嘘吐少女ノ魔女愛談   作:アリマリア

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宝生マーゴの世界が終わる日(3)

 

 

 

「それは違うよ」

 

 これまで、ただ事態を静観していたミオンが、不意に動いた。

 

 男へと足を進めようとするマーゴを止めるように。

 あるいは、男からマーゴに向けられる穢れた視線を遮るように。

 彼はマーゴの前に、背中を見せて立ち塞がる。

 

 マーゴの歩みは、目の前に障害物が現れたことで自然と止まり……。

 驚きに視線を上げれば、そこにはぼんやりと記憶していたものより、ずっと大きく見える背中があった。

 

 ……背を見せる、なんて。信頼できない他人には、やっていいことではない。

 普段のマーゴであれば、相手の迂闊さを嘲笑するか、あるいは苦笑するところだったが……。

 

 今の彼女の心は、何故だかそれに、酷く安堵しているようで。

 震える指先は、シャツの端を掴み、きゅっと握る。

 

 それだけで……【孤独】ではないのだと、そう思えた。

 

 

 

 対し。

 突然行動を取ったミオンを見て、男はほんの刹那眉を寄せ、すぐにぱっと笑顔を張り付けた。

 

「ああ……ここには管理人がいる、という話だったね。察するにあなたがそうなんだろう、これまでマーゴのことをありがとう。

 しかし、違う……とは何のことかな? まさかとは思うけど、あくまで管理人に過ぎないあなたが、子供を【親元へ帰すことを拒む】とは言わないよね。

 こんな【辺鄙な場所】より、子供は広い社会を見ながら、【親の監督下】でのびのびと成長すべきだ。そうだろう?」

 

 穏やかに、けれど間髪を入れずに畳みかける言葉。

 

 自分が親として相応しいか、親権の有無、マーゴの意思など、語れば不利になる話は語らず。

 恣意的に強調した言い方や同調の要求によって、相手の勢いを削ぐ。

 そうして社会的常識を盾に取って、相手の意見を封殺しようとする……。

 正しく、詐欺師の論調だ。

 

 そして、同じく弁の立つマーゴだからこそ理解できる。

 これは【煽動】なのだと。

 

 仮に男が挙げなかった話を持ち出したとしても、のらりくらりと躱されてしまうだろう。

 親という立場。社会的道徳において非常に強力なそのカードを握っている以上、男はその話の筋においておおよそ負けることがない。

 だからそこを指摘されても構わないし、むしろ想定外の話題を持ち出されるよりペースに乗せやすい。

 

 【反論】や【賛成】、【偽証】に【疑問】。

 そうやって相手の議題に沿って返答をしてしまった時点で、話に乗ってしまった時点で、負ける。

 

 これはそういうキラーパスだ。

 

 

 

 しかし、それを受けて、ミオンは全く動揺を見せず。

 今出ている議題を切って捨てるように、【提起】した。

 

「あなたは今、マーゴさんに【愛している】と言ったね」

「ふむ、確かに言ったけれど……しかし、見たところ君は10代後半から20代かな? 目上の人間には敬語を使った方がいいよ。私は気にしないが、うるさい人はうるさいからね」

 

 相手の話に切り返しながら、あくまでも道徳的に攻撃を続ける男。

 ミオンはそれを受けても表情一つ変えず、【無視】して話を続けた。

 

「それは【嘘】だ。あなたはマーゴさんを【愛して】などいない」

「……ほう、言ってくれるじゃないか。可愛い娘を、私が愛していない、と?」

「ああ、そうだよ」

 

 

 

 ……実のところ。

 穏やかながらも断言するミオンに対して、男は、内心で歯噛みしていた。

 

 目の前の男は、一番やり辛いタイプだ、と。

 

 詐術に話術、交渉術。

 それらは基本的に、共通する常識の上でこそ機能する。

 

 同じ社会通念を持ち、同じ常識を持ち、同じ倫理観を持つ。

 だからこそ、社会的正義や法律上での正誤を元に攻めれば、動揺する。退かざるを得なくなる。

 

 今の問答もそうだ。

 普通、子供を持つ親に対し、「あなたは子供を愛していない」なんて断言はできない。

 それに対して怒気を演出しながら確認を取れば、そこを疑ったことを恥じ、引き下がるのが普通。

 親と子の【愛】の形など千差万別で、そこを踏み越えるのは常識外れだからだ。

 

 だから、こういう常識や社会通念に囚われない、独自の感覚を持ったタイプは、とてもやりにくい。

 

 

 

 ……だが、今の問答で少しだけ、彼の脆弱性は覗けた。

 男は表情を巧みに操り、多少の苛立ちを封じ込めるような雰囲気を見せつつ、顎を撫でる。

 

「ふむ……言ってくれるね。

 だが、君こそ間違っているよ。私は確かにマーゴを【愛して】いる。

 君には理解できないかもしれないけれど、世界には色々な【愛】の形がある。自分が知らないからと、他人のそれを否定するのは間違いではないかな?」

 

 ミオンの【愛】という言葉には、重みがない。

 恐らく、【愛】を知らないからだ。

 

 マーゴがヒロとの問答を経て辿り着いた答えを、男は既に掴み取っている。

 話を通して人の弱みや精神的欠陥を探り当てるのは、彼にとっての日常であり、呼吸にも等しい。

 

