トリニティに訪問した先生

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マリーにはキスに夢中になって本番に使う体力枯らしてて欲しい


単話

 この日は、1日中汚れひとつ無い晴天を映し出していた。

 

 気象庁の人員削減による影響で、目視による観測から気象衛星による天気の推定に移行したため、『快晴』と言う表現がなくなったところがあるらしい。雲のあるなしで晴天であるのは変わらないというのに、更に細かく分けて名前までつけようとする人間の名付けたがりは、台風にまでも及ぶ始末だ。小さい頃、今思うと捻くれた子供だった私は、当然人間の名付けたがりを鼻で笑ったこともある。だが、こうやっていざ非の打ち所がない晴れの日に出会ってしまうと、『快晴』この二文字以上に的確な表現が見つからなかった。

 そんな絶好の日向ぼっこ日和に私はトリニティ総合学園にお呼ばれしていた。ひどい時では数時間おきに西へ東へ飛び回らなければならない日もあるが、今日の予定では18時まではトリニティで過ごせる事になっている。

 午前中にティーパーティーとの会議を終え、昼食を食べた後は、先生として学園内を自由に回って良い事になっていた。生徒と立ち話しながら各教室を順番に回り、校内の地図を頭の中で作り終わると、次は敷地内の探索を始める。校舎の更に奥にある音楽堂から左回りで歩いて行き、中央図書館と古書館で興味をそそられた本を手に取り、部室開館から出てくる生徒の活動内容を聞き、美術館で展示品を鑑賞して過ごしていると、時刻は16時半を回っていた。

 最後にシスターフッドのいる大聖堂に顔をだすことで、トリニティを半分以上は回れた事になる。隅々まで回ることは流石に時間が足りないが、主要な建物を回るには4時間というのはちょうど良い時間だった。大聖堂の中に入ると、数名のシスターが出迎えてくれた。

「いらっしゃいませ先生」

「本日はどのようなご用事で?」

「いや、これといった用事は無いんだ。今日は時間があったからこれを機にトリニティを一周してみようと思ってね。ここを見たら最後だよ」

「左様でございましたか」

「どうぞごゆっくりしていってくださいね」

「うん。お出迎えありがとう」

 彼女らは柔和な笑顔と優雅な声音で出迎えてくれた。

 中を歩き回っていると、ある会話が聞こえてきた。

「サクラコ様がまた古関さんとの“お話”を設けたようですよ」

「またもや二人きりですものね」

「古関さん今頃大丈夫かしら」

 古書館に行った時はウイはまだ居た筈だが、私が出ていったちょうど後に呼ばれたのだろうか。それにしても、未だにサクラコは周りを誤解させているらしい。

 そのままひとしきり見て歩いていると、ふと気づいたことがある。

「マリーはどこにいるんだろう……」

 一通り見て回ったはずなのだが、彼女の姿はどこにも見られなかった。彼女とも少し話したいことがあった為に、出会えなかったことは残念だった。しかし、時刻はすでに17時20分。大聖堂に居ないとなると会うのは難しいだろう。

 私は一旦外へ出て少々赤みがかった空を仰ぎ深呼吸をした。17時と言っても季節は夏。まだまだ輝かんとする太陽の光を浴びて少し休憩する事にした。

「良い天気にも程があるなぁ……ちょっと寝転がってみたいけど、流石に生徒の前でやるわけにはいかないかなぁ……」

 誰にともなく呟いた私は、どこか人目のつかない場所を探し始めた。トリニティのパンフレットを開きながら、良さげなところを探す。私の辿った所を流し見していくと、良さげな場所を見つけた。

「この大聖堂の裏側がいい感じに影になってて良さそうだな」

 日頃から先生と言われていても私は男。男とは秘密基地に憧れるものだ。かの有名な20世紀少年も秘密基地から始まったのである。好奇心に体を任せて大聖堂の裏手へ回ってみた。思った通り日陰で涼しくなっており、少々ジメッとしてはいるが夏の快晴の日にはぴったりの場所であった。

