章の最終話のつもりでしたが、ちょっと長くなり過ぎたので分割。
今章は次回まで続きます。
「それは違うわ」
500年の時間をかけて、凝り固まってしまった彼の常識。
いつしか壁となっていたそれを打ち破るように、マーゴは【反論】する。
彼の耳はすぐ隣、息が届く程の距離のそれ。
大声を上げるわけではなく、まるで囁くように言うに留めたが……。
それでも、意志は確かに。
恋した人の歪みを正す。彼女の瞳には、その一念を秘めた光が宿っていた。
いつになく強いマーゴの否定に、ミオンは驚くように目を見開き、ちらりと彼女の方を窺う。
「違う……か。一応、500年の中で出した結論なんだけどね」
単純な話、ミオンとマーゴの間には、おおよそ484年もの年の差がある。
年功序列なんて常識を前提としなくとも、これまでの人生の中で思索にふける時間は、ミオンの方が圧倒的に長く持っていた。
故にこそ、彼は基本的に、いつだって正しかった。
この1年、酷く傷ついた牢屋敷の少女たちに対して、道を過たず適切な距離間を保って付き合ってきたし。
マーゴと交わす言葉は示唆に富み、彼女に新たな道や安らぎを示し続けてきた。
しかし……そんな彼でも、きっと見誤ることはあるはずだ。
月代ユキが、処刑されるべき【魔女】ではなく、【普通の少女】であったように。
彼もまた、倒されるべき【化け物】などではなく、普通の男性……。
いいや、【普通の少年】であるはずなのだから。
「私の推論……いいえ、これはもう推理、あるいは妄想になってしまうかもしれないけれど。
聞いてくれる? ミオンさん」
「うん、是非聞かせてほしい。君が何故そう思ったのか。
そして……母は、何を思ってこの言葉を遺したのか」
* * *
静かな旅館の一部屋。
マーゴはミオンがどこかに消えてしまわないように、あるいは自らの【温かさ】を分け与えるように、彼に寄り添いながら呟く。
「まずは前提の【提起】から始めるけれど。
私、自分で会ったからわかるの。原初の魔女と人間の精神性は、殆ど変わらないって」
「うん、そうだね。君たちの話を統合して考えるに、原初の魔女と人間の間に、精神的な在り方の乖離は殆ど見られない。
強いて言えば、魔女は人間に比べると【保守的な思考】をしやすかった、とココさんが言っていたくらいか」
原初の魔女の最後の生き残り、月代ユキ。
彼女の幼馴染である【エマとヒロの証言】、そして【マーゴの推測】から、彼女は普通の少女らしい精神性をしていたはずだ。
そして、魔女たちはユキを変わり者だと言ったりすることもなく、普通に仲良くしていた。
それらから考えるに、人類と魔女の間に、遺伝的な本能・理性の差異が少なかったことは明白だ。
何故遺伝的に全くの別種であるはずの二つの種族が、ここまで似通っているかはわからないが……。
とにかく、ミオンに遺言を遺した母親、原初の魔女の一人であった彼女も、人間のそれに似通った精神をしていたはず。
そして、それならば。
マーゴは……いいや、マーゴだからこそ、確信できることがある。
ある意味では当然で、ある意味では残酷なこと。
マーゴはまぶたを閉じ、緩く首を振って、それを告げた。
「……それなら、無理よ。
自分たちに悪意を向けて、迫害して、きっと愛していたのでしょう他の魔女たちを皆殺しにした人間を【愛する】なんて……。
人間の真っ当な精神では、できるわけがないわ」
人間の悪意の恐ろしさを、マーゴはその身を以て知っている。
そしてそれは、ミオンとて変わらない。どころか、むしろ彼こそがそれを一番よく知っているはずだ。
実の父親に手ずから殺されかけ、そして何度も何度も実際に殺されてきた彼が、それを理解していないわけがない。
だからこそ、彼は……父親を、その手にかけた。
普段から温厚で、人を害そうとせず、明らかな殺意と銃口を突き付けられようとも拘束で済ませる。
そんな彼が、しかし父親だけは、手にかけた。
