The Sky Blessing ~Rabbit Edition~ 作:ella_coat
アキシャの現状把握が済んでから暫くした後、エルド長老宅の広々としたリビングを借り切って作戦会議が行われることとなった。
中央に置かれた大きなテーブルを囲むようにして、アキシャ、エクアル、ラビリア、そしてこの世界の理を司る二柱の神――ウィ=キとルーモアが立っている。家主である長老エルドと家政婦は、神々と勇者の話し合いに立ち入るべきではないと判断し、気を利かせて席を外してくれていた。
テーブルの上には、以前に長老とウィ=キが協力して作成した巨大な空域図が広げられている。古びた羊皮紙には、繊細なインクの線で幾多の島々が描かれ、赤島攻略以降に三人が浄化した島々の情報が、新たな筆跡で書き加えられていた。
ウィ=キはフードの奥にある翡翠色の瞳を細め、その理知的な声で会議の開始を告げる。
「さて、まずは現状の確認から始めようか。君たちが命懸けで積み上げてくれた成果をね」
彼は白いローブの袖を正しながら、細い指先で地図上のポイントを順になぞっていった。指し示された場所には、それぞれ特徴的なアイコンと共に、浄化済みであることを示す赤いチェックマークが記されている。
「赤島の浄化以降、君たちが解放してくれた島は七つ。『虹島』、『空賊島』、『ピアノ島』、『暗黒島』、『花壇島』、『シアター島』、そして『悪党島』だ」
それぞれの島の名前が挙げられるたび、アキシャの脳裏に鮮烈な記憶が蘇る。包帯の巻かれた太ももを無意識にさすりながら、彼女は深く頷いた。治療のために着崩した白シャツの襟元から、痛々しくも美しい鎖骨が覗く。
「『虹島』の豪雨はきつかったな……びしょ濡れになりながらの戦闘はもうしたくねぇ。『ピアノ島』のあの頭がおかしくなりそうな曲も、思い出すだけで寒気がする」
「『暗黒島』の水晶は本当に綺麗だったねー、もっと持って来ても良かったなぁ。『シアター島』は……うん、仕組みがちょっと不気味だったけど、面白かったよねー」
ラビリアが地図上の『暗黒島』の水晶マークを指先でなぞりながら、相槌を打つ。彼女の頬には白いガーゼが当てられているが、その表情はいつものマイペースさを取り戻していた。
エクアルは真剣な表情で地図を見つめ、確信を持って言葉を紡ぐ。
「どの島も、呪いが解けて本来の姿に戻ったわ。もう、あの島々から魔物による被害が出ることはないはずよ」
彼女たちの獅子奮迅の活躍により、交易島周辺の空域の安全は着々と確保されつつある。その事実は、力を取り戻しつつある神々にとっても喜ばしいことだった。
だが、ルーモアだけは手放しで喜べないのか、神妙な面持ちで口を開いた。彼女の紫色の瞳には、深い懸念の色が滲んでいる。
「そう言えば……この前にエクアルから聞いたんだけど、『虹島』を浄化した直後、『空賊島』の魔物たちが襲ってきたんでしょ?」
その問いに、エクアルはハイドロスタッフを握る手に力を込めた。
「ええ。まるで私たちが弱るのを待ち伏せしていたみたいに。あれは、もしかして――」
「うん、多分レクシエルの仕業だと思う。あの子……レクシエルは、恐らく『虹島』や『空賊島』よりも、もっと遠くの北西の空域に拠点を構えているはずよ」
ルーモアは地図の端、まだ詳細が描かれていない未開拓領域、遥か彼方の空を指差した。雲海に覆われたその先を見通すように、遠い目で語る。
「昔、あの子が住んでいた島は確か、この辺りにあったはずだから……」
「ふむ。だが、その辺りはまだマナが不安定で、僕の力でも完全には観測できていない。彼女の正確な居場所を特定するには、もう少し周辺の島を浄化して、空域の観測範囲を広げる必要があるだろうね」
ウィ=キが冷静に分析を加える。情報はまだ曖昧だが、進むべき方向性は見えた。北西の彼方、雲海の向こう側に、倒さねばならぬ宿敵が潜んでいる……と。
※※※
しかし残念ながら……問題は、圧倒的な力でこの島を蹂躙しようとしたその宿敵だけではなかった。
現状確認を終えると、ウィ=キは表情を引き締め、残酷な現実を三人に突きつける。
