投稿日時ミスで遅れました、申し訳ないです。
マーゴはベッドから立ち上がって、ミオンの元に歩み寄りながら、思う。
あるいは普通の人間なら、その事実は、とても重いものだっただろうか、と。
気になる異性が、実は人の皮を被った肉塊の化け物で。
その整った容姿も、柔らかな声も、綺麗な目も、全ては作り物だったと。
あるいは、普通の少女であるエマが知れば、衝撃のあまり前後不覚にすらなっていたかもしれない。
あるいは、正しい少女であるヒロが知れば、自らの感じた不快感を【正しくない】とし、律したかもしれない。
……けれど、マーゴの反応は、彼女たちとは全く違うものだった。
「ねえ、管理人さん」
ミオンの真正面──彼がその気になれば、簡単にマーゴの命を奪えるだろう距離に立ち。
彼女はミオンの白く細い指を取り、自分のそれと絡め合わせた。
とても作り物とは思えない、肌の感覚。
けれど……今、マーゴが求めるものは、それではない。
「【あなた】に、触れさせて」
ミオンは驚いたように目を見開き……少しだけ、眉を寄せた。
「……特に害はないけど、不快だと思うよ」
「いいの、それでも」
マーゴがそう言えば、ミオンは躊躇いがちに頷き。
その指先が一旦離れて、ゆっくりと崩れ……中から、爛れた肉塊が現れる。
そしてそれは、戸惑いがちにマーゴの指先に触れた。
確かに、少し水気を含み弾力のあるそれは、あまり心地良いものとは言えない。
見た目の面でも、まともに手の形すら形作れないそれは、グロテスクと言う他ない。
けれど……。
「これが、あなたの本当の……」
マーゴはこれよりずっと気持ちの悪いものを、たくさん見てきた。聞いてきた。触ってきた。
その人生が黒い悪意に染められたのものだったからこそ……もう、動揺することもない。
「……これまでの私の人生で、ね。
見た目の良い人が、驚く程の悪辣さを見せたことは、たくさんあったわ。
あの男みたいに、身なりの良い人間が悪い人だったことも、枚挙に暇がないくらい」
いつだってそうだった。
マーゴから何かを奪っていくのは、決まって見た目の良い者ばかり。
詐欺師は相手を油断させるため、外面を取り繕う。
かく言うマーゴ自身だってそうだ。常に肌や髪のケア、化粧と服飾の徹底を欠かさなかった。
だからそういう手合いにこそ注意が必要なのだと、よく知っている。
「やっぱり、見た目で相手を判断するのは、とっても危険なことよね」
その言葉に、マーゴの意図を汲んだのだろう、ミオンが苦笑いを浮かべた。
「……僕のこれは、少々度が過ぎていると思うけれどね」
「そうかしら」
少しだけ力を入れて、肉塊を握る。
指のように複雑でない上、今なお溶け出し変形するそれは、絡め合うことこそできないが……。
……【温かさ】は。
あの日の背中に感じた【温かさ】だけは、確かにそこにある。
指の先に感じるそれから、彼女の心に【温かさ】が流れ込む今。
あるいは、ミオンの奥底を覗かせてもらい、お互い丸裸で向き合った今。
今ならマーゴは、その心に感じるものを、きっと言葉にできる気がした。
「あの日。あなたが、あの男から私を助けてくれた時ね。
私、きっと、あなたのことが……【好き】になってしまったんだと思う」
口に出してしまえば、それは難しいものではなかった。
けれど、そのたった2文字の簡単な言葉には、半年で培った全ての思いが込められている。
真摯な告白の後、彼女は視線を上げ、敢えていつもの口調で言う。
「本当に罪作りな人よね? ノアちゃんにアンアンちゃん、他の子たちもたくさん……果てには私まで。
これまでの500年で、一体どれだけの女の子を落としてきたのかしら」
「…………」
ミオンはそれに、何も言葉を返さなかった。
……樋口ミオンは、鈍感ではない。
むしろ人の心の機微に関して、非常に聡い方だろう。
彼は確かに人ではないが、しかし誰より人間を知るが故にこそ、その中に溶け込めている。
今だってそうだ。
想いを告白したマーゴに対して真摯に向き合うため、自らの深い部分、きっと明かしたくはないところまで見せてくれた。
マーゴが傷付かないようにと、ただそれだけの理由で、自らの【禁忌】の底すら明かしてくれた。
それがどれだけ難しいことか……同じく【禁忌】を抱えていたマーゴだからこそ、理解できる。
人の心の在り方を、そしてそれへの寄り添い方を、彼はよく知っている。
ただ……よく知っているが故に、敢えてそれを無視することもあるのだろう。
想われたとしても、それを受け取ることも返すこともできない。
化け物である自分にその価値はなく、相手を不幸にするだけだと思っている。
だから、致命的な瞬間が訪れるまで、それに知らないふりをする。
それによってコミュニティの破綻を防ぎ、可能な限り損害を抑える。
そんな器用さと狡猾さを……【人間らしさ】とも言っていいものを、ミオンは何世紀もの経験から習得していた。
そして、それを実行する機会は、きっと多かったことだろう。
彼の外見は整っているし、力もある。対応は穏やかで優しく、時に頼れる強さも持っている。
憧れない者の方が少ないかもしれない。
……だが。
宝生マーゴは、例外だ。
