいな態度を察して聞くとか、ぜったいしてあげない。話させてほしいって思うくらい、ぜんぶ通じ合える友達になる」
CRYCHICも建て直して、三人だけで依存しないようにして、それからだけど。
正しい距離で正しく手を取り合っていける、ちゃんとした友達になりたい。
「……そっか。そういうのも、いいんだ」
「たぶん! 普通の、お互い察してソンタクし合う仲でいたらケンカしちゃったしさ。私と祥子ちゃんの関係は、もう真っ向勝負以外ナシ! ド突き合い万歳! なルールでいこうかなって」
「……うん、いいと思う……!」
決意表明は我ながら、ちょっとクサイかなーって感じなんだけど。私のことすごい買い被ってるっていうかなんでも良く受け取ってくれるモードに入ってそうな燈ちゃんは、ぐっとガッツポーズしながら宣言した私を見て「そっか……真っ向勝負……」となにかを決意した。スマホを取り出す。
「……燈ちゃん、なに決意したの? ねえ」
「さきちゃんに」
「……な、なにを?」
「……ちょ、ちょっと、待って。フリックにがて……」
困った顔で一生懸命スマホをたぷたぷしてるのが可愛いんだけど、あの、止めにくい! なに送ろうとしてんの!?
「よし……ぁ、えっと、あのちゃんCRYCHICのみんなも集めるんだよね。いま見たら私、
「ごめん、待って……祥子ちゃんには? 祥子ちゃんになんて送ったの?」
「……?」
燈ちゃんは首を傾げた。
「CRYCHICのみんなを集めるから来て、って……」
「…………いつ?」
「今日……天文部の定期活動日、宿泊届も出してるし」
「今日!?」
なにしてんの!?
流石にノンストップで事態が進みすぎてスマホを強奪……いや無理「ごめんスマホ貸して」「う、うん……」そっと両手で受け取って確認する。
「……トゥデイ」
「……う、うん。とぅでい」
ほんとに送ってあった。
『本日の天文部定期活動は、予定通り行います』
『CRYCHICのみんなを呼びます』
『来てもらいます』
『さきちゃんも来てください』
淡々とした文面だけど、それがなんだかものすごい圧を感じさせる気がした。
「いやいやいや……もうちょっと、計画性っていうかさ……」
「大丈夫」
「明らかムチャだって!」
「だ、大丈夫……! 立希ちゃんの連絡先はあったし、月ノ森は近いから直接行ける……!」
「乗り込むの!?」
とんでもない暴走特急が走り出そうとしてる。マジで? こんな喧嘩するの初めてだからちゃんと対策したかった、ていうかいきなり月ノ森行ったとこで門前払いじゃないの? だいたい解散したバンドの子たちだって会ってくれるわけ?
懸念が山ほど思い浮かんだ。いくらなんでもまずいし、どれから話せば──
「もう午後だよ、あのちゃん……秋だから、日が暮れるまであっという間……」
「だからなに!?」
「ケンカしてひとりのまま、さきちゃんに夜を迎えさせたくない……!」
まっすぐ目を合わせて燈ちゃんは叫んだ。
……この部屋は、薄暗い。まだ日が高いからって、明かりもつけずに入った。他の部屋もカーテンが空いていて照明をつけるほどでもないくらいには足元が見えた。
生活感の薄い、独り暮らしが伺える内装も、十分に。
「いまどこにいるかわからないし、誰かを頼ってるかもしれないけど……でも、仲直りできないまま過ごす夜は、寂しいよ。怖いよ。さきちゃんにそんな思いさせるの、私は……私は、イヤだ!」
……今度は、私がぽかんとする番だった。
そっか。逃げてばっかで気づかなかったけど。
喧嘩して、友達と友達のままいられるかわからない不安と、孤独感を抱えて眠る夜……想像して、寒気がした。
「……いや、でも急すぎてヤバいって」
「う、うん……ちょっと早足だなって、私も思うけど」
「ちょっとかなぁ……!?」
「だけど、逃げたくない。やりたいことははっきりしてる。しるべの星はあのちゃんが示してくれた。だから、迷子になってる場合じゃない」
「……行ったり来たりの惑星じゃなくて、衛星かロケットってわけ」
天文部だなぁ。
今日一日で燈ちゃんの印象がぐんぐん変わっていく。普段おとなしいけど、スイッチ入ると尋常じゃないパワーで周りを引っ張っていくタイプらしい。月と並んで天球を動いてるようで実は地球を振り回してる太陽みたいだ。
「……逃げたくない、なんて言われちゃ拒否れないじゃん。あーあ、だんだん燈ちゃんに頼り切りになってきてるなー」
「あのちゃんの手助けしてるだけだから……」
謙遜なのかなそれ。
……でも、ほんとに私がお願いしたから頑張ってるだけなんだとしたらさ。
ここで及び腰になるって、信頼からの逃げじゃない?
「……よし! 覚悟できた! 燈ちゃん!」
「うん……!」
「『立希ちゃん』さんに連絡! で返事待ってる間に、月ノ森行こ!」
「立希ちゃんにはさっき、連絡した……! あ、返事来てる」
「じゃあ確認しながら出発!」
「おー……!」
『立希ちゃん』は花咲川の生徒で、まだ授業中な以上このマンションよりは羽丘の方が近いみたい。だから後で合流してくれるらしいんだけど、遅れる代わりにって『そよちゃん』と連絡を取ってくれた。
それで、とりあえず月ノ森の正門前に来てる。
「そよちゃん、早退するから目立たないところで待ってて、って」
「ガッツリ守衛さんいるんだけど……えー、近くの公園とか?」
って言ってると、燈ちゃんのスマホが鳴った。確認を取って後ろから覗かせてもらう。
ぴこん。
『立希ちゃんから連絡先を聞きました よかったら登録してね』
『そよちゃん』のメッセージは想像通りっちゃ想像通りかも。穏やかな感じ。
ぴこん。
『そういえば私たちって連絡先の交換もしてなかったんだね』
「あー」と声が漏れる。そういえば一ヶ月くらいしかやってなかったんだっけ、タイミング逃してたのかな。
ぴこん。
『クライシックのみんなを集めてるの?』
『どうして?』
『ごめんね! 怒ってるわけじゃないの 理由がわかんないなぁって』
ぴこん。
『そうだ、いま睦ちゃんと同じクラスなんだ〜 一緒につれていくね』
『ねえ 祥ちゃんは?』
『それ誰』
ぴこん。ぴこん。ぴこん。
『ねえ燈ちゃん 横の人は誰?』
『祥ちゃんは?』
『燈ちゃん』
『ねえ』
『祥ちゃんはどこにいるの?』
ぴこんぴこんぴこんぴこんぴこん──
「怖い怖い怖いっ!」
燈ちゃんを守るべく抱き締めるけど本人はきょとんとしてる。ウソ、『そよちゃん』ってお淑やかで優しいお姉さんって話じゃなかったの? これで平常運転だったら詐欺じゃん!