「それと……これも伝えておかないとね。今回、君たちを死の淵まで追い詰めたレクシエルだが……彼女は、トゥルタリアに仕える上級天使のうちの一人に過ぎない」
その言葉を聞いた瞬間、アキシャの声が裏返った。
「……は? あんなバケモノが、他にもいるってのか?」
現時点の自分たちでは敵わなかった圧倒的な力と、次元の違う魔力を持つ天使。あんな存在が、一人ではないというのか。
ウィ=キはアキシャの動揺を肯定するように頷く。
「僕も他の天使については詳しく把握していないが……少なくとも、レクシエルと同等、あるいはそれ以上の力を持つ存在は間違いなくいるね」
淡々と告げられた事実に、ラビリアが露骨に顔をしかめた。
「うわー……ソイツらと出くわす度に死にかけるのは、勘弁してほしいなー。身体がいくつあっても足りないよ」
「だからこそだ。君たちには、もっと『実力』をつけてもらう必要がある」
ウィ=キの言葉は、単なる精神論ではなかった。彼は明確な根拠を持って断言する。
「島の浄化が進めば、この世界のマナの循環が正常化し、僕たち神々の力も戻ってくる。そうすれば、君たちにより強力な祝福を授けることができるはずだ」
その言葉にエクアルは頷きつつ、アキシャとラビリア向けに補足する。
「私たちの『能力解放度』も、神々の祝福が強まるのと同時に上昇したことを考えると……強くなるのに島の浄化は必須ね」
実際、彼女たちの「能力解放度」は島を攻略する度に上昇している。その数値は現時点で一・八パーセント、一見少ないようにも思えるが……この世界に来たばかりの時よりは格段に強くなっている。
「ヘトゥケダゥを救うための『生命の一雫』を探すにしても、結局は広範囲の探索が必要になる。そして、より広範囲を観測するためにも島の浄化が必須……全ての道は繋がっているみたいだね」
「要するに、もっと多くの島を浄化して、強くなればいいんだな? 話が簡単で助かるぜ」
アキシャはニッと笑い、拳を掌に打ち付けた。複雑な理屈よりも、やるべきことが明確である方が彼女には性に合っている。
そんなアキシャの様子を見て、ラビリアがからかうように彼女の白い髪を撫でた。
「ふふっ、脳みそが筋肉のウサギでも分かりやすい話でよかったねー、アキシャ」
「うるせぇ! そんなに馬鹿じゃねぇよ! 撫でるな!」
アキシャが顔を赤くして怒るが、その表情に迷いはなかった。
ウィ=キはそのやり取りを微笑ましく見守りつつ、言葉を結ぶ。
「それに、島の浄化は交易島の安全確保にも繋がる。聖域の結界を強化すれば、レクシエルがしてきたような強引な侵入も防げるようになるだろう」
※※※
方針が再確認できたところで、ウィ=キは地図上のいくつかの島をピックアップし、紹介を始めた。
「空域図に載っている観測可能な島で、かつ浄化する価値がありそうな島は……この五つかな。『爆弾島』、『温泉島』、『桜島』、『吹雪島』、そして『お菓子島』」
ウィ=キが地図の上に記されている未浄化の島を指差しながら、それぞれの島の特徴を簡単に解説していく。最初に彼の指が止まったのは、黒い火薬を模したようなアイコンが描かれた島だった。
「『爆弾島』は、その名の通り爆発物で溢れかえった危険地帯だ。常に爆発音が絶えないらしく、一歩間違えれば消し飛ぶような場所だね」
そのあまりにも物騒な名前と説明を聞いて、普通ならば恐怖するところだが……アキシャの琥珀色の瞳は、まるで新しい玩具を与えられた子供のようにギラリと輝いた。彼女はテーブルに身を乗り出し、食い入るように地図を見つめる。
「お、面白そうじゃん! 派手にぶっ飛ばせそうだな! ストレス発散には丁度よさそうだぜ」
「爆発物……いいねぇー。もしかしたら、新しいグレネードの素材が手に入るかも」
ラビリアもまた、未知なる素材への好奇心を刺激されたのか、興味津々といった様子で身を乗り出して同意する。
そんな命知らずな二人の反応に、エクアルは信じられないものを見るような目を向け、呆れを通り越した深い憤りを滲ませてため息をついた。
「あのね、爆発物で溢れかえっているのよ? 一歩間違えれば大怪我するような場所なんだけど……分かってる?」
