The Sky Blessing ~Rabbit Edition~ 作:ella_coat
猛烈な吹雪はどれほどの時間続いただろうか。
視界を奪われ、仲間とはぐれ、ただひたすらに氷刃の嵐の中を跳びはね、進み続けたアキシャは不意に風が弱まっていることに気づいた。顔を上げると、先ほどまでの白い闇は薄れ、灰と紫が混じったような奇妙な色の空が見えていた。どうやら、あの異常な吹雪の領域を抜けたらしい。
「いってぇ……! あのクソ吹雪、なんなんだよ、マジで……!」
悪態をつきながら、アキシャは凍りつきかけた黒いロングコートをはたき、雪と氷を払い落とす。寒さで感覚が麻痺しかけていた身体のあちこちが、じくじくと痛み始めた。特に、氷の刃で切り裂かれた頬がひりつく。
寒さで震える太ももをさすりながら、彼女は改めて周囲を見渡した。
そこは、紫色の奇妙な植物――ねじ曲がりながら天に向かって伸びる、まるで結晶のような質感の植物が生い茂る、薄暗い森の入り口だった。枝先には淡い紫色の光を放つ花のようなものが咲き、足元の地面も紫色がかった硬い土で覆われている。
「エクアル、ラビリア! どこだ!? 返事しろー!」
アキシャは大声で呼びかけるが、返ってくるのは不気味な静寂と、奇妙な植物が風に揺れる音だけだった。
(……ちっ、やっぱりはぐれちまったか。仕方ねぇ、探すしかねぇな)
彼女は気持ちを切り替え、仲間を探すために、奇妙な見た目の木々が生い茂る森の中へと、警戒しながら足を踏み入れた。
しかし数歩も進まないうちに、彼女の前にゆらり、と緑色の靄のようなものが現れた。それは特定の形を持たず、ただ漂っているだけのように見えるが、明確な敵意がアキシャの肌を刺す。
靄はゆっくりと、しかし確実にアキシャに向かって漂ってくる。
「なんだこいつ……?」
アキシャは即座に真紅の大剣を抜き放ち、迫りくる靄を斬りつけた。しかし、刃は確かな手応えを残さず、まるで空を切ったかのように靄を通り抜ける。靄は一瞬だけ霧散するが、すぐに元の形を取り戻し、再びアキシャへと迫ってきた。
(……物理攻撃が効かねぇタイプか!)
アキシャは舌打ちし、エクアルがよくやっていたように、懐から緑色の革表紙を持つ「見通しの書」を取り出して靄にかざした。
「えーっと、名前は増殖靄……実体を持たない敵対的な靄で接触すると皮膚が爛れる。物理的な干渉はほぼできなくて、放置すると増殖する……か」
アキシャは、読み上げた内容に顔をしかめる。物理攻撃が効かない上に、放置すると増える。単独で戦うには、あまりにも相性の悪い相手だった。
(くそっ、エクアルかラビリアがいれば……!)
