The Sky Blessing ~Rabbit Edition~   作:ella_coat

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第51話 気まぐれの助言

 長老エルドの家での作戦会議を終え、交易島の拠点へと帰還した後。

 窓の外はすでに深い夜の闇に包まれていたが、寝室にはランプの温かなオレンジ色の光が満ちていた。

 静寂な部屋の中で、衣擦れの音だけが微かに響く。エクアルはベッドの縁に腰掛けたアキシャの背後に回り、彼女の傷ついた身体に新しい包帯を巻き直していた。

 

 治療のためにシャツを脱いだアキシャの上半身は、月明かりの下で透き通るように白く、滑らかだった。鍛え上げられた背中のラインはしなやかで美しく、健康的な筋肉が薄く乗っている。

 包帯の隙間から覗く柔らかな胸元の膨らみや、華奢な鎖骨のくぼみは、彼女が戦士である以前に魅力的な女性であることを静かに主張しているようだった。だが、その白い肌にはレクシエルとの死闘で刻まれた無数の傷跡が痛々しく残り、薄紅色の痕が彼女の激闘を物語っている。特に脇腹の刺し傷は深く、慎重に消毒を済ませたばかりの傷口からは、まだじわりと赤い血が滲んでいた。

 

「お姉ちゃん、じっとしてて。まだ傷口が完全に塞がりきっていないんだから、急に動くとまた開いちゃうわよ」

 

 エクアルは包帯を巻く手つきこそ慈愛に満ちて優しいが、その表情は真剣そのもので、少しでも姉の負担を減らそうと必死に手当を続けていた。

 

「痛っ……! わ、わかってるけど……そんなにきつく巻くなって、息ができねぇだろ」

 

 アキシャはわずかに顔をしかめ、身体を強張らせる。レクシエルの茨に貫かれた時の、内側から焼かれるような痛みが、未だに幻痛として神経を刺激しているようだった。

 

 その隣にあるエクアルのベッドには、ラビリアがちょこんと腰掛け、足をぶらぶらさせながらその様子を眺めていた。彼女もまた頬にガーゼを当て、腕に包帯を巻いた姿だが、二人のやり取りをどこか微笑ましそうに見守っている。

 

「だがまあ……今まで自分がどれだけ『月の加護』に甘えてたか、よく分かったな。痛ぇのは慣れっこだが……こうも続くとな」

 

 アキシャが自虐的に笑い、肩をすくめる。かつて暮らしていた故郷ルナリアにいた頃なら、骨が折れようが、肉が裂けようが、月光を浴びれば次の日には跡形もなく完治していた。その常識が通用しないこの世界での戦いは、一歩間違えれば死に直結する、薄氷の上を歩くような綱渡りだ。

 

「そうだねー。今までだったら、こんな傷一晩寝たら嘘みたいに消えてたもんねー。でも痛みが残るって……生きてるって感じがして、私は嫌いじゃないかな」

「えぇ……マジかよ」

「潰されても、肉塊になっても、平然と再生するのって、よくよく考えたら気持ち悪いでしょ? 加護がなくなるまで死にたくても死ねないってのは……結構辛いと思うんだよねー」

 

 ラビリアはそう言いながら、悪戯っぽく身を乗り出した。彼女の視線が、アキシャの二の腕に残る浅い切り傷に向けられる。

 

「ほら、加護がないとこういうこともできるよー?」

 

 そう言って、彼女は包帯の巻かれていない傷口の周りを、人差し指でツンツンとつついたり、わざとらしくぐりぐりと押したりした。

 

「いってぇ! 何すんだコラ、やめろ!」

 

 反射的に繰り出されたアキシャの手刀が、ラビリアの額にコツンと小気味よい音を立てて当たる。

 

「いったーい……ちょっと触っただけじゃーん」

「わざわざ傷口触って、ぐりぐりするのがちょっとな訳ないだろ!」

 

 そんな二人の変わらないじゃれ合いを見ながら、エクアルは苦笑して肩の力を抜いた。

 温かい光景に心が和む一方で、その心の内には昼間の作戦会議でのウィ=キの言葉――「君たちは、それ以上踏み込むべきではないよ」という警告が、抜け落ちない棘のように深く刺さったままだった。

 

(踏み込むべきではない……か)

 

 包帯を留め終えたエクアルの手が止まり、その琥珀色の瞳がふと暗く沈む。

 

 

※※※

 

 

