The Sky Blessing ~Rabbit Edition~ 作:ella_coat
常夏島での戦いを終えた後、三人は次なる目的地「コーラスフラワー島」を目指し、常夏島周辺の空域に浮かぶ小島を軽快に飛び移っていた。
どこまでも続いていたコバルトブルーの空は既に遠ざかり、空の色も心なしか灰色がかっている。時折吹き抜ける風も、以前より少しだけ肌寒く感じられた。
「よっと!」
「ふっ……!」
しかしそんな僅かな変化など気にも留めず、アキシャとラビリアはどちらが先に次の島に着くか、相変わらず他愛のない競争を楽しんでいる様子だ。アキシャが力強い跳躍で直線的に進めば、ラビリアは持ち前の身軽さを活かして、より短い距離の島々を縫うように、まるでダンスでも踊るかのように渡っていく。
「二人とも、あまり先行しすぎないで! はぐれちゃうとまずいから!」
エクアルが後方から声をかけるが、楽しそうな二人の耳には届いていないようだった。彼女はやれやれと肩をすくめながらも、その元気な姿に微かな笑みを浮かべていた。
だが目的地に近づくにつれて、その和やかな雰囲気は徐々に、そして確実に失われていく。明らかに、周囲の環境が急速に変化し始めていたのだ。
「……なんか、急に寒くなってきてないか?」
最初に異変を口にしたのは、寒さに比較的強いはずのアキシャだった。彼女は自分の二の腕をさする。頑丈な黒いロングコートを着ていても、肌を刺すような寒さを感じるほどだった。吐く息もはっきりと白い靄を描いている。
「ええ……確かに。さっきまでの暖かさが嘘みたいだわ。風も強くなってきたし……」
風で乱れる黒髪を押さえながら、エクアルは不安げに周囲を見渡す。ラビリアはすぐにポーチから魔道具を取り出し、周囲の気温を計測した。
「うわ、本当だ。さっきまで25度くらいあったのに、もう10度切ってる……。この辺り、何かあるのかな? 地図には特に何も書かれていなかったけど……」
三人が訝しんでいる、まさにその時だった。
突如として空が急速に暗転し、重たい灰色の雲が空全体を覆い尽くした。そして、次の瞬間――猛烈な吹雪が、何の予兆もなく三人に襲いかかってきたのだ。
視界は一瞬にして真っ白になり、数メートル先すら見通せなくなってしまう。耳をつんざくような風の音が互いの声を、世界のあらゆる音を掻き消していく。気温も急降下し、肌が凍てつくような痛みを伴う。
「な、なんだ急に!?」
「吹雪……!? こんな突然に――」
アキシャとエクアルが驚愕の声を上げる。常夏の気候からこれほどまで変化するとは……三人の常識的に考えられなかったのだ。
だが、驚愕している暇はなかった。その猛吹雪の中には、まるで死神の鎌のように鋭利な氷の刃が、無数に混じり始めていたのだ。それは自然現象とは到底思えない、明確な殺意を帯びて三人に降り注いできた。
「きゃっ!」
「わわっ!」
「痛ぇ!」
ヒュンヒュンと風を切る音と共に、氷の刃が容赦なく彼女たちのコートや肌を切り裂く。アキシャの頬から、ラビリアの腕から細く、しかし鮮やかな血の筋が流れた。
寒さで感覚が鈍っているせいか、痛みはそれほどでもない。だが確実に身体へのダメージは蓄積していく。防具のない顔や手足は特に危険だった。
「くそっ、前が見えねぇ! どこだ!?」
三人は、視界の効かない猛吹雪の中、降り注ぐ氷の刃を必死に避けながら、それでも前へと進もうとする。互いの姿を見失わないように、声を掛け合おうとするが、それすらも猛烈な風の音にかき消されてしまう。
「二人とも、はぐれないで! 私のそばに……!」
エクアルが必死に叫ぶ。だが、その声は誰にも届かない。風が、まるで嘲笑うかのように、彼女の言葉を無情にかき消していく。
――その時だった。
これまでとは比較にならないほど、まるで巨大な壁が迫ってくるかのような、凄まじい突風が三人を襲った。
「わわわっ!?」
