The Sky Blessing ~Rabbit Edition~ 作:ella_coat
時刻は昼下がり、交易島の拠点として貸し与えられた石と木で作られた家。そのリビングは、午後の穏やかな日差しを浴びて、静かな空気に満たされていた。窓の外からは遠くから島民たちの穏やかな喧騒と、空を駆ける鳥の鳴き声が聞こえてくる。
そのリビングの一角、大きな木製のテーブルを占拠して、ラビリアが機嫌良さそうに鼻歌を口ずさみながら、愛銃である「フォトンフォース」の整備と改良に没頭していた。カチリ、カチリ、と精密ドライバーが小さなネジを回す、小気味よい金属音が響く。
「んー、ふふん……♪」
テーブルの上は、もはや彼女専用の工房と化していた。これまでの戦いで手に入れた戦利品――「空賊島」から回収した用途不明の歯車やネジ、「ピアノ島」の内部機構から引きちぎってきた強靭な金属弦、そして「暗黒島」で採取した虹色に輝く水晶の欠片などが雑多に、しかし彼女なりの法則性を持って並べられている。一見すればただのガラクタだが、ラビリアにとってはどれも好奇心を刺激する宝の山だ。
「んー、この弦は工夫すればパーツ増強に……こっちの水晶は魔力の一時貯蔵に役立ちそう……ふふっ、いいねー」
その淡いピンク色の瞳は、普段の眠たげな色を潜め、自らの探究心に没頭する職人のように爛々と輝いていた。
彼女は傍らに置かれた白磁の皿から、一口サイズに綺麗に切り分けられた緑色のメロンを、銀のフォークで器用に突き刺して無造作に口へと運んだ。
「んむ……」
もきゅもきゅと、小さな口が懸命に瑞々しい果肉を咀嚼する。そのたびに、彼女の白い頬がリスのように愛らしく膨らんだ。甘く芳醇な香りが鼻腔をくすぐり、噛みしめた果肉から溢れ出た果汁が、ラビリアの淡い桃色の唇を艶めかしく濡らしていく。 彼女はこくりとメロンを飲み込むと、唇の端に残った雫を、小さな舌でぺろりと愛らしく舐めとった。
「ん、甘くておいしー。……さて、ここの出力調整は……」
満足げに一つ頷くと、彼女は再びフォトンフォースの複雑な機構と向き合う。その集中力は凄まじく、周囲の音もほとんど耳に入っていないようだった。
カチャリ、と玄関のドアが開き、数冊の分厚い古書を抱えたエクアルがラビリアに声をかけながら戻ってきた。
「ただいま、ラヴィ。……相変わらず、銃の改良?」
「お帰りー。うん、そうだね。エクアルは書庫に行ってたの?」
「ええ、今後乗り込む島の情報を調べてきたわ。その水晶はもしかして……」
エクアルは、ラビリアが工具で削ろうとしている水晶の欠片に気づき、わずかに眉をひそめた。
「暗黒島のだよー。綺麗だったし、マナ純度が高そうだったからねー」
「……あまり変なものを混ぜて、暴発させないようにね」
エクアルはやれやれと溜息をつくと、抱えていた本をテーブルの空いたスペースに、ドンッと重い音を立てて置いた。
「暗黒島も、大変だったわよね……。もちろん、その後の島々も一筋縄ではいかなかったけれど」
「んーと……『花壇島』と『シアター島』と『悪党島』だっけ。確かに、苦戦はしなかったけど、変な島ばっかりだったよねー」
ラビリアが工具を持つ手を止め、ここ数日の戦いを振り返る。
「花壇島」は、その名の通り美しい花畑が広がる島だったが、上層の花畑には「ピアノ島」の旋律に似た幻覚作用があり、厄介だった。ただ地下のダンジョン自体は単純な構造で、アキシャの「烈火の剣」で魔物を焼き払いながら進み、あっさりと浄化できてしまったが。
「あの『シアター島』も不気味だったわね。箱型の島で、下層の魔物の様子が上層に映し出される仕組み……何のために作られたのかしらね」
エクアルの疑問にラビリアも静かに頷いた。あの奇妙な箱型の島は他の島と違って、豪雨や精神汚染といった呪いの副次効果みたいなものはなかったが、その構造自体が底知れぬ不気味さを漂わせていた。
上層の暗い「撮影室」と呼ばれる部屋に入ると、壁一面に下層の「演技室」の光景が、まるで観客のいない映画のように映し出されていたのだ。誰が何のためにあんなものを作ったのか、その意図が全く読めない、ただ放置された舞台。その無機質さが、呪いとはまた質の違う寒気を覚えさせた。
