The Sky Blessing ~Rabbit Edition~   作:ella_coat

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第31話 虹の洗礼

 神々と長老に別れを告げた三人は、豪雨が荒れ狂う中、交易島の端へとやって来ていた。眼下には、奈落へと続く果てしない虚空が広がっている。

 拠点の外は、すでに視界を白く染め上げるほどの暴風雨が吹き荒れており、立っているだけで体温が奪われていくようだった。

 

「さて、と……」

 

 アキシャはウィ=キから受け取ったばかりの神器「羊の加護」を構えた。

 彼女が魔力を注ぎ込むと、その白い毛玉は淡い光を発しながら、奈落の虚空へと飛び出した。そしてまるで綿菓子が膨らむかのように瞬時に形を成し、確かな実体を持つ純白の足場となって空中に固定された。

 アキシャは試しに片足を乗せ、ぐっと体重をかけてその強度を確かめる。

 

「よし、思った以上にしっかりしてるな」

 

 その足場は、見た目の柔らかさとは裏腹に、大人の体重を支えてもびくともしないほどの強度を持っていた。しかし、これから踏み出す先は、視界すら効かない豪雨の空だ。

 エクアルは吹き付ける暴風雨に思わず身をすくませ、その琥珀の瞳を不安げに揺らした。

 

「それにしても、凄まじい豪雨ね……」

 

 エクアルが、雨に濡れる黒髪のボブヘアーを不安そうに押さえる。

 その隣でラビリアは、カチリと魔法銃「フォトンフォース」の安全装置を外し、いつでも撃てる状態で背負い直した。

 

「まあ、こんな嵐も初めてじゃないしねー」

 

 その落ち着き払った声が、二人に不思議な安心感を与える。

 ふとアキシャは、思い出したかのように赤島で手に入れた神器を左手に掲げた。それは手のひらサイズの金属製のカンテラ「光照のランプ」だった。アキシャが魔力を込めると、カンテラの中心部がカッと眩い光を放ち始めた。

 

「んじゃ、行くぜ! 虹だか嵐だか知らねぇが、さっさと浄化してやる!」

 

 「光照のランプ」の放つ力強い光が、豪雨で薄暗い三人の周囲を太陽のように明るく照らし出した。

 アキシャはその光を先頭に、生成された最初の羊毛の足場へと、迷いなく飛び乗った。エクアルとラビリアも、覚悟を決めた表情でその後に続いたのだった。

 

 

※※※

 

 

 ウィ=キから渡された新しい地図を頼りに、三人は「虹島」があるとされる方角へと進んでいく。

 先頭を走るアキシャが、ランプで前方を照らしつつ、リズミカルに「羊の加護」を使い、次々と新たな足場を生成していく。エクアルとラビリアは、その数十秒後にはマナへと還元されて消えてしまう足場を、ウサギならではの跳躍力で正確に飛び移っていった。

 交易島から離れるにつれ、雨の強さは異常なほどに増していく。

 それはもはや「雨」と呼べるような生易しいものではなく、横殴りに叩きつけられる「水の壁」だった。

 

「ったく、冷てぇな……!」

 

 アキシャが思わず声を上げる。

 容赦なく叩きつけられる暴風雨に、三人の体温は急速に奪われていく。アキシャの黒いロングコートも、エクアルの白いブラウスも、ラビリアの灰色のスカートも、瞬く間にずぶ濡れとなり、少女たちの華奢な身体のラインが、雨水によってくっきりと浮かび上がる。

 

「この感じ……」

 

 エクアルが、寒さと別の何かで声を震わせた。

 

「ああ……間違いねぇな。あの時と同じだ……」

 

 アキシャもランプの光が遮られるほどの豪雨の向こう側を睨みつけながら応える。

 かつて「コーラスフラワー島」へ向かう途中で遭遇した、あの殺意のある猛吹雪。視界を奪い、仲間を引き離し、全てを凍てつかせようとした意思のあるような圧力。

 それはまるで、島そのものが侵入者を拒絶しているかのようだった。

 

 ふとエクアルの足が、次の羊毛の足場を踏み出す寸前で、ぴたりと止まった。脳裏に蘇るのは、あの時の悪夢――たった一人で猛吹雪に取り残された時、味わった孤独と絶望だ。叩きつけられる水の壁が、あの時の氷の刃となってエクアルの心を突き刺す。呼吸が浅くなり、濡れた前髪の下で、琥珀の瞳が恐怖に揺れた。