 ふと、ラビリアがその沈黙を破るように、ずっと気になっていた核心を突く問いを投げかけた。

 

「……そう言えばさ、エクアル。どうしてトゥルタリアが、あの神々の『仲間』だと思ったの?」

 

 ラビリア自身も、神々の態度から薄々勘づいてはいたが、論理的なエクアルがどう結論づけたのか、その意見を聞きたかったのだ。唐突な質問に、アキシャも興味深そうに白シャツの袖を通しながらエクアルの方を向く。

 その質問にエクアルは一瞬ためらったが、運命を共にしている二人には共有しておきたいと思い、意を決して口を開く。

 

「……そうね、理由は主に二つあるわ。一つは、レクシエルが広場で言っていた言葉よ」

 

 エクアルは記憶を手繰り寄せるように、視線を宙に向けた。彼女の瞳には、あの時のレクシエルの悲痛な表情と、血を吐くような叫びが鮮明に焼き付いている。

 

「彼女はルーモア様にこう叫んでいたわ。『アイツらはかつて……自分たちの利益や、ちっぽけな信仰を優先して、トゥルタリア様を見殺しにした』って」

「ああ……確かに、そんなこと叫んでたな」

 

 アキシャが腕を組みながら深く頷く。あの悲痛な叫びは、敵を惑わすためのただの妄言として切り捨てるにはあまりにも重く、そして切実な響きを帯びていた。

 

「『見殺しにした』ということは……裏を返せば、本来は『見殺しにしない選択肢』もあったということにならないかしら? つまり、トゥルタリアはもともと討伐対象の邪神なんかじゃなく……彼らにとって助けるべき対象になり得る、対等な『仲間』だったんじゃないかって」

 

 推測の域を出ない話ではあるが、彼女の中では確信に近いパズルのピースが埋まりつつある。彼女は二人の顔を順番に見据え、もう一つの根拠を提示した。

 

「そしてもう一つの理由は……私たちの『能力解放度』の変化よ」

 

 エクアルが人差し指を立てて説明を続けると、ラビリアが大きく反応を示して、身を乗り出した。

 

「……『能力解放度』かぁ。興味深いねー、続きを聞かせてもらっても良い?」

 

 三人にとって、能力解放度はこの世界でどれだけ自由に戦えるかを示す、死活問題に関わる重要なステータスだ。だがエクアル以外、その数値が変動する法則や仕組みについて、深く考えたことはあまりなかった。

 

「ええ。私たちが島を浄化するたびに、抑圧されていた力が戻ってきているのは、もう皆知っているわよね?」

 

 アキシャとラビリアが、エクアルの言葉に同意を示すように頷く。島を浄化する度にわずかではあるが、身体が軽くなり、魔力の通りが良くなっていく感覚を三人とも味わってきている。

 

「最初は、単にこの世界の免疫作用が緩和されたからだと思っていたけど……それだけじゃ説明がつかないの」

 

 エクアルは手元の包帯の余りを指先で弄びながら、思考を整理するように続ける。その口調は、魔法の講義をする時のように整然としていた。

 

「免疫作用っていうのは、異物に対する世界そのものの拒絶反応で……普通なら、私たちがこの世界に滞在して馴染んでいけば、時間とともに徐々に緩和されていくもののはず」

 

 そこで彼女は一度首を横に振り、窓の外に広がる空島の世界へと視線を投げた。この世界のルールは、彼女たちが知る常識とはどこか根本的に異なっている。

 

「でもこの世界は違う。能力解放度が変化するタイミングは島の浄化――つまり『呪われた神器』を浄化して、土地のマナを正常に戻した後だけに限られている」

 

 エクアルは視線を戻し、確信に満ちた瞳で二人を見渡した。

 

「だからね……世界の免疫機能以上に、トゥルタリアの力や呪い、そのものが私たちの能力解放度を抑え込んでいるんじゃないかなって思ったの」

「あー……なるほどねー。トゥルタリアがどれだけ世界を呪っているかに比例して、免疫機能が強くなっているってことか。仮にそうだとすると……トゥルタリアは世界の根幹となるシステムにまで干渉できているだろうねー」

 

 エクアルの推測を噛み砕くように、ラビリアが自分なりの言葉で説明してみせた。

 

「私もそうだと思うの。少しこじつけかもしれないけど……もしトゥルタリアが単なる『外から来た怪物』なら、世界を穢すことはできても、世界の根幹部分にまで干渉するのは相当難しいと思うわ」

