The Sky Blessing ~Rabbit Edition~   作:ella_coat

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第47話 神器共鳴(3)

 絶望に染まっていた交易島の中央広場に、突如として重苦しい沈黙が落ちた。

 先ほどまで一方的な殺戮劇を演じていた「茨の天使」レクシエル。その可憐な顔は今、トドメの一撃を阻まれたことへの苛立ちと、目の前の現実を処理しきれない困惑で歪んでいる。

 そして、その天使の前に立ちはだかるのは、鮮やかな真紅のマントを夜風に翻した、紫色の巨躯を持つ異形の影――かつて赤島で死闘を繰り広げた守護者、ヘトゥケダゥだった。

 

「……は? どうして……アンタがここに? まさか、裏切ったの?」

 

 レクシエルの問いかけは、凍てつくような殺気を含んで投げかけられる。だが、ヘトゥケダゥはそれに答えることなく、自身の背後にいる少女たちへと意識を向けていた。

 エクアルは地面に倒れ伏しているラビリアに寄り添いつつ、その広い背中に向かって震える声を絞り出す。

 

「どうして……助けに来てくれたの……?」

 

 その隣で、ラビリアもまた仰向けに倒れたまま、霞む視界でその見覚えのある巨体を見上げていた。機械刀は遠くに弾き飛ばされ、動く力はほぼ残されていない。ただそれでも、目の前の存在が放つ魔力の揺らぎを捉えることはできた。

 

(あいつは……赤島で戦った……)

 

 ヘトゥケダゥは背中を向けたまま何も言わず、無造作に右手に握りしめていた一本の杖をエクアルの膝元へ放り投げた。

 カラン、と乾いた音が石畳に響く。

 それは、ねじれた古木をそのまま加工したかのような、歪なフック状の杖だった。その湾曲した杖の先端に取り付けられた淡い水色のオーブ……金色の装飾で固定されたその球体は、微かな魔力を帯びて、淡い明滅を繰り返している。

 

「『アモールの杖』だ。それを使って仲間の傷を癒やせ」

 

 腹の底に響くような、重厚な声。

 エクアルが震える手で杖を手に取る。杖からは、微弱だが確かな、春の日差しのような温かい生命力が伝わってきた。

 ラビリアが痛む身体を無理やり起こし、這いずりながらエクアルの手元を覗き込む。

 

「即効性はないけど……少ない魔力で、確実に身体を再生させる術式が組み込まれてる……。これなら、アキシャも……」

 

 ラビリアの言葉に、エクアルの瞳に希望の光が宿る。

 彼女は藁にもすがる思いで杖を強く握りしめると、血の海に沈む姉のもとへ駆け寄ろうと膝を動かした。今は冷たくなっていく姉の命を繋ぎ止める手段が与えられたことへの感謝と、一刻も早く治療を始めなければという焦燥だけが彼女を突き動かす。

 そんな彼女の切迫した気配を感じ取ったのか、ヘトゥケダゥが低い声で告げた。

 

「最低限の手当てが済んだら、すぐにこの場から離れろ。俺がレクシエルを引き受ける」

 

 そう言うとヘトゥケダゥはエクアルたちの返事を待たず、真っ直ぐレクシエルと対峙した。その真紅のマントが、戦場に吹き荒れる風ではためき、バサバサと音を立てる。

 

「逃げるって……! そんな……!」

 

 エクアルの叫びは、レクシエルの冷徹な声にかき消された。

 

「……そのウサギたちを庇う意味、分かってるの? まさかアンタまで、あの自分勝手な神々や、私利私欲にまみれた人間どもの味方をするつもりじゃないわよね?」

 

 レクシエルの美しい顔が、憎悪で悍ましく歪む。彼女の背後に広がる漆黒の翼から滲み出す闇が、彼女の怒りに呼応して渦を巻き、大気を震わせる。

 