「燈ちゃんヤバイよ、校門前じゃなくてもうちょっと開けた場所っていうか逃げ場のありそうなところに」
「燈ちゃん!」
「きゃあ────っ!?」
人生で一番おっきな悲鳴上げちゃった。燈ちゃんをくるんと後ろに隠してみるけど足音がざかざか回り込んでくるんだけどなになになに!?
「燈ちゃん……燈ちゃんっ、会いたかった……! どうして置いていっ、ねえ、睦ちゃん離してっ、やっと再会したんだよ……!?」
「そよ……っ、だめ……! せめて落ち着いて……! ほんと勘弁してよそよちゃん……! 限界だからって
別の人の声も聞こえてきて、腕の中の燈ちゃんと思わず顔を合わせて目を瞬かせた。え、『睦ちゃん』って言った?
「睦ちゃん
「教えるわけっ、ないでしょっ、このダメわんこ……っ、祥ちゃんのことはキライだけど……私はすき……睦ちゃんうっさいっ! どっちにしたってっ、こんな明らかメーワクかけそうな勢いの子放すわけないじゃんっ……! 常識とかないわけ……!? ち、ちからつっよ……」
そっと振り向く。
なんとかこっちに飛び付こうともがもがしてる女の子は目ヂカラがすごいっていうか……うっすら隈ができてて、顔色もあんまよくない感じ。イギリスから逃げ帰ってきた直後の私が鏡の中でこんな顔してた気がする。
それを必死に押し留めてるのは……あれ?
「……子役の、
割と最近テレビで見覚えある。色素の薄い髪と瞳、透き通るような美少女フェイス。『睦ちゃん』って若葉睦だったんだ。
「……前からこんな感じだった?」
「…………」
ふるふる、と髪が揺れる。違うみたい。
これどのくらいで止めたらいいかな、と思ってたら『睦ちゃん』から「ねえっ、できたら止めてくれないっ……!? 呼んだのそっちでしょ……!?」って救援要請が聞こえた。えー……?
「燈ちゃん、『立希ちゃん』さんから返信とかない?」
「……あ、『羽沢珈琲店で待ってるから』……って。四分前」
「りょーかい。あー……ねえ! そよさんで合ってる? 祥子ちゃ」
「誰!? なんで祥ちゃんじゃないの!? そこにいるのは祥ちゃんのはずでしょ!?」
「う」
もんのすごい痛いところ突いてくるじゃんこの人。
そうだね。『そよちゃん』と『睦ちゃん』にとって、燈ちゃんの隣にいるのが祥子ちゃんじゃないのはおかしいよね。
わかってる。
「……
「…………あなたは」
「はい?」
「……祥ちゃんの、なに」
「燈ちゃんと一緒に一年おんなじ部活にいた、ただの友達」
「……すぅー……はー」
なんでこんな爆弾解体みたいな緊張感強いられてんだろ。深呼吸してる『そよちゃん』が本当に限界って人の顔なんだけど、祥子ちゃんはバンドでどんな関係築いてたわけ……?
「……自己紹介、いる?」
「一応。ほら、私は外様だし」
「……そっか」
あくまでもCRYCHICにしてみればよそ者ですよって態度がよかったかな、そよさんは納得したみたいに頷いてくれた。疲れたような溜め息もひとつ漏らすと、彼女の背後から『睦ちゃん』もひょこりと顔を出した。
「
「……
私は……ううん、悩むことないか。
「羽丘女子学園天文部の、千早愛音です。響きが好きだから千早って呼んでくれたら嬉しい」
「……千早ちゃんね。まあ、好きに呼んで」
「私も……まあなんでもいいよ。睦ちゃんでもむっちーでも」
「まあ、無難にそよさん睦ちゃんで……」
ここでなんかニックネームつけてもね。
とりあえず第一関門クリアかなーと人心地ついた気持ちでいると、さっきの睦ちゃんみたいにブレザーの背中をくいくい引っ張られた。燈ちゃんがそっと顔を出す。
「……く、CRYCHICの作詞とボーカルと、羽丘女子学園天文部部長の、高松燈です」
「……変わらないなぁ、燈ちゃん。久しぶり」
「うん……久しぶり、そよちゃん。睦ちゃんも……?」
「……合ってる。久しぶり、燈」
少し穏やかな顔立ちになったそよさんが出てきた燈ちゃんをぎゅっと迎え入れた。燈ちゃんもそっと抱きしめ返して、手のひらだけふわふわと睦ちゃんに振る。振り返す睦ちゃんもはにかみ笑いを薄く浮かべていた。
「天文部なんだ。星、詳しかったもんね」
「うん……さきちゃんもね、天文部なんだ。羽丘に進んだら同じ学校で……」
「ごめん、ほんと悪いんだけど移動しよ。思い出話してていいんだけど『立希ちゃん』さん待たせてるから」
いやゴメンって、そよさん睨まないで。「ほら手繋いでていいから」「……集合どこなの」ちょっろ。羽沢珈琲店ってとこだよって伝えたら普通に歩き出した。そういやバンドの集合場所だったんだっけ。
「ノートってまだ書いてる?」
「うん……最近また書いてて……」
……まあ、ちょっとくらいは、そっとしといてあげよ。
案内の必要もないみたいだから後ろからついて行ってると、同じく黙ってついてってた睦ちゃんが歩調を合わせてきた。なんとなく並ぶ。
「……千早。なんで?」
「なにが?」
「CRYCHIC集めてること。なんで?」
「……あー」
祥子ちゃんの幼馴染なんだよねこの子。どこまでなら喋っても怒られないかなぁ……いや、保身かなこれ。
逃げない。もう。
「……祥子ちゃんとケンカしちゃってさ。すごい酷いこと言っちゃったから、謝るための罪滅ぼし」
「……お詫びの品にされても困る」
「そういうわけじゃないよ。ほんとに」
でも、言われてみればそっか。そう見えるか。
「……祥子ちゃんとだけじゃなくてさ、巻き添えで燈ちゃんにも酷いこと言っちゃったの。それでまあ、先に燈ちゃんと仲直りしたんだけどね」
「……うん」
「ほんの一瞬なのに、すっごい罪悪感だったし、すっごい心細かったし、すっごい悲しかったの」
祥子ちゃんはさ、あれをCRYCHICのみんなと別れてからずっと感じてるんだよね、きっと。
「失敗を糧に強くなったっていいんだろうけどさ。取り戻せるならそっちの方がいいじゃん、って思っただけ。ましてそれをネタに酷いこと言ったんならさ、その解決をするのが……悪化させた傷を治すまで面倒見るのがスジじゃない?」
「……ふーん。律儀だね、千早ちゃん」
