または、偽りなきアルブレヒト
孤独に舞うジゼル(1)
ヒロが本土に戻ってから、しばらくしたある日。
マーゴ、ノア、アンアンの3人は、管理人室に呼び出された。
「管理人さんがわざわざ呼びつけるなんて、何かあったのかしら?」
ミオンはあまり、仰々しく人を呼びつけたりはしない。
そもそも少女たちから相談を持ちかけたりしない限り、彼女たちの生活に対して、積極的に何か言ってくることもない。
一か月くらい前、少女の一人が遊びの中で窓ガラスを割ってしまった時も、その場での「君が無事で良かった。次からは気を付けようね」という言葉で済ませていた程だ。
そんな彼から呼びつけられたとなれば、何かしらあったのではないかと勘繰るのは当然のこと。
管理人室への道中、彼女たちはこそこそと言葉を交わし合う。
「んー、マーゴちゃん、何かやった?」
「この前、モモに無理やり占いをしたことじゃないか」
「あら、誤解があるようね。あれは合意の上よ? それに、あの時はちゃんと占ってあげたしね。
ノアちゃんこそ、昨日のスプレーアートが見つかったんじゃないの?」
「え~? のあ、ちゃんと消したよ?」
「わがはいも一緒に消した。痕跡は残っていないはずだ」
「じゃあアンアンちゃん? またお風呂に入るのをサボったりしたのかしら?」
「最近は毎日入っている!」
「え~、ほんとー?」
「お前も風呂に入るのめんどくさがる方だろう、ノア!」
半ば雑談じみた相談は、絶えることなく続き。
しかし、牢屋敷は広くはあるが、無限ではない。
なんだかんだと言い合っている内に、彼女たちは管理人室へと辿り着いてしまった。
ここで悩んでいても、呼び出しがなくなるわけではない。
マーゴは少し躊躇いながらも、扉をノックし、「どうぞ」の言葉を聞いてそれを開いた。
「やあ、来てもらってごめんね、3人とも」
来客用のソファに座り、牢屋敷の管理人、樋口ミオンは3人に笑顔を向ける。
勧められるまま、3人はミオンの対面に座ることとなった。
少なからず身構えている少女たちに、ミオンはいつもの微笑を見せ、言う。
「まず先に言っておくけど、これから話すのは暗い話題じゃない。
君たちを叱る気もないし、本土の子たちに何かがあったというわけでもない。
むしろ、嬉しい報告になると思うよ。多分だけど」
アンアンはともかく、マーゴとノアには、色々と叱られる心当たりが多い。
この生活を始めてから控えめになってこそいるが、彼女たちの生来の性質が消えたわけではないのだ。
とはいえ、両者共に叱られたところでやめる性格ではないのだが……。
やはり衣食住の世話になる相手、怒らせるのは少々気まずい。
叱られ案件はなければない方がいいのだ。
そんなわけで、肩から力を抜き、気を緩めた3人に対し。
管理人はなんら表情を変えることなく、言い放った。
「夏目アンアンさん。君のご両親の治療が完了した」
「…………、は?」
その言葉は。
緩み切っていた彼女たちの……特に、アンアンの心を凍り付かせた。
* * *
アンアンがかつて持っていた魔法、【洗脳】。
相手がその命令に納得しさえすれば、自在に認識・行動を操ることのできる、精神誘導。
それは、人を壊し得るものだった。
未だ幼く、魔法の自覚もなかった時分。
病弱で引っ込み思案で、何より甘えん坊だったアンアンは、両親に多くのわがままを言った。
【あれが欲しい】
【これを買って】
【一緒にいて】
【仕事に行かないで】
それは、子供として当然の行動だった。
物事の道理を弁えない、頑是ない子供の囁き。
それに、心を鬼にした両親から「駄目」と言われて、少女は少しずつ世界を学んでいく。
そんな、誰でも体験したことのある、幼年期の一時になるはずだった。
【洗脳】の魔法さえなければ。
心を鬼にするとは即ち、情に流されながらも、相手のために否定することであり。
それは、「心情的には同情・納得している」ことを意味する。
そう思っても仕方ない、こうしてあげたい、許してあげたいと……そう思ってしまっているのだ。
だから、アンアンの両親は、尽くそのささやきに従った。
アンアンの可愛らしいお願いに、従った。
従い、従い、従い……。
【お姫様のように扱って】
【絶対に叱らないで】
【寝ないで一緒にいて】
【私の邪魔をしないで】
【誰より一番に私を愛して】
【何も考えず、私の言葉に従って】
……多重に絡まった【洗脳】の糸は。
いつしか、両親の自律した思考すら許さなくなった。
