いよいよ強くなる寒気に、冬の訪れを感じる夜。
マーゴはエアコンの効いた自室で、ベッドに横たわりながら、本土にいるはずの少女へと通話をかけた。
少々重要な用件での通信だったが、彼女に緊張は見られない。
むしろ弛緩一歩手前、非常にリラックスしていることが表情から窺える。
「~♪」
彼女にしては珍しく、はしゃぐように鼻歌まで歌いながら待つこと数秒。
前もって時間を作ってほしいと言っていたこともあり、コール音は僅か2度、すぐに向こうから声が聞こえた。
「もしもし」
『もしもし、マーゴちゃん? 久しぶり!』
スマホの向こうから響くのは、どこかじゃれついてくる子犬を思わせる、明るい少女の声。
聞き慣れたそれに、知らずマーゴの口端が笑みに歪んだ。
「ええ、久しぶり、エマちゃん」
* * *
マーゴが通話をかけたのは、彼女の仲間の一人であり……。
あの事件において、二階堂ヒロと共に中核を担っていた少女だ。
桜色のメッシュの入った白い髪。
元気でわんぱくな小動物を思わせる、大きな丸い目。
何かとドジで不器用で、頻繁に転んでしまい、恥ずかしそうに笑って。
……けれど、あの地獄の日々でただ一人、諦めずに全員生還という希望を口にし続けて。
幼馴染であるヒロの助力を得て、ついにはそれを現実にした主人公。
桜羽エマだった。
桜羽エマという少女を形容するのなら、「普通の少女」という表現が最も適切だろう。
困難に行き当たれば、内心では難しいと思っていても、できることからがむしゃらに頑張ったり。
辛すぎる現実に直面すれば、どうしようもなく凹んで、倒れるところまでいったり。
時には構ってほしいあまり、わざとミスをして、友人の気を引こうとしたり。
時には絶望を突き付けられても、決して諦めず、誰より強く希望を示し続けたり。
良いところもあれば悪いところもある。
カッコ良い時もあればカッコ悪い時もある。
そんな、どこにでもいそうな普通の女の子。
だが、大魔女たる月代ユキは、そんなエマをこそ選んだ。
【禁忌】を刻み、【魔女殺し】の魔法を授け、彼女の耳元で殺意と憎悪を囁き続けて。
それでもなお、彼女が光を望んだのなら、自らの計画をすら手放そうと。
あるいは、何故彼女だったのかと、疑問に思う者もいるかもしれないが……。
その気持ちの一端を、マーゴは理解できる気がしていた。
エマはいつだって「普通」を語る。
自分にとっての「普通」を。彼女の生きる世界の、温かな陽だまりのような「普通」を。
暗い世界に生きる者にとって、それは理想論としか思えない。
例えるなら、演劇で使う書き割りだ。綺麗には見えても、あくまでハリボテに過ぎない。
悪意と暴力に支配された現実世界で、そんなお優しい理屈が通用するわけがないのだから。
……けれど。
人間によって同族を悉く殺されたユキや、ずっと人の悪意の中で生きていたマーゴのような、暗く冷たい世界に生きる者にとって。
そんな優しい、自分の知らない温かな理想は、時に救いにすらなり得る。
1周目の世界、マーゴとココ、そしてエマの3人だけが残った、絶望しかない牢獄で。
ただ一人でも生き残ろうとしたマーゴが……けれど、彼女自身の意思でエマを庇ったように。
無駄になるとわかっていても、自分の一番大切なものを投げ出してでも、信じたくなってしまう。
きっと、ユキもそうだったのだろう。
あの温かくて可愛らしい少女を、その太陽のような笑顔を、信じたいと思ってしまったのだ。
* * *
『それでね、ハンナちゃんが言うんだ。
「いやタオルを炙っても炙りタオルにはなんねーんですわよ、燃えるだけですわ勿体ない!! ほらそこ! アリサさんも、桜羽が言うなら……みたいな感じでライター取り出すのおやめなさい!」って』
「エマちゃん、もうちょっと常識を学んだ方が良いかもねぇ」
『辛辣にアドバイスされちゃった!』
「というか、アリサちゃん、火器は大丈夫になったの? 持つの嫌がってたわよね?」
『あっ、うん! 今はリハビリ中で、小さなライターを持ち歩いてるんだって』
「みんな、少しずつ頑張ってるのね。偉いわぁ♡
こっちでもね、ノアちゃんが管理人さんに絵を見せられるようになって……」
静かな夜、最近あったことをぽそぽそと語り合う。
マーゴは普段、表立ってエマと関わることはあまりない。
エマと仲の良い少女たちのいる場では、一歩引いて見守るようなポジションを取るのが基本だ。
けれど、こうして一対一で話す時は、少々長話になることもある。
話題は、どうでもいい雑談が大半だ。
最近あった面白かったことや、悲しかったこと。
友達との距離感の悩み、爪の手入れの話、肌荒れへの対策法、最近のヒロ速報。
相槌を打っていれば、「聞いて聞いて!」と必死に伝えようとしてくるのが可愛くて……。
何より、ただ話しているだけでも、なんだか心温まるような心地になる。
ユキちゃんも、エマちゃんといた時は、こんな感覚だったのかしらね。
そんなことを思いながら、彼女はひと時、友人との会話を楽しんだ。
……そうして、1時間程、色々と話した後。
ふと思い出したように、エマが言い出した。
『あっ、ごめん! 楽しくなっちゃって色々話し過ぎたかも!