「思い出してよ、ヘトゥケダゥ。あたしたちが、どんな目にあわされてきたか……アンタの仲間がどうなったか、忘れたわけじゃないでしょ?」

 

 その言葉に、ヘトゥケダゥの赤い瞳が細められた。過去の凄惨な記憶が脳裏に蘇る。

 かつて彼らが暮らしていた平和な土地、そこへ突如として侵略してきたのは異形の影が織りなす軍勢だった。

 抵抗虚しく蹂躙され、焼き払われた集落。耳にこびりついて離れない同胞たちの断末魔。そして、何も守れなかった自分への絶望。

 

「……忘れるものか」

 

 ヘトゥケダゥの声は低く、地獄の底から響く怨嗟のようだった。

 

「俺の守りたかった仲間は、アイツらによって無惨に踏みにじられた。その怒りと悲しみは、今もこの胸で消えることなく燃え続けている」

 

 彼は岩石のような拳を強く握りしめる。ミシミシと、自らの握力で皮膚の軋む音が鳴り響いた。

 

「あの日から俺は復讐者となり、憎悪に身を任せ、トゥルタリア様の尖兵として、数多の人間を葬り去ってきた。死体の山を築くことだけが、俺の空虚な心を埋める唯一の手段だった」

 

 その言葉には、血塗られた道を歩んできた者だけが持つ、重い業が宿っていた。しかし、彼はそこで言葉を切り、背後の少女たちへと意識を向ける。

 

「このウサギたちと対峙した時も……どうせ他と同じだと思っていた。力に溺れ、略奪を繰り返す愚かな種族だと」

 

 彼の脳裏に、赤島での死闘が鮮明に蘇る。

 傷つきながらも立ち上がり、互いを守ろうとした三人の姿。恐怖に慄きながらも一歩も引かず、自分よりも遥かに強大な敵に立ち向かってきた彼女たちの輝きに溢れた瞳。

 

「だが、違った。彼女たちは何かを守るために、何かを成し遂げるために、どんなにボロボロになっても諦めず、命を賭して俺に立ち向かってきた。その姿を見て、俺は思い出したのだ……仲間を守ろうとして戦う、戦士の誇りというものを。彼女たちが、俺が長い間忘れ去っていた『心』を思い出させてくれたのだ」

 

 その言葉に、ラビリアがハッとして顔を上げた。

 

 (……戦士の誇り)

 

 かつて敵対した魔神の口から語られる、あまりにも純粋で、熱い想い。

 だが、レクシエルはそれを鼻で笑い、冷たく吐き捨てた。

 

「綺麗事ね。でも、もうアンタには何も守るものはないでしょ? アンタはあたしと同じで、何ひとつ守れなかった敗北者なんだから。今更なにを言ったって……過去は変えられない」

 

 その残酷な指摘に対し、ヘトゥケダゥは静かに首を横に振った。

 

「いや、ある。守るべきものが、今ここにある。お前によって傷ついた、この小さな戦士たちだ」

 

 ヘトゥケダゥは一歩、前へと踏み出す。彼の両手が放つ魔力によって、広場がわずかに揺るいだ。

 

「あの時、敗北した俺は感じたのだ。彼女たちなら、この歪んだ世界の運命すらも変えられるかもしれないと。だから……今の俺が為すべきことは、彼女たちの未来を切り開くことだ!」

 

 その宣言は、交易島を震わせるほどの覇気を帯びていた。それは単なる決意表明ではなく、自らの魂を燃やして紡がれた誓いだった。

 レクシエルは一瞬、その覚悟に言葉を失ったように見えたが、すぐにその緑色の瞳を冷徹な殺意で塗りつぶした。

 

「……ふーん。そこまで言うなら、いいよ。トゥルタリア様に刃を向けるなら、たとえ同胞だろうと容赦はしない。アンタも、このウサギたちと一緒に殺してあげる」

 