「……言っとくけど、私は聞かないからね。空気なんか読まないから、話していいって思えるようになったら勝手に話して」
口調を変えた睦ちゃんに釘を刺したら面白そうにくすくす笑われた。小バカにしてるんだかなんだかわかんないけど、腹は立たない。似合うなーこの感じ。顔がいいってずるい。
「祥子ちゃんより好きかもね」
「えー……?」
たぶんそれ厄介な好かれ方でしょ。
しばらく歩いて羽沢珈琲店に到着。平日午後、まだぎりぎり人が増えない時間帯かな。あんまりお客さんはいなくって、目当ての人はすぐ見つかった。
長い黒髪。鋭い目つきの美人。聞いてたまんま過ぎて一目でわかった、『立希ちゃん』だ。
まず燈ちゃんが駆け寄っていった。
「立希ちゃんっ、久しぶり……!」
「燈……!」
飲みかけのコーヒー(紅茶じゃないんだ。や、まあ好みの違いくらいあるか)も気にせず立ち上がって、『立希ちゃん』は燈ちゃんを受け止めた。なんか抱きしめようかどうしようか迷って手がふわふわ浮いてて、あーこの子は大丈夫そうだなーなんて思う。
「……なぁに、千早ちゃん」
「ううんなんでもー」
そよさんの精神状態がやばかっただけか。ごめんね祥子ちゃん、どんな関係築いてたのとか変なこと疑って。
そよさんに睨まれたり睦ちゃんに肘で突かれたりしてると、ちょっと恥ずかしそうに頬を赤らめた『立希ちゃん』が私の方を睨んでくる。
「……お前がチハヤアノン?」
「とりあえず座んなよ……」
「は?」
「そうだよ立希ちゃん、お店でいつまでも立ってちゃだめ」
「……睦、そよがなんか、こう、戻ってない?」
「そよが調子戻ってるうちに、お願い」
「…………チハヤアノン、お前こっち。私の対面」
「えー……?」
まあいいけど。主催っていうか発起人だし、説得相手の前に座るのはぜんぜん。
みんなが席に着くとお冷やが運ばれてくる。特になにも声をかけられなくてフラットに「ありがとうございまーす」と言ってから顔を上げると、つぐみさんだった。
「あれっつぐみさん!?」
「私今日二限しかなくって……愛音ちゃん、もうみんな集められたんだね」
「や、ほとんど燈ちゃんが頑張ってくれて……」
「愛音ちゃんが動いたからでしょ。ね?」
「はい……!」
「みんなも久しぶり。一応まだ放課後じゃないと思うからこう言うのもなんだけど、ゆっくりしていってね」
つぐみさんはそう言って微笑むと咳払いして「……さて、ご注文お決まりでしたらお伺いします」と店員さんモードに入った。コーヒー、紅茶、カフェラテ、マンゴージュース。私はまたアップルティーをお願いした。注文を取って去っていく彼女の背中を見送って、私は改めて深呼吸する。
「……えー、本日はお集まりいただきまして、まことにありがとうござ」
「そういうのいいから、早くして」
「はぁ〜? ……ごほん。いや、そうだね、うん。こんなことしてる場合じゃないや」
『立希ちゃん』さんとは微妙に反り合わないかも。まあでもたぶん今回限りだし、いったん置いとこ。
「ワタクシ、千早愛音。いろいろあって祥子ちゃんとケンカしました。お互いの言われたくないこと、まあ事情とかお互い話してないけどうっすら察してたのを、うっすら察してるだけだったばっかりに思いっきり刺し合う感じの状況になって、いまどうにか仲直りしたいと思ってる次第です」
「ふーん……ねえ千早ちゃん、なに言ったの?」
「…………えっと」
「言って」
「…………ソロで覆面ミュージシャンしてること挙げて、お金儲けのためにバンド捨てたんでしょ、って」
「ふ〜〜〜〜〜〜〜ん」
そよさんがすっごいにこにこしてるんだけど、なんか指先をいじり始めた。神経質そうな仕草でめちゃくちゃ怖い。ぜったい怒ってるっていうか、怒るのは確定でどう殺してやろうかなの顔じゃんこれ。
「続けて?」
「はい! 過去の傷を突っついて開かせたことを謝るなら治すまでやるのがスジだと思ったのと、そもそも天文部の関係がちょっと依存っぽくて近くなりすぎたのが喧嘩の遠因なので! 大切な友達だったCRYCHICを取り戻すのが一番いいって思ってお集まり頂きました!」
「すみません! ありがとうございます!」と叫んでガバッと頭を下げる。大声だしてごめんなさいつぐみさん。今は許して。
「……ふーん。大切な友達ね」
「CRYCHICのこと聞いてから、三人のこととか事あるごとに聞かされたからね……大好きだったんだなぁってわかるくらい」
「ふーん……」
「めんどくさ……」
「立希、言わないで。……続けて」
そよさんだけ、いや手綱引いてる睦ちゃんも、聞いてた話とぜんぜん違うんだけど。
訝しんでるのが顔に出てたかな、『立希ちゃん』が「気にしないでいいから」と静かに言った。
「こっちの変化は祥子の責任で、お前に関係ない。続けて」
「……『立希ちゃん』さん、話早くていいね」
「は? なにその呼び方」
「知らないんだもん。見せてもらった『春日影』の楽譜に書いてあった呼び方で覚えちゃったし」
「なんで『春日影』やってるの!?」
「うわうっさ……いや、ギター練習したいって言ったら祥子ちゃんが練習課題として渡してきて。まだぜんぜん弾けないけど」
「なっ……さ、ギ……うぅ…………」
「そよ、そよ……? ……ねえそよちゃん、こんなことで脳破壊されないでよほんと、ぜったいこんなん序の口なんだから」
「あの、ごめん、続けていい?」
あれそんな思い出の一品だったんだ。……あー、じゃあそうだな。プランBで。
「みんな集めてやりたいことがあって……燈ちゃん、『人間』の方」
「うん……! えっと、ちょっと待ってね」
マンションから出るときに燈ちゃんが持ってきてた鞄に、ある曲の楽譜を持ってきてもらってた。
「『人間になりたいうた』っていう……初めてみんなに会ったとき見せた歌詞に、さきちゃんがギターとか、他のパートもつけたやつ。これを、さきちゃんの前で弾きたい」
「……燈ちゃん」
「CRYCHICでいたときは、誰にも馴染めない私じゃなくてちゃんと、人間だったし……みんなとなら人間のまま生きていけるって思ったから。祥子ちゃんにも、そう思ってほしい」
