GQ本編終了後、地球でララァと暮らしているシャアが主人公の短編です。
偽名(ほぼ呼ばれませんが)でカレー屋をやってるシャアが客の少女との出会いをきっかけに戦いを思い出して好き勝手に暴れる話です。
映画「イコライザー」をオマージュしています。

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カレー屋をやってるシロウズがイコライザーする話

 

 


 

【1.カレー屋のシャア】 

 

右手の人差し指と中指で掬ったダール豆のカレーを口に運びながら、少女は深く光るダークブラウンの瞳でシャアを見上げた。

小さな舌がちょっと伸ばされ、今にも指から零れそうな米を素早くキャッチした。

 

「そのスプーンを使わないと具合が悪い? コックさん」

「土地には土地のやりかたがあるものだ。ローマではローマ人のように、だったかな」

 

シャアは肩をすくめて、少女の前に置こうとしたスプーンを手慰みに弄んだ。歪んだ鏡面に、バンダナで髪を上げた自分の、どこか力が抜けた眼差しが映っている。

下町のカレー屋、インドではいわゆるダーバーと呼ばれるたぐいの庶民的な食堂だ。企業の払い下げの長机を白く塗装してクロスを掛け、窓際にくっつけて置いている。曇った窓の向こうの雑踏を眺めて、少女はまたカレーを口に運んだ。

 

「あんたは、ローマの人じゃなさそうだけど」

「訛りがあるかね?」

 

シャアは穏やかに尋ねてキッチンに引っ込もうとした。

会話を終わらせたつもりは少女にもなかったようで、少し張り上げた声が追いかけてくる。

 

「王子様みたいだから」

「ローマには王子様もいるだろう」

「なに? 歴史の話?」

 

あきれたような笑いが、その声に含まれていた。

 

(王子様とは——)

 

突然投げかけられたその皮肉な言葉に、ドキリとしなかったと言えば嘘になる。どちらかといえば心臓をつつかれるような、嫌な心地で。

シャアはキッチンカウンターのダスターを手に微笑し、少女を振り向いた。

 

「君はインテリのようだな」

「どこでだって、目端が利く女は殴られるよ。あんたもそうする?」

「大時代だ」

 

にべもなく言って、じっと少女を観察する。

15歳前後の、褐色の肌の少女だ。秀でた額に鋭い瞳。青いワンピースは体の線を出さない縫製で、野暮ったさを感じた。

間を置かせるような話し方と、表情を伺うものの阿らない視線には、彼女の少しひねくれた知性と澄み渡るような度胸が伺える。

 

「あんたが何を見てどう思ったかは知らないけど、インテリってことなら、あたしはまだそうなってない。でも、これからそうするつもりだよ」

「奨学金を?」

「当たり。学べば道が開けるからね」

 

素晴らしいことだ、と無粋に口にする代わりに温かに頷いて空席のテーブルを拭き、シャアは促すともなく少女の言葉に耳を傾ける。少女はダール豆のカレーを指を使って行儀よく口に運びながら、遠い眼差しを窓の向こうに遊ばせた。

 

「支援プログラムってやつ。基礎教育を詰め込みで終わらせて、最先端の高等技術を叩きこまれる。マシンを作るためのマシンになる。学校も行かずに土埃の中で生きてきたようなあたしが、世界を左右する技術に手が届くかもしれない」

 

熱のこもった声に、確かな決意が見える。

シャアはダスターを動かしながら、静かに言った。

 

「楽な道ではなさそうだ」

「あなたも、楽じゃない道を選んできたでしょう?」

 

振り向いた。少女はシャアに背を向けているが、曇った窓にその顔が映っている。

少女は笑っていた。誇らしげな瞳の輝きが、曇りガラスを通した太陽よりよほど眩く見えた。

 

「楽じゃなければ正しいというものでもない。よく間違うものだがな」

「楽に流れる自分が許せないくらい強いから、そんな間違いもするんだよ」

「……」

 

