エヴァンゲリオンテレビ放送第1話の放送から今年の10月4日で30周年。少し遅れましたが記念SSを書いてみました。

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夜のエヴァンゲリオン

「三十年かあ……長いようであっという間だったわねえ」

 

 僕の正面に座るアスカがテーブルに頬杖を付いて嘆息した。退屈そうに、零れない程度に傾けたワイングラスの赤い液面をすくい上げるように底から眺めたりしている。

 

 僕も一応はダブルのフォーマルスーツで決めているが、今日のアスカはもっとゴージャスだ。髪をリッチに巻き上げて、ホルタートップのシルバーのドレスに身を包んでいる。まるで『ティファニーで朝食を』のオードリー・ヘプバーンみたいだ。フレンチツイストという髪形らしい──前にアスカ自身が教えてくれた。以前聞いたことをちゃんと憶えていないと、あたしの話を疎かにしている──とアスカの機嫌が途端に悪くなるので必死に覚えるようにしている。彼女のお相手はなかなか大変なのだ。

 

「アスカ、お行儀が悪いよ」

 

 一応ちゃんとしたホテルのレストランだ。それなりに格式がある。流石に僕は窘めるが、アスカはすぐに背筋を伸ばして威儀を正すと同時にギロリと睨みつけてくる。

 

「誰のせいで、今年も虚しい記念日を迎えていると思っているのかしら?」

 

 その追及は痛いところを突いているが、僕はあえて知らん振りをする。

 

 物心つく前からお隣同士に住んでいて、親の職場も同じ研究所で、いつから「知り合い」だったのかも定かではないが、アスカと出逢ってからもう三十年。毎年こうして今日十月四日を祝うことにしている。誕生日ではない。僕の誕生日は六月だし、アスカの誕生日は二月も先だ。出会った日が分からないから仮にこの日を記念日にしているだけなのだ。なぜ十月四日なのかは、大きな理由が僕とアスカ、二人の間に一応あるのだけれども。

 

「──やっぱり毎年、別の日を祝うことにしておけば良かったよね」

「やだ」

 

 話題をぎこちなく転換するつもりで言うと、間髪を入れず、アスカは子供のようにむくれて顔を左右に振った。

 

「人生の一大イベントでしょ。今日という日は。今日を祝わなくてどうするのよ?」

「そりゃそうかも知れないけど……」

 

 でも一般的には大っぴらに祝う日でもないと思う。人前で話せるような記念日でもないし。何より話がそういう方向に流れそうな日なので僕はすこし苦手だ。

 

「普通の人は祝わないよ……たぶん」

「それは相手を取っ替え引っ替えしてるからよ。節操がないだけでしょ」

 

 アスカは誇るように胸をそらして、身体の前で腕を組んだ。

 

「でもそんな日、忘れてる人も普通に多いと思うし」

「忘れる事はない──特に女のほうはね」

 

 彼女はきっぱりと断言した。そして冷ややかな目で僕を疑るように見る。

 

「ぼ、僕だって忘れてないよ」

 

 咎められたような気がして、慌てて付け足した。そもそもこの日は僕にとって分が悪いのだ。合意の事とはいえ、場合によっては、男が女の子を一方的に傷付けた日、一生残る傷を刻み込んだ日──という風にもとらえられるのだから。

 

「当たり前よ。忘れてたら許さないから」

「でも……もっと覚えやすい日にすれば良かったね」

 

 何気なく言ったら、アスカは呆れたように僕を見た。

 

「そんな事を考えて、“その日”を決める訳がないでしょうに」

「そうかな。いつでも良かったんだから、キリのいい日にしたってさ」

 

 自然現象ではないのだから後々記念日にすることを知っていたらキリの良い日にするという考えもあった。でもすぐに僕は失言に気づいた。アスカは眦を釣り上げている。

 

「いつだって──良かった?」

 

 僕がその日を軽んじているように取られたのは間違いない。

 

「い、いや。別にそういう意味じゃなくってさ」

 

 僕は慌ててフォローするが、そんなありきたりの反応も今のアスカのかんに障ったようだ。

 

「で、ついでに相手も誰だっていい──って訳?」

「そんな訳ないだろう?」

 