 レクシエルの全身から、先ほどまでとは比較にならないほど鋭利で膨大な殺気が膨れ上がる。

 その殺気を受けて、エクアルは震える手で「アモールの杖」を強く握りしめた。これ以上、迷っている時間はない。彼が作ってくれた時間を、無駄にはできない。

 彼女は血だらけのアキシャに駆け寄ると、杖をかざした。淡い緑色の光が溢れ、アキシャの無惨な傷口を包み込み、ゆっくりと塞ぎ始める。

 ラビリアも痛みをこらえ、這いずってエクアルに近づくと、彼女の震える肩に手を置いて支えた。

 

「……信じよう、アイツの覚悟を」

 

 二人の少女は、背中で語る魔神の姿を、祈るように見つめた。

 

 

※※※

 

 

 戦端が開かれた。

 レクシエルが地を蹴り、一気に距離を詰める。ボロボロの身体、傷ついた脇腹とは思えない神速。彼女の手に握られた、夕焼けと黄金の輝きを宿す美しい剣が、一筋の閃光となってヘトゥケダゥの頭部へと迫る。

 ヘトゥケダゥは巨大な右手を盾にして、その斬撃を正面から受け止めた。

 

 

 ――ガィン!

 

 

 硬質な火花が散り、衝撃が大気を揺らす。

 間髪入れず、ヘトゥケダゥは左手をかざし、掌から紅蓮の火炎放射を至近距離で浴びせる。轟音と共に炎の渦がレクシエルを飲み込まんとするが、彼女は背中の黒翼を羽ばたかせ、優雅なバックステップで距離を取った。

 

「やるじゃん! 鈍重な図体のくせに!」

 

 レクシエルは空中で身をひるがえすと、指揮棒のように剣を振るった。

 地面が波打ち、無数の茨が一斉に生え揃う。それらは巨大な蛇のようにうねり、ヘトゥケダゥの身体を拘束しようと四方八方から襲いかかる。

 だが、ヘトゥケダゥは顔色ひとつ変えなかった。

 彼は巨大な右腕を振り回し、群がる茨の群れを鷲掴みにすると、その怪力任せにブチブチと引きちぎった。植物の繊維が弾け飛び、緑色の樹液が飛び散る音が響く。彼の圧倒的なパワーによって、レクシエルの生み出した茨は雑草同然のように扱われる。

 

 さらに彼は、右手の拳を瞬時に巨大化させると、ロケットのように射出する勢いで突き出した。ゴウッという風切り音と共に高速回転するその拳は、空気を抉りながらレクシエルを殴りつけようとする。

 レクシエルは咄嗟に回避しようとするが、脇腹の傷の痛みに一瞬顔をしかめる。三人との戦いでついた傷は彼女の動きを鈍らせていたのだ。

 彼女は完全な回避を諦めると、茨を網目のように編んで空中に網のような防護壁を作り、その拳を受け止める。

 

 

 ――ズドォォォォォォンッ!!

 

 

 衝撃で茨の盾が粉砕され、レクシエル自身も後方へと弾き飛ばされる。だが、空中で体勢を立て直した彼女の目は、嗜虐的な喜びに笑っていた。

 

「甘いよっ!」

 

 彼女の緑色の瞳が妖しく光り、握られた剣が黄金のオーラを纏う。トゥルタリアへの異常なまでの忠誠心が、剣に魔力として宿り、その輝きを膨れ上がらせる。

 そしてレクシエルは反撃するかのごとく突っ込み、目にも留まらぬ速さその剣を薙ぎ払った。

 

 ヘトゥケダゥの岩石のような強固な右拳に、深々と斬り傷が刻まれる。岩石がバターのように切断され、紫色の血が飛沫を上げて舞った。

 ヘトゥケダゥは拳を引き戻し、傷口から滴る血を見つめる。

 

「これが、忠義の一撃か……」

「……よく耐えたわね。普通なら、一撃で消し炭にされるのに」

 