そうだっただろうか、とシャアはふと追憶に耽る。

シャロンの薔薇。神秘のつぼみの中で眠る少女の尽きない夢の中を、かつての自分は生きていた。険しい道を進み、勝ち取れたのは、自分に力があるからではない。世界に守られていたからだ。

それは恐ろしい不均衡だった。世界は自分の他は、誰ひとり守ってはいなかったのに。

 

「君は強いのだろうな」

 

かすかなため息と共に、シャアは言った。その声が含むかすかな悲しみを感じ取ったかのように少女は肩越しに振り向き、紙ナプキンで指をくいくいと拭った。

 

「褒められたから言うわけじゃないけど、ここのカレーは気に入ったよ」

「それはどうも」

 

少女は硬貨をテーブルに置いて席を立ち、不意に鋭く言った。

 

「リナ」

「うん?」

「お得意さんの名前くらい、覚えたっていいでしょ?」

 

見定めるように目を細めて、少女——リナは笑う。彼女の鋭さは、処世術のひとつなのだろう。その無邪気で人懐っこい本質が、無防備な話し方に感じられた。

シャアはうなずいて、店のドアを開けた。

 

「君が来るのを楽しみに待ってる、リナ」

「次に来るときも、ダール豆のカレーを食べるよ」

 

指を立てて一言言い残し、リナはさっそうと土埃の雑踏へ出て行った。

 


 

【2.ララァは語る】 

 

「大佐がカレー屋さんなんて、って最初は思ったけど」

 

笑いを含んだララァの声は優しかったが、シャアはまだどこか居心地の悪さを感じてもいた。ジオンの軍人だった頃の自分を、この少女は知らないはずなのだ。だが、彼女はいつもそれを愛し続け、親しんでいたかのように語る。

もちろん、それこそがララァなのだと、慣れ始めてもいた——

 

(わたしたちは、普通ではない)

 

改めて、それを意識する。

世界の依怙贔屓から抜け出した男と、無数に重なる世界をガラス越しに見ていた女。

誰に話してもきっと理解は得られないだろう(えにし)の茨が、二人の城を包んでいる。無数に交わる夢が終わった今になっても、ずっと。

 

「好評みたいですね。安心してるんですよ」

「手堅くやっていくさ」

「ちょっとびっくりしてます。以前にお料理の経験が?」

「ララァが教えてくれたんだろう?」

 

夕暮れの窓辺に座る彼女の細い肩に、軽く触れる。

虹彩に湖の水底を閉じ込めたかのような温もりのない有機的な緑が揺らぐララァの瞳が、シャアを見上げた。

 

「人と会うお仕事は……お好きですか?」

「どうだろうな。意外と似合いだとは思っているよ」

「不思議な方って、みんな言ってます」

「得体が知れないと言っているだけさ」

 

ララァの視線はずっと自分の顔から外されていない。不自然なほど微動だにしない瞳。主張のない瞳孔がきゅうっ、とその緑の奥で開いているのが見えた。

何が見えるんだ——

そう言葉にして尋ねるのは、怯えているように見えるだろうか。

 

「……あなたほど優しい方はいないのに、なぜ孤独だったんでしょう?」

「君がいるだろう」

「そう思います?」

「ああ……ハハ。いや」

 

ララァの不意に強まった語気をいなすように、とっさに軽薄な笑いが漏れた。その不実さを見逃す女でもない。ほっそりとした形の良い眉が、痛みを感じたように寄せられた。

 

「良くないわ。あなたを呼んでいるんです」

「ふむ、何がわたしを呼んでいると?」

 

どんな意味であれ、聞き逃せない一言だ。ララァの言葉となればなおさら。その肩に触れた手を引っ込めて、向き合う。

柔らかで艶やかなララァの唇が、窓から差し込む残照をわずかに丸く宿して開いた。

 

