嘘吐少女ノ魔女愛談   作:アリマリア

20 / 44
宝生マーゴの世界が終わる日(2)

 

 

 

 かつて、少女の地獄があった。

 

 地獄といっても、世界総体から見れば、大層な話ではないのだろう。

 月代ユキが味わったそれと、方向性は変わらないし。

 樋口ミオンが辿ったそれに比べれば、ずっとずっと薄味だ。

 

 しかし、彼女にとって、それは紛うことなき地獄だった。

 

 

 

 彼女が生まれた時、既に父はいなかった。

 彼女の自我が芽吹いた時、既に母は疲れ切っていた。

 幼い少女は一人、誰にも見つからないゴミ溜めの中で暮らしていた。

 

 ああ、でも、それ自体は地獄でもなんでもなくて。

 彼女にとってはむしろ、落ち着いていた時期にあたるだろう。

 

 母はまだ、少女に興味を持っていた。

 「愛している」と、そう言ってくれたのだから。

 

 

 

 ある日。

 ゴミ溜めに、男がやってきた。

 

 少女の母は、男を「愛している」らしい。

 その代わりと言わんばかりに、少女に「愛している」とは言わなくなった。

 完全に興味を失って、少女を子供ではなく、転がっているゴミの一つとして扱うようになった。

 

 【愛】は有限なのだと、彼女は自ずと気付くことになった。

 

 そうして襖の向こうで、母は毎日、男に愛を与えていた。

 男もまた、それに見返りをくれた。

 

 暴力。罵声。投棄。破壊。凌辱。強奪。

 何故、それが見返りになるのか、少女には分からなかったが……。

 

 

 

 けれど、ある日。

 彼女はそれを理解することになった。

 

 

 

 男が、少女の隠された四畳半のふすまを開いた。

 

 そうして男は……。

 

 【愛している】と言って。

 少女に、母に与えられていた見返りをくれた。

 

 執拗に。

 執拗に、執拗に、執拗に執拗に執拗に執拗に。

 数えきれない程に、暴力が振り下ろされた。

 

 そんな少女を、母親は助けることもなく、冷めた目で見下ろしていた。

 その目にあったのは、侮蔑だけで。

 かつて向けられていた、そのはずだった温かなものなど、どこにもなかった。

 

 

 

 聡い少女は理解した。

 

 男の暴力は、【愛】だった。

 母の愛に、男はやはり【愛】を以て返していたのだ。

 

 そして、【愛】は有限でしかなく。

 男がマーゴから母の愛を奪ったように、少女は母から男の【愛】を奪ってしまった。

 

 だから、嫌われた。

 だから、棄てられた。

 だから、裏切られた。

 

 【愛】故に。

 全ては、腐り落ちていった。

 

 

 

 ……私は……。

 

 とてもとても、いやだったのに。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 違うと、口に出して言った。

 

 あり得ないと、必死に思い込もうとした。

 

 認めないと、そのまぶたを塞ぎたかった。

 

 

 

 けれど……。

 マーゴの父親を名乗るような人間は、結局、ただ一人しかいない。

 

 最悪の未来は、的中することとなった。

 

 

 

「マーゴ! ああ、【愛しの】マーゴ! 会いたかった!

 久しぶりに会ったけど、一層美しくなって、お父さんは嬉しいよ!」

 

 ヘリから降りた男は、身なりが良かった。

 

 きっと高級なのだろう白のスーツに、綺麗に締まったネクタイ。

 やや加齢は見えるものの、顔立ちも精悍と言っていい部類だろう。

 その立ち振る舞いも堂々として、おかしなカリスマのようなものさえ出ているように思えた。

 

 

 

 あるいは、多くの女性が魅力的と捉えるかもしれない男を見て……。

 けれど、マーゴはただ、凍り付くように身を縮こめた。

 

「か、ひゅっ……!」

 

 喉から、変な息が漏れた。

 一歩、足が勝手に後ろに下がって、けれど震えてそれ以上動かない。

 全身の感覚が消え失せて、視界はぐらぐら揺れる極彩色。

 普段から白い肌は、今や不健康に青白くなっている。

 

 体が、心が、脳が。

 マーゴの全てが、目の前の男に対し、拒否反応を示している。

 

 マーゴから愛を奪い、マーゴに【愛】を与えたこの男を。

 

 

 

 マーゴの様子がおかしいことを察したノアとアンアンは、咄嗟にその体を支えた。

 

 恐れている。あるいは嫌がっている。

 そうとしか思えない態度に、マーゴの友人たる2人は、声を上げようとして……。

 

 けれど、その直前。

 

「ああ、マーゴ。久々に会うから緊張しているのかな?