「お!いい場所を見つけたぞ〜」シメシメ

 そう思い寝場所にこだわっていると、視界の端に人影が見えた。どうやら先客がいるみたいだ。しかし、こんなところに来るくらいだ。きっと同士に違いない。そう思い、人影に近づいていくと、見たことのあるオレンジ色の髪の毛にひょっこりとした可愛らしい猫耳。足を伸ばして座っている姿が、彼女はそう。

「マリー?」

 私が探していた子だった。だが妙だ。彼女は口に何か細長いものを加えて、そしてその先からモヤモヤ白色を燻らせている。私はあれが何か知っていた。彼女の左隣に座り、話しかける事にした。

「やぁマリー」

 そう言って彼女の口から左手でそれを奪う。

「んっ!先生!?」

「久しぶりだね」

「そっ――」

 彼女の目が怯えたように泳ぐ。

「そうですね……お久しぶりです……」

「これ、どこの銘柄?」

「ええと……メビウスです……」

 彼女の声にはデクレッシェンドがついている。その様子を見ると、どうやら良くない事だとは思っているらしい。

「美味しいの?」

「い、いえ、最近始めたばかりで、まだ時々咽せたりします……」

 私が問いかけるたびに肩を振るわせる様が、なんとも可愛らしい。

「マリーはまだ15歳だったよね?」

「はい……」

「ダメだよ?こんなの吸っちゃ」

「はいぃ……」

「どうして吸っちゃったの?」

「はい……少し、疲れてしまいまして、つい手を出してしまったんです……」

 彼女の口ぶりからあらかた想像はできた。大聖堂には懺悔室なるものが設置されている。そこでは、仕切りでお互いが見えないようになっていて、一方に誰かが入り自分の行った事に対しての懺悔をして許しを乞い、もう一方でシスターがそれを聴き許しを与える。敬虔なシスターを目指す彼女は皆からとても慕われており、その信心深さから懺悔室に入る事もそう少なくはなかったはずだ。誰かの心の膿を一生懸命に受け止め、そして許しを与える。しかし、膿を手放し心を軽くした者とは裏腹に、彼女の心には段々と膿が溜まっていってしまったのではないか。それに、ここはトリニティ総合学園。ゲヘナとはまた違った問題を抱えている。今に至るまで、今でもずっと、権力争いや疑心暗鬼を続けてきたのである。そんな暗くドロドロした面を彼女のような純真な子が正面から受け止めようとしてしまうと、白色が他の色に影響されやすいのと同じように、疲れてしまう事もやむを得ないのだろう。

「私はさ、タバコとお酒はやらないようにしているんだよね。なんでかっていうと、私は長生きしたいんだ。単純さ。よく、『そんなに長生きしてもしょうがない。いつ来るかわからん未来より今を楽しく生きる。だからタバコも酒もやるんだ』ていうのを聞くんだ。確かにって思ったよ。『今この瞬間を楽しく』いい言葉だと思う。でもね、やっぱり私は今も楽しみたいし、未来も楽しみたいんだ。マリー達がどんな大人になるか楽しみなんだ。だからさ、マリーが私より先に死なないように、マリーが健康にいられるように、どうかたばこはやめてほしいな」