「戦いが」

「……その気はないよ」

 

本心だった。だが、それでもなお危ういような心地がした。

シャロンの薔薇。イオマグヌッソ。独裁者の係累たちが地球環境に破局的変化を引き起こそうとした、その最後の戦い。

運命と魂を分かつかのように、かつての相棒に別れを告げた——「貴様に殺されないように生きる」という言葉は、歴史の表舞台から去ることを間違いなく意味していた。

手放したものに、執着するつもりはない。核融合エンジンの唸りと臨界粒子の眩い衝突がない場所でも、自分は息ができる。生きる限り、自分が立つべき場所はある。あるはずだ——

 

ララァはただ、シャアをじっと見つめている。

わたしに戦ってほしいのか、と拗ねたようなことを口にする代わりに、シャアはその艶やかな髪を愛でるように撫でた。その卑怯な沈黙も、全て見透かされていると知った上で。

 


 

【3.夜の街角】 

 

ロイヤルスタッグを60ml。シャアが、この店で決まって頼むものだった。このウィスキーが持つ洋梨のような芳香が、ロックアイスに砕かれて散りながら立ち上り、鼻腔をくすぐる。

談笑に紛らわせて、この町の話に耳を澄ませる。追う者がいないとも限らない身だ。常に感覚を研ぎ澄ませておく必要があった。

 

「——お高く留まってそうな兄ちゃんだと思ってたんだが、さばけてて感じがいいなあ、あんた!」

 

快活に笑って、テーブルの向かいに座る髭面の男が屈託なく笑う。

 

「それを正直に言うあなたほどさばけてはいないだろうな」

「気を悪くしたかい?」

「これからの友誼への期待の方が大きい」

「あっはっは、心も広いじゃないか」

 

今のところ、特に怪しむようなことは起きていない。ジオン公国の体制の確立にともなう治安強化政策、一部地域で起きている建築特需、連邦残党による破壊工作。あの戦いが引き起こした大波が叩きつけられてからこっちの事情に、大きな変化はないように思えた。

 

(支援プログラム……)

 

リナと名乗った少女の言葉が、ふと頭をよぎる。

 

(若い人材を求めている企業は山ほどいる。詐欺まがいのものも、まっとうなものも……)

 

それ以上の裏は取りようがない。どこにでもあるありふれた話だ。何を細かく気にしているのだかと、自分でも苦笑したくなった。

酒が回ったと一夜限りの友に笑い交じりに告げて料金を置き、シャアは席を立った。椅子の背に掛けていたコートに袖を通しながら、店外へと出ていく。秋口でも風は汚水の臭いを含んで重く、革のコートの表面がうっすらとべたついていくような気がした。

街角の表情は来たばかりの頃といくらか変わっている。粗末な建物が作られては壊され、また壊されているのがこの一角だ。

 

「人の営みか……汚濁を垂れ流すばかりがそれだとは思いたくないが」

 

夕闇が汚れた町を隠している。それにいくらか気が楽になる自分に気づく。シャアはコートのポケットに手を突っ込み、歩き出した。

大通りに出る。この地域では、エレカの普及もガソリン車と半々といったところだ。コロニーではなかなか聞かないエンジン音と有機燃料の悪臭がどうにも神経をちりちりとつついてくる。

ヘッドライトの奔流を横目に見ながら歩いていたシャアは、ふと足を止めた。

 

「……声」

 

なぜ、聞こえてしまったのだろう——

必死にかすれた喉から迸らせる、少女の——

 

数日前、ダール豆のカレーを一度食べただけの「お得意さん」の笑顔が、鮮明すぎるほど鮮明によみがえった。

 

シャアはコートの裾を翻し、駆けだした。その声がどこから聞こえたと明確に聞き分けているわけでもないのに、不思議と迷わなかった。

入り組んだ路地を抜けるでもなく、薄暗がりの中から耳につくような打撲音と潰れた悲鳴が響いた。

 