 レクシエルは着地し、肩で息をしながらも余裕を見せる。だが、ヘトゥケダゥはそんな彼女を見据え、静かに告げた。

 

「ふん……威力は凄まじい。だが……お前も、迷いがあるんじゃないのか? 剣筋に乱れがあるぞ」

「……ふざけないでっ!!」

 

 痛いところを突かれたのか、レクシエルが激昂した。彼女は地面を蹴り砕き、空高く跳躍する。

 上空から黄金の剣を乱舞させると同時に、左手に持つ荘厳な杖を、眼下の四人へ向けた。杖の先端の宝玉が、禍々しい輝きを放つ。

 

「消えてしまえ!!」

 

 レクシエルの叫びと共に、地面からは槍のような鋭利な茨が突き出し、空からは魔法陣による無数の雷撃が降り注ぐ。逃げ場のない全方位からの飽和攻撃。

 

「させんッ!」

 

 ヘトゥケダゥは咆哮すると、三人をその巨躯の背後に完全に庇い、咄嗟に巨大化させた左手を天にかざした。

 彼を中心に、半球状の強力な炎の魔法障壁が展開される。

 

 ――ドガガガガッ!

 

 茨と雷の嵐が障壁に激突し、激しい衝撃音が連続する。炎の壁が揺らぎ、火花が散るが、ヘトゥケダゥは歯を食いしばって耐え抜く。

 攻撃の嵐が止み、土煙が晴れる。防ぎきることはできた。だが、その代償として莫大な魔力を消費し、ヘトゥケダゥの肩がわずかに揺れていた。彼の手の先からは、焦げた煙が上がっている。

 

 エクアルはアキシャの治療の手を止めずに、その背中を見つめ、悲痛な声を上げた。

 

「ダメ……! このままの調子で戦い続けたら、貴方の魔力はすぐに……!」

 

 みたところ、ヘトゥケダゥの両手には前の戦いでついたであろう凄惨な傷もまだ残されていた。このまま戦い続けては、自分たちと同じ運命をたどることは想像に難くないだろう。

 だが、ヘトゥケダゥは振り返らずに答える。

 

「構わん。これでいい」

 

 その直後、空中に浮かぶレクシエルの姿に異変が起きた。

 彼女の輪郭が、まるで接触不良の映像のように激しくノイズり、実体がブレて明滅したのだ。美しい姿が一瞬、透けて背景が見えるほどに希薄になる。

 

「っ…………!?」

 

 自らの身に起きた異変に、レクシエルの表情に明らかな焦りの色が浮かぶ。

 それを見たヘトゥケダゥが、確信を持って告げる。

 

「『タイムリミット』が近いようだな」

 

 ここは五柱の神々が守護する聖域。浄化され守護者の役目を終えたヘトゥケダゥならいざ知らず、邪神に忠誠を誓い、呪いを撒き散らすレクシエルがここに留まり続けるには、膨大な魔力と代償が必要だ。激しい戦闘による魔力の枯渇が、彼女の存在維持を困難にさせている。

 

「無理やり顕現しているお前に残された時間は少ない。俺の役目は、お前を倒すことではない。その時まで彼女たちを守り抜くことだ」

 

 図星を突かれたレクシエルは、美しい顔を憎悪で歪める。

 

「黙れ、下級天使風情が……! お前なんかが、時間稼ぎできると思うな!!」

 

 彼女は標的を変えた。ヘトゥケダゥではなく、その後ろで治療を続けているエクアルと、動けないラビリアへと。

 

「……こっちに来る!」

 

 ラビリアが叫ぶ。レクシエルが杖を振るうと、茨の大群がヘトゥケダゥを迂回し、二人に襲いかかる。

 だが、ヘトゥケダゥの反応はそれよりも早かった。彼は即座に身を翻して二人の前に割り込むと、茨を素手で引きちぎり、炎で焼き払い、防ぎきれない分はその巨躯を盾にして全てを受け止めた。