 端から見たら一見喧嘩腰だが、アスカも喧嘩をしたいわけではない。それぐらいは長い付き合いの僕には分かる。ただ、苛々しているのは事実だろう。僕が不甲斐なくて、いつまでもアスカが“本当に欲しいもの”をあげられないのだから。

 

「……勢いとか、ムードとか色々あるのよ。体調とかもあったし」

「それはまあそうだろうけど」

 

 アスカは溜め息をついて視線を斜めに反らし、僕は頬を掻いた。女性の身体と精神は繊細だ。アスカはいつも明るくて気丈だから僕もついつい忘れてしまうことがある。 

 

「とにかく、部屋に戻ったらいつもの三倍は頑張らないと」

 

 きっぱりとそう宣言するアスカの頬が紅潮している。気合いを入れたお化粧のせいなのか、それだけではないのか、目尻も桃色になっている。やっぱりこういう話をするのは今でも恥ずかしいものらしい。しかし、三倍頑張るとはどういう意味なのか。やっぱり──回数なんだろうなと思って恐る恐る声を掛ける。

 

「あの……回数が多ければ良いというものでは無いらしいよ」

「でもシないと出来ないのよ? 分かってるの、ボクちゃんは──?」

 

 まるで“そういう仕組み”を丸きり知らない僕を憐れみ、教え諭すように言った。別に僕より詳しい訳でもないのに、いつもこの手の話題では姉さんぶって……勘弁してほしい。

 

「だから回数はむしろ絞ってさ……」

 

 その方が成功率は高いと、専門のアドバイスを受けている。

 

「だからちゃんと搾ってあげてるじゃないの。たっぷりと、愛情を込めてね」

「う……そういう意味じゃない」

 

 アスカが嬲るように視線に上からの勾配を付けてくる。

 

「じゃあどういう意味なのよ」

 

 僕は周囲に聞かれないよう、自然と声を低めて、アスカに顔を近付ける。

 

 頬と頬、産毛と産毛が触れ合いそうな距離で相手の体温を感じながら話をしていると、まるで子供の頃、一緒に海賊ごっこや探偵ごっこという名目で大人たちの目を盗んで悪さをした日々を思い出す。いつだって海賊王や名探偵はアスカで、僕は手下や助手だったけれど。でも、近所の公園に保存されている蒸気機関車の中に隠れながら八時まで粘って、星でいっぱいの夜空を二人で独占した時の事は忘れられない。その後は、親たちにこっぴどく怒られたんだけど。

 

 だがそんな綺麗な思い出とは違い、今宵アスカと交わす秘密の相談はある意味で大人の──どうしようもなく情けない内容のものだった。

 

「ある程度禁欲した後の方が、濃くなるっていうか……その後はやたら回数を増やしても薄くなるだけだって……アスカも一緒に説明は聞いてたじゃないか」

 

 アスカは怪訝な顔をして眉を顰めると、僕のように小声にすることもなく確認してきた。

 

「そうだっけ? 回数は増やした方がいいんですよね? と尋ねたら、先生もうんうんと頷いてたじゃないの」

「……アスカ、ちゃんと話を聞いていなかったでしょう。それじゃ先生の話の半分だけだよ」

 

 回数をもっと増やしたい──そういう自分のかねてからの要望に合う部分だけを聞いて、それ以外の部分は聞き流していたに違いない。僕は先生に教わった言葉を繰り返すように説明を続ける。

 

「週に3、4回はしたほうがいいらしいけど、一晩にあまり多くしても意味ないんだよ」

 

 聡いアスカはそれだけで一応理解はしたようだけど、しばらくの沈黙の後に返ってきた言葉は尖り、頑なさが宿っていた。

 

「──駄目よ、そんなんじゃ」

 

 僕はきょとんとして、首を傾げる。目的のためにはそれが一番良いはずなのに。

 

「どうして駄目なの」

「それは……」

 

 アスカの視線が左右を暫くさ迷って、それから俯いた。囁くような声で、

 

「だって、シタいんだもの……シンジと」

 

 僕はその言葉と彼女の表情に思わず顔を火照らせた。アスカはナイフとフォークをハの字にお皿の上に置いて、ドレスの膝の上に両手を持っていった。指と指を絡ませ、もじもじしているのが僕の席からでも見えた。

