The Sky Blessing ~Rabbit Edition~ 作:ella_coat
空からは相変わらず、凍てつくような冷たい粉雪が舞い散っている。だが、温泉施設の周囲だけは異様な熱気と、戦いの余韻である焦げ臭い匂いが漂っていた。
先ほどまで施設を包み込んでいた炎は、エクアルが放った大規模な水魔法によって完全に鎮火されている。黒く焦げ付いた木材から立ち昇る白い蒸気と黒煙が、灰色の雪空へと吸い込まれるように消えていく様は、惨劇の終わりを静かに告げていた。
温泉施設の玄関付近には、爆発音と騒ぎを聞きつけた村人たちが続々と集まってきていた。小さな集落ゆえ、住人の大半が集まったかのような人だかりだが、彼らの表情に浮かんでいるのは、突如として脅かされた日常への不安と、炎が燃え移ることなく消火されたことへの安堵、そして目の前の非日常的な光景への困惑が入り混じった複雑なものだった。
その喧騒の中心に、アキシャ、エクアル、ラビリアの三人が佇んでいた。
彼女たちはすでに、タオル一枚にコートという緊急時の姿から、いつもの戦闘服へと着替えを済ませている。
アキシャはいつもの癖か、背負った大剣の感触を確かめるように肩を回し、未だ興奮冷めやらぬ村人たちのざわめきには目もくれず、油断なく視線を巡らせていた。その琥珀色の瞳は、戦いが終わった安堵よりも、未だ見えぬ脅威への警戒を強めている。
エクアルとラビリアも同様だ。杖を握る手に力を込めたり、愛銃の安全装置に指をかけたりしたまま、それぞれが異なる角度から事態を俯瞰していた。降りしきる雪の中、彼女たちの纏う空気は、ただならぬ緊張感を放ち、周囲の喧騒から浮き上がっているようだった。
村の入り口で警備していた村長の息子も、父親である村長と共に肩で息をしながら駆けつけていた。彼は黒焦げになった施設の外壁と、無事だった女将の姿を交互に見て、膝から崩れ落ちそうになっていた。
エクアルは簡潔にここで何が起きたかを二人に説明すると、村長の息子は動揺を露わにしながら、声を張り上げた。
「まさか、魔物がこの村を襲撃してくるなんて……! 今まで、そんなこと一度もなかったのに……! 一体、結界はどうなってしまったんだ!?」
彼の悲痛な叫びは、集まった村人たちの不安を代弁するものだった。今まで安全だと信じられていた守りが破られた衝撃は計り知れない。
村長もまた、杖をつきながら深々と頭を下げた。その白髪混じりの頭には、客人を危険に晒してしまったことへの深い後悔と、長年守られてきた村の安全が脅かされたことへの恐怖が滲んでいる。
「皆様方には、心からお詫び申し上げます。露天風呂で疲れを癒やしていただこうと思った矢先、このような事態になるとは……。客人を危険に晒すなど、村長として顔向けできません」
沈痛な面持ちで謝罪する村長に対し、ラビリアはかぶりを振り、努めて明るい声で返した。
「いえいえ、気にしないでください。逆に私たちが温泉に入っていなければ、女将さんが危なかったかもしれませんからねー。私たちが居合わせていて良かったです」
エクアルの治癒魔法を受け、応急手当が施された女将も、村長の隣で深々とお辞儀をした。彼女の足はまだ痛むようだが、しっかりとした口調で礼を述べる。
「本当に、ありがとうございます……! あなた方が駆けつけて来てくれなかったら、今頃どうなっていたことか……。あんな恐ろしい魔物を、またたく間に倒してしまうなんて」
「礼はいいって、それが私たちの役目だ」
涙ながらに語る女将の言葉を、アキシャは優しく受け止めながらも、鋭い視線を彼女に向けた。アキシャの興味はすでに、安堵よりも「なぜこうなったのか」という原因究明に向いている。
戦いは終わったが、脅威の根源が断たれたわけではない。なぜなら、この島はまだ、例の紅蓮の剣によって呪われているのだから……。
「それより……詳しく教えてくれねぇか? あの魔物の連中はどこから来たんだ? 外にはそれらしい痕跡は見当たらなかったけどよ」
女将は青ざめた顔で記憶を辿る。恐怖で震える身体を自身の腕で抱きしめ、視線を泳がせながら、ポツリポツリと証言した。
