結論から言えば。
樋口ミオンは、驚くべき速さで牢屋敷に馴染んでいった。
『現在時刻マルナナマルマル。朝だ、朝だぞー。そろそろ起きてー。
本日の天気は晴れのち曇り、最高気温は22度。湿度も控えめで、過ごしやすい日になるでしょう。引きこもりがちな子も、たまには外に出ると気分転換になるよー。
それからみんな、朝ご飯食べ忘れないように。今から1時間以内ならパンが焼きたてで柔らかいぞ~』
「ん? 何、どうしたの? ……ん、ご両親との通話ね。了解した。
問題はない……っていうか、ちょっと無理めでも、僕が話通しておくよ。早くて明日、遅くても明後日には通話の許可が下りるはずだから、ちょっと待っててね。
いや、大丈夫大丈夫。僕、これでも結構偉いんだよ? 電話すれば一発だって一発……ああいやごめん見栄張った、流石に今すぐは無理だごめんって」
「はーい傾注傾注。
今日の午後から、地下の牢屋を一斉改修しまーす。危ないから地下には近付かないようにー。
何をするのかって? せっかくスペース空いてるし、勿体ないから再利用可能なようにリフォームです。
流石にあそこを居室にするっていうのは精神的にアレだと思うし、それならカラオケルーム的な、少人数でストレス発散できる部屋でも作ろうと思ってね。
完成したら改めて連絡するから、是非使ってみてねー」
「定期便への特注、今日までだよー。みんな欲しいもの書いたー?
ん、何? ああそれか……それ、この前次世代機出たんだよ。そのゲームも遊べるはずだから、そっちにするといいかもね。
今は抽選販売中で……ん、なんとか捻じ込んでみるか。おーけー、書いといて」
「どうしたの!? 何、喧嘩!?
よしよし、落ち着いて。一旦落ち着いて僕にも話を聞かせてくれないかな?
…………ああ、うん、そうか。この子が魔女になって、君の友達を……。
そっか、それは、辛いな。とても気持ちが分かるなんて言えないけど……想像はできる。本当に……痛くて、冷たくて、辛い。
いや、君、落ち着いて。大丈夫、君が悪いんじゃない。そもそもこんなところに閉じ込めた国が悪いんだよ。君たちはどっちも被害者なんだ。
だからどうか、責めるなら僕や国にしてほしい。……君たち被害者同士で憎み合う必要なんて、もうどこにもないんだよ」
「こら、城ケ崎ノア被疑者。また牢屋敷の壁にペンキぶちまけたね、君。
いやー言い逃れは厳しいよ、シンナー系塗料なんて君しか取り寄せてないのに誤魔化せるわけないでしょう。
こういうのをやるのは、ちゃんと許可取ってからしなさい。無断でやると事故なのか落書きなのかアートなのかキャンバスなのかわからないから清掃業務に差し障るんだ。
君のアートを否定はしないけど、周りの人にも配慮できるようになれば、きっともっと素敵だよ。
それから、これからやる時は一言ちょうだいね、僕も見たいしさ」
* * *
自身に割り当てられた居住スペース。
怪しげな占い店のように整えられた内装の中で、宝生マーゴはため息を吐いた。
「……本当に、よくもまぁ、手を変え品を変え……」
樋口ミオンの活動と、それが波及した影響は、マーゴの予測を大幅に上回っていた。
まさか……たったの1か月で、牢屋敷の一員と呼べる程までに、皆に受け入れられるとは。
多くの元魔女候補は、彼を警戒していた。
ゴクチョーのような理不尽を強いて来るのではないか。
再びあの地獄が戻ってくるのではないか、と。
その疑心暗鬼は、決して小さくない反感と隔意を生み。
最初の頃、ミオンの居場所は、この牢屋敷のどこにも存在しなかった。
常に警戒と疑惑の目を向けられ、さぞ居辛かっただろう。
けれど……。
時に寮監のように、時に教師のように、時に上司のように、時に親のように、時に友人のように。
相手の様子を見ながら距離感を調整し、相手にとって心地よい雰囲気を以て接する。
そんな対人コミュニケーションの基本にして、最も難しい技術を、当然のように実行し続け……。
更には、牢屋敷の改造や改修、島に届けられる補給物資の充実、それから少女たちの少しばかりのわがままを受け入れて、共に楽しんで……。
今やミオンは、牢屋敷の多くの少女たちから、少なからぬ好感と許容を勝ち取っている。
その手練手管を賞賛すべきか、あるいは軽蔑すべきか。