 

「たくさん……したいの」

 

 上目遣いになって、アスカは続ける。彼女の青い瞳はいくらか潤み、両頬は林檎色に染まっている。

 

「だって──それが『意味ない事』だなんて絶対に思わないわ。とても、たいせつな事だよ。ずっとバカシンジとしたい、そういう関係になりたいと思っていて、でも──出来なかった。それがなぜだか、とてもとても長い年月のように思える。まるで何回も人生を繰り返し、やり直してきたみたいにね。すごく近くにいて、でもずっと遠かったの。だから今がとてもたいせつなのよ」

 

 言いながら両手をテーブルの下から出して祈るように掌を合わせ、それから心細そうに──まるで僕から拒絶されることを恐れているように、上目遣いで訊ねた。

 

「それってイケナイこと?──女子から求めたらはしたないこと?」

 

 思わずたじろいで、しかし首だけはなんとか横に振った。

 

「そんな事ないよ。アスカの方からしたがるのは今日に限らずいつものことだし──」

 

 僕は肩をすくめて軽口めかしてみる。全身に力が入っているのに、むしろ不安に震えているようなアスカが少しでもいつもの調子を取り戻せるように、と願いながら。

 

 それが奏功したのか、どこか心細そうにしていたアスカはすぐに屹度(きっと)なって言い返してきた。先ほどまでのしおらしいアスカはあっという間にどこかに行ってしまった。

 

「はぁ? いつものことって、いつ私からそんなに求めたのよ──毎晩のように求めてくるのはむしろあんたの方でしょうが」

「えっ、いつものし掛かってくるから、てっきり」

「言葉では求めていない。夫婦としての身体的接触がお互いのムードを高めて自然にそうなっただけでしょ」

 

 日頃からそういう事を口にするのをやたら恥ずかしがっているだけで、無言で交接を求めてくるのはほぼアスカの方からと言って間違いないのだが──。

 

「そ、そうかな──だってお風呂上がりで良い匂いのするパジャマのお嫁さんに夜中に羽交い締めにされたらさ、普通の男なら誰だって……」

「あたしは大抵の場合、イチャイチャを求めてるだけよ。むしろあんたこそ仕事でくさくさしたりすると、すぐに甘えてきて、あたしの身体を欲しがるくせに。──あれは何、胎内回帰願望ってやつなわけ?」

 

 ──ったく幾つになってもマザコンなんだから、と余計な事まで言って、アスカは皮肉っぽく口角を上げた。たぶん誤解なのだが、子供の頃から姉貴分のように振る舞っては──僕の方が半年近く年上なのに──リードしてきた経験から、僕のことをアスカに金魚の糞のようについて回るとんでもない甘えん坊だと思っているらしい。単にアスカを立てているだけなんだけどな。

 

 それに子供の頃、父さんも母さんも研究でとても忙しくて、近所に住む女子大生のミサトさん(あくまでベビーシッターのバイトとして相手をしてくれていたらしいのだが)や、母さんの研究室の後輩のマリさん、それにいとこで1つ年上の綾波レイに遊んでもらうことが多かった。自然、年上の女の人に可愛がってもらうことが多かったから、アスカは今でも僕にあらぬ疑いをかけて胡乱な目で見ることがある。母性愛を最も必要とする年頃の幼い子どもが母親にろくに相手をしてもらえなかったんだぞ。ミサトさんやマリさん、綾波の胸に少しぐらい甘えたっていいじゃないか──。

 

 こほん。それはさておき。

 

「胎内回帰願望をエッチな意味で使うのは誤用だからね」

 

 だんだん大きくなるアスカの声にヒヤヒヤしながらも、僕は努めて冷静に突っ込みを入れた。

 

「ふん、マザコン男」

 

 今日はやけにしつこいなァ。ボソッと呟いて白い眼を向けてくるアスカに少しイラッとしながら、僕は店の名物のシャリアピン・ステーキを口に運ぶ。

 