「……なるほど。その推測が正しかったら、トゥルタリアはぽっと出の魔王や化け物じゃなく、あの神様たちと同じこの世界を知る『神』の一人ってことなるな」

 

 アキシャが傷の残る両腕を組みながら、珍しくその小難しい話に鋭い理解を示していた。隣りにいたラビリアもまた、顎に手を当てて納得したように頷く。

 

「んー、確かに。ルーモアやウィ=キの態度を見てても、トゥルタリアをただの『邪神』として扱うには、ちょっと納得できない部分が多すぎるよねー。特にウィ=キのあの反応は、図星を突かれた時のそれっぽかったし」

 

 三人の間に、重い沈黙が落ちる。単なる勧善懲悪の物語だと思って飛び込んだ世界は、予想以上に複雑で、神々のドロドロとした因縁に満ちていた。自分たちは、見てはいけない舞台裏を覗いてしまったのかもしれない。

 

「……結構軽いノリで来ちまったが、想像以上にヤバいもんへと首突っ込んじまったかもな」

 

 アキシャは深いため息をつき、天井の木目を見上げる。だが、その瞳に後悔の色はない。

 

「ええ……。でも、やることは変わらないわ。『世界の歪み』を正さないと……この世界を中心として滅びが訪れる。私たちの故郷『ルナリア』みたいに……」

 

 かつての記憶が脳裏をよぎる。絶対的な破滅……何もかもが失われ、虚無だけが残る世界。それを二度と繰り返すわけにはいかないのだ。

 

「ああ……やるしかねぇよな。真実がどうあれ、私たちが止まればここら一帯の世界は終わるんだ」

 

 

※※※

 

 

 その時だった。

 「みゃ~お」という、場違いなほど可愛らしい猫の鳴き声が、夜風と共に開け放たれた窓枠から聞こえてきた。

 三人が反射的に振り返ると、いつの間にか橙色の毛並みを持つ猫――ニャプトフが座っており、背後に輝く金色の月を背負って、静かにこちらを見つめていた。その水色の瞳は、全てを見透かすように澄んでおり、神秘的な光を湛えている。

 

「にゃー(なにやら随分と深刻な話をしているようだね)」

 

 頭の中に直接響いてくるその声。飽くまで他人行儀なその態度に、エクアルの眉がピクリと不快げに動く。神々への不信感が拭えていない彼女にとって、このタイミングでの訪問は警戒の対象でしかなかった。

 

「……ニャプトフ様。何しにいらしたんですか? まさか、盗み聞きですか?」

 

 刺々しいエクアルの視線を受けても、ニャプトフは動じない。優雅に長い尻尾を揺らし、音もなくふわりと窓枠からベッドへと飛び移る。

 

「にゃっ(……少し、様子を見に来ただけさ。キミたちの傷の具合とか、『その後』の様子とかね)」

 

 ニャプトフはしなやかな足取りでアキシャの近くへ歩み寄ると、包帯を巻かれた腕をふんふんと鼻を近づけて嗅ぐ仕草を見せる。その動作は普通の猫そのものだが、漂う気配はやはり人知を超えた神聖なものがある。

 

「みゃー(まったく、本当に面倒くさい人たちばかりだよ。面倒事はごめんなんだけどねぇ……)」

 

 彼は呆れたように白く長いヒゲを揺らしつつも、その水色の瞳で三人を真っ直ぐに見据えた。そこには、ただの気まぐれではない、神としての確固たる意志が宿っていた。

 

「ごろろ……(でも、これ以上『面倒事』が増えるのはもっとごめんだね)」

 

 ニャプトフは小さく喉を鳴らし、意を決したように口を開く。

 

「にゃーぉ(……他の神々がどう思っているかは知らないけど、僕は少なくとも、キミたちには知る権利があると思ってるんだ)」

「権利……?」

 

 アキシャは包帯を巻かれた腕を組み直し、眉間に深いしわを寄せながら怪訝そうに聞き返した。

 

「にゃん(キミたちも薄々勘付いているように、この世界で起きている戦いは、単なる『正義の神』と『悪の邪神』の争いじゃない)」

 

 ニャプトフの声色が低く、真剣なものに変わる。ベッドの上に座る小さな猫の言葉には、計り知れない歴史の重みを感じさせる響きが含まれている。

 

「にゃー(それはもう……僕が語るのも億劫なほどに、長く複雑で、様々な思惑と因縁が泥のように渦巻いた戦いさ)」

 