 

 その時、ふと先頭を走っていたアキシャが、豪雨の中でも構わず振り返った。彼女は左手に掲げた「光照のランプ」に照らされながら、活力に満ち溢れた笑みをエクアルに向けていた。

 

「大丈夫だ、エクアル。今の私たちは……あの時とは違う、そうだろ?」

 

 その琥珀の瞳には不安など微塵も宿っていなかった。

 隣で同じく足を止めていたラビリアも、エクアルの濡れた背中を、ぽんっと軽く叩いた。その感触は、濡れたコート越しでも確かに温かかった。

 

「三人一緒にいるんだから、怖がらなくていいよー。それに……こんな嵐、今までの『災厄』と比べたら大したことないよ」

 

 『災厄』――その言葉が、エクアルの心に突き刺さった恐怖の楔を引き抜く。

 そうだ……私たちは、世界そのものを喰らおうとした本物の『災厄』すら打ち破ってきた。そして、その『災厄』を再び顕現させないために、命を賭してまで戦っているのだ。こんな、ただの豪雨に怯えている場合ではない。

 アキシャとラビリア――二人の存在という「温もり」が、豪雨が奪っていく体温とは比べ物にならない熱量で、エクアルの心の恐怖を霧散させていく。

 

「……ええ。そう、よね……!」

 

 エクアルは二人に力強く頷き返し、再び顔を上げて前を見据えた。

 三人は体温を奪う豪雨の中を、お互いの存在を確かめ合いながら、ひたすらに羊毛の足場を駆け抜けていった。

 

 

※※※

 

 

 交易島から出発して、豪雨の中を進み続けること、およそ二時間から三時間が経過した頃だろうか。

 アキシャが掲げる「光照のランプ」の光の先に、豪雨で煙る暗闇の中、ぼんやりと巨大な影が見えてきた。

 

「見えたぞ! あそこだ!」

 

 アキシャが歓喜の声を上げる。

 近づくにつれ、それは確かに緑豊かな島影であることが分かった。大きさはこれまでの島と比べて、極端に大きいわけではない。赤島のような禍々しい瘴気こそ感じないが、島全体が深い雨雲に覆われていた。

 三人は地図が示していた場所に、無事に島が存在した事実に、ひとまず安堵の息をついた。しかし、島への最後の一歩を踏み出そうとした、その時だった。

 

「……待って」

 

 ラビリアがぴたりと立ち止まった。そのピンク色の瞳が、鋭く細められ、豪雨の空を睨みつける。彼女の白いウサ耳が、雨音以外の何かを探るように、激しく震えていた。

 

「……妙な気配がする。マナが……揺れてる。何かが、飛んでる……?」

 

 そんな彼女の言葉に、アキシャとエクアルも、即座に武器を構え、警戒態勢に入る。

 

「上ッ! 何か……透明なのがいる!」

 

 ラビリアの警告を受けて、エクアルは懐から「見通しの書」を取り出し、豪雨の空へと掲げた。

 即座に魔力を流し込み、脳内に流れ込んでくる情報を叫ぶ。

 

「……名前は『夜影』! 半透明の身体を持つ飛行獣で、暗所で活発化するみたい……! 緑色の複眼で獲物を探して、上空から――来るわ!」

 

 エクアルが叫び終えるよりも早く、豪雨の中から緑色に爛々と光る幾多の両目が、光の点となって浮かび上がった。そして煙のように揺らめく半透明の影が、三人がいる羊毛の足場目掛けて、一斉に急降下してきた。

 それは薄い皮膜のような翼を持ち、全身が星空のように透けて見える、不気味な飛行型の魔物だった。

 

「シャーッ!」

 

 鼓膜を激しく揺さぶる甲高い鳴き声を上げながら、その鋭い爪やくちばしで三人を引き裂こうと襲い掛かってくる。

 

「ちっ! こんな不安定な足場で、空中戦とか最悪だろ!」

 

 アキシャが舌打ちした直後、ラビリアが即座に反応し、フォトンフォースから光弾を放った。その弾は、最も近くにいた「夜影」の半透明な身体を正確に撃ち抜く。敵は甲高い悲鳴を上げ、体勢を崩して奈落へと落ちていった。