 茨の棘が彼の紫色の皮膚を裂き、血が流れるが、彼は微動だにしない。

 

 苛立ちを募らせたレクシエルが、黄金の剣に膨大な魔力を込め、自ら特攻を仕掛ける。

 

「どけぇぇぇッ!」

 

 猛スピードの斬撃の嵐。ヘトゥケダゥは両手を駆使してそれを受け止め続ける。

 

 強靭なはずの腕が切り刻まれ、紫色の血が舞う。それでも彼は一歩も引かない。岩のように、山のように、そこに在り続ける絶対的な守護者。

 

 攻めあぐねたレクシエルは、一瞬の隙を見て、エクアルたちの背後に回り込むと、鋭い刺突を放った。狙いは治療中のアキシャだ。

 

「なら、これはどう!?」

「させぬ……!」

 

 ヘトゥケダゥは振り返ることなく、背中の気配だけで反応した。彼は咄嗟に右手を背後に差し出し、三人を庇った。

 

 ――ズブリッ!

 

 鈍く、嫌な音がした。

 レクシエルの忠誠の剣が、ヘトゥケダゥの右手の甲を貫通し、掌まで深々と突き抜けたのだ。

 

 レクシエルは想像以上に素早く、そして迷いなく我が身を犠牲にするヘトゥケダゥの行動に舌打ちし、剣を引き抜いて翼を羽ばたかせ、一旦後ろへと距離を取った。

 手のひらを貫かれた激痛に、ヘトゥケダゥが顔をしかめ、巨体を揺らす。

 

 

 

 

 

 

 だがその時、柔らかな緑色の光が彼の傷ついた右手を包み込んだ。

 

「……ッ!」

 

 ヘトゥケダゥが驚いて見下ろすと、エクアルが震える両手で「アモールの杖」を掲げ、彼の方へ向けていたのだ。

 それは重傷を負っている最愛の姉、アキシャの治療を一時中断してでも戦う彼を救うという、常軌を逸した選択だった。自身の魔力などとうに枯渇している。それでも彼女は、自身の魂を削り取るようにして、治癒の光を紡ぎ出し続けていた。

 

「逃げろと言ったはずだ……なぜ俺に……」

「……自分たちのために戦ってくれている人を放っておけるほど、私の心は強くないんです……」

 

 エクアルは涙を溜めた瞳で、必死に言葉を紡いだ。その声は震えていたが、そこには決して揺らぐことのない芯が通っている。

 彼女は知っている。ここで彼を見捨てて逃げれば、自分たちは助かるかもしれない。だが、その代償に彼が傷つくことを「仕方がない」と割り切れるほど、彼女は器用にはなれなかった。誰かが犠牲になることで得られる安全など、彼女はいらないのだ。

 

「馬鹿みたいですよね? でも、ここで引いたら、一生後悔する気がして」

 

 ラビリアも痛む脇腹を押さえて身を起こし、そんなエクアルの姿を見て、ふっと優しく笑ってみせた。言葉はない。止めることもしない。ただその無謀で慈愛に満ちた選択こそが、自分たちが誇るべき仲間の姿なのだと、静かに肯定していた。

 

(…………本当に優しいよね、エクアルは)

 

 エクアルの言葉と、その手に宿る温かな光。それを受けたヘトゥケダゥは、細めた瞳をわずかに潤ませた。

 かつて自分が失い、絶望の中で見失っていた「仲間を守る」という純粋な意志。そして、永い間憧れ続けていた戦士たちの絆と誇り。それが今、目の前の小さな身体の中に確かに息づき、冷え切っていた彼の手を温めている。

 その温もりは、傷ついた彼の右手に染み渡るだけでなく、枯れ果てていた魂の奥底に、決して消えることのない種火を灯した。この命が尽きようとも、この想いだけは守り抜かねばならないという、新たな力の源を。