「『悪党島』は……空賊のアジトっていうから身構えたけど、大したことなかったかなー。あっ、でもあの変な石像は面白かったかも」
「悪党島」の中央にはたくさんの腕と顔を持つ巨大な石像が鎮座していたが、それはただの威嚇でしかなく、内部に巣食っていた空賊たちも、今の三人にとっては敵ではなかった。
「でも油断は禁物よ、ラヴィ。どんな島にも危険は潜んでいるんだから。気を引き締めていきましょう」
「はーい」
ラビリアは気の抜けた返事をしながら、再びフォトンフォースの改良作業に戻ろうとする。そんな彼女に、エクアルは書庫で得た最も憂慮すべき情報を伝える。
「……それでね、ラヴィ。私、あの時の『吹雪』についても調べてきたの」
「あ、『コーラスフラワー島』に向かう最中の?」
ラビリアの手がぴたりと止まる。あの時の、仲間と引き離された絶望的な寒さを思い出し、彼女の背筋がわずかに震えた。
「ええ、やっぱりあれは自然現象じゃなかった。原因はこの『吹雪島』みたい」
エクアルが広げた古書の一節には、禍々しい挿絵と共に、その島の恐ろしさが記されていた。
元は美しい雪原の島だったが、呪われて以降、島そのものが侵入者を拒むように猛烈な吹雪を常に発生させ、殺意のある氷の刃が絶え間なく降り注ぐ、最悪の危険地帯になっている、と。
「……名前まんまだねー」
「島が呪われた後に名付けられたんでしょうね。……虹島が昔は観光地だったことを考えると、邪神トゥルタリアが世界を砕いた後、少しずつ呪いを広げていった……そう考えるのが自然かしら」
「かもねー」
エクアルは本を閉じ、ふとリビングを見渡した。
「そう言えば……ラヴィ、お姉ちゃんはどこに行ったの?」
「え? あー……えーっと、実はねー……」
そう言うと、ラビリアはまるで悪戯を咎められた子供のように、気まずそうに目を逸らしたのだった。
※※※
同時刻、交易島の人々が憩いの場として利用する、緑豊かな広場の一角が、なにやらやけに騒がしくなっていた。
――ガギンッ! キィン!
木剣同士がぶつかり合う、甲高くも重い打撃音が、昼下がりの空気に響き渡っている。人だかりに囲まれながら、アキシャが木の片手剣を握りしめ、武の神ウルバンと激しい模擬戦を繰り広げていた。
「どうした、アキシャよ! その程度か!」
「くぅっ……!」
アキシャはいつもの黒いロングコートを脱ぎ捨て、白いブラウスと赤いショートパンツという身軽な姿だった。
対するウルバンも、神域で会った時と同じくターバンを巻いた上裸の姿だった。呪いの影響で全力を出せないとはいえ、その筋骨隆々たる巨躯から放たれる剣技は、まさしく神の領域だった。
アキシャは、ウルバンの重い振り下ろしを、木の片手剣で必死に受け止める。腕力は、ウルバンが加減しているおかげで互角に近いが……技術の差は歴然だった。
「おらぁっ!」
防戦を強いられている――アキシャは、ウサギ特有の常軌を逸した跳躍力と、数多の死線で培った変幻自在の体捌きで、ウルバンの猛攻を紙一重で捌き続ける。
地面を蹴って低く潜り込み、ウルバンの死角を狙う。だが、ウルバンはそれを読んでいたかのように、木剣の腹でアキシャの剣を叩き落とそうとする。
広場の周囲では、交易島の島民たちがその神技と勇技のぶつかり合いを、固唾を飲んで見守っていた。
「すげぇ……あのウルバン様と渡り合ってるぞ!」
「アキシャ様も頑張れー!」
歓声が飛ぶ中、ウルバンはアキシャの猛攻をいなし続け、ついにその好機を見出した。
「隙あり!」
ウルバンが、これまでの重い一撃とは異なる、鋭いフェイントを織り交ぜた突きを放つ。アキシャは大剣を扱う癖で、それを力で受け止めようとしてしまい、体勢を大きく崩された。
木剣が明後日の方向を向き、がら空きになった胴体。ウルバンが勝ちを確信し、追撃の木剣を振りかぶる。
「……まだだ!」
しかしアキシャは、その崩れた体勢を逆利用した。彼女はまるで独楽のようにその場で高速回転し、ウルバンの視界から一瞬にして消え去る。
「なにっ!?」
ウルバンが驚愕の声を上げた、次の瞬間。アキシャはウルバンの懐、完璧な死角である下方から、地面スレスレの低い体勢で木剣を凄まじい速度で斬り上げていた。
「ぐっ……!」
ウルバンは神速としか言いようのない反応で、その予期せぬ斬り上げを、咄嗟に木剣で受け止めた。
バキィィィン!