「魔物が出てきた時はパニックになっていて……でも、そう言えば……玄関からではありませんでした。誰もいないはずの、男湯の方から……物凄い音がして、壁を突き破って入ってきた気がします」
その証言を聞き、アキシャ、エクアル、ラビリアの三人は顔を見合わせた。
エクアルは顎に手を当て、情報を脳内で整理し始める。彼女の中で、バラバラだったピースが一つに繋がりかけていた。冷たい風が思考をクリアにしていく。
(私が温泉で呪いの気配を感じ取ったのは、魔物が現れる直前だった……。あの気配は、外部から移動してきた魔物由来というより、もっと根源的な……そう、『呪われた神器』そのものが放つ特有の瘴気に近かった。そして魔物は誰もいないはずの男湯から現れたとなると――)
村長が困ったような顔で口を開く。彼の常識では、結界がある限り魔物の侵入はあり得ないことだったからだ。
「お地蔵様が張ってくださっている結界を越えてくる魔物の集団が現れるなど……私が生まれてから一度もなかったことです。動物が迷い込んでくることはあれど、魔物は決して……」
しかし、そんな悲しげな村長の言葉を聞いたラビリアが目を細め、ゆっくりと首を横に振った。そのピンク色の瞳には確固たる意思を湛えつつも、技術屋らしい冷徹な分析の光が宿っている。
「んー……多分それは違うんじゃないかなー。認識の前提が間違ってるのかも」
「と、言いますと?」
「村長さん。この集落って、いつからここにあるんですか?」
村長は少し考え込み、古い伝承を思い出すように雪の舞う空を見上げた。
「詳しくは分かりませんが……世界の大半が呪われて魔物がはびこるようになってから、お地蔵様が守ってくださっているこの地に移り住んだと聞いております」
「それってさ……つまり、魔物が現れるまでは、特にお地蔵様の庇護が必要だったわけじゃなかった、ってことだよね? ……うん、そうだ。順序が逆なんだよ」
普段の何を考えているかあまり分からない、ほんわかとした独特な雰囲気を放つラビリアだったが……今は探偵のごとく、フルスピードで頭を回転させながら独自の推測を述べていく。
「そもそも、あの襲撃してきた魔物たちは……結界の外からやってきたんじゃないと思います。この集落の中のどこかから湧いて出たんじゃないかなーって」
それだけ言うと、ラビリアは恐らく同じ考えに行き着いているであろう、エクアルに目配せをする。
すると彼女の合図を受け、エクアルも口を開いた。彼女もまた、自身の感覚とラビリアの推論が一致していることを確信する。
「実は……湯船に浸かっている途中に、わずかですが呪いの気配を感じ取ったんです。今まで全く感じ取れなかったのに……」
エクアルは言葉を選びながら、村長たちに衝撃的な事実を告げる。
「恐らく、この温泉施設の近辺に、呪いの元凶である『呪われた神器』がある可能性が高いです」
その言葉に、村長親子と女将は絶句した。安全だと思っていた自分たちの集落に、長年災いの種が眠っていたとは信じたくないだろう。血の気が引いていく彼らに追い打ちをかけるように、ラビリアはさらに踏み込んだ仮説を口にする。
「さらに言えば……これは仮説だけど。もし『呪われた神器』が本当にこの集落の中にあるなら、お地蔵様は村を守るためにいるんじゃなくて……『呪われた神器』を守るために存在しているのかもしれないねー。そうじゃないとこんな結界、張り巡らせる必要ないでしょ?」
その推測は、村人たちの信仰の根幹を揺るがすものだった。守り神だと思っていた存在が、実は呪いを隠匿するための蓋だったかもしれないのだ。
「そ、そんな……! お地蔵様も、魔物の一種だと言うのか……!? 俺達はずっと守り神だと……」
村長の息子が動揺を露わにする。信仰の対象が、実は呪いに関連するものかもしれないという事実は、彼らにとって受け入れがたいものだ。
重苦しい空気が場を支配する中、アキシャがパンと手を叩いて空気を変えた。
「ま、つべこべ言っても始まらねぇな。とりあえず、怪しい男湯の方を調べようぜ? こうしている間に増援なんかがやってきたら、面倒くさいしな」