 

「……フッ、それだけで十分だ」

 

 ヘトゥケダゥは小さく呟くと、癒えかけた右手を強く握りしめ、再びレクシエルへと向き直った。その背中には、もう迷いなど微塵もなかった。

 

 

 対峙するレクシエルの姿に、再び激しいノイズが走る。おそらく彼女がこの島に滞在できる時間は、もうほとんど残されいない。彼女の身体が透け始め、この聖域から拒絶され始めている。

 レクシエルは歯を食いしばり、血が滲むほど唇を噛んだ。

 トゥルタリア様のために、ここで彼女たちを逃がすわけにはいかない。せめて、未来を断たなければ。自分が消える前に、この島に癒えることのない爪痕を残さなければ。

 

「……いいわ。あたしにこれを使わせたことを、誇らしく思うといいわ」

 

 彼女が剣を地面に突き刺すと、地面から百本近い幾多の茨が一斉に生え揃った。

 だが、その色は今までの鮮やかな緑ではない。彼女が忠誠の剣に、どす黒い呪いの魔力を注ぎ込むと、茨は一瞬にしてドロリとした黒色へと変色し、表面に黒紫色の稲妻を纏い始めたのだ。

 それは触れるだけで魂を腐らせる、呪詛の塊だった。

 

 その茨を前にして、ヘトゥケダゥの顔色が凍る。

 

(……まずいな。あの茨は恐らく、呪いの茨――あれを受けたらただでは済まない)

 

 自分の今の力、残された魔力では、完全に防ぎきれない。防壁を貫通し、後ろの三人にまで届いてしまうだろう。

 そして、あの茨をその身で受ければ、癒やすことの難しい強力な呪縛を引きずることは間違いないだろう。

 

 

 

 ヘトゥケダゥは即座に決断した。なら、受けるのは「自分だけでいい」。

 

 

 

 ヘトゥケダゥは背後のエクアルとラビリアに、背中越しに短く告げた。

 

「……呪いの茨だ。あれは俺が引き受ける。お前たちは手出しするな」

「え……?」

 

 彼は巨大な背中を向けたまま、しかしその声には確かな慈愛と信頼を滲ませて続けた。

 かつて絶望し、憎悪に身を焦がした魔神はもういない。そこにいるのは、次代の希望を信じる誇り高き戦士だった。

 

「お前たちなら、変えられるはずだ。この歪んだ世界も、悲しい運命も」

 

 彼の脳裏には、彼女たちが切り開くであろう、光に満ちた未来が浮かんでいた。それは、かつて自分が夢見ながらも守れなかった、温かな日々の続き。

 彼は握りしめた拳に力を込め、決して別れの言葉ではなく、再会の約束として告げた。

 

「俺は、その景色が見たい……だから、未来で待っている」

 

 エクアルがその言葉の意味を問い返す間もなく、レクシエルが絶叫した。

 

 

「アンタたち全員、トゥルタリア様に逆らったことを呪いの底で後悔しろぉ!!」

 

 

 黒い茨の槍が一斉に発射される。空を埋め尽くす、回避不能の死の雨。その全てが、一点の慈悲もなく四人へと殺到する。

 

「だめっ! 行かないで!」

 

 エクアルの悲痛な制止の声も聞かず、ヘトゥケダゥは前へと跳躍した。死の雨の真下、その一番激しい場所へと。

 そして、彼は高らかに宣言する。

 

 

 

 

「――『神器共鳴(アーティファクト・レゾナンス)』!!」

 

 

 

 

「なっ……神器を持たないアンタが、共鳴!?」

 

 レクシエルの驚愕の声が響く。

 ヘトゥケダゥの両手が眩い光に包まれ、強力な炎のオーラを纏った。彼の武器である両手が神器の代わりとなり、彼の中に蘇った戦士の誇りと共鳴したのだ。それは、かつて失い、そして彼女たちによって再び灯された、守るための力の具現。

 彼はさらに巨大化させた両手を交差させ、これまでとは桁違いの強度を誇る炎の障壁を展開した。

 

 

 ――ドガガガガガッ!