「……!」

 

一瞬だけ浅黒い少女の素足が闇の中に閃いて消え、つま先から振り飛ばされた白い靴が離れた壁にぶつかる。少女を殴り飛ばして建物と建物の隙間のような街灯も届かない小道に押し込んだ大男が、ずかずかとそれを追いかけて進んでいくのが見えた。

シャアは迷わず、その男の背を更に追いかけた。

 

「手こずらせやがって、ガキがよ」

「ふざけるな……! あたしは奨学金を……」

「金はやるって言ってるだろうが——」

 

鼻血で詰まり、荒い息が混ざったその少女の声がリナのものであったことに、シャアは何の驚きも感じてはいなかった。

最初から知ってさえいたような気がした。聞こえるはずもない声を聞いたときから、当然のように。

 

威圧的に拳を固めて小道の奥に進み、そこに倒れているリナを捕まえようとしている大男の背中に、シャアはごく無造作に肉薄した。

右腕をするりと男の喉元に回して肘関節を喉に押し当て、左手を後頭部に押し当てて前に倒させながら、シャア自身はその場にすとんと腰を落としてほとんど路上に座り込む。

突然後ろに掛かった体重に持ちこたえられず、大男は喉笛を締め上げられながら仰け反るようにその場に崩れ落ちることになる。

 

かっ、けはっ——

息とも声ともつかない異音が短く漏れてしばらくし、男は完全に沈黙したようだった。

 

男の体を押しやって、シャアは立ち上がる。

埃と木くずが溜まる暗がりに投げ出されたように、リナが呆然と座っているのが見えた。

シャアの店で見た、青いワンピースではない。淡いピンクの、肌を露出したナイトドレス。結い上げられた髪、つやつやと濡れ光る唇。そして、靴をなくしたばかりの足。

露出した肌は痣に埋められ、リナの顔は腫れあがって右目がほとんど見えていなかった。

 

「あんた、カレー屋の……?」

「王子様には見えなかったかな」

 

呟くように答えて、個人端末を取り出した。少女の傷は深い。一刻も早く治療が必要だ。

リナはげは、げふ、と咳をして、鼻血交じりの唾を道に吐いた。

 

「天使かと思ったよ」

「生きて見られたとは、幸運じゃないか」

 

微笑み交じりに告げる。リナは立ち上がろうとして腰が抜けているようで断念し、地面に手を突いて俯いた。血の塊をぶら下げた髪が一束、耳元からぱらりと落ちて揺れる。

 

「車に乗せられて、連れていかれたんだ——出資者との会合だなんて、着飾らされて。大きな企業の支援プログラムじゃそんなこともあるのかなって、疑いもしなかった……」

「話さなくていい」

「馬鹿だって思ってるでしょ、あたしのこと……!」

 

不意に高ぶった声が涙を含んで途切れる。打たれた痣が青々と浮かぶ背中を丸めて荒い息を弾ませ、リナは喋らなくなる。シャアは佇んだまま、しばらくその傷だらけの少女を見つめていた。

生きようとするだけで踏み躙られる。生きるだけで何かを摩耗させる。誰でもそうだし、どこでもそうだ。何も変わらない、何も——

 

(だからこそ、それに抗い続けなければならない)

 

シャアは手にした個人端末から病院に一報を入れた。場所を伝えて通信を切るが、この小道には救急車は入れない。リナを外に引っ張り出すくらいはしておいても良いだろう。

うすくまったままの少女に一歩近づいてすぐに足を止め、震える背中をしばらく見下ろして——

シャアは、抑えた声音で言った。

 

「どこにでも戦いはある。戦う人間を蔑むことは、わたしにはできないな」

 

涙に濡れ、光を失った瞳がシャアを見上げた。

裂けた唇が、あ、と呻き声を溢して、汚れた頬を新たな涙が流れ落ちて行った。

 


