嘘吐少女ノ魔女愛談   作:アリマリア

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宝生マーゴの世界が終わる日(6)

 

 

 

【人を憎んではなりません】

【人を愛し、人に愛されなさい】

 

 それは、ミオンの意識が生まれた瞬間から、脳内に響き続ける声だった。

 

 その遺言の意味を理解するには、言葉を知るまで待たなければならなかったし。

 母による【伝言】の魔法だったと知るのは、更にずっと後……。

 

 己の手で、父であるらしい男を殺害した時だった。

 

 

 

 別に、その男を憎んでいたわけではない。

 時折暴行こそ受けていたが、当時の彼にとってそれは【当たり前のこと】で、悲しむべきことではなかったし……。

 何より、未だ痛覚の機能が発達していなかったから、彼は【痛み】という観念自体を理解できていなかった。

 

 だからその行いの理由は、憎悪ではなく。

 ただの、成り行き。

 

 化け物を凌辱していた男が、化け物の生んだ化け物を愛するわけもなく。

 その小さな化け物が、独自に知恵を付けていることに気付けば、恐れることも当たり前で。

 有害なゴミがあれば、処分しようとするのは自然な流れだし……。

 

 「生きたい」という、生命体として当然の欲求を持っていた彼が、それに抵抗するのも、また妥当な顛末だった。

 

 全ては、川の水が上から下へ流れるように。

 提示される【選択肢】など、一つもありはせず。

 

 ミオンは……いつか樋口ミオンを名乗る怪物は、父親を殺したのだ。

 

 

 

 彼はどうやら、母方の遺伝子を色濃く受け継いでいるらしく。

 生まれついて、人間には使えないはずの力を使えた。

 

 まるで手を伸ばすように、足を動かすように。

 火を点けることも、水を操ることも、人を真似ることも、視線を捕らえることも、治癒することも、幻を見ることも、地から浮くことも、強い力を振るうことも、精神を操ることも、相手を覗き返すことも、行動を強制することも……。

 

 そして、死をトリガーとして時間を逆行することも、できた。

 

 【死に戻り】の魔法がなければ、ミオンはとうの昔に死んでいただろう。

 赤子の頃から、何度も何度も弾みで殺され、やり直し、辛うじて命を繋いでいたのだから。

 

 当然、父が本気で彼を殺そうとしてきた時も、彼は死んだ。

 父はどうやら、人間としては極めて優れた戦士であったようで、やり直しの回数は辛うじて両手で数えられる程にもなった。

 

 何もできず殺され。

 説得を試みて殺され。

 愛着をそそっても殺され。

 逃亡を試みて殺され。

 防御を固めても殺され。

 有効な魔法を探りながら殺され。

 人を害する技術を磨いて殺され。

 相手の嘆願を聞き入れて殺され。

 

 【人類を殺す魔法】を使い、殺した。

 

 

 

 そうしてようやく、父の命をその手の平に乗せた時。

 命乞いの中で、ミオンは初めて、自身のルーツを知り得たのだ。

 

 魔女。母。魔法。そして、自分の中に響く遺言。

 

 それを理解して、彼が抱いた感情は……。

 

 驚嘆、だった。

 

 

 

 父に何度も命を奪われた故に、彼は殺される恐怖を知っていた。

 原初の魔女たちも、攻め込んで来た人間に、同じものを抱いたはずだ。

 その上、母はどうやら非道な行いを受けていたようだし、人間を憎んでいてもおかしくない。

 

 それなのに……母が遺した言葉は、その正反対。

 

【人を憎んではなりません】

【人を愛し、人に愛されなさい】

 

 

 

 ……何故なのか。

 

 人に復讐しろ、でもなく。

 人から隠れろ、でもなく。

 

 人を憎まず、愛し愛されろ、と。

 母がその言葉を遺したのは、一体何故なのか。

 

 彼には全く理解できなかった。

 

 彼は父であるらしい人間の命を奪いながら、彼はそれに思いを馳せ……。

 

 

 

 そして、なんとなく悟った。

 

 それは恐らく、自分の知らない概念、【愛】故なのだろうと。

 

 

 

 樋口ミオンは【愛】を知らない。

 

 母が遺した言葉はあまりにも少なすぎて、それを実感することなどできなかった。

 父から与えられたのは無視と加害だけで、それは到底【愛】とは呼べなかった。

 

 故に、それはあくまでも想像や推測の類に過ぎなかったが……。

 

 生きる目的を持っていなかった彼にとって、それはある種の救いにもなった。

 

 【愛】は、すごいものなのだろう。

 同族をたくさん殺され、凌辱を受けた憎しみをすら、越えることができる。

 それは果たして、どれだけ強い感情なのか。どれだけ大きな情動なのか。

 

 そして、母の残した遺言は、何を意図したものなのか。

 母は自分に何を遺し、一体何を祈ったのか。

 

 

 

 【愛】を知る。

 それは彼にとっての至上課題となり、行動指針となった。

 

 人間でもなく、魔女でもない、世界に一つきりの名もなき化物。

 樋口ミオンを名乗る怪物は……。

 

 その他の何にも、生きる意味を見出せなかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「当然、定義上の【愛】は知っているよ。

 人が人を、他者を思いやる気持ち。心意気。あるいは、ただ一人の人間を受け入れる度量。

 ……しかし、残念ながら、僕はそれを実感として知らない。

 きっと母と同じ境遇に立てば、子には『可能な限り人を殺せ』と……いや、そこまでは言わないか。まあ『好きに生きろ』って、そう言ったんじゃないかな。人を憎むな、なんてとても言わない、言えない。