 故に、この方向で攻めれば、相手は必ず動揺する。

 そこから切り崩して精神的に屈服させ、最終的にはマーゴを「所有」すればいい。

 

 男は内心、ほくそ笑んでいた。

 問題なく、目的を果たせそうだと。

 

 

 

 数週間前まで、男はマーゴの存在を、半ば忘れかけていた。

 若いころに引っかけて遊んだ女の子供であり、そこそこ楽しめた【遊び道具】。

 ゴミ屋敷の中で死んだ目をしていた子供など、男にとってそれ以上の価値を持たなかった。

 

 しかし、数週間前。

 偶然、彼の情報網の片隅に引っかかったのだ。

 

 宝生マーゴ、他10人余りの少女たちが、何かしらの国家ぐるみの悪事に巻き込まれ、消息を絶った。

 そして最近、無人島のはずの島に物資を持ち込むクルーザーが目撃されており……。

 少女たちは今、この船が行く先で国に保護されているらしい、と。

 

 その独特な名前を聞いて、男はマーゴのことを思い出し。

 使える、と思った。

 

 国家の悪事の情報……。

 それは果たしてどれだけの価値があり、どれだけの金になるのか。

 マーゴさえ確保すれば、自動的に男はそれを知ることができる。

 

 幸いにして、男は幼少期のマーゴをしっかり「仕込んで」いる。

 頭で余計なことを考える前に、体が男の命令を聞くはずだ。

 

 親として、マーゴを引き取ること自体には正当性がある。

 政府に対しては、被害者であるマーゴを国には預けられない、という理屈で勝てる。

 マーゴ自身の意思など、封殺してしまえばいい。

 他の者も、あくまで家庭の問題であることを強調すれば、決して強くは出られない。

 

 それだけで多額の金に等しいものが手に入るのだから、簡単な仕事だった。

 

 

 

 ……そのはずだったのだ。

 

 目の前の、管理人さえいなければ。

 

 

 

「そうだね。あなたの言う通り、僕は【愛】を知らない」

 

 男の中傷にも近い言葉に、けれど特に何か思う様子もなく、ミオンは男の言葉に頷いて見せた。

 

「少々、生まれが特殊でね。母は僕を生むとほぼ同時に死んでしまったし、父にとっては邪魔者だった。

 それからも、まあ、日の当たる道を進んではいなかったからね。

 【愛】と呼ばれる人の感情について、十分な知見があるとは言えないだろう」

 

 ノアとアンアンは、唐突に語られた昏い過去に目を見開き。

 男とマーゴは、ミオンの言葉に、微かな違和感を抱く。

 

 その言葉は、酷く乾いていた。

 温かな感情も、冷たい感情も、殆ど含まれていない。

 

 自らの痛ましい過去を語るそれはしかし、重々しい独白でも毒のこもった吐露でもなく、ただ相手と共通認識を作るための情報交換に過ぎない。

 

 牢屋敷の少女たちに、今日の連絡事項を伝える時と……。

 ……あるいは、マーゴに【愛】を語った時と、同じような。

 

 含むものが一切ない、軽い言葉だった。

 

 

 

 しかし。

 

「けれど、そんな僕でもね。少しだけ、【愛】について知っていることがある」

 

 その言葉を境に、彼の声には、重さが伴った。

 

「他者を尊重せず弄び使い潰す、利己的な言葉と感情。

 あなたのような人間を、僕は知っている。そしてそれが【愛】ではないことも」

 

 ……マーゴだけが、その言葉が指し示す相手を理解できた。

 

 ミオンの母を……原初の魔女たちを悉く殺し、辛うじて生き残った者を慰み者にした人間。

 彼にとっての血縁上の父親であり、生まれた彼を冷遇し、無視し続けた男。

 

 ミオンは、【愛】を知らないというが。

 けれどその上で、かつて父親だった男が抱いていたそれが、【愛】ではないと確信しているのだろう。

 

 

 

 指先に感じる温かさに少しだけ余裕を取り戻し、そんなことを考えるマーゴに……。

 不意に、前方から、言葉が投げかけられた。

 

「マーゴさん」

「…………っ」

 

 ミオンに小声で名を呼ばれ、けれど震える唇はまともに言葉を紡げない。

 

 けれど、それを気にした様子もなく、ミオンは言葉を続けた。

 

「この前言ったように、僕は君のために何をすればいいか、君が何を望んでいるかわからない。

 だから、教えてほしいんだ。君が今、本当はどうしたいか。

 僕が必ず、それに応えるから」

 

 マーゴにとって、それは無茶な要求だった。

 

 今のマーゴは、男の【愛】を叩き付けられ、ただ一言すら発するのが難しい程心が委縮してしまっているし。

 そうでなくとも、相手に対して要求を口にすることは、つまるところ自分の不足や弱みを晒す行為であり、信頼できない相手にすべきことではない。

 

 幼い頃に理解してしまった【愛】への恐怖は、今も彼女の心身を縛り付けている。

 

 それを理解しているからこそ、男はマーゴが周囲に助けを求められるとは思っていなかったし。

 ノアやアンアンも、咄嗟に彼女の心情を代弁しようと、一歩踏み出しかけて。

 

 

 

 けれど。

 

「…………たす、けて」

 

 小さな小さな呟きに。

 きゅっとミオンのシャツを掴むマーゴが、必死に絞り出した意思に。

 

 全ての予想は、覆ることになった。

 

 

 

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