燈ちゃんが楽譜を回していくのを、だいたい一仕事終わった気分で眺めてた。これ自体はCRYCHICを取り戻すに当たって燈ちゃんがやりたがったことで私はノータッチなんだよね。
みんな、表情はそれぞれ。切ない顔だったり、決意だったり、淡々としてたり。
「……お前は?」
「え」
「お前のパートはないわけ?」
「ないし、やらない。祥子ちゃんのピアノがないまんま演奏して、ワタクシが入らないと完成しませんのね、まったく……って折れさせるのが目的だし」
「……そ。じゃあお前、どうやって謝んの」
「みんなの演奏が終わった後のどっかで……かな」
『立希ちゃん』の目が、一層鋭くなって私を刺した。
「悩み解決してあげて、いい気分なとこにつけ込むんだ。最低」
あぁ。
わかってたけど、この子も良い子だ。
「……たぶんそれ祥子ちゃんも気づくから、やる意味ないでしょ。なんなら逆効果」
「……」
「許してもらうためじゃないよ。私のしたことを償う方法が、CRYCHICのみんなを呼び集めるしか思いつかなかっただけ。ごめんなさいって言うのは、これは謝罪のためですって示すため」
そうだ。
許されなくていい。
「悪いことしたらちゃんと償わなきゃでしょ。許すかどうかは、ぜんぶ向こう次第」
「……じゃあ、いい。……ごめん」
「『立希ちゃん』さん……」
「それほんとやめて。
「じゃあ……えと、そだ、りっきーとか」
「なんで今茶化すわけ!?」
「や、なんか恥ずかしくて……」
こんな殊勝なキャラじゃないもん私。
天文部入ってからずっとそう。もっと毎日ヘラヘラやり過ごしてたはずなのに。
そこそこに勉強して、頭いいーすごーいってチヤホヤされて。流行りのインフルエンサーとか、ドラマの話とかして。
それで……それで、ええと。
前の私って、どんなんだっけ。
「……燈ちゃんと祥子ちゃんのせいだからね」
「えっ」
「ずっと、クラスの一軍でそこそこやってたはずなのに……ふたりと一緒になってから、前の私がどんなんだったかわかんなくなっちゃった。ぜったいこんなキャラじゃなかったのに。その今すらおかしくなってるし」
最近もう、流行りがなんだとかあんまりわかんないもん。覚えてるのは祥子ちゃんの淹れてくれる紅茶がおいしいとか、燈ちゃんが教えてくれた天体ショー楽しみだなとか、そんなんばっかり。
──ああ、そっか。そういうことか。
「ごめん、みんな。まだちょっと見栄張ってた」
眼鏡を外して、自分の両頬をおもっきり叩いて。
もう一回、本気で頭を下げた。
「悲しませちゃった友達に笑顔になってほしいの──おねがい、力貸して」
何分経ったか、まず最初に沈黙を破ったのは立希ちゃんだった。
「……そういう理由なら、いい。やってやる」
「た……りっきー……」
「怒るよ!? ったく……別に、こっちにも利はあるし」
頭をかきながら深々溜め息を吐いて、立希ちゃんは月ノ森のふたりへちらりと目を向けた。「そよなんか特にだけどさ」と口を開く。
「未練たらたらなんだよ、こっちも。それを素直に認められるくらいの時間も経っちゃったけど……諦めるほどは過ぎてない。ちょうどいいタイミングだから。手貸してやる」
「……ありがとう、りっきー! ほんとにりっきーって呼ぶ!」
思わず手を取ってぶんぶん振り回した。「うわっ危ない危ない!」って振り払われるけど、なんか内心そんな嫌がってないんじゃない? 優しいし。
「ていうかホントなにその呼び方。だっさ。ヤなんだけど」
「いいじゃない、りっきー」
「……千早、こいつにもなんかつけてやってよ」
「オーキードーキー! じゃあえーっと……そよりん!」
「だ……ねえ愛音ちゃん、睦ちゃんには?」
「うわっそよりん性格ワルー、千早の方が可愛いのに。えーっと、むつみん!」
「……むつみん。じゃあじゃあ私は?」
「えっ、えー、あー……じゃあむっちーでどうだ!」
「おぉ、すっごい適応力。……ひひ、むっちーだって。……うん、ありがと、愛音」
なんか思っても見ないところで盛り上がっちゃった。見計らってかつぐみさんもドリンクを持ってきてくれて、ちょっといい感じに一息つけた。
アップルティーを飲んでスマホを開く。もうちょっとで放課後。グループに送られた燈ちゃんの活動予定に、既読は私のひとつ分だけ。
……来てくれるかな。
「ぁ……あの、あのちゃん」
「うん? あ……どうしたの、ともりん!」
「……なんでもない。えへへ……」
「ねえそよ、これさあ」
「まだダメだよ立希ちゃん。楽器どうするのとか聞いてないんだし」
あっ、そうだそうだ。そのへんの話もしとかなきゃ。
みんながだいたい飲み終わるのを見計らって説明を始める。
「まず、校内で他校の制服着てるのまずいよね問題なんだけど……これは天文部に偽造された立入許可証が三枚あったから、それ使う!」
「卒業した天文部の先輩が生徒会長で……その遺産」
「へ、へー……」
そよりんが明らかに引いてる。隠そうとしてるあたりが一層ドン引き感あった。
「……楽器は?」
「今日吹部が休みらしくて、音楽室使えるの。ベースとドラムはクラスの子に頼んで許可取ってある!」
「……私、ギター……」
「むつみんの分はねぇ、私のギター貸す! 見栄張って高いの買ってもらったから弾きやすいと思うよ!」
「……どこ?」
「え? そりゃ──」
背中に手を回そうとして、いや、いま座ってるし……あれ。
ともりんと顔を合わせる。
真っ青だ。
たぶん私も。
「ともりんの家に忘れた──!?」
「は!? おい、どういう関係なの!?」
「と、と、取ってこなきゃ……!」
「ともりん鍵貸して! で、みんな連れて先行ってて! つ、つぐみさん! お会計お願いしま──」
「愛音ちゃんは今度で大丈夫! 行って!」
「ごごごごめんなさい!」
ばたばたしながら鍵を受け取った。落とさないように握りしめて拳ごとポケットに突っ込む。
「あのちゃん!」
ともりんの手が伸ばされる。
「いってらっしゃい!」
「──いってきます!」
ぱしんと、力をもらった。
駆け出せ!