 

【4.取り立て人】 

 

トライアーク機工——ここ数年で躍進した地球発の大企業の一つだ。

技術者育成支援プログラムの広報は公的には行っていないようだが、一部のメディアには「大手機械工業系企業の適性教育サービス」の文面で地球在住の15歳から18歳の人材を対象に無償教育の広報が出ている。資料にはリナが言ったとおり、基礎教育の課程込みの高等教育の過酷なカリキュラムが提示されていた。実際に問い合わせた若者には、担当者の口からトライアーク本社での勤務を匂わせているようだ。

 

(15歳の段階で基礎教育を受けておらず、必要としている若いアースノイド)

 

データタブレットを手に、シャアは思案する。

 

(つまり、無戸籍の、行政上存在しない子供か……コロニー落とし時の災害が大量に生んだ被災児童にターゲットを絞っているということか)

 

社会的に存在しない、消えても誰も探さない子供を大量に確保しようとしている企業。うんざりするような、陳腐な悪徳だ。

 

シャアはデータタブレットを置き、ボタンホールに差した白い薔薇の位置を直した。

高い天井からは揺らぐような明かりが降り注ぎ、シャアの礼服の上にも光華を何輪も飾る。

要人が一時の享楽と語らいを求めて集う高級クラブ——ツテのなさを強引に押し切って知己の名を勝手に借りて踏み込んだこの場所で、シャアの佇まいはまったく馴染んでいるようだった。

 

「ああ——シャリア・ブル中佐……でしたか?」

 

着飾った婦人に掛けられた声ににこりと微笑んで、シャアは無造作に一歩距離を詰めた。普通の女性が近いと思う距離の、更に数センチ先に踏み込むような無遠慮さ。

 

「トライアークのお歴々に呼び出されて、こんなところまで。ご案内をお願いしても?」

「え、ええ……お話できたこと、光栄に思いますわ」

 

白粉がふわふわと曇らせている頬に赤みが射すのを微笑みと共に見つめて、婦人による案内を待つ。豪奢なホールの奥のドアを開き、ひんやりとした空気が満ちる廊下を通って設えられた別室のドアの前まで同行する。

婦人が立ち止まろうとしたそのタイミングを見計らって、シャアはそのなよやかな手をそっと握った。

 

「すぐにホールに戻りますので……お時間があれば、あとでお話を」

「……! はい、喜んで」

 

これから起きることを考えると、無関係な人間がドアの前に張り付いているのはよろしくない。廊下を引き返していく婦人を慎重に佇んだまま見送る。ホールに続くドアが閉じられたのを待って、シャアはドアに向き直り、静かに目を伏せて耳を澄ました。

数人の男の話し声。厚いドアを通して、ざわざわと混ざり合っていて明瞭に内容は聞き分けられない。いくつか聞こえてくるのは地名——そして、商品の受け渡しについての話。トライアークが扱っているような、生産用機械器具の販売ではなさそうだ。

 

手作業サイズのレーザーカッターのシャフトを、ジャケットの内ポケットから掴み出す。

内蔵バッテリーのサイズも小さいそれは15秒程度の照射しかできないが、この古風なドアの物理鍵を焼き切るには十分だった。

バッテリー切れの工具を放り出し、加熱された金属臭がぶわりと持ち上がるころには、破断したシリンダーの破片をばらばらとばらまいてドアを無抵抗に開いている。

 

「! 誰だ……」

 

広い室内に緊張が走り、めいめいが掛けていたソファから男たちが立ち上がる。ソファに座っているのは全部で三人、身なりのいい中年男性。部屋の隅に控えている、暴力の臭いを纏う黒服が二人。

 

「少しばかり無作法をしたが、あなた方を傷つける気はない。話を聞いていただきたい」

 