「でもね。私が好きになったのは、あなたの見た目でも、力でも、優しさでもないのよ」
その手に持つ肉塊を……【彼】を、マーゴは両手で包み込む。
「あなたの綺麗な髪に憧れたわけでも、澄んだ瞳に恋をしたわけでも、長い指に見惚れたわけでも、作りの良い顔に惹かれたわけでもないの」
綺麗なだけのものなど、見飽きていた。
むしろそれは、警戒の対象でしかなかった。
だから最初は、ミオンにも疑いの目を向けていた。
「それに、あなたが魔法なんて使えなくてもいい。人と上手く話せなくても、お金を持っていなくとも、権力なんてなくても構わない」
強い力は簡単に人を歪めてしまうと、知っている。
「できるから」なんて理由で人を壊す人間を、たくさん見てきた。
だから、強い力を持つそれそのものには価値を感じない。
「優しくなくたって構わない。あなたがどれだけ厳しくても、辛辣に当たってきても、たとえ理不尽だって、私は今と同じように好きになっているわ」
表面上だけの優しさなど、見飽きていた。
騙すために、取り入るために、利用するために、人に優しくする。
その眩しいだけの闇を見続けてきたマーゴは、今更感じ入ることもない。
彼女は、ただ……。
「ただ、あの時。
私が『助けて』って言った時に、あなたが本当に助けようとしてくれた……それが、嬉しかったの」
【助けて】なんて言葉、何の価値もないと思っていた。
そう声を上げても、男は偽りの【愛】を止めなかったから。
そう声を上げても、母は助けてくれなかったから。
そう声を上げても、路地裏に救いの手なんて伸びなかったから。
だからマーゴは、ずっと一人で生きてきた。
牢屋敷に囚われてからもそうだ。彼女は誰にも頼らなかった。
ただみんなを誘導しながら、自分で本の解析を進めて、脱出の手がかりを探した。
マーゴがいない2周目の方が、本の解析が進んでいたというのは、なんとも皮肉な話ではあるが……とにかく。
彼女には根本的に、【他者を信頼する】、【誰かに助けてもらう】という発想が欠けていた。
誰かと共に歩み、誰かと共に生きる。
そんなことはできないのだと、心の奥底で諦めきっていた。
けれど……。
あの時。【禁忌】の象徴に、せっかく少しだけ治りかけていた心を再び裂かれそうになった時。
君の言葉に応えると口にし、それを実行してくれた者がいた。
信じて背中を見せて、外から来る害意から、身を挺してマーゴを守ってくれた者がいたのだ。
ただそれだけだ。
それだけで、マーゴにとっては、十分過ぎた。
手の中に感じる、温かく湿った、溶け行く【彼】の感触。
それを記憶に刻み込むように、目を閉じたまま、彼女は口を開いた。
「あなたがどんな体でもいい。どんな存在でも構わない。
あの時、【宝生マーゴを助ける】って選択をしてくれた……そんな【あなた】なら、他はどうでもいいの。
人間だろうが魔女だろうが化け物だろうが、私は変わらず、あなたを好きになる」
宝生マーゴが【恋】をしたのは、畢竟、彼の意志だ。
どんな都合があれど、どんな理由があれど、ミオンはマーゴを助けてくれた。
それも、彼女の推測が正しいのなら……憐憫でも義務感でも気まぐれでも、あるいは利己ですらない。
もっと温かな、マーゴの知らない何かによって。
そんな考えを持つ【彼】に、マーゴは惚れたのだ。
体も声も力も地位も種族も乖離も、何もかもが付加価値にすらなりはしない。
ただ、その温かな意思だけが、夜闇に瞬くただ一つの星のように、唯一絶対の価値がある。
……逆に言えば。
彼の本性がどのようなものだろうが、人間じゃなかろうが、肉塊だろうが。
マーゴの感じた【温かさ】を貶めることだけは──決して、できない。
「他の娘たちは、それを知ったらあなたから離れていたかもしれないけれど……私は違うわ。
絶対に、あなたから離れてなんてあげない。あなたがあなた自身を、私が好きな樋口ミオンを受け入れられるようになるまで、ずっと隣にいてあげる」
──その判断は、その情動は。あるいは【普通の人】らしくはないのかもしれない。
見た目を気にしないにも限度があると、流石に種族が違うのは難しい話だろうと、普通はそう思うのかもしれない。
けれど、それならば。
宝生マーゴは今、これまで自分を【人でなし】たらしめてきた、全てに感謝できる気がした。
そのおかげで、彼と巡り会えて。
そのおかげで、彼にこの感情を持てたのなら。
それだけで、生きてきた意味はあったかもしれない。
そう思えたのだから。
「きっとまだ、【愛】には届かない。
けれど……もう一度言わせてもらうわ。
私はあなたのことが好きよ……【ミオンさん】」
静かな夜、他の誰にも覗かれることのない彼女の私室。
ただ2つ、唖然とした視線の注がれる中で。
宝生マーゴは、【彼】に、【温かさ】に満ちた口付けを落とした。
ついにストックが切れた上、他の連載作の執筆もあるので、次章からは少しずつ間が開く予定です。
失踪だけはしない心づもり、なおかつはのうら発売までには完結させる予定ですので、どうか辛抱強くお待ちください。
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