 その意味深な言葉を聞き、エクアルが思わず身を乗り出した。彼女の中でくすぶっていた疑念、ウィ=キの不可解な態度、それら全ての答えがここにあるかもしれない。

 

「それはつまり……教えてくださるんですか? 過去に何があったのかを」

 

 真実を知れば、この胸を締め付けるモヤモヤした気持ちも晴れるかもしれない。期待を込めた眼差しを向けるエクアルに対し、ニャプトフはゆっくりと首を横に振った。

 

「うにゃ(それでもいいけど……多分それだとキミたちのためにならない)」

 

 隣で話を聞いていたラビリアも、ぶらぶらさせていた足を止め、不思議そうに小首を傾げた。

 

「どういうこと……? 教えてくれた方が、私たちも動きやすくなると思うけど」

「ふにゃぁ……(キミたちが思っている以上に、神というのは狡猾で、臆病な存在なんだよ)」

 

 ニャプトフはベッドの上で背中を反らせてゆっくりと伸びをすると、自嘲気味に笑うように、口元のヒゲを震わせて歪める。その澄んだ水色の瞳には、永きに渡り人々の信仰に依存し、それ故に縛られ続けてきた神ゆえの哀愁が漂っていた。

 

「にゃーぅ……(人間による儚い信仰によって成り立つ、不安定で不明瞭な存在……それが僕たちだ)」

 

 彼は前足を舐め、顔を洗うような仕草を見せた後、窓の外に浮かぶ月を見上げた。その姿は愛らしい猫そのものだが、背負っているのは「信仰されなければ消えてしまう」という、あまりにも脆く、冷たい宿命――神々しさの裏にある空虚を、彼は隠そうともしなかった。

 

「にゃー(だから僕たちは存在し続けるために、なりふり構わず信仰を勝ち取り続けなればいけない。時には嘘をつき、時には事実を隠蔽してでもね)」

 

 その言葉には、長い時を生きてきた神だけが知る、深い諦観が含まれている気がした。自分たちの存在維持のために、真実すら捻じ曲げてきたことを……彼は淡々と認めたのだ。

 

「……なんか面倒くさいな。生きるために、わざわざ人々を導いて、従わせなきゃならねぇなんてよ」

 

 アキシャが素直な感想を漏らす。彼女にとって、他者に依存する神の在り方はひどく窮屈に映ったのだろう。

 

「神様ってのも楽じゃねぇんだな」

 

 アキシャの純粋すぎる言葉に、ニャプトフは虚を突かれたように瞬きし、そしてふっと息を漏らした。

 

「みゃー(……ふふっ。本当に、面倒なことだね)」

 

 彼はどこか吹っ切れたように、居住まいを正して三人に告げる。その声からは先程までの自嘲が消え、導き手としての厳かさが戻っていた。

 

「にゃー(だから、キミたちには……キミたち自身の手で、この世界の真実を追い求めてほしい)」

 

 ニャプトフはゆっくりと、三人の顔を順番に見つめる。

 

「にゃーぉ(この世界がどうしてこうなってしまったのか、どうして僕たちは邪神と戦っているのか。キミたちの力で、世界の真実を確かめて欲しいんだ)」

「世界の、真実……」

 

 ラビリアが瞳を煌めかせ、その言葉を反芻する。

 彼が指し示した道標は、彼女が心の奥底に抱いていた疑念を、わずかだが振り払った。アキシャとエクアルの表情からも、迷いの色が消え、新たな意志の炎が芽生え始める。

 

「ごろろ……(キミたちの前に立ち塞がる敵たちは、強大であると同時に……この世界の歴史の被害者だ。無論、ヘトゥケダゥも、レクシエルもね)」

 

 ニャプトフはベッドの上で、どこか遠い過去を見つめるように目を細めた。きっと彼は、この残酷な運命に巻き込まれた全ての者たちを、神として見守り続けてきたのだろう。

 

「にゃーぅ(ヘトゥケダゥの心を動かしたキミたちなら、真実にたどり着けると思うよ。僕なんかが教えなくてもね)」

 

 ニャプトフは満足そうに一つ頷くと、ゆらりとその長い尻尾を振った。

 それこそが、彼がこの異界の来訪者たちに対して抱いた期待の表れであり、同時にこれからの過酷な旅路への無言の激励でもあった。

 

「にゃーぅ(真実を知った後にキミたちがどのような決断を下すか……楽しみにしているよ)」

 