「はあ、はっ、はぁっ、おじゃまします!」
この時間はもうともりんママもいなくて、ちゃんと鍵が掛かってた。燈ちゃんの部屋まで向かうと私のギターと、しかも鞄までばっちり置いてあって血の気が引く。どのみちあのままだと支払いできなかったんじゃん。バカすぎ。
「あーもう、眼鏡ジャマ……」
羽沢珈琲店からここまでだと走ってくるしかなかったけど、ここから羽丘なら最寄りの駅行って電車乗るほうが早いよね……? あんま自信ないけど。
一瞬だけどまた走んなきゃだ。ちょっと息整えがてら眼鏡をしまおうとして……眼鏡ケースの近くに入ってた小物入れのポーチに手が触れた。そうだ、使い捨てコンタクト入れてたっけ。
「そういえば、しばらく使ってなかったっけ」
高校デビューじゃないけどさ、眼鏡はなんかガリ勉ぽいしやめよっかなって最初は思ってた。逃げ帰ってきてからは身の程弁えてひっそり地味にやってこう、ってことで眼鏡のままだったけど。
そんなものすごい目が悪いわけじゃなかったから、いちいちコンタクトをつけるのもめんどくさくて体育は裸眼で過ごしてた。だからこれは、高校生活じゃ一回も使ってないやつ。消費期限は……あ、まだ大丈夫だ。
眼鏡かけてたら走りにくい、なら。
「……水気きって、後で自分で捨てよう! ごめんなさいお借りします!」
洗面所で手を洗って鏡の前に立ち、髪を軽く払い除ける。うわー怖、久しぶりだけどちゃんとコンタクト入るかな。
まぶた指で開いてる自分の顔見えちゃうからコンタクト入れること自体もあんまり好きじゃなくて、だから使ってなかったって言うのもある。
ちょっとの違和感。何度かぱちぱち瞬きして、具合を確かめた。
「あー……」
ひっどい顔。
真っ赤だし、髪ぐちゃぐちゃだし、今日はまつ毛なんかも別にいじってないし。もともとまあまあ可愛い顔してるはずとはいえ、ぜんぜん盛れてないし。
別に眼鏡外したからって垢抜けるわけでもない。へろへろに疲れた顔と、走って乱れたみっともない服装がくっきり見えるだけ。
ヘタに全部見えるより、余計なところは見えないでぼやけてる方が綺麗じゃん──って、プラネタリウムでも思ってたっけ。
「……頑張ってんじゃん、アノン」
ぶっさいくに笑いやがって。
使い捨てコンタクトのパッケージから水気をしっかり切ってポケットに。自分の始末は自分でしなきゃね。
鞄を背負って、ギターケースを肩に掛ける。息も整った。戸締まりも、よし。
ゆっくり、少しずつスピード上げていく。
がむしゃらとはなんか違う気分だった。
(なんだろ、疲れてるけどそれだけじゃなくて。力いっぱいで、満たされてる感じ)
歩道橋を渡って、公園を通り過ぎて、いつもの最寄駅。スマホの定期で改札を抜けてホームへ降りるとちょうど電車が止まろうとしてた。ドアが開くと同時に駆け込んで、ほんの一駅だけど少しでも距離を稼ごうと思って車両を移動していく。
放課後だけどみんな部活かな、電車は空いててするする歩けた。もうすぐいつもの駅だ。駆け足で一番端の車両まで到着して────
「──あれ、千早?」
足が止まった。
「あ……」
「やっぱり! 千早だ……あれ、制服、それ羽丘だよね。留学は?」
いつかの、元クラスメイトだった。
鼓動が早くなりそうになって──到着予定のアナウンスで、はっと我に返った。
「ごめん! 次降りなきゃいけない! 急いでて……」
「えっそうなの? あ、ギター……ねえ、千早!」
「それじゃ……」
駅に滑り込んでゆっくりと泊まり始める電車。踵を返してドアに張り付くみたいに背を向けた。
窓に映ってる私の顔は情けなかった。あっちは、彼女の顔は──
(早く早く早く、開いて開いて開いて開いて……逃げ)
「──よかった、久々に顔見れて」
優しい、顔、して──
「……ごめん! 今度、また今度連絡する!」
扉が開く。
踏み出す。
一歩だけ。
「留学、ぜんぜん上手くいかなかった、逃げ帰ってきちゃったけど──私、元気でやってるから!」
「そっか……そっか、元気でよかった! ラインまだある!?」
「持ってる! こっちから、ぜったい、私から連絡するから──!」
待って、まだ扉閉まんないで、まだ──ダメ、違うでしょ。
走んなきゃ。私のことは後でいいんだ。走れ。走れ!
「行ってきまぁ──す!」
「行っておいで! 頑張れ、千早!」
すれ違うサラリーマンがぎょっとした顔で振り向いてた。ホームで待ってたおばあちゃんが、あらあらって顔してた。恥ずかしい。コンタクトだからぜんぶ見えちゃう。
あの子が、ほんとに応援してくれたのも。
「走れ、走れ──頑張れ、私」
通学路を駆け抜ける。
ああ、私、そういえば。
日本を発つ日も帰る日も、誰にも言ってなかったっけ。
初めからちゃんと向き合えばよかったんだ。
こんな、カンタンなこと。
(勇気を出せばよかったんだ。先が見えなくても、何を言われるかわかんなくても、それでも踏み出そうって決意するための、ひとつだけで)
校門をすぎて昇降口。ローファーを朝汚したままの上履きに履き替える最中にポケットを確認する。ともりん家の鍵はきちんと持ってた。スマホも落としてない、大丈夫。
画面をつけると通知が増えていた。画像が一枚とメッセージ。
『揃ったよ』
寄り添う四人の写真と。
私と合わせて既読が、ふたつ。
それから。
「……愛音」
階段を見上げて立ち竦む祥子ちゃんの姿が、そこにあった。
「……なんの真似ですの、これは」
「謝罪! ……じゃないかな。贖罪の方が近いかも」
近づくと一歩逃げられる。止まれば、向こうも止まった。
「集めといて言うのもなんだけどさ、よく来てくれたね」
「……人の聖域を人質に取るようなことをしておいて、よくも」
「こうでもしないと来てくんないでしょ。……それに正直、こんな即日で事が進むとは思ってなかったし」
「……まさか」
「うん。燈ちゃんがめちゃくちゃ張り切ってくれた。今日って決めたのも燈ちゃん。……さきちゃんに喧嘩したまま夜を迎えさせたくない、だってさ」
祥子ちゃんは心底イミわかんないって顔してた。そうだよね、最後に見たのは私がひっどい暴言吐いたとこだろうに、言われた側が突かれたはずの弱みに関することで超協力的なんだもん。
「……まず、ごめん。触れたら痛いはずだからって、お互い触れないようにしてたのにね。売り言葉に買い言葉じゃ許されないとこまでライン超えちゃった。ごめんなさい」
「……それは、もう、いいですわ。先に引き金を引いたのは私ですもの」
祥子ちゃんは片腕で自分の体を抱くみたいにしながら俯いた。
「けれど……どうして、みんなを集めましたの。どうして、今更私に、こんなこと」
