The Sky Blessing ~Rabbit Edition~ 作:ella_coat
アキシャが差し伸べた手を、自警団の男性はためらいがちに、しかし固く握り返して立ち上がった。彼は自身の服についた土を払いながら、三人の少女たち、特に目の前の白兎の少女に深々と頭を下げる。
「……ありがとう、アキシャさんとお二人さん。あなた方のおかげで皆、無事だ。何と言って礼をすればいいか……」
「気にすんな。ああいう胸糞悪い奴らが嫌いなだけだ」
ぶっきらぼうにそう答え、アキシャは誇らしげにふふんと笑ってみせた。
「まぁ……無視できなかったよねー。世界のどこに行っても、理不尽の総量は変わらない……私たちは、その理不尽のバランスを弄ることしかできないのだー」
「理不尽の……バランス?」
ラビリアの独特な表現に自警団の男性は首を傾げる。
そんなやり取りを見て、物陰から様子をうかがっていた島民たちが、おっかなびっくり、しかし感謝の念に満ちた目で三人に近づいてくる。先ほどまでの恐怖と警戒は、感謝の念へと変わっていた。
「助かったわ……本当にありがとう!」
「なんて強さなんだ……あんなに大勢いた盗賊を、たった三人で……」
「ありがとう、お姉ちゃんたち!」
口々に感謝の言葉を述べる島民たちに、アキシャは少し照れくさそうに、しかし嬉しそうに頭を掻いた。
広場は、戦闘と盗賊の襲撃によって、見るも無残な状態だった。襲撃された露店は無残に壊れ、売り物だったであろう色とりどりの果物や雑貨が石畳の上に散らばっている。
「ほっとくわけにもいかねぇな」
アキシャはそう言うと、黒いロングコートの裾を翻し、率先して一番大きな瓦礫の撤去を始めた。赤いショートパンツから伸びる、しなやかな脚の筋肉が躍動する。その姿を見て、ラビリアもやれやれといった風に肩をすくめた。
「んー……面倒だけど、仕方ないね。人助けの後は、後片付けまでがセット、みたいな?」
彼女はそう呟くと、ベージュのコートの袖をまくり、器用な手つきで壊れた露店の修理に取り掛かる。灰色のスカートが、その軽やかな動きに合わせてひらひらと揺れた。
エクアルは、戦闘のショックで座り込んでいる子供や、軽い怪我をした島民に駆け寄っていた。彼女は青いスカートの裾を気にしながらしゃがみ込むと、優しい言葉をかけながら、その手に淡い光を灯す。初歩的な治癒魔法だが、擦り傷程度の怪我ならば、たちどころに塞がっていく。
彼女たちのその行動に、最初は戸惑っていた島民たちも、やがて一人、また一人と復旧作業に加わり始め、絶望に沈んでいた広場には、少しずつ活気が戻り始めていた。
※※※
そんな復旧作業が一段落した頃だった。
先ほどの自警団の男性が、一人の老人を伴って広場にやってきた。その老人の姿を見た島民たちは、皆、自然と道を開け、敬意を込めて頭を下げる。その様子を見るに……あの老人がこの島の、相当な要人であることは間違いなかった。
「おっ、なんだなんだ?」
広場の雰囲気の変化に気づいたアキシャが、怪訝そうに首を傾げる。
老人は、三人の前にゆっくりと進み出ると、その深く刻まれた皺の一つひとつに優しさを滲ませながら、深々と一礼した。豊かに蓄えられた長い白髭が、地面に届きそうなほど垂れている。
「ようこそ、人間の文明が栄える最後の島『交易島』へ。ワシはこの島の長老、エルドじゃ」
老人は顔を上げ、その澄んだ灰色の瞳で三人を真っ直ぐに見つめた。
「心より感謝するぞ。皆様方は、ワシらにとっての救世主じゃ」
「いえ、私たちは、ただ当たり前のことをしたまでですので」
エクアルが代表して、丁寧な言葉を返す。エルドは穏やかに頷いた。
「その当たり前を、当たり前に行えることが、どれほど尊いことか。皆様のような御方がおられなければ、きっと何かしら大切な物が失わていたことでしょう……」
エルドが真剣な面持ちで語っている、まさにその時だった。
ぐぅぅぅ~~……。
静けさが漂う広場に、あまりにも盛大な腹の虫の音が響き渡った。音の発生源は、言わずもがなアキシャだった。
「……あ、あはは」
アキシャは顔を紅潮させると、ばつの悪そうに自分のお腹をさすった。その隣でラビリアがくすくすと肩を揺らし、エクアルはこめかみを押さえて天を仰いでいる。
その微笑ましい光景を見て、エルドは目尻の皺をさらに深くし、朗らかに笑った。
「はっはっは、どうやら……お腹が空いているようじゃな。せっかくじゃし、ワシの家でご飯でも食べていかぬか?」
「いいのか、じいさん! やったー! じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうぜ!」
アキシャがはしゃぐ傍ら、エクアルが慌てて頭を下げる。
「も、申し訳ありません、エルドさん! 姉が、その……はしたない真似を!」
「いえいえ、とんでもない。むしろ、ワシらのために戦ってくださったのじゃからな。腹も空くじゃろうて」
「ん……私もお腹空いた、ご飯ちょーだい」
「ラヴィまで……」