その突風にあおられてラビリアの身体が、まるで風に弄ばれる木の葉のように、いとも簡単に宙へと舞い上げられ、あらぬ方向へと吹き飛ばされていく。彼女の短い悲鳴が、風の音に混じって微かに聞こえた気がした。
「ラビリア!!」
アキシャが咄嗟に手を伸ばす。その指先が、ラビリアのベージュのコートの裾を掠める。だが、届かない。アキシャ自身も強風に煽られ、バランスを崩し、ラビリアとは全く別の方向へと流されていく。
「お姉ちゃん! ラヴィ!」
エクアルも必死に二人を追おうとする。だが、猛吹雪はまるで意思を持っているかのように彼女の行く手を阻み、容赦なく氷の刃を叩きつけてくる。黒色のコートやお気に入りの白いブラウスが氷の刃で少し裂けていたが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
やがて二人の姿は白い闇の中へと完全に消え、エクアルはただ一人、荒れ狂う極寒の嵐の中に、取り残されてしまった。
※※※
どれほどの時間が経ったのだろうか。数分か、あるいは数時間か。
エクアルは、ただ一人、必死に吹雪の中を進んでいた。寒さで身体は完全に凍え、手足の指先の感覚は既になかった。濡れた黒髪は凍りつき、まるで氷の針のように頬を刺す。白いブラウスも青いスカートも、雪と氷でバリバリに凍てついていた。
(お姉ちゃん……ラヴィ……どこ……!? 無事でいて……お願い……!)
不安と寒さで視界が滲む。凍てつく風が容赦なく体温を奪い、意識が朦朧としてくる。涙が溢れそうになるが、彼女は奥歯を強く噛み締め、必死にそれを堪えた。ここで立ち止まるわけにはいかない。絶対に。
やがて、視界がわずかに開け、風の勢いが弱まってきた。耳をつんざくような風の音も、徐々に遠ざかっていく。どうやら、猛吹雪の中心地帯を抜けたらしい。
しかし、周囲を見渡しても、アキシャとラビリアの姿はどこにもなかった。灰色に染まった空と、雪に覆われた荒涼とした浮島があるだけだった。
「……っ!」
エクアルは唇を強く噛み締める。
――はぐれてしまった。
この異世界で、たった一人になってしまった。
一瞬、心臓を鷲掴みにされたかのような絶望感が彼女を襲う。このまま動けなくなって、凍え死んでしまうのではないか。そんな弱音が頭をもたげた。
しかし、彼女はすぐに首を力強く振った。
(……ここで私が立ち止まるほど……私は弱くない! そうでしょ?)
彼女は愛する姉と、かけがえのない友人の顔を思い浮かべる。あの二人なら、どうするだろうか。
(あの無鉄砲なお姉ちゃんなら……きっと、こんな状況でも止まらない。目的地に向かって、一直線に進むはず。ラヴィも、きっとお姉ちゃんを追うわ。あの子はそういう子だから)
彼女は心を決め、凍える手で自身の頬を強く叩き、顔を上げた。攻略を中断して二人を探しに戻るのではない。このまま「コーラスフラワー島」へ向かうことを決意した。そこで二人と合流できる可能性に賭けたのだ。
必ず合流できる。その確信だけを胸に、彼女は再び、震える足で歩き始めた。
※※※
吹雪の去った空は、依然として寒々しい灰色だったが、視界は完全に晴れていた。しかし、空の色がおかしい。ただの灰色ではない。まるで毒々しい絵の具を無理やり混ぜ合わせたかのように、灰と紫が不気味に、まだらに入り混じったような色をしていた。
「あれが……目的の島ね」
エクアルの視線の先に、目的の島影が見えてきた。
それはこれまでの島々とは全く違う、異様でどこか生命の冒涜を感じさせるような光景だった。島全体がまるで巨大な珊瑚礁のように、無数の歪な紫色の植物で覆い尽くされているのだ。ねじ曲がりながら天に向かって伸びる枝、その先端には淡い紫色の光を放つ、花のような……あるいは果実のようなものが無数に咲いていた。
島に近づくにつれて、空気が薄くなるのを感じる。高地に登った時のような、独特の息苦しさ。
エクアルは一人、吹雪で体力を奪われた身体を叱咤し、固い決意を目に宿して、未知の島へと最後の一歩を踏み出した。その先で、仲間たちが待っていると信じて。