ミオンのイチオシだという温泉旅館への途上。
驚く程揺れもせず急ブレーキもない、穏やかなミオンの運転は、2時間半以上に及んだが……。
結果から言えば、その間、マーゴが退屈を感じることはなかった。
宝生マーゴと樋口ミオン。
この2人の関係は、少しばかり特殊なものだ。
牢屋敷の管理人と居住者のリーダーであり、より良い暮らしを作る協力者。
日本政府の協力者とその仕事のお手伝い、日々業務に追われるワーカーホリック。
【愛】を知らない者同士、それぞれの探求を続ける旅の同行者。
あるいは……特別な感情を向け合う、未だ言語化されない関係性でもあるか。
様々な側面を備えたそれは、おおよそ他に類を見ない、世界唯一のものだろう。
故にこそ、語るべき話も語りたい話も枚挙に暇がなく、車内の楽し気な声は尽きることがなかった。
そしてそんな時間はマーゴにとって、矛盾しているようだが、心躍るものであり、同時心を落ち着かせるものでもあった。
流石の年季と言うべきか、ミオンは話術に長けている。
相手の感情の色と形を把握し、それに調和するよう口にする話題、纏う雰囲気、話のペースを整える……。
誰もがある程度無意識に行っていることではあるが、ミオンは人を真似て溶けこむ過程で、それを意識的に研ぎ澄ましていった。
その結果が、今のミオンの技術であり、そして今のマーゴの楽しさでもある。
元詐欺師として、多少口が上手い自負のあるマーゴではあるが、彼女もまた普通の女の子だ。
初恋の相手と話すとなれば、当然ながら胸は高鳴るし、どう受け答えすればいいかわからず慌てもする。
状況が状況なら、恥ずかしさやら楽しさやら興奮やらが爆発し、おかしなことを口走るようなこともあったかもしれない。
恋する乙女のパワーは良くも悪くもすごいのだ。下手すればビンを炙れば【炙りビン】になり、ミオンが一人で大騒ぎする可能性すらあった。
しかし、そんなマーゴの手を取り、ミオンは華麗なステップを踏んでみせた。
時に舞い上がってしまったマーゴを落ち着いた雰囲気で安心させ、時に恥ずかしがるマーゴを揶揄うことで笑いへと転化させ、時にいじけるマーゴを優しく包み込んで。
ただそれに乗るだけで、マーゴは会話というダンスを楽しむことができたのだ。
こうも見事に手玉に取られると、彼女としても感嘆する他ない。
この楽しい時間が彼のくれるクリスマスプレゼントだというのなら、甘んじて掌の上で踊るつもりだ。
相手が好きな人ならば、手玉に取られるというのも、悪くはないように思えるし。
……そうして、2時間半の旅程は飛ぶように過ぎて行った。
楽しい時間は往々にして一瞬で終わるもの。
この1年弱で何度も痛感した事実ではあったが、この2時間半は、その中でもとびきり早かった。
所詮は手段に過ぎないはずの移動時間を、けれどマーゴは惜しむ。
もっとこの時間が続けばいい、なんて……これからもっと楽しい時間が来るというのに、そんなことを思ってしまうのだ。
島を出てから旅館の駐車場まで、クルーザーで1時間、車で2時間半。
合計で3時間半もかかったはずなのに、彼女の体感では10分前後。
実に12倍速で過ぎ行く世界は、色鮮やかに煌いていた。
「…………というか、本当に10分しか経ってないわね?