三人の反応にエルドはますます愉快そうに笑うと「ささ、こちらじゃ」と杖を片手に、ゆっくりと歩き始めたのだった。
※※※
エルドに案内され、三人は島の中心付近にそびえる大木の下にやってきた。その太い幹には、まるで建物の一部であるかのように、美しい螺旋階段が設けられている。見上げれば、上層部の枝々の間から、温かな光が灯る家の屋根が見えた。まさにツリーハウスだ。
家の中に入ると、木の温もりに満ちた、広く落ち着いた空間が広がっていた。壁一面の本棚や、暖炉の柔らかな火が、この家の主の穏やかな人柄を物語っているようだった。
「どうぞお座りくだされ。すぐに食事の用意をさせますからのぅ」
エルドはそう言うと、奥の部屋に控えていた家政婦らしき女性と共に、手際よく食事の準備を始めた。
やがて、大きなテーブルの上には、湯気の立つご馳走が所狭しと並べられていく。
「うおー! 美味そうなシチューじゃん!」
アキシャは、テーブルの中央に置かれた大皿の肉シチューに目を輝かせた。ゴロゴロと入った肉と野菜が、食欲をそそる香りを漂わせている。
「おーーー! このキノコ、初めて見る種類だね。……ふむ、色と傘の形が独特。これはきっと美味しいに違いない……!」
ラビリアは、バターでソテーされた、艶々と輝く真紅のキノコに釘付けだった。
エルドの合図で食事が始まると、アキシャとラビリアによる静かな、しかし熾烈な争奪戦が繰り広げられる。
「あ、その肉、私が狙ってたやつ!」
「……早い者勝ちだもん。世の中、そういうもの」
最後の一切れとなった肉をフォークで突き刺そうとするアキシャ。それを、ラビリアが涼しい顔で横からかっさらう。火花を散らす二人を、エクアルが呆れ顔で諌める。
「お姉ちゃん、ラヴィ、なぁにしてるのよ! もう……長老様の前なのにぃ」
エルドはその光景を、まるで可愛い孫娘たちを見るかのように、ただ微笑ましく見守っていた。
※※※
食事が一段落し、香り高いお茶が運ばれてきたところで、エルドがふと真剣な表情になった。
「そう言えば、先ほど皆様方が退けてくださった盗賊団のことじゃが。あやつらは、穢れたマナが生み出した魔物のようなものなのじゃ」
「穢れたマナによって生まれた魔物……ですか?」
「うむ……この世界には邪神がいてのぅ、彼の者が世界の島々に呪いを掛けたのじゃ……そしてその呪いがマナを穢し、魔物を生んでいるのじゃ」
その言葉に、三人の表情も引き締まる。
「邪神……そりゃ魔王みたいなもんか?」
「うむ。その御名を知ることすら忌むべき存在じゃ。それ故に、我ら人間が安全に暮らせる場所は、もはやこの交易島くらいしか残されておらんのじゃ」
エルドの話を聞き終えたエクアルが、代表して自分たちの目的を打ち明ける。
「実は私たち……別の世界から来たんです」
「別の世界から? ふむぅ、まるでおとぎ話のようじゃな」
「でも本当なんです! この世界で発生している『歪み』を調査し、正すためにやってきたんです。先ほどの魔物たちも、その歪みが原因なのかもしれません」
「世界の歪み……もう少し詳しく聞かせてくれぬか?」
エルドの灰色の瞳が、鋭く光った。
「はい。世界そのものが、本来あるべき姿からズレてしまっているような……そんな状態です。私たちはその原因を突き止め、元に戻すために旅をしています」
「……ふむ。その歪みとやらは、いつ頃から?」
ラビリアが、会話に加わった。彼女の瞳には、いつもの眠たげな色はなく、探究者の光が宿っている。
「正確な時期は不明だけど……かなり大規模で、根深いものであることは確かだね。この世界の法則そのものに、何らかの異常が発生してる感じ。……その邪神ってのが現れた時期と、何か関係があったりする?」
「うぅむ……邪神が現れたのは、もう随分と昔のことじゃが……それからというもの、この世界は少しずつ、しかし確実におかしくなっていった。皆様方が言う『世界の歪み』こそが、邪神の力の源やもしれぬ……」
エルドの言葉に、エクアルとラビリアは顔を見合わせる。
「邪神の呪いは……島々に置かれた『呪われた神器』によるものと聞いたことがあるが、それを解くことこそが『世界の歪み』を正す鍵なのかもしれぬな」
エルドの言葉にエクアルが同意しようとした、まさにその時だった。
彼女は、ふと、ツリーハウスの開け放たれた窓の外に、人の気配を感じた。視線を向けると、月明かりに照らされた太い木の枝に、一人の美しい金髪の若い女性が、まるで絵画のように腰掛けているのが見えた。その女性は、エクアルと目が合うと、悪戯っぽく微笑み、サッと姿をくらます。
「……今の、誰?」
エクアルが警戒しながら呟いた、その時だった。ふわり、とさわやかな香りがしたかと思うと、音もなくエクアルの隣の空席に、先ほどの金髪の女性が座っていたのだ。
あまりの神出鬼没さに、アキシャは即座に椅子を蹴って立ち上がり、ラビリアは驚きに目を丸くする。
だが……一番驚いていたのはエルドだった。彼は椅子から転げ落ちんばかりの勢いで立ち上がると、その場で深々と頭を垂れた。
「ル、ルーモア様! なぜこのような場所に……!?」