アキシャが強引に話をまとめる。彼女にとっては、複雑な理屈や推測よりも現地での確認とそれに基づいた事実の把握、そして元凶の排除こそが最優先だ。
村長は深い溜め息をつき、覚悟を決めたように顔を上げた。
「……分かりました。ひとまず、実際に見てみることにしましょう。このまま不安を抱えて暮らすわけにもいきませんからな」
村長は息子に指示し、集まっている野次馬たちを危険だからと遠ざけさせる。
一行は、村長と女将を案内役に、誰もいないはずの男湯へと足を踏み入れることにした。
※※※
靴のまま男湯の脱衣所、そして風呂場へと侵入する。
女湯同様、脱衣所と風呂場を仕切る引き戸は無惨に破壊されており、鋭利な木片が床に散乱していた。浴場は湯気で白く煙っているが、魔物が暴れた痕跡――黒く焦げた壁や、岩風呂の縁に残された鋭い爪痕が生々しく残っていた。
ラビリアが壊れた引き戸の残骸に近づき、その断面を指先でなぞりながら観察する。
「やっぱり……壊れ方からして、脱衣所側からじゃなく、風呂場の方から突き破られてるねー。敵は男湯の浴場からやってきたんだよ」
「……なるほど、そうなのですね」
彼女の指摘に、後ろをついてきていた村長と女将が息を呑む。村の人々に癒やしを提供するはずの場所が、魔物の発生源だったかもしれないという恐怖が、彼らの顔を青ざめさせる。
エクアルは目を閉じ、集中力を高めた。湯気の中に漂うマナの流れ、その奥にある澱みを探る。視界を遮断することで、肌に感じる不快な気配の源を特定しようとする。
「……感じるわ。さっきよりもはっきりと。呪いの気配は……外じゃない。地下から……!」
「地下か……なら、入り口があるはずだ」
アキシャは風呂場の床、特に破壊が激しい辺りを見回した。そして、不自然に積み重なった大きな瓦礫の山を見つけると、躊躇なく蹴り飛ばした。
ガラガラッ!
派手な音と共に瓦礫が退かされ、その下から、地下へと続くぽっかりと空いた洞窟の入り口が姿を現した。そこからは、硫黄の匂いとは違う、カビ臭く澱んだ空気が漂ってくる。
「……間違いないわ。この奥に、元凶がある」
エクアルが洞窟の中を覗き込みながら断言する。その確信に満ちた声を聞くと、村長たちは思わず、後ずさっていた。アキシャは振り返り、村長たちに告げる。
「ここから先は危険だ。何が潜んでいるかわからねぇ、アンタたちはここで待っていてくれ。ついてくるなよ」
「分かりました……どうか、よろしくお願いします」
村長の言葉を聞き終わるが早いか、アキシャは洞窟の中へと飛び降りた。ためらいのないその行動力に、村長は目を丸くするも、どこか頼もしげに感じていた。
「ちょっとお姉ちゃん! 罠があったらどうするの!?」
「アキシャ、待ってよー。私も行くー」
ラビリアも軽やかに飛び込み、エクアルも呆れつつ、スカートの裾を押さえながら後に続いた。
地下空洞はそれほど深くなく、すぐに開けた場所に出た。
そこは天然の鍾乳洞のような空間で、湿った空気の中に、薄暗い光が差し込んでいた。空間の中央には見慣れた灰色の台座があり、そこに禍々しい瘴気を放つ「呪われた神器」――鮮血のような刀身を持つ紅蓮の剣が突き刺さっていた。
アキシャが大剣を構えて周囲を警戒するが、拍子抜けなことに敵の気配はなく、静寂だけが支配している。どうやら、先ほどの襲撃部隊が、この場所を守っていた全ての戦力だったようだ。
「……あったわね、『呪われた神器』」
エクアルは神器の前に静かに膝をつき、祈りを捧げた。
金色の光が彼女の身体から溢れ、神器を包み込む。瘴気の焼けるような音がわずかばかり鳴り響き、やがて剣が本来の清らかな輝きを取り戻していく。島全体、そして村を覆っていた見えない澱みのようなものが、完全に霧散した感覚が三人を包みこんだ。
そして……そんないつもの解呪の光景を眺めながら、ラビリアは静かに頷いたのだった。
「……うーん。やっぱり、そういうことなのかなー」
※※※
三人が再び男湯へと戻ってきた頃には、外の雪は少しだけ弱まっていた。