マーゴの中で、そこが難しいところだった。
これまでのミオンの立ち振る舞いや言葉に、【嘘はなかった】。
その全てが本音で、本気で、本性。
彼は偽りなく本心から、少女たちのために動いている。
……むしろ、嘘であってくれれば良かったのに。
「どうせいつか、裏切るためでしょうに」
唇から、誰にも聞かれることのない言葉が零れ落ちる。
信頼は、裏切るためにあり。
愛は、傷付けるためにある。
これは、マーゴがその昏い生涯の中で学んだ哲学だ。
それを元に考えれば、ミオンのやっていることは、全てを裏切るための下準備。
マーゴも含む、少女たちを絶望に突き落とすための助走に過ぎない。
彼が、自分たちを利用するつもりならば。
それはきっと、自分たちが裏切られることを意味していて。
彼が、自分たちを愛しているというのなら。
それはきっと、自分たちが苦しめられることを意味しているのだから。
……そう。そのはず、なのだが。
「ふぅ……」
額に手を当て、マーゴは溜め息を吐いた。
どうにも……緩んでいる。歪んでいる。
あるいは、鈍っていると、そう感じる。
あの日。
最初で最後の魔女裁判で、ミリアの魔法が暴走し、2つの世界の記憶を得た時から……。
より正確には、ただの知り合いであり、いずれ裏切るはずだった少女を庇った、あの記憶を得た時から。
マーゴの中で、何かが変わってしまった感覚があった。
証言。【宝生マーゴは人を信じていない】。
──反論。【信じたいと思ってしまっている】。
そう。
言語化するのなら、そうなる。
ノアの気ままな行動が、誰かの気持ちを明るくするためのものだと思いたくなったり。
アンアンの不器用な気遣いが、対価を求めない無償のものだと思いたくなったり。
最近感じるようになったそれらと同じように。
ミオンの行動を、裏切るためではなく……本当に自分たちのためにやってくれているのでは、なんて。
そんなことを、思ってしまいたくなるのだ。
本当の自分はそうではないはずなのに、いつの間にか、変わってしまっている。
桜羽エマによって、あるいは二階堂ヒロによって……あの事件の記憶によって、自分自身が歪んでいる。
それが──少しばかり、気持ち悪い。
「……まあ、いいわ。利用できるのなら、そうさせてもらいましょう」
気を取り直すように、マーゴの手が伸び、テーブルの上に置かれた綺麗なカップを拾い上げる。
中に注がれているのは、透き通った良い香りの紅茶だ。
あの獄中の日々は勿論、1か月前までは、こんなものは飲めなかった。
ゴクチョーやメルルが、精神を落ち着けるようなものを渡してくるはずもなかったし……。
未だ政府と上手くやり取りができていなかった事件直後は、蓄えられた食料の限界もあり、文字通り泥を啜るような生活さえしていた程だった。
それと比較してみれば、ミオンのおかげで、生活が豊かになったことは事実だ。
牢屋敷は以前より拡張されて居住性は格段に高くなり、定期便のおかげで飲み物は泥水から紅茶になって、果てには変装して本土に旅行に行くことさえも許されている。
この前も、12人で集まって温泉旅館に泊まったりもしたのだ。
贅沢を許されているという自覚は、十分すぎる程にあった。
だからこそ、この状況が──。
少しだけ、怖い。
寝食を共にして多少なりとも心を通わせた、同年代の少女たちと共に暮らして。
他者から害されることなどまるでなく、自由気ままに振舞うことができる、この状況が。
余りにも、彼女にとって不慣れなものだから。
余りにも、不幸の前触れのように思えるから。
──余りにも、幸せすぎるから。
宝生マーゴは、自分の知らなかったそれを、恐れている。
とはいえ、今すぐにそれを解決する方法はない。
それなら、いっそ。
「……あなたが裏切るまで、あるいは私たちに愛を向けるまで。
精々、楽をさせてもらいましょうか」
カップの中身をスプーンでかき混ぜながら、マーゴは呟く。
その声は……彼女の部屋に、どこか寒々しく響いた。
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(追伸)
裏垢迷宮のヒロさん、服装が匂わせすぎて爆笑しちゃった。
エマとユキとノアとレイアのこと大好きじゃん……。ヒロさん、Big Love……。