二人の常軌を逸した力が込められた木剣は、凄まじい衝撃音と共に、同時に砕け散った。アキシャとウルバンは折れた柄を握りしめたまま、互いに荒い息を吐きながら、数秒間だけ睨み合った。やがて、二人とも笑みを漏らす。
「……見事だ、アキシャよ」
「はぁ……はぁ……。あんたこそ、バケモンかよ」
互いの強さを認めあった上で、満足げに笑う二人。模擬戦の勝負は、引き分けとなったのだった。
「はぁ……はぁ……! もう、お姉ちゃん! ウルバン様相手に何してるのよ!」
模擬戦が終わったのを見計らい、息を切らせたエクアルが、広場に駆け込んできた。ラビリアから「アキシャがウルバン様と手合わせをすると言って出ていった」と聞いた時は心臓が止まるかと思ったが、幸い大事には至っていないようだ。むしろ、二人が放ったであろう凄まじい闘気の残滓が肌をピリピリと刺し、そのレベルの高さに眩暈すら覚える。
彼女は汗だくで息を整える姉と、満足げな神の姿を交互に見ると、即座に神であるウルバンに深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、ウルバン様!」
「うむ、構わん。久々に良い汗をかいた! アキシャよ、汝の剣、実に興味深い」
ウルバンが豪快にそう答えたところへ、ラビリアも「お疲れー」と間の抜けた声を掛けながら、のんびりとした足取りで合流してきた。
「アキシャよ。汝の動きは、特定の流派のものではないな。戦場での経験則からなる総合格闘に近い。武術は学ばなかったのか?」
「あー……一応、学んだけどよ……」
ウルバンの鋭い指摘に、アキシャは滴る汗を手の甲で乱暴に拭いながら、答えに詰まる。
どう答えようか迷った、その隙間。アキシャのそんな内心を見透かしたかのように、ラビリアが楽しそうな、悪戯っぽい笑みを浮かべてひょっこりと顔を出した。
「アキシャは『ここ』が筋肉で出来てるから、堅苦しい型にハマるのは嫌いみたいなんですー」
ラビリアが、自分のこめかみをトントンと指で叩き、アキシャの思考回路を茶化したのだった。
「ラビリア、てめぇ……!」
「ぎにゃー! ごめ、ごめーん、ごめんって! 痛い痛い痛い!」
図星を突かれたアキシャは、顔を赤くしながら即座に反応した。汗ばんだ腕をラビリアの細い首に素早く回し、グリグリと絞め技をかける。アキシャの汗の匂いと体温を感じながら、ラビリアが情けない声を上げて抵抗するが……残念ながら抜け出せなかった。
アキシャは、その照れ隠しと仕返しを存分に味わうと、満足したようにパッと腕を解放した。ゼエゼエと息を整えるラビリアを尻目に、アキシャは再びウルバンに向き直る。その表情から、先程までの照れは消え、戦士の鋭さが戻っていた。
「……確かに武術を極めれば、もっと強くなれるかもしれねぇ。でもよ……」
アキシャはそう言った直後、唐突に踏み込んだ。模擬戦の後とは思えない、爆発的な踏み込み。汗をかいた彼女の身体が、一瞬にしてウルバンの懐に飛び込む。 放たれた右ストレートは、音すら置き去りにするほどの速度で、ウルバンの顔面スレスレを正確に貫き、その場でピタリと止められた。
ズシリと空気を圧迫するほどの拳圧。ウルバンはその琥珀色の瞳を見据えたまま、避けもせず、その拳を真っ直ぐに見据えていた。それはアキシャが剣術だけではなく、格闘術にも長けていることを示すには、充分過ぎる一撃だった。
その一部始終を見ていたエクアルが目を見開きながら、あたふたし始める。
「戦場では何が起こるか分からねぇ、武器が必ず手元にあるとも限らねぇ、だから何かに頼りすぎるのは危険だ」