「……燈ちゃんと同じ理由、かな。友達と仲違いする苦しみ、私なんかほんの一瞬なのに死んじゃいたい気持ちになったもん。道端で大泣きして知らない人に助けてもらったし。それで……」
「それで、同情ですの? 同じ目に遭ったから? ……願い下げでしてよ」
「……この気持ちさあ、わかんないんだよね。同情なのかなぁ。善意っぽいような、単に祥子ちゃんがこんな思いしてるなら悲しいなぁってだけなのか。あんま、判別ついてないかも」
正直なところだった。
実際、どうなんだろうね。こんな気持ちしてるなら取り除いてあげたいって思うのは優しさなのかな。それとも、こんなつらい気持ちにはきっと耐えきれないだろうって哀れみなのか。可哀想がられると惨めっていうのもわかるから、後者に取られてるなら申し訳ないな。
祥子ちゃんは黙ったままだった。
「私ね、留学してたの。イギリス」
「……そう」
「お金も出してもらって、いろんな人に手間暇かけてもらったのにね。ついていけなくて逃げてきた。去年の冬に転校してきたのはそういうこと。それで、もう期待されたり見栄張るのはやめようって思ったんだけど、バンド入っちゃって。逃げ込んだ場所からも逃げ出して、あとは知っての通り」
「……」
「逃げるの、惨めなんだ。だけどさ、祥子ちゃんがギターに向き合わせてくれた。頑張ろっかなって思えたよ。朝ケンカした後も、辞めたバンドの子に言い訳してゴメンって謝れた。解散しちゃってたけど、わだかまりはなくなった」
「……なにを、仰りたいんですの」
力のない目で睨まれる。冷たい敵意もない、じゃれあってるときの温かさもない、か弱い女の子が精一杯身を守るためのポーズ。
「……CRYCHICのみんなに会ったよ。そよさんとか聞いてた話の百倍情緒不安定になってたし、睦ちゃんはそよさんに振り回されて大変そうだったし。立希ちゃんだけ聞いてた通りだったけど……思い出話よりちょっと素直だった。なんでだと思う?」
「……知りませんわよ。みんなを置いていった私は」
「未練タラタラだ、ってさ。それを素直に認められるくらい時間が経って、でも、諦められるほどじゃないって。ねえ、祥子ちゃん」
近づくと一歩逃げられる。それ以上逃げられる前にぐんと詰めて、その手を掴んだ。
「逃げないで」
「……どの口で」
「わかってる」
「どんな顔して!」
「わかってる」
「わかっていませんわよ! ……貴女のことでは、ありませんわ」
「……」
「……勇気を出せた貴女には、わかりませんわ。ねえ、知っていて? 勇気はしまい込んでいると腐っていきますのよ。親が借金を抱えて、見捨てられずについていけば己の身分も危うくなって、どんどん落ちぶれていって……いつか立派に身を立てたら、またみんなに会えると、それだけが支えでしたのに──」
掴んだ手に手が添えられる。振り払うそれじゃなかった。弱々しく縋る手つき。
「──お金のためにバンドを捨てた。貴女のあの言葉に怒りが込み上げて……それから、腑に落ちてしまいましたのよ。結局今日までCRYCHICを取り戻そうとしなかった、勇気を腐らせたまま誇りまで失った私は、最初の一歩を間違えていたと。みんなを突き放したあの日がそもそも間違いだったと、納得してしまったのですわ」
よろめく彼女を抱き留めて支えた。寄りかかられた腕に掛かる力はふざけて抱き合うときより重くて、本当に支えを失ったんだと思い知らされた。
「愛音、貴女の言う通りでしたのよ」
「祥子ちゃん……」
今にも崩れそう……違う。違うでしょ、愛音。
私が、そうしたんでしょ。
だから、ここに来たんでしょ。
「今更ですのよ。こんな私が、どうして今更、みんなの前に……」
「今更じゃない」
「……愛音?」
友達だけど、隠した傷のために遠慮はしてた。
でもさ。遠ざけてたせいで傷つけたのに、同じ言い訳なんて逃げだよね。
「今更じゃないよ。今だからだよ。ずっと逃げて、今やっと、年貢の納め時ってだけ。ねえ、祥子ちゃん」
「……年貢の納め時、ですの?」
「私が取り立てに来たってことでさ。仕方なく、私の顔を立ててってことで。少しだけ、立てる?」
バカなこと言ってるなぁ、私。もっといい例えとか、かっこいい言い回しあったでしょ。ほんとに成績いいわけ?
だけどほら、天文部の私って物知らずのおバカポジションだし。
「貴女……思ってたより、ずっと図々しい子でしたのね」
「そーゆー祥子ちゃんはウジウジしすぎ! もっと迅速果断でかっこいい女の子だと思ってたんだけどなー!」
「愛音こそ、成績優秀でもっと気品ある振る舞いをなさいな! 初めの頃はもっと上手く擬態していたでしょうに、メッキがぼろぼろでしてよ!」
「あっ、言ったなぁこの! そっちこそエセお嬢様なんだからもっと所帯じみたことしなよ! なんでずーっとキレイで上品なの! ちょっと分けてよ!」
「できませんわよ育ちのお陰ですわ! 源になったお母様は亡くなりましたが!」
「あーそう! 聞いてごめんね!」
「いーえお構いなく! ……ふふっ」
「……あはは。良いお母さんだったんだ」
「ええ……自慢の。いつか、ご紹介しますわ」
階段にはずっと私たちの声ばっかりが響いてた。演奏の音も部活の音も遠いまま。そうだ、ギター届けなきゃなんも始まんないのに、私だけ目的果たしちゃってなにしてんだか。
そう、なんだか世界にふたりきりみたいに、楽しくて。
「愛音。謝っていただいたこと、保留します」
「……うん。それでいいよ」
「許さないとは言ってませんわ。保留でしてよ。……なにか、用意してくださっているのでしょう? その後でお応えしますわ」
「……わかった」
あーあ。私だけ報われちゃって怒られないかな。そよさん、そよりんとか大暴れしそう。
音楽室へ向かおうとするけど、祥子ちゃんと手を繋いだままだった。ふとイタズラ心が湧いて、ニヤッと笑いかける。
「……ね、エスコートいる?」
「上手にお願いしますわよ」
「はーい」
手を離して、半歩離れて。
これくらいの距離だとなんか、ちょっとくすぐったいな。これっきりにしよ。
「あー! 千早ちゃん抜け駆けしてる! ずる! こんだけ集めたくせにひとりで大丈夫なんじゃん!」
「ごめんむっちー! いや、ここまでやったからこそのだから!」
「えっ、むつ……えぇ……?」
音楽室へ入るとむっちーにぷんぷん怒られた。祥子ちゃんはなんか私とむっちーを交互に見て錯乱してるけど、え、幼馴染だしこっちの睦ちゃんも知ってるんじゃないの?
「祥子ちゃん!」
「はぇ、はい!? む、睦ですわよね!?」
「あの、むっちー……ちょっ、私祥子ちゃんのことダイッキライだから!」
「……………………」
祥子ちゃんがショートした。
あんまりでしょ。ゆすっても反応が薄い。ヤバ、どうしよ。ヤバいって顔してるのが誰もいないのもどうしよ。大丈夫なの……?
