嘘吐少女ノ魔女愛談   作:アリマリア

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宛て先不明のお手紙(7)

 

 

 

 そもそも、おかしな話だったのだ。

 

 たった数年悪意に浸されただけで、マーゴの心には恐怖が沁み付き、簡単に歪んでしまった。

 それなのに……生まれたその時から何度も父親に命を奪われ、人に拒絶され続けたミオンが、誰よりも正常で真っすぐな精神を持っているなど。

 

 母親と同じように、彼の心は【化け物】のそれではなく、【普通の少年】のもの。

 であれば、そんな地獄のような環境に置かれて……心が歪まないわけもない。

 

 

 

 それに加えて、かつてマーゴが聞いた【ミオンの証言】。

 彼の本当の姿を見た上で、それでも彼を受け入れたのはマーゴが初めてであったという、あまりに悲惨なもの。

 

 あの言葉が正しいのなら。

 彼は、取り繕った人間の皮を、注ぎ込んだ空っぽの【博愛】を好まれたことはあっても……。

 今までたった一度だって、【彼】自身を、誰かに受け入れられたことがなかったはずだ。

 

 人と魔女の間に生まれた、爛れ歪んだ命。

 【樋口ミオン】は、世界から、その存在を否定されるばかりだった。

 

 ……それらは、果たして彼の心をどれだけ軋ませ、圧し潰し、ヒビを入れたのだろう。

 

 マーゴはそれを思うだけで、心に冷や水をかけられたような悲しみを覚えた。

 

 

 

 500年という永久のようにすら思える時間の中で、きっと彼は、その心を補修したのだろう。

 【壊れた】ように見えては、人の中に馴染めないから。母の遺言を果たせないから。

 

 けれど、空いてしまった穴は埋められない。

 当然だろう。その欠陥を埋めるための肯定(ざいりょう)を、彼は得られなかったのだから。

 

 だから、その断絶を、如何に縫い合わせたとしても。

 傷の上に肌色の塗料を塗って、覆い隠そうとしても。

 たとえ彼自身がその存在を忘れる程に、精巧に心を「作り上げた」としても。

 

 最初に空いた穴を、底に生じた瑕を、消し去ることはできない。

 むしろそれは時を経る毎に育ち、確かなものになってしまった。

 

 

 

 【自分は、人間に愛されることはない。】

 

 

 

 固定観念。諦観。歪んだ常識。思い込み。絶望。あるいは、日常。当たり前。経験則。

 どの表現が適切なのか、マーゴにはわからないが。

 

 化け物の体に、けれど人間のものと殆ど同じ心を宿して生まれた、樋口ミオン。

 彼にとって、500年という時間は、余りにも永過ぎるものだったろう。

 

 その中で、人の悪性を見ながら育ってしまった歪みは……。

 母の遺した、きっとミオンに向けられていたはずの【愛】の言葉の宛て先を、わからなくしてしまう程のものだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「さっき、ミオンさんも言ったわよね。【原初の魔女たちは保守的な思考をしていた】と……ココちゃんはそう言っていた。

 知っているかもしれないけれど、その言葉には先があったわ。

 魔女たちは【人間を恐れていた】。文明を停滞させてしまった自分たちと違い、どこまでも文明を進歩させる人間は、いつか自分たちを滅ぼすかもしれない、と。

 ……【魔女は人間に勝てなくなる】って、そう思っていたみたいね」

 

 【千里眼】の魔法を持つココは、どこかから、原初の魔女たちの思念を受け取っていた。

 ユキの歩もうとしていた悲惨な道を見て成仏しきれない魔女の魂がどこかに残っていたのか。

 あるいは……それを伝えることで、ユキにも救いがあって欲しいと願った、誰かがいたのか。

 

 ともあれ、確かなこととして。

 原初の魔女たちは、人間を、その進化の力を恐れていたのだろう。

 

 だから、その【伝言】が必要になった。

 

 

 

「あなたが……自分の子が、如何に力を持っていたとしても、魔法の力を使えたとしても。

 人と敵対すれば、一度は勝てても、いずれ人の進化に付いてけず、負けて……殺される。

 あなたのお母さんは、そう思った。だから、【人を憎んではなりません】という言葉を遺した」

 

 もしも、その言葉がなければ、どうなっていただろう。

 ミオンは父親を殺した後、何をしていただろう。

 現在は、一体どう変わっただろう。

 

 ……その答えは。

 何百年も前に、人を呪い殺す悍ましい【化け物】が現れ、そして打ち倒された、と。

 そんなおとぎ話が、歴史書に掲載された……だろうか。

 

 

 

「そして、それだけでは足りなかった。

 あなたが復讐を止めても、人はいずれ、隠れ潜む者を探し出してしまう。監獄島を……いいえ、魔女たちの島を見つけ出したように。

 だから、【人を愛し、人に愛されなさい】という言葉を遺した。

 隠れ潜むのではなく、人類の文明の一部として暮らし、受け入れ、そして受け入れられることで、殺される恐怖に追われることなく生きていける

 それがあなたのお母さんが考える、【樋口ミオンの一番幸せな未来】だった」

 

 きっとそこには、絶大な苦悩があったはずだ。

 

 ユキと同じように、自分たち魔女を滅ぼした人間への恐れと憎悪と復讐心は、魔女の心を焦がしただろう。

 もしかしたら、かつてミオンが言っていたように、「人間を可能な限り殺し尽くせ」と、そんな呪いの言葉を遺しかけもしたかもしれない。

 