アキシャは拳をゆっくりと下ろす。その表情は先程までの闘志とは違う、戦場を駆け巡ってきた者の静かな覚悟に満ちていた。
「どんなに技術を磨いても、最後の最後に追い詰められた時、信じられるのは自分の力と気合だけ……私はそう思うんだ」
その言葉に、ウルバンは彼女が潜り抜けてきた修羅場の数々を察する。
「……うむ。それもまた真理よ。ハッハッハ!」
武の神は、目の前の小さな勇士の覚悟を認め、心の底から豪快に笑い声を上げた。
一方で冷や汗をダラダラと流していたエクアルは、もうどうでもいいやと心底長いため息を吐き出すのだった。
※※※
時刻は日没直前。交易島の中央広場は、一日の終わりを告げる夕焼けの茜色に染まり、仕事を終えた島民たちや、露店の片付けをする商人たちの活気で賑わっていた。
パンの焼ける香ばしい匂いや、人々の楽しげな笑い声が、この島の平和を象徴しているようだった。
長老エルドと、彼に付き従う家政婦の若々しい女性が、買い出しの荷物を抱えながら、その広場をゆっくりと歩いていた。
「しかし、あの勇者様たちは本当に凄いですね。あっという間に、あの赤島までも浄化してしまわれるなんて」
家政婦が、荷物を抱え直しながら、心からの尊敬を込めて呟く。彼女の瞳には、あの三人の少女たちへの確かな信頼が宿っていた。
「うむ。あの方々は、この世界に訪れてくださった我々の救世主じゃ。……かつて、あの島々へ向かい、帰ってこなかった者たちの無念も、きっと晴らしてくださるじゃろう」
エルドは杖を持つ手にわずかに力を込めると、赤島があった方角の空を見上げ、遠い目をした。彼の脳裏にはわずかな希望を胸に旅立ち、二度とこの島に戻ることのなかった勇敢な者たちの顔が浮かんでいた。その悲劇を繰り返させなかった少女たちへの感謝は、計り知れない。
「それにしても……神様たちをここまで追い詰めた邪神様というのは、私たちが思うより遥かに恐ろしい存在なんですね」
家政婦の声が、畏怖の念でわずかに震える。エルドの脳裏にも、かつて文献で読んだ邪神の恐ろしさが蘇り、その表情が強張った。
「……そうじゃな。じゃが、ワシは思うんじゃ」
エルドは広場の中央で夕日を浴びて輝く噴水をチラリと見つめると、再びゆっくりと歩を進める。その皺の深い顔には、単なる恐怖とは異なる、深い思慮の色が浮かんでいた。
「邪神もまた、元は我ら人々の信仰から生まれた、五柱の神々と同じ存在だったのではないか……と」
「えっ……?」
家政婦が、そのあまりにも突飛な推測に驚き、思わず足を止めて目を見開く。
「もし、単なる邪悪なマナの塊でないのなら……いつか、五柱の神々と仲直りできる日が来るのかもしれん。滅ぼし合うのではなく……」
エルドは、淡くて切実な望みを口にして、再び茜色の空を見上げるのだった。
全てが破壊されるのではなく、いつかこの世界に真の調和が訪れることを、彼は心の底から願っていた。
「仲直りする未来なんて……ないよ?」
――その時だった。
凛とした、しかしどこか氷のように冷たい少女の声が、広場の喧騒を切り裂いて響いた。
「な……何者じゃ!」
エルドと家政婦が驚いて声のした方を見ると、いつの間にか、広場の噴水の縁に、一人の少女が腰掛けていた。
夕焼けの光を浴びて白銀に輝く、薄水色の長い髪。頭には花の神フローラとは異なる「黄色い薔薇」が咲いた茨の冠を戴いていた。ゆったりとした白色のワンピースが風になびいて揺れ動き、背中からはこの美しい広場にはあまりにも似つかわしくない、吸血鬼のような一対の黒い翼が生えていた。
少女はエルドたちを見つめると、楽しそうに、しかし輝きの一切ない緑色の瞳で、冷たく微笑んだ。
「だって、あの人たちは……トゥルタリア様に刃を向けたんだから」