10時に出発して、今は10時13分……ねえミオンさん、何かおかしいわよね?」
車内のモニターに表示された現在時刻は、まだ朝方も良いところ。流石に色々とおかしい。
じとっとした目を向けるマーゴに対し、ミオンは安心させるように頷く。
「大丈夫、マーゴさんに害のある魔法じゃないよ」
「いえ、そこは心配してないというか、むしろ言われて初めてその可能性に思い至ったのだけれど。
そうじゃなくて、なんというか……これまで自制してたのに、こんなことに魔法を使ってもいいの?」
ミオンは人らしく生きるためにと、魔法の使用を制限していたはずだ。
これまでの牢屋敷での生活でも、【使役】等の生活に便利な魔法こそ使ってはいたが、積極的にその無法っぷりを押し通そうとするようなことはなかった。
急な変化を心配するマーゴ。
対して、鮮やかな手並みで駐車場に車を停めるミオンは、何でもないことのように答えた。
「僕が魔法を自制していた理由は、社会の中に一人の人間として溶けこむため。
それから最近は、君たちに余計なショックを与えないため、というのもあったけれど……。
マーゴさんは、少々の魔法を見た程度で引いたりしないだろうし、他の子たちの視線もない。
それならせっかくだし、楽しい時間をたくさん過ごしたい。移動時間くらい短縮したって、罰は当たらないだろう?」
駐車を終えてドアを開けるミオンの、ゆったりと微笑むその笑顔からは……。
マーゴへの、確かな信頼が窺えた。
ミオンとマーゴは、対極の存在のようでいて、しかし似た者同士だ。
その境遇の悲惨さもそうだが、確かな【愛】の形を知らないこともそうだし……。
……他者を簡単には信頼しないことも、また然り。
信頼とは、文字通り、相手を信じて頼ることだ。
殆ど無条件に背中を預けるそれは、相手に容易に親愛を伝えられる代わり、いつ刺されてもおかしくない危険性を孕んでいる。
それはマーゴのような昏い世界に生きていた者にとって、文字通り致命的になり得る行為であり。
ミオンもまた、その境遇を考えれば、同じなのだろう。
彼は誰かに施しを与えたり、真摯に行動をすることは多いが。
その一方で、誰かにその背中を預けることは、絶無と言っていい程に少ない。
実際、あの牢屋敷の中でも、少女たちに隙を見せるようなことは全くと言っていい程なかった。
それがマーゴの、そしてミオンの生き方なのだ。
……そのはず、なのだが。
彼と彼女が出会って、季節がいくつか巡った今。
マーゴはミオンを「いつでも私たちのことを守ってくれるだろう」と。
ミオンはマーゴを「自分の様々な真実を知っても離れないだろう」と。
お互いがお互いを、信頼し合っている。
……かつての彼らに「信じられる異性ができる」なんて言ったとして。
果たして彼らは、それを信じただろうか。
* * *
ミオンとマーゴが辿り着いたのは、川沿いに建てられた風情ある温泉旅館であった。
ミオンの古い知り合いが営んでいるというこの旅館は、知る人ぞ知る観光名所だ。
左手に川、後ろに緩やかな山と、豊かな自然に囲まれた環境。
美容や腰痛、疲労回復などに効果があるという天然温泉。
都会の喧騒と忙しない日常を忘れてゆったりとくつろげる、静かな夢幻郷である。
そこに到着してすぐ、ミオンはマーゴをエントランスでくつろがせ、ずっと自分たちを待っていたらしい初老の男性と話していた。
「お久しぶりです、御隠様。依然としてお変わりないようで、安心しましたわ」
「お久しぶり、江川さん。前に会ったのはお孫さんが生まれた時になるか。健勝なようで何よりだ。
連絡していたように、一泊二日、2人でお願いできるかな」
「ええ、勿論。あの時弟を助けてもらった恩は忘れとりません、一日二日じゃなく、一か月でも一年でも部屋取らせてもらいますわ」
「その気持ちは嬉しいけど、江川さんにも江川さんの生活があるだろう。奥方もいらっしゃるんだし、あなたの日常を大切にしてほしいな」
「いやはや……俺たちが老いていく中で、やっぱり御隠様は変わりませんな。本当に安心しますわ。
いっちゃん良い部屋取っとりまし、上手い食事も用意しとりますんで、是非楽しんでってください!」
……先程の態度や漏れ聞こえた言葉からして、ミオンが話していたのは、この旅館の主人なのだろう。
二人で部屋へ向かいながらも、マーゴはミオンの人脈の広さに呆れる思いだった。
「さっきの男の人、どういう関係なの?」
「僕が元々お世話になっていた村の出身の方でね、30年くらい前から温泉旅館を営んでいる。
色々お手伝いしていたのもあって、村出身の人たちとは良い関係を築けてる。こういう時も便宜を図ってもらえる、というわけだよ」
「良い関係っていうか、割と信仰心みたいな気配を感じたのだけれど。
……変わらないって言ってたみたいだけど、彼にはあなたの寿命のこと、教えてるの?」
「時々出張することはあっても、150年くらいは定住していたからね。自然と知られてしまった。
ちょっと縁がある村だったし、僕がいて色々益になることも多かったから、崇拝対象みたいな感じで受け入れられてた、かな」
微笑を浮かべて肩をすくめるミオンに、マーゴは形の良い眉を、穏やかに開いた。
150年定着していたのに、彼の存在が外に漏れることもなく、住人と「良い関係」を築けたというのなら……。
辛い境遇の中生きてきたミオンにとって、きっと多少なりとも心休まる時間になったはずだ。
マーゴにとっての一周目の牢屋敷の日々のように、その心を救われるきっかけになる程の癒しだったかはわからない。
彼が生まれてから受け続けた負は、マーゴの比ではないだろう。
150年の穏やかな日々も、それらすべてを覆し得る程のものではないのかもしれない。
……けれど。
「良いわよね。穏やかな時間、っていうのも」
「ああ、本当にね」
少なくとも、誰かの悪意に晒されることのない日々は、心を苦しめることはない。
この1年弱で、マーゴはそれを学んだ。
だから、そんな穏やかな日々が、ミオンにもあったのなら……。
それだけで、心から嬉しく思ってしまうのだ。