マーゴちゃん、何か要件があったんだよね? 何かあったの?』
「いいのよ、私も楽しかったからね♡」
からかうように、煽るように、あたかも嘘のように。
けれど本心からの感想を伝えて、マーゴはクスクス笑う。
そうして一度、切り替えるように咳払い一つ。
彼女はついに、本題を切り出しすことにした。
「少し、あなたにとっては辛いかもしれないけれど……お願いがあって。
月代ユキちゃん。彼女がどんな人物だったか、教えてほしいの」
* * *
月代ユキ。
この世界に最後に残された原初の魔女であり、世界に魔女因子を広めた、あの一件の真の黒幕。
彼女のことを知りたがる者は、枚挙に暇がないだろう。
事情を知りたがる日本政府、魔法について知りたがる研究者、魔女という存在を探求する生物学者、隠された歴史を暴こうとする歴史研究家。
もはや記憶の中にしか存在しないとはいえ、唯一の魔女という希少価値は、莫大な価値を持っている。
が、しかし。
今回マーゴが知りたいのは、魔女だの魔法だのといった、超常的なことではない。
月代ユキが、どんな人……いいや、どんな存在だったのか。
そのパーソナリティについて、友人であったエマに訊く必要があったのだ。
先日、牢屋敷の管理人であるミオンが見せた表情が、マーゴの胸に引っかかり続けていた。
『……まあ、【人】では、ないけどね』
そう言い浮かべた、寂し気な笑顔。
それは、この数か月の付き合いの中で、ミオンが初めて見せた素の表情。
常に余裕ありげな微笑が浮かんでいた鉄仮面が、初めてひび割れた瞬間だった。
次の瞬間には消え去ったそれは、けれどマーゴの瞼の裏に焼き付いた。
初めて見えた、彼の心の瑕疵。
……悪趣味かもしれないが、マーゴはそれを知りたいと感じてしまっている。
弱みを握りたい、情報アドバンテージを得たい。
そういった思いがないわけもないが……それ以上に。
父からも母からも愛されなかった、【愛を知らない】樋口ミオン。
マーゴはいつしか、彼に強く興味を惹かれていた。
しかし、樋口ミオンという存在を知ることは、とても難しい。
日本政府の協力者として、身元情報や過去は徹底して隠蔽されているだろうし……。
長い年月をかけて培ったと思しき、マーゴを越えるポーカーフェイスやトークスキルからして、話の中で彼を測ることもなかなか難しいだろう。
真っ当な手段のアプローチは、おおよそ通用しない。
あるいは、真正面からあなたのことを教えてほしいと願えば、普通に教えてくれそうな気もするが……それは他人に弱みを見せないマーゴのスタンスと噛み合わない。
であれば、他に考えられる経路は……。
よく似た存在を知り、そこから類推することだ。
彼と同じく、原初の魔女に連なる者である、月代ユキ。
魔法と言う絶大な力を持ち、けれどそれを大っぴらには使うことなく、人間の中に隠れ潜んでいた者。
果たして彼女は何を考え、どんな思いを胸に抱いて、人間の中で生きているのか。
それを知ることは、きっとミオンへの理解の一助となるだろう。
『ユキちゃんのこと? えっと、唐突だね』
エマの返答からは、困惑が窺えた。
それも当然のことだろう。
エマに【禁忌】を植え付けた相手であり、魔女因子の根源であり……そして、彼女とヒロの友達。
あの事件から半年近く経った今でも、ユキはエマにとって、複雑な思いを抱く相手だ。
更に言えば、世界から見ても相当微妙な立場であるのも事実。
突然彼女のことを問われれば、咄嗟に警戒が出るのはおかしな話ではない。
その反応を予期していたマーゴは、緊張を解きほぐすように、優し気に言う。
「ごめんなさいね。少し思うところがあって、ユキちゃんが人間として生きていた頃のことを聞きたいの。
誓って悪いことのためじゃないわ。政府に言われたわけでもない」
『うーん……うん、わかった。
マーゴちゃんのことだし、何か考えがあるんだよね。話すよ』
エマは少しばかりの説得で、ころっとマーゴの話を信じてしまう。
期待通りの純粋さに、マーゴは声を乗せないよう、こっそりと笑みを漏らした。
『そうだね、じゃあ、あの時のことを話すけど……』
そうして、エマは語り出す。
彼女の孤独を埋めてくれた友人のことを。
……彼女が孤独を埋めた、友人のことを。
『私が出会った頃のユキちゃんは、なんていうか……世界の中にたった一人、馴染めてないような感じで。
そう、すごく、【孤独】そうに見えたんだ』
炙りビン、ハンナさんが残ってたらめちゃくちゃ良いツッコミしてくれたと思う。
あと裁判中じゃなかったらアリサさん、「桜羽が言うんなら、試してみる価値くらいはあるか……」って【発火】してくれそう。