瓦礫の山を乗り越え、アキシャ、ラビリア、そして最後にエクアルが姿を現す。待ちわびていた村長と女将が、すがるような視線を向けてくるのに対し、エクアルは埃を払いながら、微笑んで頷いた。
「『呪われた神器』を見つけ、解呪しました。これで、この島を蝕んでいた呪いは完全に解かれたはずです」
その報告を聞いた瞬間、村長と女将の表情から、緊張の糸がプツリと切れたように見えた。二人は互いに顔を見合わせ、驚きと喜びに声を震わせる。
「おお……なんと……! ありがとうございます、本当にありがとうございます!」
長年、このような地で隠れて暮らすことになった元凶であり、自分たちの足元に眠っていた脅威が取り除かれた安堵感に、彼らは何度も頭を下げる。
だが、そんな歓喜の輪の中で、ラビリアだけは浮かない顔をしていた。彼女は気まずそうに視線を逸らすと、バツが悪そうに女将の方へと歩み寄り、深々と頭を下げたのだ。
「ごめんなさい、女将さん」
「……え? どうしたんですか? 謝ることなど、何も……」
突然の謝罪に、女将がきょとんとして目を丸くする。ラビリアは顔を上げることなく、自身の胸の内で燻っていた推測を、正直に話す。
「恐らく……私たちがこの温泉に来たことで、地下にあった『呪われた神器』が過剰に反応しちゃったんだと思うんです」
ラビリアの言葉に、場が静まり返る。彼女は淡々と、しかし沈痛な面持ちで続ける。
今まで村人が利用しても何事もなかったのは、彼らには解呪できないと「神器」が判断したから。だが、五柱の神々の祝福を受け、島々を解呪してまわる自分たちが近づいたことで「神器」の防衛機構が働き、排除システムとして魔物を生み出したのだろう、と。
ほとんどの場合、「呪われた神器」にたどり着くまでに嫌でも多くの魔物と戦闘することになる。そしてそれはこの「温泉島」も例外ではなかったのだった。
「つまり……私たちが来なければ、温泉が壊されることも、女将さんが怪我をすることもなかったかもしれない……。私たちのせいで、危険な目に遭わせてしまった」
それは、彼女なりの冷静な分析であると同時に、巻き込んでしまったことへの深い後悔だった。責任を感じて俯くラビリアの拳が、微かに震えている。
だが、女将はそんなラビリアの震える手を、そっと両手で包み込んだ。その手は温かく、とても優しかった。
「何を仰いますか。あなた方が来てくれなければ、私たちはこの先もずっと、見えない脅威を抱えたまま暮らすことになっていたのです。いつか牙を剥いていたかもしれない脅威を、取り除いてくださったのですよ?」
女将は優しく首を振り、真っ直ぐにラビリアの瞳を見つめた。そこには責める色など微塵もなく、あるのは純粋な感謝のみだ。
「それに……私を守るために戦ってくれたあのお姿、一生忘れません。あんなに勇ましく、頼もしい背中を見たのは初めてでした」
女将の言葉は、ラビリアの強張った心をゆっくりと溶かしていくようだった。ラビリアは少し救われたような顔をして、照れくさそうに頬をかいた。
その時、アキシャがパンと手を叩き、湿っぽくなりかけた空気を豪快に断ち切った。
彼女は腕組みをして、半壊した壁や砕けた床、無惨な姿になった浴室を見渡すと、ニカッと白い歯を見せて笑った。
「そういう湿っぽいのは無しだ! とりあえず、一件落着だが……こんな良い温泉がボロボロのままなのは勿体ねぇな! 飯食ったら、修理手伝うぞ!」
アキシャの提案に、エクアルもパッと表情を明るくし、ハイドロスタッフをくるりと回して微笑む。
「ええ、そうね。修繕魔法ならお手の物よ。元の姿よりも綺麗にしてあげますね!」
「んー、それなら私はもっと便利な給湯システムとか備え付けで作っちゃおうかなー。温度調節機能付きの湯船とか、どう?」
ラビリアも目を輝かせてアイデアを出し始める。三人の前向きで頼もしい言葉に、村長たちも心からの笑顔を取り戻したのだった。
※※※