「どうせ爆発するなら、ちゃっちゃと爆発させればいいんだよ! そうすれば安全だろ?」
「お・ね・え・ちゃん……?」
ジト目のエクアルに詰め寄られたアキシャは、口を尖らせながら視線をそらした。ウィ=キはそんなやり取りを横目に、淡々と次の島へと指を滑らせた。
「次はここだ。『温泉島』は比較的安全な島で、人間も住んでいるらしい。名前の通り、温泉があるから、傷を癒やすにはいいかもしれないね。その隣の『桜島』は……美しい桜が咲いている島という以外、詳細は不明だ」
ウィ=キの説明が続き、彼の指が地図の中でも、寒色系の色で塗られたエリアへと移動する。
「そして……『吹雪島』」
その名が出た瞬間、エクアルの肩がピクリと震えた。ウィ=キが指差す先にあるのは、激しい雪嵐のマークが描かれた島だ。
「『吹雪島』……以前、私たちがコーラスフラワー島へ向かう途中で遭遇した、あの猛烈な吹雪の元凶ですね」
エクアルの声が少し硬くなる。脳裏に蘇るのは、あの時の骨まで凍てつくような寒さと、仲間とはぐれた時の心細さ、そして死の淵を覗いた恐怖の記憶だった。
「その通りだ。『赤島』浄化後に観測した島の中では最も環境が過酷な島だろうね。環境改善のためにも、早めに浄化しておきたい場所だ」
ウィ=キはエクアルの緊張を察したのか、短く肯定すると、最後に可愛らしいキャンディのマークが描かれた島を指差した。
「最後はここ。『お菓子島』。かつてお菓子の国と呼ばれた観光地の成れ果てだそうだ」
その甘美な響きに、先程まで爆発物に夢中だったアキシャが、今度は別の意味で食いついた。彼女のウサ耳がピコピコと動き、口元がわずかに緩む。
「お菓子の国? へぇ、じゃあそこら中にお菓子が生えてたりするのか? 壁がクッキーだったり、川がジュースだったりとか」
「ああ。まだ世界が地続きだった頃、子供たちに人気の観光地があったらしい。そこが島となって残ったのだろう。当時の名残であれば、甘いものはふんだんにあるはずだよ」
ウィ=キの説明を聞き、アキシャとラビリアは顔を見合わせてニヤリと笑う。だがウィ=キはそこで一度言葉を切り、地図から手を離して咳払いをしてみせた。
「――とりあえず、直近で浄化を推奨する島は以上だ」
ウィ=キの区切りの言葉で、場の空気が再び引き締まった。
暫しの静寂が流れた後、エクアルはふと思いついた、今回の作戦会議における核心とも言える質問を神々に投げかけた。
「……ねえ、ルーモア様、ウィ=キ様。この空域図に載っている島の中で、天使がいそうな島はありますか? 『赤島』の時のように、事前に分かれば警戒できると良いんですけど」
エクアルの問いかけに対し、ウィ=キは顎に手を当て、少しの間沈黙したが……やがて首を横に振った。
「申し訳ないけど、分からないね。各島のマナ反応は感知できても、個別の存在までは特定できないんだ」
ウィ=キの素っ気ない返答に、室内の空気がわずかに沈む。だが、それまで地図の端を見つめて沈黙していたルーモアが、おずおずと口を開いた。
「……たぶん、『お菓子島』にはいるかもしれないわ」
「なんで分かるんだ?」
アキシャが不思議そうに尋ねると、ルーモアはどこか遠い過去の情景をその瞳に映すように、少しだけ目を細めてしみじみと語った。
「昔……お菓子の国には、みんなを笑顔にするのが大好きな、守護者のような子がいた気がするの。もしかしたら……トゥルタリアの手下になっているかもって」
その言葉には単なる推測以上の、確信めいた響きが込められているように聞こえた。
――その時だった。
回想に浸るルーモアの横顔を、隣に立つウィ=キが一瞬だけ、氷点下のような冷ややかな視線で睨みつけたのだ。
それはほんの一瞬、瞬きをする間に消えてしまうほどの短い出来事だった。だが常に周囲を警戒しているエクアルの瞳は、その凍てついた視線を見逃さなかった。
ウィ=キの表情はすぐにいつもの表情に戻っていたが、その一瞬見せた底知れない冷たさは、エクアルの背筋をぞくりとさせるのに十分だった。
(……今の目は、なに?)