「……すみませんでした先生。後先考えずこのような愚行に走ってしまって……処罰は何なりと受けます」

「ううん。わかってくれたなら良いんだ。じゃあ、マリーのたばこは私が預かっても良いかな?」

「はい。これで全てです」

 私の右手に1カートンが収まった。

「ありがと。でも、マリーも大変なんでしょ?」

「いえ、私なんて、まだまだです……」

「いやいや、マリーはすごいよ。他のシスターフッドの子達もすごい。何があっても品行方正にいられるなんて、私にはできないよ」

「そう言っていただけると何よりです」

「懺悔室だってさ、誰かの嫌なところを親身になって聞いてたらそりゃあマリーみたいに疲れちゃうよ。ストレス発散も必要だと思う」

「…………」

「でも、だからってたばこは良くないと思う。こんなもの吸うくらいなら、私の指でも喜んで差し上げるのに。なんて――」

「それ本当ですか?」

「………………え?」

「今言った事、本当でしょうか?」

「あー……うん、たばこよりは良いと思うけど――」

「では、失礼しますね」

 そう言って彼女は私の右手を持ち上げ、人差し指の先に齧り付いた。

「ちょっ!ちょっと待ってマリー!本当にやるの?私の指汚いよ?嫌じゃないの?」

「はい、先生が良いとおっしゃるのなら」

「そ、そっかぁ」

 私は考える。どのみちマリーのストレス発散方法は一緒に探すつもりだったが、まさかこのような形で見つかるとは。

 彼女は子犬のように目を潤ませ、物欲しそうに第二関節を甘噛みしてくる。そんな誘惑のおかげか思考力が鈍ってきた。こんな行為は許しても良いのか。しかし、これ以外にストレス発散方法が見つからなかったら。そんなことは万に一つも無いだろうが、もし一つがあってしまったらどうするか――

 色々考えた末出した結論は

「マリーが良いなら……」

「では先生。いただきます」

 そう言って彼女は私の人差し指を付け根から指の腹まで一息に舌でなぞり、全て咥え込んでしまった。彼女のリップクリームが塗られた唇が柔らかく温かい感触を第三関節に刻み込み、同時に彼女は固い歯で指全体をほぐすように噛んでくる。指先に移って今度は第一関節を噛んだり、かと思えば手の甲に口付けをしたり。両手で私の手をなぞり、手の大きさや長さを測るよう指を絡めたり。夢中になる彼女の横顔はほんのり赤く、彼女の興奮を過分に内包しており、私の目を釘付けにする。ちらとこちらに一瞥を寄越した彼女は私の視線に気づき、私の手を顔の高さまであげ、顔と顔が向かい合うようにしてまた人差し指を咥え込んだ。しかし今度は、私の指に合わせて形を変える柔和な唇の感触と同時に、濡れていてる物体が私の指を包んだ。彼女の舌は私の人差し指を余すことなく舐めまわし、裏や表を使って変幻自在な感触を私に与えてくる。今までの人生で経験したことのない感覚を絶えず浴びせてくる彼女は、舌使いもさることながら、先ほどより更に妖しく、半分閉じられた蠱惑的な目を私に向けてくる。さっきから水気を十分に孕んだスライムをこねる音を響かせながらも指を見ることができないのは、彼女の視線が私の視線を絡めとり粘着して全く動かせないからである。

 何分経ったか、気づけばもう18時を知らせる鐘が鳴っていた。それまでネチネチと執拗に指に執着して離さなかったマリーも鐘の音を聞くと、最後のひと押しと言わんばかりに吸い上げて私の人差し指を離した。マリーはしばらく口を開けて余韻に浸っていたため、口腔を私に曝け出したままあ暫く固まっていた。蕩けた目を直視できなくなっていた私が顔を背けていると、彼女は私の手を取り一緒に立ち上がらせた。

「そろそろお祈りの時間ですので、ここで失礼します」

「あ、あぁ、いってらっしゃい」

「はい♪行ってきます♪」

 彼女は聖女のヴェールを纏い淑やかな足取りで大聖堂の入り口へと歩いて行った。

「あ、先生」

 彼女が振り向き小走りで近寄ってくる。

「耳を貸してください」

「……」

「また、お願いしますね♪」

 そう言って今度こそ入り口へと向かって行った。呆然と立ち尽くす私の顔はちゃんと先生をしていただろうか。今でも答えはわからない。ただ一つわかるのは、そう言って私に見せたマリーの顔は、1人の女性だった。

 

 この日からマリーに会う前はうさぎとかめを歌いながら入念に手洗いする習慣がついたことは言うまでもないだろう。




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