「したくなったら求めるだろ──それは男として正常な欲求であって、別にマザコンなんかじゃないよ」

「仕草が甘えてるのよ。首筋にかかる鼻息がこそばゆい。子犬のような上目遣いでいつも愛情を求めてくる。おっぱいを愛でるのは──あんた自身にこんなに大きく育てられたんだから──良いとしても、乳首にやたらこだわる。あたしの中に入って包み込まれたいと、目が訴えている──傍証は沢山なんだから諦めなさい。ま、あたしは溢れんばかりの母性でいつも優しく受け止めてあげるけどね」

 

 アスカの生々しい説明に僕は思わず、もちろんこれまで何度となく味わっているその“接触”の瞬間を想起し、ごくりと生唾を飲み込んだ。僕とアスカが危うい粘膜の一点で触れ合う、その瞬間のことだ。その時、僕はアスカが女であることを、アスカは僕が男であることを官能的に認識する。

 

 そこから力を込めて腰を突き出すやいなや、尖端からアスカに包み込まれ、幾重にも層になった襞に巻き締められる心地よさ──。僕だけしか知らないアスカの快楽の園。そこでいつも僕は一旦は堪えて踏みとどまり、そこからこわごわと、なけなしの勇気を振り絞るように前進する。アスカの白い手が僕の背中に、白い脚が僕の尻に回されて、ぐぐっと引き寄せられる。その動きは、アスカがあんたは全部あたしのものなのよ──と所有権を主張しているみたいに思えるのだ。

 

 記憶の中の僕は、接合を果たした興奮を抑えようとぎゅっと目を瞑る。アスカの顔を見ていると、それが抱き慣れた妻のものであろうと、すぐ達してしまいそうだ。そこへ、アスカが僕の乾いた唇に彼女の湿った唇を重ねてくる。余計な言葉は視覚同様にもう要らないの。絆はちゃんと繋がっているのよ、と。下半身の一点であたしたち二人は今まさに一つになっているのだから──。

 

 だから、そうなってしまうと僕は──二人が一体となっている感動的な事実にも感極まって、あっという間に果てて──アスカに屈服してしまう。その時、アスカは僕をいくらバカにしてくれても良かった。いくらなんでも早すぎる──少しはあたしに合わせろ──自分勝手に独りだけ楽しんでいる──そんな風に怒られたり、バカにされたことがあったかな? いや、そんなことは今まで無かったと思う。

 

 せいぜい、クスッと笑って、再戦のチャンスを与えてくれるぐらいだ。髪をくしゃくしゃに弄られたり、デコピンを張られ、「ばーか」と言われることはあったかな。あの「ばか」は「バカシンジ」と同じ「ばか」だと僕は思っている──。いずれにせよ、二回目からは勇躍してアスカに挑んだ僕は夫に期待されている役割をりっぱに頑張ったと思う──。あくまで僕なりに、だけど。

 

 だから──

 

「優しいでしょ、あたしは」

「それはまあ……」

 

 ふふんと笑って問い掛けるアスカに、お茶を濁すように曖昧に応えたけれどそれは僕の照れ隠しだった。アスカは本当に優しい女の子だ。

 

「あたしとひとつになるのは、気持ちの──いいことだよね?」

 

 こんな場所で話す話題でないと思いつつも、僕は素直に頷いた。お互いに異性を相手しか知らない僕とアスカだけど、なんだかんだで夜の相性はとてもいいと思っている。気付けば、お互いの顔がワインに酔っただけとは言えないほど、紅く上気しているのが分かった。

 

「シンジがあたしを抱くたびに、不安そうにおずおずと奥に入ってくるのが好きなのよ」

 

 相変わらずアスカは笑っていたけど、僕を馬鹿にしているわけではないと分かった。

 

「だって──それはやっぱり少しこわいんだ。他の人の中に入るのは。本当にいいのかな、こんな事をしても──それもアスカに、って。いつもそんな風に思っている」

「他の人って、あたしたちは『もう他人じゃない』でしょ。夫婦なんだから家族よ。いいえ、そういう関係になった時から、ずっと他人ではないのよ」

「もちろんそれは、分かっているんだけどさ──」

 

 僕は、言葉を切って、そこで俯く。とても孤独だった。今だけは、1人1人が別の身体でいることが。アスカがそっと、いつの間にか食事をやめていた僕の手に白い手を重ねてくる。ふんわりと伝わってくるアスカの体温が僕の寂寥を癒してくれた。