 ほら、お父さんだよ? もう大丈夫だ」

 

 優し気を象った言葉に、機先を制されてしまう。

 

 家庭の問題だと、そう主張されてしまえば、彼女たちは何も言えない。

 少なくとも彼女たちの常識からして、家庭の在り方は千差万別。他人が口を出すべきものではない。

 明らかに様子がおかしいように思えるマーゴのそれも、「久々に父親に会えたことによる緊張」とされてしまえば、それ以上口出しできない。

 

 マーゴが彼女たちに、父を名乗る男に関して何か話していれば、また違っていたかもしれないが……。

 彼女はその男を思い出すことを拒むように、口を閉ざしてしまっていた。

 

 だから、何も知らない彼女たちは、一歩を踏み出すことができずにいた。

 

 

 

 そして、マーゴには理解できた。

 男が今、2人を黙らせるよう、わざわざ言葉を選んだということを。

 

 盤面は、既に男の術中だった。

 その弁舌と立ち振る舞いを以て、彼はこの場の雰囲気を掌握している。

 

 それも、やって当たり前、できて当たり前だ。

 

 なにせその男は、マーゴの知る【愛】の源泉であり……。

 詐欺師としての、マーゴの出発点でもあるのだから。

 

 人に取り入り、口先で騙し、都合良く利用し、玩具のように使う。

 彼女は男のその様を、襖の間から何度も見ていた。

 網膜に焼き付くその光景は、彼女のあらゆる常識と技術の根幹を成している。

 

 良くも悪くも。

 子供は、身近な大人を見て、学ぶのだ。

 

 技術も、そして【愛】の在り方さえも。

 

 

 

「良かったよ、突然いなくなってしまったから、マーゴのことをずっと心配してたんだ」

 

 滔々と、まるで優れた父親かのように。

 男は、にこやかに笑い、口を叩いた。

 

 その目の奥に、あの日と同じ昏い輝きを見て、マーゴの体と心が更に硬直を深める。

 

「いっ……」

 

 いやだ。

 

 その言葉が、簡単なはずのたったの一言が、口に出せない。

 酷く速く、吸って吐いてを繰り返すばかりの口は、普段のように滑らかに回ってくれなかった。

 

 

 

「一緒に帰ろう、マーゴ。また2人で過ごそうじゃないか。

 ……また、【愛して】あげるよ」

「ッ、ぁ……!?」

 

 その言葉に、脳裏にフラッシュバックする。

 

 男の【愛】が。

 マーゴが何度も、何度も何度も何度も受けた【愛】が。

 

 わかっている。

 男は敢えて、マーゴに余計なことを喋らせまいと、心を攻撃してきていると。

 

 けれど、頭の片隅でそれを理解していても。

 どれだけ体を動かせ、声を上げろと命令しても。

 それ以上に強く、体が強張り凍り付いて、彼女の行動を封じ込める。

 

 

 

 【禁忌】。

 マーゴにとって、男はその象徴だ。

 

 夏目アンアンにとって、意思のない両親がそれだった。

 佐伯ミリアにとって、ネット上に流出した動画がそれだった。

 遠野ハンナにとって、手の中で冷たくなる妹がそれだった。

 沢渡ココにとって、あの日に見た狂気の双眸がそれだった。

 

 少女たちのトラウマの根幹。

 彼女たちの心を壊し得る、唯一絶対のウィークポイント。

 

 他の全てに対しては取り繕えたとしても……。

 それを前にした時、脆い少女の心は、簡単に手折られてしまう。

 

 精神的に屈強であるはずのマーゴでさえも、例外ではない。

 現に今、彼女は最大の武器である言葉さえも発せず、逃げるための足すら動かせないのだから。

 

 

 

「マーゴ、【愛している】よ。……だから、【こっちに来なさい】。一緒に帰ろう」

 

 ビクリと、マーゴの体が一際震えた。

 

 今の言葉には、男の【愛】が含まれていた。

 他の者たちには気付かれない程度の、けれどマーゴにあの日々を思い出させるには十分な、毒の音色。

 

 命令だ。

 お前は俺のものだ。俺に従え。黙って【愛】を受け入れろ、と。

 

 彼女の体には、心には、その日々の傷痕が残っている。

 逆らえば、より激しく痛みを伴う【愛】がもたらされることを理解している。

 だから、それを避けるために、従わなければならない。

 今すぐに、その命令を遵守しなければならない。

 

 刻むように教え込まれたそれは、半ば反射の領域。

 彼女の脳が凍り付き、まともに思考できずとも、自然と体が行動を取らせる。

 

 マーゴの足は、彼女の意思を伴わず、男へ向けて歩き出した。

 

 彼女の友人たちは心配そうにしつつも、けれど彼女の意思なのだろうと、それを止められず……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それは違うよ」

 

 その場で動けたのは、ただ一人。

 

 樋口ミオンは、凍り付いた状況を打ち砕き。

 彼女の行先を塞ぐように、あるいは彼女を庇うように、マーゴの一歩前へと歩み出た。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。