The Sky Blessing ~Rabbit Edition~ 作:ella_coat
第1話 空の世界に訪れるウサギ共
どれほどの時が過ぎたのか、あるいは一瞬にも満たなかったのか。やがて、目も眩むほどの純白の光が全てを飲み込み、不意にその勢いを弱めた。
三人の少女たちの身体を包んでいた独特の浮遊感が霧散し、足がふわりと、確かな地面の感触を捉えた。柔らかな草を踏みしめる感触と、雨上がりの森を思わせる清浄な土の匂い。その穏やかな感覚が、ここが新たな世界であることを彼女たちに告げていた。
そこは、長い年月によって風化した石造りの柱が点在する、古びた遺跡のような小さな浮島だった。
苔むした石畳は所々が崩れ、歴史の重みを静かに物語っている。そして島の端には、ひときわ目を引く巨大な石造りのゲートのようなものが鎮座していた。太陽を模したその巨大な円環は半ば崩れ落ち、永い沈黙を保っている。表面にびっしりと刻まれた不思議な文字は、風雨に晒され、もはや誰にも読み解くことはできないだろう。
最初に顔を上げ、辺りを見回した白いウサギ耳の少女、アキシャが思わず感嘆の声を漏らす。
「うお……! 前に来た空の世界も凄かったが……こりゃまた格別だな!」
その視線の先には、息を呑むほどの絶景が広がっていた。
どこまでも続く、吸い込まれるような紺碧の蒼穹。そこには大小様々な島々が無数に浮かんでいたのである。
ある島には緑豊かな自然が広がっていて、またある島は鋭利な岩肌を剥き出しにして天を衝いている。遥か彼方の巨大な浮島からは、光の粒子を振りまきながら壮大な滝が流れ落ち、雲海へと吸い込まれていく。
まるで神々が作り上げた壮大な箱庭のような、幻想的な光景がそこにはあった。眼下に広がる純白の雲海は、どこまでも厚く、世界の底を見せることを拒んでいる。
アキシャの隣で、同じように空を見上げていた淡い桃色のウサギ耳の少女、ラビリアも感心したように息をつく。
「本当だねー。マナの透明度が違うのかな……空気が澄み切ってる」
その頬を、心地よい風が優しく撫でていった。
しかし、感傷に浸る時間は短い。ラビリアは手慣れた様子でベージュのコートの懐から円盤状の魔道具を取り出した。精巧な歯車と水晶が組み合わさったそれを空にかざし、レンズを覗き込む。
「さてさて、歪みを計測して……っと。うわ、予想以上にひどいね。観測針が振り切れちゃってるよ」
楽しげな口調とは裏腹に、彼女は少しだけ眉をひそめた。その観測結果を聞き、最後に空を見上げた黒いウサギ耳の少女、エクアルが静かに頷く。
「……ええ、間違いないわね。ここが今回の目的地よ」
凛とした声が、澄み切った空気に響いた。
彼女は二人とは対照的に、絶景に心を奪われることなく、冷静に状況を分析しているようだった。だが、その瞳の奥には、未知の世界に対する確かな好奇の色が揺らめいている。
エクアルはふと、自分の身体に意識を向けた。まるで重たい枷でもつけられたかのような、奇妙な倦怠感。魔力の流れが滞り、体内で淀んでいるかのような不快な感覚。それは、幾度となく世界を渡り歩いてきた彼女たちにとって、既知のものであった。
「……それと、二人も気づいてると思うけど」
エクアルの言葉にアキシャが腕を数回、ぶんぶんと振ってみせる。その動きは、いつもより明らかに緩慢だった。
「ああ、分かってる。身体が重い……っていうか、力が全然入らねぇな」
普段ならば、巨大な真紅の大剣を片手で軽々と振り回せる彼女だが、今の状態ではその芸当も叶わないだろう。
自身の内に満ちる力が、分厚い膜のようなものに押さえつけられ、意思と肉体がうまく噛み合わない。ラビリアは手元の魔道具を器用に操作し、自分たちの状態を数値として表示させる。