そうして残ったのは、人の心を喪った操り人形。
お菓子のように甘い、偽りの愛を流し込む、お姫様に仕えるぬいぐるみ。
アンアンが違和感に気付いた時には、もはや全てが遅かった。
彼女はその手で、2人の人間の心を壊してしまったのだ。
温かな物語は、そうして終わり。
心優しいお姫様は、これ以上の被害を出さないようにと、プレゼントで一杯になった
幸せになろうとしてはいけない。人の愛を求めてはいけない。
ただ静かに生き、ただ静かに死ぬ。
それだけが、アンアンに許された生涯。
彼女の原罪は、【
彼女が喪った真実の愛は、二度と戻らない。
……そのはずだった。
「…………な、にを……は……?」
かろうじて吐き出されたアンアンの言葉に対し、ミオンは一通の書類を差し出した。
どうやら精神科に入院している、廃人となったアンアンの両親、それぞれのカルテらしい。
反射的に飛びついたアンアンは、それに目を通していく。
彼女の隣にいた2人も、状況を把握しようと覗き込んだ。
難しい文言も多く、内容の全てを理解できるわけではないが……。
明確に、理解できたことがあった。
ずっとずっと、どれだけ何を試しても好転していなかったはずの、2人の症状。
それが丁度、4か月前……ミオンが牢屋敷の管理人に就任した辺りから、明確に好転して。
そうして、最新のカルテには。
記憶と精神が完治したらしいことと、リハビリのため他病院に移送されたことが記述されていた。
「まず、謝るよ。ごめんね、かなり時間がかかってしまった。
何故そうなっているかの原因の割り出し、それを解決する魔法の選定、【分身】の魔法を使った臨床実験、それから長期的な魔法による療養……。
僕のリソースを全部そこに吐くわけにもいかなかったから、どうしても時間が必要だった」
その言葉は、果たしてアンアンの耳に届いていただろうか。
ただ呆然と、カルテに向き合うことしかできていない。
想像など欠片もしていなかった僥倖……いいや、奇跡といっていいそれを、彼女の脳は処理し切れずにいた。
……父が。母が。
アンアンが、殺してしまったはずの、優しい両親が。
完治した? 治った?
……生きている?
十秒近くかけてようやくそれだけ理解できたアンアンは、叫んだ。
「ほっ、ほんっ、とうに……本当に!? 本当に、2人が、生きているのか!?
嘘じゃないだろうな、そんな、もしそうだったら許さないぞ!!」
そこに込められた感情は、怒りでも悲嘆でもない。
微かに掴んだ頼りない希望を確かめるような、そんな必死さに満ちていた。
その緊張を解きほぐすように、ミオンは力強く頷く。
「誓おう。僕の手で、確実に、後遺症なく、完全に完治させた。
まあ、長いこと廃人状態だったから、筋力は衰えていてリハビリをしなきゃならないが……その心は、確かに取り戻したとも。
2人とも、君のことを心配して、また会いたいと言っていたよ。ほら、写真」
渡されたのは、優し気な病衣の男女が笑顔を向けている写真。
2人とも痩せ細り、不健康的なくらいに肌が白く……。
けれど、確かに生きている。
見慣れていた笑顔を、浮かべている。
……被写体が誰かなど、確かめるまでもないだろう。
写真を受け取ったアンアンが、大切な宝物のように、胸に抱き込んでいる姿を見れば。
「ぁぁ、ぁぁあああ、あああああ!!」
いつか聞いた、恐怖と混乱に満ちた絶叫とは真逆の、言葉にならない歓喜の咆哮。
それと共に、管理人室に感情の雫が、ぼたぼたと流れ落ちる。
一人の少女の、あるいは救済と言ってもいいかもしれない瞬間を前に。
ノアは彼女に寄り添い、「良かったねぇ」と涙ぐんだ笑顔で背中をさすって。
マーゴは……内心の動揺を押し殺して、同じようにアンアンの肩に手を置いた。
家族愛という概念を持たないマーゴにとって、アンアンの歓喜は理解し難いものだ。
……けれど、ふと。
泣きじゃくるアンアンを見て、思う。
例えば、エマちゃんが死んだと知らされて。
一度、心の中でそれを割り切って。
けれど、心のどこかに傷が残って。
その後、実は生きていたと知ったなら……私も、同じように思うかしら、と。
それを想像すれば、少しだけ。
ほんの少しだけ、彼女の感情を共有できた気がして。
アンアンの肩に置かれた、詐欺師の冷たい手に、少しだけ熱がこもった気がした。
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