アキシャは剣で直接斬りつけるのではなく、大剣を振るった際に生じる風圧――衝撃波に近い何かで靄を吹き飛ばそうと試みる。しかし、今の彼女の力では、決定的なダメージを与えるほどの衝撃波を生み出すことはできない。風圧で靄は一時的に散り散りになるものの、すぐに分裂し、数を増やしながら、より執拗にアキシャにまとわりついてくる。
「ったく、うざったいな!」
回避に専念するが、靄の動きは捉えどころがなく、数も多い。一体の靄が、アキシャの死角となる背後から音もなく接近し、跳躍した彼女の右の太ももに、ふわりと接触した。
「ぐっ……!?」
接触した瞬間、焼けるような激痛が走る。赤いショートパンツの布地が、ジュッと音を立てて溶け、その下の健康的な白い肌が、見る間に赤く爛れていく。
「いってぇ……! この野郎!」
痛みと怒りで、アキシャは反射的に大剣を振るうが、やはり手応えはない。靄は数を増やし、じりじりとアキシャを包囲し始めていた。
(どう考えても、分が悪すぎるな。一旦冷静に考えろ……)
一瞬の思考の後、彼女はとある結論に達する。アキシャは懐から、剣の遺跡島で手に入れた「ブレイブブック」を取り出し、魔力を流し込みながら強く念じた。蒼い光が迸り、アキシャの隣に小さな騎士の精霊、ブレイブナイトが姿を現した。
「主様! 大丈夫!?」
「なんとかな……! ちび騎士! こいつら、どうにかできねぇか!?」
ブレイブナイトは剣を構え、アキシャを囲む緑色の靄に向かって、果敢に突撃した。彼の小さな剣から放たれる蒼い光の斬撃は、物理的な実体を持たない靄を、確かに切り裂き、消滅させることができた。しかし、靄の数はあまりにも多い。一体消しても、すぐに二体、三体と新たな靄が湧いてくる。
「まずいね……! このままじゃジリ貧だ! 主様、ここは一旦引こう!」
ブレイブナイトが冷静に状況を判断し、撤退を進言する。
「……ちっ! 仕方ねぇ!」
アキシャは不本意ながらも、その提案に同意した。彼女は負傷した太ももを引きずりながら、ブレイブナイトと共に、増殖する靄から逃れるように、森のさらに奥深くへと駆け出した。
※※※
一方、ラビリアもまたアキシャとは別の場所から、コーラスフラワー島への侵入に成功していた。
吹雪で吹き飛ばされたものの、幸い大きな怪我はない。しかし、アキシャたちとはぐれてしまった状況に、表情には出なくともわずかな不安を感じていた。
(……二人とも、無事だといいけど)
彼女は気配を消しつつ、周囲の状況を観察する。見渡す限り、紫色の奇妙な植物が生い茂る、薄暗く不気味な森。時折、遠くから「ウゥゥ……」という低い呻き声や、カシャカシャという骨の擦れるような音が聞こえてくる。
ラビリアは、目の前にある紫色の植物に「見通しの書」を使ってみた。
「えっと……名前はコーラスプランツ。奇妙な見た目をした紫色の植物。枝先に咲く花のような器官はコーラスフラワーと呼ばれ、微弱な魔力を放つ。コーラスフルーツと呼ばれる実をつけ、それを食べるとテレポートできる……ふむふむ、道理で『コーラスフラワー島』と呼ばれているわけかー」
彼女は改めて周囲の異様な植物を見回した。結晶のようでありながら、確かに生命活動を行っている奇妙な存在。枝先の花からは、まるで呼吸するかのように、淡い紫色の光が明滅している。
見通しの書に書かれていたことは概ね間違っていないと言えるだろう。
「んー……とりあえず、二人を探さないとだけど……。エクアルならこういう時、『呪われた神器』を目指すかな」
ラビリアは近くのコーラスプランツによじ登り、その高い枝の上から周囲を見渡した。森の中心部に、ひときわ巨大なコーラスプランツがそびえ立っているのが見えた。そしてあの巨木から、他の島々で感じたものと同質の、強く禍々しい呪いの気配が放たれている。
「……ビンゴ。あそこに『呪われた神器』があると見て間違いないね。エクアルもきっと、あそこを目指すはず」