 けれど……。

 

 たとえ、憎い人間との間にできた、真っ当な命でないとしても。

 自分の生む子供が、修羅の道を歩むことを、母親は許せなかった。

 

 どうか長生きして欲しいと、そう望んでしまった。

 

 

 

「きっとあなたの母親は、あなたを【愛して】いた。

 だからこそ……死の間際にあなたを想って、その言葉を刻みつけたんだって。そう思うの」

 

 

 

 ミオンの予測は、一部誤っていて、そして一部正しかった。

 

 母親の送った【伝言】の宛て先こそ、勘違いしていたが……。

 それが生まれた原因は、幼少の彼の予測通り。

 

 自らの憎悪を、あるいは【禁忌】とすら言えるかもしれないそれを乗り越える、母の情。

 

 それを【愛】と呼ばずして、何を【愛】と呼ぶのか。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「…………」

 

 

 今なお響く言葉、その真意の【追究】。

 それを聞いて、ミオンはじっと、何かを考え込んでいるようだった。

 

 それは、仕事の手伝いで頻繁に共にいたマーゴをして、初めて見た反応だった。

 何を聞いても何を言っても、まるで想定していたかのように、穏やかに言葉を返して来るのがミオンだ。

 このように深く思考の海に沈む様は、これまで見たことがなかった。

 

 それだけミオンにとって、マーゴの推測は予想の外にあったもの。

 彼に欠けてしまっていた視点だったのだろう。

 

 

 

 数秒、もしくは数十秒の沈黙の後。

 ミオンは、ゆっくりと口を開く。

 

「ああ、そうか……ううん、少し困ったな」

「困った?」

 

 マーゴが問い返すと、ミオンは……。

 彼女から少しだけ距離を取り、その頭を下げた。

 

「すまない、マーゴさん。僕は君を裏切っていたらしい」

 

 思ってもみなかった言葉に目を見開くマーゴに対し、頭を下げたまま、彼は言う。

 

「正直、まだ実感はないけれど、君の言ったことはきっと正しいと思う。

 母は僕を【愛していた】。だからあの言葉を遺した。……言われてみれば確かに、何故気付かなかったのだろうと思う程に明瞭な答えだ」

 

 そこまではいつも通りの落ち着いた口調で……。

 しかし、そこから続く言葉は、いささか沈んだ声音になった。

 

「【愛】を知らない者同士、共にそれを探すと言いながら……僕は母から、既にそれを受け取っていた。

 ただ気付いていなかっただけで、【愛】のカタチを知っていたんだ。

 これは酷い裏切りだよ。あれだけ真摯な想いをくれた君に、こんな仕打ち。殺されたって文句は言えない」

 

 責任を放棄はできないから蘇らせてはもらうけど、と。

 そう付け足しながらも、ミオンは依然頭を下げたまま、本気で困っている様子で。

 

 共に【愛】を知らない者同士と共感していた相手が、実は既に【愛】を受け取っていた。

 マーゴがそれを裏切りと感じ、怒ると、そう思っているようだった。

 

 

 

「……ふ、ふふっ」

 

 縮こまり、まるで罰を待つ受刑者のような顔をしたミオンに。

 マーゴは思わず、失笑を漏らしてしまう。

 

 怒る気なんてない。

 そもそも怒気なんて、欠片も湧いては来ない。

 

 彼女の心に去来するのは、ただただ……。

 

 優しく、温かな、安堵だけ。

 

 

 

「いいのよ、ミオンさん。……いいの」

 

 ゆっくりと、下げられた頭を、そして彼の体を、抱きしめる。

 

 長い永い時間を生きてきた彼の体は、けれどマーゴより少しだけ大きい程度で。

 両腕を回せば、簡単に包み込めてしまえるくらい。

 

 繕ったものとは分かっていても……。

 マーゴは改めて、目の前の彼が、樋口ミオンという少年が、等身大の存在であることを実感する。

 

「大丈夫、嫉妬なんて感じないわ。羨望すらないかもね。

 ただ、あなたに少しでも救いがあって、少しでも幸せを感じるなら……」

 

 腕の中、その先に感じる【彼】に温かさを伝えるように、きゅっと抱き締めて。

 マーゴは、自然に浮かんだ笑みと共に、想いを零した。

 

「私、嬉しいわ。本当に心底、嬉しくて……まるで自分のことみたいに、そう感じてる。

 ……こんな気持ち、生まれて初めてなのよ? ミオンさんのせいで、私、どんどんおかしくなっちゃってるんだから」

 

 

 

 その感情に、その想いに、まだ名前はない。

 

 疑心に始まり、興味に変わり、同情へと続き、感謝が溢れ、理解を得て、恋となって。

 ……そうして今も、新たな形に変わって行く、【温かさ】に満ちた想い。

 

 自らの感情や不満を顧みることなく、誰かの幸せを真摯に願う純情。

 

 樋口ミオンを宛て先とするその手紙の題名を、何と定めるべきか。

 つい先ほど、他の誰かのそれを、何と名付けたか。

 

 マーゴがそれに気付くのは……もう少し、後のこととなるだろう。

 

 

 







 (マイクを前に何かを指差す眼鏡の男性の画像)



 * * *



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