「やっぱり。この世界の免疫作用が、かなり強いみたいだね。私たちの能力解放度……〇・五パーセントだってさ」
「〇・五パーセント……!? 二百分の一ってことか!?」
アキシャが、まるで世界の終わりのような声を上げた。その驚愕も無理はない、本来の力をほとんど発揮できないという事実は、未知の世界において、死に直結するからだ。
驚愕する彼女を横目に、エクアルが乱れた黒髪を整えながら冷静に補足する。
「外部の存在を排除しようとする世界の自衛反応……何度も経験してきたけれど、ここまで強力なのは初めてね。これも世界の歪みが原因なのかも……」
「参ったなぁ……実質一からやり直しじゃねぇか!」
アキシャが悔しそうに拳を握りしめる。そんな彼女の様子を見て、ラビリアがいつもの調子でニヤリと笑った。
「ま、脳筋ウサギのアキシャには丁度いいハンデじゃない?」
「んだとラビリア! お前だって自慢の魔法銃が豆鉄砲になるんだぞ!」
売り言葉に買い言葉。アキシャはすかさずラビリアの頬をむにーっと引っ張った。
「ふにゃー」
気の抜けた声が遺跡に響く。いつもの光景に、エクアルはやれやれと首を振った。
「お姉ちゃん、ラヴィ。喧嘩してる場合じゃないでしょ」
※※※
エクアルはひとつ咳払いをすると、改めて二人に向き直った。
「ともかく、この状態では慎重に行動すべきよ。まずは情報収集。知的生命体を探しましょう」
その言葉に、アキシャとラビリアも神妙な顔で頷く。どんな世界であれ、最初に行うべきことは変わらない。
三人が周囲を見渡すと、不意にラビリアが遠くを指差した。
「あ、見て。あそこ、建物みたいなのがあるよ」
彼女が指差す先。遥か彼方に、ひときわ大きく、緑豊かな島が浮かんでいた。目を凝らせば、そこには確かに人工物らしき影と、人々の生活を思わせる温かな灯のようなものが見て取れた。他の荒涼とした岩の島々とは明らかに違う、生命の気配が感じられた。
アキシャの琥珀色の瞳が、途端に輝きを取り戻す。
「よし、あそこだな!」
彼女は考えるより先に動いていた。即決するやいなや、島の端から眼下に浮かぶ小島へ向かって、躊躇なくその身を躍らせようとする。
「待ちなさい、お姉ちゃん!」
エクアルの鋭い声が、アキシャの動きを寸でのところで縫い止めた。
「今の私たちが、万が一落ちたらどうなるか……!」
「ちぇっ、そうだけどさぁ……」
アキシャは不満げに口を尖らせ、渋々その足を止める。だが、彼女の頭の中は、既にあそこへどうやって飛び降りるかでいっぱいだった。
エクアルが慎重なルートを思案している、その一瞬の隙。
「じゃあ、慎重に! いっちばん乗りだ!」
次の瞬間、アキシャは高らかな叫びと共に、力強く地面を蹴っていた。その身体は、まるで白い弾丸のように宙へと射出される。風を切り、長いウサ耳をぱたぱたとさせながら、遥か眼下の小島へと吸い込まれていった。
「話聞いてた!?」
エクアルの悲鳴にも似たツッコミが、空しく響き渡った。その後ろで、ラビリアがくすくすと喉を鳴らす。
「ふふっ、アキシャらしいね」
彼女もまた、姉の後を追うように、軽やかなステップで雲海へと身を躍らせた。一人、遺跡に取り残されたエクアルは、深々とため息をつく。
「……まったく。お姉ちゃんも、ラヴィも」
その口調は呆れ返っていたが、口元には微かな笑みが浮かんでいた。
彼女もまた、美しい弧を描いて宙を舞い、先に行ってしまった二人を追いかける。
本来の実力の欠片も出せない彼女たちだが、縛られた翼で空を征く三人の少女たちの表情に、陰りは一片もなかった。
広大な空を背景に、点々と浮かぶ島々を身軽に飛び移っていく三人の姿が、やがて小さくなっていく。世界の歪みを正すため、そしてまだ見ぬ出会いを求めて。彼女たちの、新たな冒険の幕が、今、静かに上がった。