神々の間に流れる、言葉にできない不穏な空気。エクアルは内心の疑念と動揺を必死に押し隠し、努めて明るく声を張ることで、その場を収めようとした。
「わ、分かりました。それなら、『お菓子島』は最後に回しましょう。天使がいる可能性があるなら、他の島で力をつけてから挑むのが確実です」
※※※
会議が終わり、方針が固まった頃合い。部屋の空気が少し緩んだ隙を突いて、エクアルはずっと胸につかえていた疑問を、勇気を振り絞って口にした。
「……あの、一つ聞いてもいいですか?」
その声のトーンが、ただ事ではないと告げている。
隣にいたアキシャは組んでいた腕を崩すと、真剣な眼差しで妹の横顔を見つめた。ラビリアもまた、いつもの眠たげな雰囲気を霧散させ、その瞳でエクアルと神々の様子を静かに観察する。
「レクシエルは……貴方たちがトゥルタリアを見捨てた、見殺しにしたと言っていましたよね? その……過去に何があったんですか?」
エクアルの言葉が放たれた瞬間、ルーモアがビクリと肩を震わせた。
明るく振る舞っていた彼女の表情が凍りつき、視線が床を彷徨う。それは、触れられたくない古傷を暴かれた者の反応だった。
「……レクシエルの憎悪は異常でした。あそこまで深く、激しい憎しみを抱くには……なにかしら、決定的な理由があるはずです」
その鋭い指摘にルーモアはさらに小さくなる。言いたいけれど言えない、真実を告げれば何かが壊れてしまう、そんな苦しい葛藤が……彼女の美しい顔を痛々しく歪ませていた。
「そ、それは……。それは……実はね……」
ルーモアが震える唇を開きかけ、何かを吐露しようとした、その時だった。
「――それは、彼女の妄想だよ」
ルーモアの言葉を遮るように、ウィ=キが氷のように冷たく言い放った。
「え……?」
「トゥルタリアは、人間を滅ぼし、魔物による死の世界を作ろうとしている邪神だ。そしてレクシエルは、そんな邪神を盲信する狂信者に過ぎない」
ウィ=キの表情は鉄仮面のように動かない。翡翠色の瞳は冷徹な光を放ち、そこからは何の感情も読み取れなかった。
「彼女の言葉に耳を傾ける価値はない。惑わされてはいけないよ」
「ウィ=キ……」
ルーモアが悲痛な呟きを漏らして彼を見るが、ウィ=キはそれを無視して言葉を続ける。
「今回のヘトゥケダゥの件もそうだ。彼は恐らく、邪神によって洗脳され、操られていただけなのだろう。レクシエルもまた、同じように記憶や感情を歪められているに違いない」
それはまるで「真実」であるように、ウィ=キの口から淡々と語られる。だがエクアルにとって、それはあまりにも綺麗に整いすぎた、空虚な「虚構」のように感じられた。
命を賭して自分たちを守ったヘトゥケダゥの誇り、血を流しながら主への愛を叫んだレクシエルの悲哀。それら全てを「洗脳」という便利な言葉で片付けるには、彼らの感情はあまりにも生々しく、そして切実だったからだ。
エクアルは拳を握りしめる。今、聞かなければならない。
自分の中で組み上がった一つの仮説を、エクアルは震える声でぶつけた。
「……トゥルタリアは、もともとは貴方たちの仲間……だったんじゃないですか?」
その瞬間、部屋の空気が凍りついた。
時間が止まったかのような沈黙。アキシャは息を呑み、ラビリアも手元で弄っていたマギスフィアを思わず握りしめる。
ウィ=キは表情を一切変えぬまま、静かに目を閉じた。長い、重苦しい沈黙がリビングを支配する。
そして、彼は目を開けることなく、静かに告げた。
「……君たちは、それ以上踏み込むべきではないよ」
それは明確な拒絶であり、彼女たちへの警告だった。だがその声色は、先程までの冷徹さとは異なり、不思議と優しく、そしてどこまでも悲しげに響いた。
これ以上知れば、君たちも傷つくことになる。後戻りできなくなる。そんな、彼なりの不器用な優しさが込められているように、エクアルには感じられた。
「……話は以上だ。行くよ、ルーモア」
ウィ=キは踵を返すと、気持ち足早に部屋を出ていく。
ルーモアも、アキシャたちに何かを言いたげな潤んだ視線を一瞬だけ向けたが……無言で彼の後を追っていった。
バタン、とドアの閉まる音が静まり返った部屋に大きく響く。
残されたアキシャたちは、神々の去った扉を、呆然と見つめることしかできなかった。