 

「一気に島に上陸するぞ! 戦闘はそれからだ!」

 

 アキシャは「光照のランプ」を腰に掛けると、紅蓮の大剣を抜き放ち、最後の足場から島へと大きく跳躍した。エクアルとラビリアも、空からの奇襲を最小限の動きで回避しながら、アキシャに続いて島へと降り立った。三人は緑豊かな島の、開けた草原の端に上陸する。

 

 だが「夜影」の群れは、島に降りた三人を執拗に追い、豪雨の上空を旋回し続けていた。

 

「お姉ちゃん! 空の敵は、私とラヴィで引き受けるわ!」

「アキシャは周囲の把握をお願い!」

 

 エクアルとラビリアが、即座に役割分担を判断する。

 

「おう、任せとけ!」

 

 残念ながら空を飛ぶ敵には、アキシャの大剣は届かない。

 アキシャは二人を信じて島の奥――『呪われた神器』があるであろう中心部へと、豪雨でぬかるむ地面を蹴って駆け出した。

 エクアルとラビリアは背中を合わせるようにして、上空を旋回する「夜影」の群れに対して激しい応戦を開始する。豪雨すらも貫く鋭い水の刃と、暗闇で輝きを放つ光弾が「夜影」を次々と撃ち落としていった。

 

 

※※※

 

 

 アキシャはずぶ濡れの黒いロングコートを翻し、広大な草原を駆けていく。この島はウィ=キの地図にもあった通り、森のような高い木はなく、見渡す限りの草原と、大きな湖だけで構成されているようだった。

 豪雨で視界が悪い中、アキシャは目を凝らし、草原の先に点在する背の高い茂みに注意を払う。

 ――その時、茂みの奥から、ヒュッと鋭い風切り音が響いた。

 

(……!)

 

 アキシャは持ち前の戦闘感で、その身を華麗に舞わせながら『それ』を回避した。

 直後……アキシャがいた場所の地面に、青白い光を放つ一本の矢が深々と突き刺さった。パキパキパキと音を立て、矢が着弾した地点から凄まじい冷気が発生し、周囲の地面や濡れた草が、瞬時に白く凍りついていく。

 

「……氷の矢か」

 

 アキシャは凍りつく地面を見据え、矢が飛んできた方向――茂みの奥を睨みつけた。

 そこには氷そのもので構成されたかのような、青白く輝く人型の魔物が数体、弓をこちらに向けて構えているのが見えた。アキシャは即座に懐から「見通しの書」を取り出し、その魔物たちへと掲げ、魔力を流し込む。

 

(名前は『氷妨者』……氷のマナから生み出された魔物。冷気が込められた矢を放ち、獲物を凍らせて動きを奪う、か)

 

 面倒な敵の登場にアキシャは目を細め、集中力を引き上げる。

 

 ――しかし、敵はソイツだけではなかった。

 アキシャが「氷妨者」の情報を把握し終えるとほぼ同時、バチバチバチッと鼓膜を劈くような放電の音が響き、目の前の空間が強烈な稲妻で白く染まった。

 

「……!?」

 

 稲妻の中から、今度は雷のオーラを全身に纏った、別の人型の魔物が飛び出し、雷を帯びた剣をアキシャ目掛けて振り下ろしてきた。アキシャは即座に、紅蓮の大剣を交差させてそれを受け止める。

 

 ――キイイイインッ!

 

 甲高い金属音と、耳障りな放電の音が響き渡る。凄まじい衝撃と共に、雷の力が大剣を通してアキシャの腕に流れ込み、激しい痺れが走った。

 

「ぐっ……!」

 

 アキシャは歯を食いしばり、その痺れに耐える。

 アキシャの力と拮抗すると見るや、その雷の魔物は即座に高速で後退し、その軌跡に稲妻の残光を残しながら距離を取った。アキシャは再び「見通しの書」を構え、その魔物の情報を読み取る。

 

(こっちは『雷弄者』……雷のマナから生み出された魔物。高速移動しながら敵を翻弄し、雷の剣と弓矢を使わけながら攻撃してくる)

 