 そう言い残すと、ニャプトフは身軽な動作で踵を返し、足音一つ立てずに窓枠へと戻る。その背中は、これ以上多くを語るつもりはないと告げていた。その唐突な別れに、アキシャが慌てて声をかける。

 

「もう、行くのか?」

 

 アキシャの声に、ニャプトフは窓枠の上で立ち止まり、ふと振り返った。背後にある巨大な月が彼の姿を照らし出し、その小さな身体を神々しいシルエットとして浮かび上がらせる。

 

「にゃー(……僕の用事は済んだからね)」

 

 彼は突き放すような素振りを見せつつも、その場を立ち去ろうとはしなかった。揺れる尻尾が、彼の中にある迷いを映し出している。

 

「にゃーぉ(……でも、手がかりが皆無なのも可哀想だから、幾つかヒントをあげるよ)」

 

 三人が息を呑み、次の言葉を待つ。室内の空気がピンと張り詰め、窓から吹き込む夜風の音さえもが止まったかのように感じられた。

 

「にゃっ(ひとつ。神域で初めて会った時、僕たちが語った話は半分以上が嘘だ。キミたちをこちら側に引き込み、利用するための甘言に過ぎない)」

 

 あまりに正直すぎる、衝撃的な告白……だがエクアルは取り乱さなかった。むしろ、胸のつかえが取れたかのように、伏せていた顔を上げ、静かに言葉を紡ぐ。

 

「やっぱり……そうだったのね」

 

 彼女の中でくすぶっていた違和感の正体が、神自身の言葉によって証明された。

 ニャプトフはエクアルの反応に小さく頷くと、さらに核心へと踏み込む言葉を続ける。

 

「にゃー(ふたつ。僕たちが『邪神』と呼び、忌み嫌っている彼女(・・)の、本当の名は――)」

 

 

 

 

 

 

「にゃー(――感情の神、トゥルタリアだ)」

 

 

 

 

 

 

 その名は、静寂を打ち破るように、部屋に凛と響き渡った。

 ニャプトフは三人の驚愕の表情を見て取ると、口元のヒゲを面白そうに震わせる。

 

「にゃん(ヒントは以上だよ。あとで情報料として魚を貰うから、よろしくね)」

 

 それだけ言い残すと、ニャプトフは窓枠から夜の闇へと軽やかに飛び出し、一陣の風のように去っていった。

 部屋に残されたのは、呆然とする三人だけだった。

 

「……感情の神、トゥルタリア」

 

 エクアルがその名前を反芻する。感情……それは生物にとって最も根源的な力のひとつだ。そしてそれが意味することをラビリアが語る。

 

「要するに……エクアルの予想は、当たってたってことだよねー?」

「……うん、そうみたい。彼女もまた、五柱の神々と同じ……神だったのね」

 

 アキシャが、窓の外の夜空を見上げながら呟く。その瞳は、遠く見えない敵を見据えているようだった。

 

「どちらにせよ、あの猫が言う通りだ。……私たちの目で確かめるべきだな、この世界で何があったのかを」

 

 ラビリアもまた、アキシャの横顔を見つめながら、力強く頷く。

 

「だねー。……世界の真実を見つける旅かぁ。うん、悪くない目標だよ」

 

 その声には、先ほどまでの不安はなく、新たな冒険への確固たる決意が込められていた。

 

 三人の脳裏に、様々な記憶が去来する。

 果てしない憎悪を抱き、血を流しながらも主への忠誠を叫んだレクシエルの狂気。彼女が告げた「見捨てられた」という言葉の意味。

 死に際まで自分たちを守り、未来を託してくれたヘトゥケダゥの誇り。彼が三人に託してくれた未来。

 彼らもまた、自分たちの信念と正義に従って戦っていた。そしてその裏には、決して語られることのない物語がある。

 

 この戦いは……単なる正義と悪の戦いじゃない。その重い事実を噛み締め、三人は顔を見合わせる。

 傷はまだ癒えていない。身体はボロボロだ。だがその瞳は、新たな目標が定められたことで、揺るぎない光を宿し始める。

 

「よし……傷が治ったら、行こうぜ。世界の歪みも、呪いも、因縁も……全部まとめて私たちが解決してやるよ!」

 

 アキシャの力強い宣言と共に、三人は拳を合わせたのだった。




これにて第2章は完結となります。
次回より、第3章「兎は甘き夢を叶えるか」が始まります。
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