 

「それでも進むのよね。りっぱだわ──あんたは今でも他人が怖くてたまらないのに」

 

 えらいえらいと、アスカは僕の頭をさわさわと撫でた後に、弱虫の僕のちっぽけな勇気を称えるように目尻を下げた。僕はぎこちなくはにかんだ。

 

「ね──あたしを抱くとき、いつもどんな気持ち?」

「え、アスカを抱くときの気持ち?」

 

 黙って頷いて先を促すアスカに、僕は言葉を繋げた。

 

「──なんというか──ムラムラ──いや、ムズムズするんだ」

「それは性欲──? あたしの中で解き放たれたい──というような」

「うん。確かにそんな気持ちだよ。アスカの中に色んな(おり)を吐き出したい。慰めてもらいたい。そんな気持ちはある。だからやっぱりアスカに甘えているのかな」

「そしてついでに畠に種を蒔く──実ったら、もう子供のようには甘えられないのに?」

 

 アスカは鋭く僕の本心を探るように問い掛けてくる。だから僕も自分の本心を突き当てるように心の底に降りていった。

 

 ──だってアスカがそれを望んでいるから。アスカが望んでいることなら、それは僕の望みでもある。父親になる不安はまだあるけれど、父もその父もさらにその父もずっと人間が連綿とやってきたことだ。父さんは日頃は、あまり僕に関心が無さそうで、姪の綾波──今ではレイ姉さんと呼ぶことが多い──ばかり構っているが、レイ姉さんは「ゲンドウおじさんは、恥ずかしいのよ」と弁護していた。曰わく「同性の子供って向き合うのが恥ずかしいの。だって自分の背中を見て、大きくなるんだから。弱みは見せられないわよ」──なるほど。そんなものなのだろうか。

 

 だから僕の不安は消えることは無いだろうけど、でも少しずつ僕にも、父親になる覚悟が出来つつある。

 

「甘えたいのは本当だけど。けど、たぶんそれだけじゃない。だってアスカのこと、抱き締めたくなるから。それにアスカにも抱き締めてほしくなる」

「うふふ──あたしとおんなじだね」

 

 アスカはにっこりと微笑んで、掌の上に重ねたままの手の小指を、僕の小指に絡めてきた。

 

「だから三倍、ね? 夫婦の『仲良し』を今晩も頑張ろうよ。あたしたち子供の頃から喧嘩もしょっちゅうしたけれど、すごく仲良しだったじゃない。レイと一緒に、三人は本物のきょうだいみたいだねってよく言われたよね。でも、もうあたしとシンジには子供の頃とは違うもう一つの『仲良し』の方法がある。あたし、それがいつも楽しみなのよ。思春期になったばかりの十七年前のきょう、初めてソレをした日から、ずっと──」

 

 そう、十月四日は僕とアスカにとってはそういう記念日なのだ。放課後の僕の部屋のベッドの上。その時付いた赤い染みに母さんが気付かなかった筈はないのに、何日か経ってから、食卓で二人きりの時に「アスカちゃんに優しくしてあげなさいね──これからもずっと」と言ったきりだった。僕はそれから母さんの言い付けを守ってきたつもりだ。

 

「でも流石に三倍だなんて……勘弁してよ」

 

 そんなことを思いだしながらも僕は、アスカの掲げる非現実的な目標に上擦った声で悲鳴を上げた。普段は一晩で一回か二回ぐらいだから、三倍だと三回ならともかく、最大で六回? ……ムリに決まってる。

 

「目標は高く!──まだまだ若いんだからなるべく頑張るべきでしょ。ホテルだってせっかく大きなベッドで眺めの良い部屋を取っているんだし」

 

 照れ隠しなのか勢いよく言って、アスカは食事を再開しようとカトラリーに手を伸ばす。頬の熱はまだ引いていないが、真剣な目をしていた。

 

「ベッドでそんなに頑張ったら、部屋からの眺めどころじゃないでしょ。去年と同じ部屋を取ってといつも言うくせに、ろくに外なんか見てないじゃないか」

 