 アキシャが情報を把握した直後、眼前の「雷弄者」が再び稲妻と化して突進してくる。それと完璧にタイミングを合わせ、茂みの奥からは「氷妨者」の氷の矢が、アキシャの退路を塞ぐように降り注いだ。

 遠近からの完璧な連携攻撃。だが、アキシャは怯まない。

 

「……きたな!」

 

 アキシャはまず、足元に着弾し、周囲を凍てつかせようとする氷の矢を、持ち前の跳躍力で真上に跳んで回避する。

 空中で体勢を整える、その一瞬の無防備な隙を突き、稲妻と化した「雷弄者」がアキシャの懐へと突っ込んできた。しかし、アキシャはそれすらも読んでいた。

 

「甘いな!」

 

 空中で強引に身体を反転させ、振り下ろされた「雷弄者」の剣を、紅蓮の大剣の側面で滑らせるように受け流す。そのまま返す刀で「雷弄者」の胴体を横薙ぎに切り裂いた。

 「雷弄者」は苦悶の声を漏らすが――切り裂かれた身体は瞬時に稲妻となって霧散し、数メートル離れた場所で再構成される。

 

(ちっ、そう簡単には倒れないってか……?)

 

 着地と同時に、ぬかるんだ地面に足を取られそうになるが、アキシャは即座に体勢を立て直す。

 休む間もなく、複数の「雷弄者」が四方八方から稲妻となって襲いかかり、同時に「氷妨者」の矢が、アキシャの足場そのものを凍結させていく。

 アキシャは豪雨とぬかるみ、凍結という最悪の足場の中でまるでダンスを踊るかのように、迫りくる雷の剣戟を回避し、いなして弾き返していく。

 だが、敵の数はあまりにも多かった。一体の「雷弄者」の剣を弾いた直後、別の個体によって放たれた雷撃がアキシャの左肩を掠める。

 

「ぐっ……!」

 

 激しい痺れが走り、黒いロングコートが焦げ、その下の肌がわずかに焼ける。

 動きが一瞬鈍ったその隙を「氷妨者」の狙撃が見逃すはずもなかった。氷の矢がアキシャの左足元に着弾し、そのブーツを地面ごと凍りつかせる。

 

「しまっ……!」

 

 足の自由を奪われたアキシャ目掛け、三体の「雷弄者」が同時に雷の剣を振りかぶった。

 万事休すかと思われた、その時だった。

 

「お姉ちゃん、大丈夫!?」

「空の敵は、おおよそ片付けたよ!」

 

 豪雨を切り裂いて、二つの声が響き渡った。

 アキシャが顔を上げると、後方から駆けつけてきたエクアルとラビリアの姿が見えた。

 エクアルがアキシャに迫る「雷弄者」の一体目掛けて、杖を構えると水を高圧力で噴射する。水流に貫かれた「雷弄者」はうめき声を上げると、黒い灰となって離散する。

 同時にラビリアが、フォトンフォースの光弾を正確に放ち、茂みの奥で弓を構えていた「氷妨者」の一体を撃ち抜いた。

 

「助かったぜ、二人とも!」

 

 アキシャは凍りついた足元の氷を、大剣で力任せに叩き割った。ようやく三人が合流し、背中合わせの陣形を組む。

 だが安堵したのも束の間だった。耳障りな甲高い鳴き声が、草原の奥、豪雨で煙る湖の方角から響き渡ってきた。

 

「増援……みたいね」

 

 増援と思われる「夜影」の新たな群れが、奇妙な軌道を描きながら、三人をめがけて襲いかかってくる。そしてそれとほぼ同時に、今度は茂みの奥からさらに多くの「氷妨者」と「雷弄者」がぞろぞろと姿を現し、三人に迫ってきた。

 

「ここからが本番……と言ったところかしら?」

「そうだねー。気を引き締めていこうか……!」

 

 こんな状況下でも冷静さを崩さないエクアルと、いつもと寸分違わぬ調子なラビリア。

 アキシャはその頼りがいのある二人の声を聞き、口の端を獰猛に吊り上げた。ずぶ濡れになった白い髪を左手で乱暴にかき上げる。豪雨の雫が、その好戦的な笑みを浮かべた頬を伝い落ちていった。

 

「上等だ! まとめてかかってきやがれ!」

 

 その琥珀の瞳に強烈な光を宿したアキシャは、そう叫ぶと地を蹴って飛び出した。

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