銃を抜こうとした黒服に、それより早く抜いた銃を突きつける。震えない銃口と常にもう片方の動きにも注意を向けられているプレッシャーは、正面からの一手遅れた撃ち合いに踏み込むのを躊躇させるには十分だったようだ。

 

「何だ……押し込み強盗が。金目当てか?」

 

ソファに掛けている恰幅のいい男が、冷ややかに言う。

シャアはトライアークの人事部重役のその男に視線をやり、すらすらと告げた。

 

「そうだ。金を要求したい。脅迫と思わないでいただきたい、至って正当なものだ。治療費と手術代、当面の生活費」

「手術代?」

「まず陥没した顔面骨の再建手術、その他多発外傷の骨折固定、縫合、神経修復。そして中絶費用」

「……ああ?」

 

すらすらと読み上げられた言葉を、まるで不可解だとでもいうように曖昧な声が遮った。

シャアは冷ややかに男たちを睨みつけ、数秒の意図的な沈黙を落とした。穢れた思考をこびりつかせた計算高い脳に、損得を考える暇を与えるための時間。

 

「わたしは取るに足りない民間人かもしれないが、それにしてもここまで食らいつかれてはトライアークが無傷でいられる算段はない。大人しく従った方が得策だと思うがな」

「街娼の妊娠にまで企業はかかずらってられんよ」

 

図太く言い放つ重役に、反射的に引き金を引きそうになる。自分の中にこれほどの激情が眠っていたことが、新鮮でもあり頼りなくもあった。

シャアは怒りの声を上げる代わりに細く息を漏らし、薄く笑った。

 

「欺瞞にはそれを吐く理由がある。今のは分かりやすかったな。状況はよく理解されておいでのようだ」

「……頭がおかしいんじゃないのか」

「そうそう都合よく正気と狂気が分かれるものではない。根拠のない繰り言ではないと、それくらいは理解されているはずだ」

 

やや冗長なほどの言葉を、落ち着いた抑揚で淡々と吐き出す。

吐き出し終えると共に、張り詰めた沈黙が落ちる。膨れ上がる殺気が空気を薄くする。血を流さなければ決して終わらない局面の、最後の緊張。肌にそれを直接感じている。

 

(笑っているのか——わたしは)

 

敵との距離。障害物の位置。天井の高さ。絨毯の厚み。合金の装甲の繭に守られていない、自分の肉体の脆弱さ。

全てを五感が段階を追って処理していく。その間にも——

馬鹿げたことだ、と。

頭のどこか、まともであろうとしている部分が囁く。なぜ自分が、なぜ拳銃を手に、荒事慣れした男たちを相手に生身で立っているのか。それが何を背負わせ、何を捨てさせることになるのか、本当に分かってるのか——

 

(分かっているのだから、自分でも度し難いと思っているんだ)

 

それは、何への言い訳だったろうか。

 

「あ、ああ——……分かったよ。もう少し、詳しい話を聞こうじゃないか? なあ——」

 

ひどく上ずった狡猾な声に、誠実さは微塵も感じられない。

丸め込まれたふりをしてやるにも思わず冷笑が出てしまう。

シャアは右目を僅かに眇めて同意のようなものを示し、銃口を下げるふりをした。

 

その次の瞬間には——

 

響いた銃声を鼓膜が受け取るより早く、シャアは滑るように斜めに踏み出して銃口を跳ね上げていた。頭蓋を穿つ一発で、引き金を引いたばかりの男はその場に跳ね上がるように痙攣し沈黙する。

飛びつくように棒立ちの男の胸ぐらをつかみ、分厚い肉体を振り回すように引きずって自分の盾にする。もう一人の黒服が放った銃弾が着弾し、屍が重く震えた。

強張った太い首を押しやって頭部を横に退け、銃口とその黒服の間に真っ直ぐな射線が気持ち良く通る瞬間を目視する。

もちろんその時には、とっくに引き金は引かれていた。

 