 僕は予約してあるスイートルームの目の飛び出るような宿泊費を思い出して、記念日とはいえ浪費だよなあと嘆息する。仕事の成功でお金に不自由していないとは言え、根が貧乏性なのか、ちくちくと胃を刺すような後ろめたさは拭えない。ましてそんな高い部屋を連れ込み宿のように使うなんて。

 

「『仲良し』にムードは大事じゃない? 初体験がシンジの部屋でだったの、後悔はしていないけど、アレ、絶対お義母さまにバレてたわよ」

 

 はい、バレてました。……たぶん。

 

 それから和やかな会話を挟みながら食事を終えて、フロントで鍵を受け取るとエレベーターを待つ。夜の場所としてここが相応しいのかどうか──先ほどの話の続きがいつの間にか始まる。

 

「でも──ここはそういうホテルではないんだよ」

「泊まってる以上、別にしてはいけない訳では無いでしょ。毎年してるくせに。ホテルにとってもすっかりお得意様よ」

「それはそうだけど……」

「どうせすることはするんだから、つべこべ言わない」

「はい……」

 

 アスカが僕のスラックスのお尻をはたいたので、僕はしゅんとなった。紆余曲折はあったけれど、けっきょくは僕らの関係はアスカが仕切ることになっている。特に夜に関わることについては。

 

 エレベーターの階数表示が高層階から段々と下がってくる間に、アスカがそっと白い手を僕の方に向かって差し出した。

 

「ん?」

「その──今夜はいっぱい、『仲良し』しよう……ね。 シンジ……」

 

 アスカは俯いて、また顔を薄紅色にしている。手を差し出したのは和解の印で、一方的な物言いと尻をはたいたことについて少しばつが悪く思ったのかも知れない。僕はアスカの手をそっと取った。

 

「僕ら。子供の頃、よく手を繋いだね──」

「うん……そうだね。あたしは男の子と手を繋いだのも、たぶんシンジとだけ──」

 

 アスカの返事に、僕はありがとうと優しく頷いた。

 

「アスカが、僕ら二人で夜にすることを大人になった今でも『仲良し』って呼んでくれてること、とっても嬉しいんだ」

 

 それは初めてそういうことをした時に、中学生らしい初々しさから始まった言葉だった。恥ずかしくてとても直接的には言えない行為。二人だけに通じる秘密の暗号。目的がそのまま行為の名前になって、結果がおまじないのように約束された行為の名前になった。『仲良し』をするたびに、本当に仲良くなって、子供の頃に夢見た通りに、やがてゴールインした。それは宝物みたいな呼び方で、行為だった。だから──。

 

「だって気持ちいいとか、子作りとか、そういうことの前に、アスカともっと仲良くなりたいんだもの。怒りをぶつけて憎しみあうのではなくて、お互いを優しく思いやりたい。これは──そのための一番の方法だと思うから」

「ばか……バカシンジのくせに格好つけちゃって、生意気よ……」

「うん。いつもバカって言ってくれてありがとう。アスカは僕のことが、大好きなんだよね」

「──やっと。やっと気付いたのね。三十年もかかって……本当にバカなんだから」

 

 アスカは俯いたまま、涙ぐみ、鼻声になっている。僕はさらに調子に乗って言った。三十年もアスカの前で大人しくしてたんだから、今は少しぐらい弾けてもいいのかも知れない。ホテルの部屋がどうとか、そこでしてもいいのかなど、もう気にならなかった。

 

「『仲良し』楽しみだよ、アスカ」

「え?」

「子供の頃みたいにいっぱい遊ぼうよ。ベッドの上で──素っ裸になって、お喋りいっぱいしながら、取っ組み合うんだ。一晩中。そうしたら子供だって、このパパとママなら楽しそうって思って僕らのところに来てくれるかも」

「ばか」

 

 完全に真っ赤になって、それからアスカは前を向いたまま階数表示をじっと見つめた。

 

「早く──来ないかな」

「ん?」

「エレベーターの箱の中でなら、やんちゃでバカな旦那様にキスを捧げても──良いわよね」

 

 アスカはそう言って、僕に横目で色っぽい視線を送り、赤いピンヒールの踵を上げる仕草をしてみせた。


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