「こーら、むっちー。ダメだよ?」
「ふーんだ。どうせ私ギター弾けないし、曲始まったらみんなの番でしょ。捨て台詞くらいいいじゃん! ……め。はーい。じゃ、あとはよろしくね!」
「…………今のは? 控えめに私に笑いかけてくださった在りし日の睦は……?」
「大丈夫、あの、私は知らないけどそのうちむつみんから説明あるだろうから……」
予想が合ってるなら外野の私がつっつくのはめっちゃセンシティブなやつだし。
本人(?)がゆるっと無表情ウィンクしながら近づいてきたから黙ってギターケースを渡す。無表情のままふすーん、と鼻息を吐いて戻っていった。聞いてた『睦ちゃん』と違う……。
「……チューニング、そんな狂ってない」
「まあ、ほんとは朝から弾こうと思ってたし」
「……調整もされてるし、汚れもない。ちゃんと弾いてるギター。……頑張ってる人のギターだと、思う」
むつみんはそう言って、私の練習用アンプに繋いだギターをストロークした。……私と違う。ピックが弦に押し負けて音がバラけたりしない、光の束みたいな──ああ、そう、クロマチックな音。
「愛音の分も、任せて」
「……お願い、むつみん」
拳を差し出してみたらちょっと不思議そうにして、それからワンテンポ遅れて合わせてくれた。
託せた。
だからもう、『天文部の千早愛音』はお役御免だ。
「祥子、そこ座ってて」
「立希! えっと、こ、ここですの……?」
「……私だって気まずいんだよ。とりあえず、聞いてて」
「祥子ちゃん。言いたいこといっぱいあるの。ほんとにいっぱいあるけど……やっぱり私たち、バンドだもん。音にするから聞いてて」
「そよ……ええ。わかりましたわ」
祥子ちゃんは、ひとつだけぽつんと置かれた椅子に座った。祥子ちゃんとともりんが私の方をちらっと見てくるけどひらひら手を振って躱す。そもそもこのパートは祥子ちゃんのための演奏なんだし、私の目標は抜け駆けで先に達成しちゃったんだからもうやることないもん。扉の近くまで下がって寄りかかった。
「はい、お気遣いなく!」
「……そこまで行くなら出ていきなよ」
「聞くくらい良いでしょ〜? 生でライブ聞くの人生二回目なんだから。Afterglow卒ライ以来!」
「なっ……くっそ、羨ましい……! ……本気の本気でやんなきゃ」
「もともと本気でしょー?」
「うっさいな。ほら、カウントするから。……燈、準備いい?」
「うん。……さきちゃん」
マイクを両手できゅっと持って、ともりんが祥子ちゃんに呼びかける。
「さきちゃんが私を見つけてくれた日に、私は人間になれた。私だけじゃない。さきちゃんが誰かにあげたものはたくさんあって、そのどれも壊れてない。なくなっちゃったものなんてひとつもない。……それを、わかってほしいから。歌います」
短いMCなのに、空気ががらりと変わった気がする。言葉を止めた瞬間に部活の音もどこかではしゃぐ声も途切れて、世界中が息を呑んだみたいだった。
ゆったりとしたカウントから、たったひとつ、曲のおしまいみたいに伸ばしっぱなしのワンコード。ハウリングのような高い音がかすかに混じった頃、息継ぎの音でぴたりと止まる。
「『自分はここにいない 居場所がないって いい聞かせてるだけ』」
アカペラだった。ギターどころかドラムすらない完全なソロ。だけどほんの一瞬前に鳴らされたバンドの音が耳に焼き付いて、きちんと『バンドの演奏』を成立させていた。
あまりに大胆なアレンジだけど私は知ってる。本当はここに、小さく祥子ちゃんのピアノが入るんだ。イントロもピアノだけアルペジオで、キーを決定づける音がかすかに差し込まれるんだって。
貴女がいないとこんなに不安定で、キーも曖昧で、迷子になりそうな音なんだって、全身で伝えてた。
「『ここではないどこかに 行きたい』『思い込んでなぐさめてる』」
囁くような声質で、まっすぐ語りかけてるみたいに感じる。向けてる相手は祥子ちゃんだってわかってるのに、視線も顔も声もこっちには向いてないのに、私に注がれている気がしちゃうくらい。
「『見つけたくって 下ばかり見てたから気づかない』『つまずいて ぶつかって よろめく』」
(あぁ──ホンモノだ)
私がきっとなり得ない、本当に眩しい存在。
嫉妬は、湧いてこない。
「『世界がゆれる』──ねえ」
手が差し伸べられて──音がひらける。
「『靴ひもがまた ほどけた みんなみたいに友達できたけど』」
ストロークとアルペジオを織り交ぜて空間を埋めるギター、歌とあやとりするみたいに旋律を敷く対比的なベース。ドラマチックでいて精密に土台を支えるドラム。
かちりと噛み合って、こんなに胸を打つのに、どこか物足りない。あるべき場所に音がない。埋めるべき穴が、ハマるピースがそこにあるのに。
祥子ちゃんがピアノへと駆け出した。
お嬢様らしからぬ所作でガチャガチャと天板を開けて、優しく音階をなぞり上げる。キーを探る様子もなく、すぐにそれらしい伴奏を弾き始めるのを見てメンバーたちも笑顔を深めた。
わかってるんだ。自分が作ったからじゃなくて、みんなといた時間があるから。壊れても、なかったことにもならない思い出が、積み重ねたものが──目に見えなくても大切な繋がりが、そこにある。
「『みんなといるのにひとりみたいだ みんなみたいに生きたいのに』」
悲しい歌だ。誰にも馴染めない疎外感、孤独の歌。
仲直りだしさ、本当はもっと、明るい歌でもいいじゃないかなって思ってたけど。
(みんなが嬉しそうだから、いっか)
「『人間になりたい』──」
このみんなはきっと同じ『人間』なんだ。苦しみを理解できる仲間同士だから──同じものを分かち合う、絆を確かめ合う歌になる。
ともりんにちょっと聞いたんだ。ここまでは昔ともりんが書いた歌詞だけど、二番からは祥子ちゃん宛てなんだって。
じゃあ、こっからは野暮だ。
「……お幸せに」
なんちゃって。
互いに向き合って自分たちの世界に入るみんなの邪魔をしないように、そっと、音楽室を出た。
ああ 重力のまぶたを落とす
ララバイを歌う望遠鏡
航路する刺繍の円模様
ゼロと1に、もうひとつ
心を
「──例の彗星を見ますわよ! どうにか、どうにかして!」
「おー……!」
「え、見れるの?」
一週間後の放課後、完全下校時刻を過ぎた天文部。
私の居場所は結局なくならなくて、前よりちょっとだけ上手にバランスを取りながらくるくる日々を回っている。