胸と額に銃弾を受けた黒服が前のめりに倒れると共に、そのジャケットの背中が一瞬びしゅっ、と押し上げられるほどに血が噴出したのが見えた。

そして、静寂が落ちる。

 

「詳しい話を?」

 

シャアは呟くように言って、盾の必要のなくなった屍を床の上に倒した。

スーツの男たちは青ざめたままソファにへたり込んでいる。厄介なパニックを起こす気配はないようだ。

 

「いいだろう。しかし、何から話したものかな」

「い、いい……分かった。認めよう……きみの要求は正当だとも……とても痛ましい件だった」

 

機嫌を取るような声に、もちろん迎合するつもりはなかった。

シャアは銃口を下げて男たちが座るソファーに近づき、その応接セットに入金プログラムを表示したデータタブレットを叩きつけた。

 


 

【5.だから言ったのに】 

 

病院から出てきたシャアをララァが待ち構えていたことには、不思議と何の驚きもなかった。緩やかなドレープの長いスカートが、強い風に翻されてはためいていた。

ララァの瞳は神秘と混沌の色だった。その唇に笑みはなかったが、自分を映すその緑はどこか優しくも感じた。

シャアはまだ消毒液の匂いの空気が取り巻いている自分の肩を何気なく払う仕草をして、ララァに近づいた。

 

「かつて君が踏みにじられ続けてきたように」

「……」

 

ララァは静かに自分の目を見上げている。

その瞳の前に嘘は許されないことを、シャアは本能で知り抜いていた。

 

「どうしようもない苦痛に(こうべ)を垂れ続けることを、彼女は選ぶべきではないと思った」

「必ず癒えるわ。痛みも無力感も、時間と人との繋がりが薄れさせていく」

「ララァの直感か?」

 

彼女は微笑んでかぶりを振った。

 

「祈り……それがきっと正しいのでしょうね」

「……戦い抜いた後は、祈るしか手がない時もある」

「大佐は、まだお祈りをしていないわ」

 

呟くように差し挟まれた言葉に——シャアは、心臓を掴まれたような気分になった。

ただの言葉遊びではない。ララァは決して、それを好む女ではない。

まだお祈りをしていない——

 

(戦いは終わっていないと……わたしは、そう思っている)

 

それは、自分でも目を背けていた、暗い確信だった。

彼女の研ぎ澄まされた感覚と鋭い洞察は、隠そうとしたものをいつでも容赦なく引きずり出してしまう。そして、気づかされるのだ。こんな真実に耐えられないほどに脆い、わが身の頼りなさに。

シャアは空を見上げた。鉱物ダストで薄く濁った水底のような色の空を通して、白々とした午前の太陽が降り注いでいる。

 

「ララァ——わたしの勘もたまには見せてみようか」

「ええ……? ふふ、どうぞ」

「今、君はこう思ってる」

 

きっかけを得た。敵を作った。戦いを思い出した。安寧を失った。

この先に待つ日々を、シャアは呆れるほどに知っていた。

だからこそ、屈託なく笑って言った。

 

「『だから言ったのに』……と」

「まあ、大佐」

 

愛おしみ、かすかに悲しむように、ララァは笑って口元に手をやる。それ以上は、否定もしないようだった。

戦いが呼んでいると——彼女は果たして、シャアを踏みとどまらせるためだけに、そう言ってくれたのだろうか。その瞳はまるで、戦いに赴く男の背を見送るようにすら見えたのだ。

 

ララァと肩を並べて、歩き出す。下町のありふれたダーバー。砕かれる時を待つ脆い日常に、二人で戻るために。






一応締めくくってはいるけど続きも書きたい話でした。楽しそうに暴れるGQシャアが大好きだし。MSに乗らずじまいでしたが乗ってほしいし。流れるようにシャリア・ブルに迷惑をかけてほしいし。マッコールさんをやる関係上、シャアが謎に強いのは許してください。

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