……あるいは、手にかけざるを得なかったのかもしれない。ただ、生き残るために。
あの日には、まるで何でもないことかのように語ってはいたが……。
それが、どれだけの苦痛と諦念、恐怖と憎悪を伴う選択だったのか。
マーゴには……【樋口ミオン】を知りつつあるマーゴには、少しだけ、理解できる気がした。
人は本質的に、返報性の生き物だ。
善意には善意を、利益には利益を以て返し。
悪意には悪意を、害には害を以て応える。
多少であれば、強い自制心で律し、その法則を無視することもできようが。
その身に受けた悪意や憎悪が大きければ大きい程に、これは絶対的なものになっていく。
ただ悪意を注がれたマーゴ、自分が殺されたミオンですら、それを留めることなどできなかったのだ。
自分の家族や友人、一族郎党どころか種族ごと、皆殺しになんてされてしまえば……。
その先にあるものは、夜闇よりも昏い感情だけだろう。
多くの人間と触れ合う内に絆される前、月代ユキが家族とした少女を捨ててしまう程、強く人類を憎悪していたのと同じように……。
ミオンの母親もまた、人を愛していたわけがない。
むしろ、強く強く、人類を憎んでいたはずだ。
なにせ彼女はユキと違い、人間たちに弄ばれた。その身に爛れた悪意を受け続けたのだから。
死にかけでさえなければ、多くの死者を出していたかもしれないくらいに……その魔女は、【人間を憎んでいた】はずなのだ。
「だからこれは、人間を【愛して】発した言葉ではなかった……と。
ふむ……うん、確かに、論理の破綻はないかな。妄想ではなく推理と十分呼んでいいものだよ、これは」
ミオンはマーゴの推測に一つ頷き。
続けて、小首を傾げ、眉を寄せる。
「しかし、それなら何故、【人を殺すな】、なんて言い残したのかな。
人を憎んでいたんだから、できるだけたくさん殺せ、とでも言い残した方が効率が良さそうなものだけど」
心底不思議そうにしているミオン。
その言動に嘘の匂いを感じず……マーゴが内心抱いていた危惧が、膨らむ。
そんなことは、明白なはずなのだ。
聡明なミオンが理解できないわけがないくらい、単純明快な推論ができる。
発想できないことが不自然に思えるくらい、一目瞭然の答えが目の前にある。
なのに何故、彼がそれに気付けないのか。
当たり前だ。
その憎悪を貫くため、エマとヒロとの友情を忘れようとしたユキ。
自らの持つ人間的な弱さを忌み嫌い、傍観者であることを忘れていたエマ。
抱いた正義を執行するべく、そこにあった情状と作為を見落としたヒロ。
あるいは。幼い心を壊さないよう、悪意を【愛】だと思い込んだ、どこかの誰かもそうだ。
自分で目を背けたものに気付くには、いつだって誰かの助けがいる。
一人きりで立ち上がるのは難しい。
だからこそ、一時の痛みを伴ってでも、誰かにその手を引っ張ってもらわなければならない。
真心からの善意を見せ続け、いつか信じたいと思えた少女のように。
歪みを突き付けて正し、それを直視できるようにしてくれた少女のように。
そして、確かな【温かさ】と頼れる背中を見せて、立ち上がるのを助けてくれた想い人のように。
きっとミオンにも、共にそれに立ち向かう【誰か】が必要なのだ。
「……私が体験した感情ではないけれど。
一般的に、母親が一番気にかけるのは、他の種族でも夫でもないでしょう」
マーゴでさえも、例外ではなかった。
最初の内は……あの人が疲れ果て、他の男に関心を持つまでは。
マーゴはあの人に、確かな【愛】をもらえていた。
それと同じように、きっと……。
「愛されていたのは人類じゃなくて……【ミオンさん】よ。
その魔女はあなたの未来を想ってこそ、その言葉を遺したはず」
ミオンはその言葉を聞き……硬直して、ただその目を見開く。
「思ってもみなかった」。
そうとでも言いたげな反応を見て、マーゴは自身の抱いていた予想が的中したことを悟った。