 だから僕はやっぱり、あの男が言ったように、【愛】を知らないんだと思う」

 

 

 

 酷く重い話を語りながらも、ミオンの口調は変わらず乾いていた。

 目線にも、動作にも、言葉にも。一切の熱さも冷たさも宿さない。

 

 かつてはそれに彼の余裕を感じ、安堵していたが……。

 その来歴を聞いた以上、マーゴはもう、心安らかにはいられない。

 

 彼は、余裕があるのではなく。

 ただ、何も感じていないのではないかと、そう思えてしまって。

 

 何が起きても動じないのは、彼が未だ何にも……自分の人生にも、起こる出来事にも、興味を抱けていない証左のように感じて。

 

 ……【宝生マーゴという個人】にも、興味がないのかもしれないと、そう感じてしまって。

 

 それを悲しく、そして寂しく思ってしまう。

 

 

 

「でも、【愛】が素晴らしいものだってことは理解してるつもりだ。

 だからこそ、僕はそれを得たいんだよ。

 【愛】を得れば、父を手にかけて何も思わなかったような僕でも、変われるかもしれない。

 母の言う通り、誰かを【愛せる】ような人間になって、誰かからの【愛】も理解できるようになるかもしれないからね」

 

 ……そして、もう一つ。

 数か月前、彼の目的を聞いた際の発言の意図も、ようやく正しく理解できた。

 

 彼は「君たちを【愛したい】だけ」と答えた。

 「愛しているから」ではなく、「愛したいだけ」。

 つまり……「愛しているが故に守りたい」のではなく、ただ【愛するという行為自体が目的】だったのだ。

 

 

 

 ずっと前の誤解が解消され、けれどマーゴの心に快いものはなく、ただ顔を俯かせ。

 

 それに対し、ミオンは申し訳なさそうにまぶたを閉じた。

 

「ごめんね、マーゴさん。僕は君たちを利用しているんだ。

 君たちに害をもたらすつもりはないけれど……純粋な善意や【愛】で行動を取っているわけじゃない」

「え? ……ああいえ、そこはいいのよ、別に」

 

 マーゴは驚いたように顔を上げ、首を横に振る。

 

 マーゴが思うに。

 そもそも人間の行動は、常に自己を中心に置き、利己のためにこそある。

 自分のために人に優しくする。自分のために誰かを助ける。

 

 だが、それでいいのだ。

 理由こそ利己であっても、行動自体が利他ならば、それは善でしかあり得ない。

 

 ずっと嘘や誤魔化しの溢れる世界で生きてきた彼女にとって、それは決して不快ではない。

 少なくとも、利己的な行動原理に気付きすらせず、さも誰かのために動いているように錯覚している偽善者よりは、自覚的な方が余程好感が持てるくらいで。

 

 彼女がショックを受けたのは、そこではなかった。

 ただ……ミオンが、自分という個人に興味があったわけではないと知って、寂しさを感じただけで。

 

 その寂しさをなくす手段は、多分、一つきりで。

 

 

 

 だから、そう。

 

 宝生マーゴの新たな道は、きっとその瞬間に定まった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「管理人さん。もう一つのお願い……いいかしら?」

「うん、是非とも聞かせてほしい。何かな」

 

 穏やかで、けれど真剣な表情を見せる、樋口ミオン。

 

 彼に向けて、マーゴは静かに、寂し気に微笑んだ。

 

 

 

「私も……きっと、【愛】を知らないの」

 

 

 

 二階堂ヒロによって突き付けられ。

 樋口ミオンによって否定されて。

 今、ようやく、マーゴはその事実に向き合うことができた。

 

 仮にまた、悍ましい【悪意】を突き付けられても……。

 きっと次は、仲間が、そしてミオンが助けてくれると、そう信じられるから。

 

 防衛本能の仮面が剥がれて、少女の心が晒される。

 

「今なら、分かるわ。

 私が受けたものは、あなたの言う通り、【愛】じゃなくて【悪意】だった。

 誰かを想う気持ちではなく、自分の欲望のための行動だったんだと思う。

 二度と……受けたいとは、思わない」

「……うん」

 

 ミオンもまた、その独白に、寂し気に眦を落とした。

 

 

 

 【愛を知る人】の原罪を持ちながら、けれど【愛】の温かさを知らず。

 偽りの【愛】を繕って、多くの人を破滅させてきた、宝生マーゴ。

 

 【無知なる博愛者】の原罪を持ちながら、けれど【愛】の強さを知り。

 自らのために【愛】を得ようと、空っぽの博愛を続けてきた、樋口ミオン。

 

 正反対のようで、けれど似た者同士の2人。

 故に、互いの受けた苦痛に共感はできずとも、誰より深く同情できる。

 

 

 

 そして、そんな相手だからこそ、きっと共に歩める。

 【孤独】だった私たちも、手を取りあえる。

 

 

 

 マーゴは胸に手を添え、跳ねる心を抑え込み……ミオンと目を合わせ、言った。

 

 

 

「だから、管理人さん」

 

「私と一緒に、本当の【愛】を探しましょう」

 

 

 







 宝生マーゴの世界が終わる日

 または、宝生マーゴと樋口ミオンの世界が始まる日
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