「見れる見れないじゃありませんのよ愛音……! 地獄の制作期間の中でのかすかな潤いですのよこの活動が! なんにもありませんでしたでは引っ込みがつきませんわ!」
「地獄ねー、自業自得の略?」
結論から言うとCRYCHICは再開された。
もちろん祥子ちゃんは今やメジャーアーティスト(らしい。ひとりで家族の借金返して一人暮らしするレベルの大成功してるのなんなの……?)なわけで、そんな気軽にバンドやっていいの? とは思ったんだけど。
「仕方ないじゃありませんの! ほろ苦青春系バンド『MyGO!!!!!』も先輩の系譜を行くゴシックメタルバンド『Ave Mujica』もやりたいことが山積みなんですのよ!」
「……音楽活動の息抜きのバンドプロデュースの息抜きのバンド参加の息抜きの天文部、ってこと?」
「ええ!」
「ナメすぎ」
そう言うことで。
天才覆面ミュージシャン『オブリビオニス』は今や趣味で友達のバンドを複数プロデュースし始める奇人になってるってわけ。
……そのうちのひとつに入ってる身で責められないけどさ。
「でも……でも、天文部の宣伝にもなったし……」
「結局みんな入んなかったじゃん、なんか邪魔しちゃいけないみたいなこと言って」
「まあそうですわよね……」
祥子ちゃんが腕を組んでしみじみ頷く。あの、元は私たちが卒業したらおしまいの天文部を宣伝しよう! で始めてたじゃん。なにその訳知り顔。
「私たちの仲が良すぎたみたいですわね……」
「えぇ……?」
「親友三人組、もはや向かうところ敵なしといったところでしょうか……」
一回ケンカして気分的にどん底になったのが良かったのか悪かったのか、なんだかな、祥子ちゃんがすっかりオモシロ系のお嬢様になっちゃった。
まだあれから一ヶ月くらいしか経ってないんだけど、イメージを壊されて脳破壊されてるそよりんからクレームを入れられることがあるから程々にしてほしい。あとりっきーの友達がAve Mujicaに入ってて、そっちからもCRYCHICへのジェラシー的なメッセージがたまに来る。私に言わないでよ。
「日も落ちましたし行きますわよ!」
「気が早いなぁ……」
えーと、スマホよし、毛布よし、レジャーシートと……うん、うん、おっけ。
ギターは、今日はいっか。祥子ちゃんのデスクの隣で、ともりんの石たちと一緒にお留守番してもらおう。
「それにしても彗星がふたつ同時に見られる可能性があるなんて……奇跡的ですわね」
「近いうちに恒星間天体も来るんだって。史上三番目で、これももう二度と観られないくらい珍しいんだけど……」
「あ、見た見た! 名前カッコいいよね、頭文字の取り方とか──」
この時間にもなると残業してる先生くらいしかいないから、私たちの声だけがどこまでも明るく廊下を反射して伸びていく。校舎の外には街があって世界があってみーんな生きてるのに、私たちだけが最後の人類になったみたいな気分。
雑談しながら屋上の扉を開けると、祥子ちゃんが小さく笑った。
「なに?」
「いえ……愛音、天体ニュースに詳しくなりましたわね」
「そりゃまあ……天文部だし?」
「……バンド、もういっこ作る? 天文部で」
「いいですわね!」
「キャパオーバーだって……」
私調子乗りだと思ってたけど、この中だと抑えなのはずっと変わんないまんまかも。ちょうどバランスいいトコがここなんだなぁ。
さて、手慣れたもので手際よくセットを作った。あれこれ敷いて魔法瓶も出して、上着とシュラフでもこもこになったともりんを真ん中に寝かせ、私たちで挟む。BGMも流せば準備万端。
「あら……『惑星』ですのね」
「うん」
あれからなにかとクラシックを聞くようになった。祥子ちゃんが詳しいから色々教えてくれるんだけど、そしたらだんだん聞くのが楽しくなってきちゃったんだよね。
勇ましい『火星』をぼーっと聞き流して、たまに魔法瓶の紅茶に口をつけたり、流れ星が見えた見えてないって騒いだり。例の彗星は……まあまあまあ。
しばらくして、お喋りがふと途切れた。点々と静けさが転がっていった頃、祥子ちゃんが小さくこぼした。
「……この間は、ご迷惑をおかけいたしましたわね」
「もーいいってば。お互い様だし」
「……なんで、今更?」
「『惑星』を聞いていて、三体問題のことを思い出したのですわ。あの仲違いまで、私たちはただ近くにあっただけで……穏やかに安定した関係ではありませんでしたのね。アステロイドベルトのことだけでなく、本当に勘違いしておりましたわ」
……そんなことない、とは言えない。ぶつかった痛みから学んだことも大きいだけに、なかったことにはしたくなかったし。
「一般三体問題、だよね。計算ができないやつ」
「ええ。絶え間なく変わる位置関係、それによる重力の影響の変化……思えば、人間関係のよう、と。互いに気遣っていたはずですのに、難しいことですわね」
「ね。なるべく、ケンカなんかしないほうがいいんだし」
喧嘩するほど仲がいいって言ってもさ、やっぱり痛いもんは痛いんだしね。
そんな話をしてると、手をきゅっと握られた。ともりんだ。
「燈? どうしましたの?」
「あっそっちも? どしたのともりん」
「……その、あのね。これ、あったかい?」
ちょっと考えるけど、そよりんと違って試し行為の対義語みたいな子だし。素直に答えていっか。
「うん。あったかい」
「優しくて穏やかな気持ちになりますわね」
「よかった。……手を繋いだらあったかい、って覚えてれば、喧嘩して離しちゃうことも、ないよ」
ともりんの声には強い確信があった。あの日の歌みたいな深い力。
「三つだからわかんないんだ。星を繋げるのは難しいけど……心は、こうすればひとつになる」
「……貴女という子はまったくもう……っ!」
「わっ……!?」
「あ、ずるい! 私も!」
感極まった祥子ちゃんがともりんを抱き締めた。私も続くともごもご暑苦しそうにともりんが呻いて、だけど離れてとは言わない。文句がないならこのままにしちゃうもんね。
秋の夜だけど、くっついてるとあったかい。そりゃそっか。
星が引かれ合うのも案外こんな理由かなぁ。
「そうですわ愛音、ずっと思っておりましたけれど、私にはなにかアダ名はございませんの!? いつ呼ばれるやら楽しみにしてましたのに!」
「仲間はずれ、ダメ……!」
「えっともりんまで言うの? じゃあねえ──」
天文部なのに星もそっちのけで、私たちは抱き合ったまま喋り続けた。
流しっぱなしの組曲は『木星』のメロディを歌い始めていた。