数時間後。エクアルによる修復魔法と、アキシャの馬鹿力、そしてラビリアの技術協力が噛み合った結果、半壊していた温泉施設は驚異的なスピードでおおよその修復を完了していた。瓦礫は綺麗に撤去され、破壊された壁は塞がり、湯船には再び源泉から引かれた清らかな乳白色の湯が満たされている。
汗だくになって働いた三人は、女将の好意により、修復されたばかりの露天風呂――いわゆる一番風呂を特別に頂いたのだった。
二度目の入浴を存分に堪能し、火照った身体を夜風で冷ますため、三人は施設の玄関先へと出ていた。
頭上には、雪雲が去った後の澄み渡るような満天の星空が広がっている。湯上がりの三人の手には、女将から差し入れられたキンキンに冷えた瓶牛乳が握られていた。雪見酒ならぬ、雪見牛乳だ。
「っぷはー! 働いて風呂に入った後の牛乳は最高だな!」
腰に左手を当て、牛乳を一気飲みしたアキシャが、豪快な声を上げた。
風呂上がりで上気した白い肌から、ゆらゆらと湯気が立ち上っている。彼女の口元には牛乳の白い髭がつき、琥珀色の瞳は満足感に細められていた。冷たい夜風が、濡れた白髪を優しく撫でていく。
その隣で、ラビリアも両手で持った牛乳をちびちびと味わいながら、幸せそうに吐息を漏らす。
「んー、美味しいねー。濃厚で甘くて……生き返るよー」
ラビリアは瓶の口から視線を外し、隣に立つアキシャを横目でじっと見つめた。そして、何かを思いついたように悪戯っぽい笑みを浮かべると、音もなくじりじりとアキシャの方へと詰め寄った。
「あ? なんだよ、寄ってくんな」
アキシャが勘で気配を察知し、半歩下がる。先ほどの風呂場での一件――どさくさに紛れて耳の根本を触られた記憶が新しいため、彼女の接近に対して過剰なほど警戒心を露わにしていた。
「えー? 別にいいじゃん」
「良くねぇよ。その顔は、絶対になんかするつもりの顔だろ」
ジト目で睨むアキシャに対し、ラビリアは「心外だなー」と言わんばかりに肩をすくめてみせる。そして、視線を夜空の星々へと向け、遠い目をしながらおもむろに呟いた。
「……でもさ、やっぱりアキシャって凄いよねー」
「凄いって……何がだよ」
曖昧な褒め言葉に、アキシャが毒気を抜かれたように怪訝な顔をする。ラビリアは澄んだ瞳を向けながら、優しく笑って見せる。
「だって、入浴中に魔物に襲撃されたのに、慌てるどころか真っ裸で突っ込んでいくんだもん。度胸あるよねー」
その言葉に、少し離れた場所で牛乳を飲んでいたエクアルが、顔を真っ赤にして口を挟んだ。
「わ、私としては……もっと恥じらいを持ってほしいんだけど!」
「んなこと、どうでもいいだろ! 見られたって別になくなるわけじゃないんだからよ」
アキシャはそう力説しながら、まんざらでもない様子で鼻をこする。
しかし、褒められて気が緩んだその一瞬――ラビリアは猫のようにしなやかな動作で、音もなくアキシャの背後へと回り込んだ。
「はーい、油断したー」
耳元で囁くと同時に、ラビリアの手がアキシャの無防備な太ももへと伸びた。引き締まった白い太ももを、背後から鷲掴みにし、指先でわしわしと容赦なくくすぐり始める。
「ちょっ……! やめろっ! 牛乳がこぼれるって!!」
アキシャが弾かれたように飛び上がり、過剰なほどに嫌がって身体をよじらせる。意外にも、顔を真っ赤にして身を捩るその姿には、いつもの勇ましさはなく、年相応の少女の可愛らしさがあった。
「ふむ……やっぱり。触られるのは駄目っぽそう、特に太もも」
「てめぇ……コイツ……!」
してやったりとニヤニヤ笑うラビリアを見て、アキシャのこめかみに青筋が浮かぶ。彼女は空になった牛乳瓶を握りしめたまま、ラビリアを追いかけ回し始めた。
ラビリアはひらりと身をかわし、鈴を転がすような笑い声を上げながら雪の上を逃げ回る。
「待て! 逃がすか!」
「あはは、捕まえてごらーん」
雪原に残る足跡と、二人の楽しげな笑い声。
それを見ていたエクアルは、やれやれと呆れつつも、その口元には隠しきれない温かな笑みがこぼれていた。
三人の平和な騒がしさが、立ち上る湯気と共に澄み渡る夜空へと昇っていく。温泉島での長く、そして激しい一日は、こうして穏やかに幕を閉じたのだった。