ラビリアは目標を定めると、巨木を目指して隠密行動を開始した。しかし森の中には、これまでの島々と同様に厄介な魔物が徘徊していた。
一つは、どす黒い靄のようなものを纏った、ぼんやりとした人型の魔物。
もう一つは、腐敗した身体のあちこちに、紫色のコーラスプランツが寄生したかのように生えている、異様な姿のゾンビ。
ラビリアはそれぞれの敵に「見通しの書」を使い、その特徴を確認する。
「……こっちの黒いのは『死霊』。悪意を持った霊体で暗闇に紛れて弓矢で攻撃し、対象の視界を奪う能力を持つ……で、こっちのゾンビは『コーラスゾンビー』。コーラスプランツに汚染された成れの果て。動きは鈍いが、攻撃を受けると稀にテレポートさせられる……。どういう原理なんだろ……?」
ともかくまともにやり合っては面倒な事になりかねない。そう悟ったラビリアは慎重に、敵の視界を避け、物陰から物陰へと移動しながら、巨木へと進んでいく。
しかし運悪く、木の根元に身を隠そうとした瞬間、近くを浮遊していた「死霊」に、その姿を発見されてしまった。
「……あ、やば」
死霊が耳障りな甲高い叫び声を上げた。その声に呼応するように、周囲に潜んでいた他の死霊やコーラスゾンビーたちが、一斉にラビリアに敵意を向け、じりじりと接近してくる。
「見つかったものは仕方ない、突破しよ」
ラビリアは「サンダー・レイ」を構え、応戦を開始する。
雷撃で先行してくる死霊を撃ち落とし、足の遅いゾンビの群れにはグレネードを投擲して足止めをする。最小限の戦闘で、この場を切り抜けようとするが、敵の数は多く、森の奥から次々と増援が現れる。
形勢は逆転すること無く、徐々に追い詰められていき、気づけば彼女は完全に敵に包囲されていた。背後には切り立った崖。逃げ場は、もうなかった。
「んー……流石に弱ったねー」
ラビリアは額に滲んだ汗を手の甲で拭う。それでも彼女の表情にはまだ、どこか達観したような、余裕すら感じられた。冷静さを保ちつつ、死霊たちの放つ視界を奪う呪詛が込められた矢を、正確かつ鮮やかにかわしながら、打開策を必死に考える。
(何か、使えるものは……。そうだ、コーラスフルーツ! あれを食べれば、テレポートできる……はず)
彼女が、近くのコーラスプランツに実っていた紫色の果実――コーラスフルーツに手を伸ばそうとした、まさにその時だった。
「邪魔だァァァァッ!!」
突如として、アキシャの荒々しい怒号が、森全体に響き渡った。
次の瞬間、ラビリアを囲んでいた死霊たちが、紅蓮の斬撃によって、まるで雑草のように薙ぎ払われる。
さらに、小さな蒼い閃光が戦場を駆け巡り、残りの死霊たちの動きを的確に封じていく。
「おー、アキシャ! ちび騎士くんも!」
そこに立っていたのは、左太ももに痛々しい傷を負いながらも、息を切らせて大剣を構えるアキシャと、その肩で小さな剣を構えるブレイブナイトだった。
「ラビリア、無事か!?」
アキシャが残敵をブレイブナイトに任せ、ラビリアに駆け寄る。
「うん、まぁ、ちょっとピンチだったけどねー。助かったよ、二人とも」
ラビリアは安堵の息をつき、構えていた神器を静かに下ろした。
「ふぅ……! 無事でよかったよ!」
ブレイブナイトも、その小さな胸を撫で下ろしていた。
三人は無事に合流を果たした。しかし、まだエクアルの姿が見当たらない。
「エクアルは……見つかってないか」
アキシャが、悔しそうに周囲を見渡しながら言う。
「うん……。でも、エクアルならきっと大丈夫だよ。あの子、私たちが思ってるよりずっと強いから……たぶん、あそこに向かってると思う」
ラビリアは、森の中心に聳える、ひときわ巨大なコーラスの木を指差した。
「……だな。あいつなら、きっとそうする」
アキシャも納得したかのように頷いてみせた。エクアルなら、例え独りだったとしても目的を果たそうと動くだろう、きっとそのはずだ。
「よし、決まりだ! あのデカい木のところへ行くぞ!」
二人の兎と一人の騎士は互いの無事を確認し、はぐれた仲間との再会を信じて、再び森の奥深くへと歩き出すのだった。