 

 

 黒い茨の槍が障壁に突き刺さる。炎と呪いが激しくせめぎ合い、火花と黒い稲妻が散る。空間が悲鳴を上げるような軋み音。

 だが、それでもレクシエルの執念と呪いの深さが、ヘトゥケダゥの防御を上回る。数本の茨が障壁を食い破り、ヘトゥケダゥの本体へと殺到した。

 

 鈍く、重い音が連続して響く。

 黒い茨が、ヘトゥケダゥの両腕を、肩を、そして胴体を容赦なく貫通する。

 

「ぐおおおおぉッ!!」

 

 苦痛の咆哮が上がる。肉を裂かれ、骨を砕かれる激痛。そして魂を直接焼かれる呪いの苦しみ。

 それでも彼は倒れない。一歩も退かない。

 ここで倒れれば、背後の小さき命が散ってしまう。それだけは、何があっても防がねばならない。かつて守れなかった同胞たちの二の舞にはさせない。

 彼は仁王立ちのまま、己の肉体そのものを最後の盾とし、全ての呪いをその身一つで受け止めた。

 

 全身に黒紫色の稲妻が走り、彼の肉体と魂をジジジと焼き焦がし、蝕んでいく。視界が闇に染まり、意識が遠のく中で、彼は背後に感じる三つの気配が無事であることを確信した。

 全ての茨を受けきった瞬間、ヘトゥケダゥの身体から力が抜け、巨木が倒れるように崩れ落ちた。

 

 

 ――ズシン。

 

 

 彼はそのまま、地面を転がり、動かなくなった。

 

 

※※※

 

 

 ありったけの魔力を使ったレクシエルもまた、限界を迎えていた。

 その場にへたり込み、身体が足元から光の粒子となって崩れ始める。交易島への強制的な顕現を維持する力が、ついに尽きたのだ。

 

「ごめんなさい……トゥルタリア様……」

 

 彼女は悔し涙を流しながら、夜空を見上げる。その瞳には、主への変わらぬ忠誠と、深い悲しみが宿っていた。

 やがて彼女の全身は光となって弾け、夜空へと溶けて消えていった。

 

 

 レクシエルの気配が消え、静寂が戻った広場。

 エクアルはアキシャを横たえさせると、よろめきながらヘトゥケダゥのもとへ駆け寄った。ラビリアも足を引きずりながら、ゆっくりとそれに続く。

 

「ヘトゥケダゥさん! しっかりして!」

 

 エクアルが叫ぶ。だが、目の前の光景に息を呑んだ。

 彼の身体は無数の黒い茨に貫かれ、傷口からは呪いの稲妻がバチバチと音を立てて迸り、身体を蝕み続けている。

 エクアルが治療しようと触れようとするが、バチッ! と稲妻が弾け、彼女の手を拒絶した。

 

「……ッ!」

「多分、呪いが強すぎて触れない……。これじゃ、まともな治療も……」

 

 ラビリアが絶望的な声を漏らす。癒やすどころか、触れることさえ叶わない。

 ヘトゥケダゥは、薄く目を開けた。その視界は呪いによって霞み、闇に包まれつつあったが、目の前で泣きそうな顔をしている二人と、少し離れた場所で本当にわずかだが呼吸をしているアキシャの無事は確認できた。

 

 彼は満足げに、微かに口元を緩める。

 

 

(守れたか……。これで、俺の罪も……少しは……)

 

 

 遠い昔、守れなかった同胞たちの顔が浮かび、そして消えていく。今度こそ、守り抜くことができた。その事実が、彼の傷ついた魂を静かに満たしていく。

 彼は何も言わず、静かに目を閉じた。守護者としての役目を全うして――

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