自陣に投げつける、妄想の塊。
※クトゥルフ神話TRPGシナリオ【ディープブルーにキラめいて】のネタバレを含む。

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あなたはとくべつなひと。

 海堂真は、決して強い人間ではない。

 才能に溢れているが、心は弱い。弱いのにも関わらず、心が強くなければ完遂不可能な仕事に従事している。

 能力があり、素質もある。ただし精神は不完全なもので、途中で逃げることを許さない愚直な性格の人間。

 

 アイドルマネージャーが欲しがる才能を全て持っていて、たった一つのなければならない能力だけを零してしまった男。

 それが、海堂真という男だった。

 

 早朝。綺麗ながらも仕事に圧迫された様子が見受けられる一室で、アラーム音が鳴り響く。

 部屋の中で眠る海堂は、魘されていた。寝汗をかき、声にならない苦しみの声を漏らし、それでも尚アラーム音が鳴れば即座に反応してみせた。

 

「……もう、朝か。よかった」 

 

 朧気な思考でスマートフォンを開けば、時刻は7:30を示していた。

 良かった、と。誰にも聞こえないというのに、ぽつりと一言漏らして、むくりと起き上がる。

 目には隈が浮かんでおり、まともに眠れていないことも分かる。それでも、休むことはない。休めるはずもない。

 

 ────酷い顔をしている。

 鏡に映った自分自身の姿を見て、海堂はたった一度だけ苦笑するだろう。

 たった一度の苦笑の後。これは自分に課せられた刑罰なのだ、と。口には出さず、心の中で、そう思った。

 

(悪夢のような、現実と)

(俺は、ずっと向き合って生きていくんだろう)

 

 海堂真は。

 日々、耐えがたい悪夢に悩まされていた。

 そして、その夢は。彼にとって″現実″そのものであった。

 

 

*** 

 

 

 溺れそうなほどに苦しく、″死″を自覚させられる夢。

 夢の中で藻掻き、窒息し、苦しむ。苦しむ過程で、過去の事を思い出す。そして過去を思い出し、心が鷲掴みにされるような苦痛を味わう。

 人間が死ぬ直前に見る走馬灯は、たとえ夢の中の死だとしても見ることになるのだと。その時、海堂は初めて知った。

 

 海堂真は、決まって同じ夢を見る。

 夢に堕ちる度に、誰かが現れる。ごぼごぼという泡の中から、忘れられぬ声と共に姿を現す。

 その誰かは、ローテーションして現れるわけではない。

 ただ一つ決まっているのは、海堂にとって大切な人間であるということだけだった。

 

 ″忘れてはならない″と強く念じているからか。

 ″忘れさせない″と使命を抱いて向こうからやってくるからか。

 何故、現れるのか。それは、分からない。

 

 ただ。夢の中の彼らは、現れる度に海堂を言葉をかけた。

 

 ────……死んでください、海堂さん。

 ────……苦労をかけて、すまなかったな。

 ────……はは、…は。これで、僕も夢から、醒めますね。

 ────ねえ、真さん。……私、ちゃんと輝いてた?

 

 そして。夢の中の彼らは、現れる度に海堂に呪いをかけた。

 

 ────狂愛とも呼べる執着の刃を向けてきた、同僚の姿。

 ────相棒と呼び合い、共に頑張ろうと誓った親友の眼。

 ────大切な人物を守るため、共に行動した仲間の声。

 ────自分に在る物を全て捧げると誓った相手の、命の輝き。

 

 それを思い出す度に、苦しみを覚える。

 ″忘れないで″と囁かれたあの時の事を。7年に渡る出来事を、思い出す。

 思い出して、何故ああなってしまったのかと自問する。自問したところで、過去が変わるわけではないのに。

 

 その姿を、その声を、その言葉を。忘れたい、わけではない。

 しかし忘れれば、もっと苦しむことになる。ならば、今身に受けている苦しみで妥協する。

 不器用で、逃げることのできない性格が、足を引っ張っていた。

 

(……もう)

(もう、頑張っただろう。俺は)

 

 死ねない。

 死ねない、が。もう、頑張らなくても良いのではないかと、そう思ってしまうことも、ある。

 ぼーっと。起き上がらず、部屋で横になる。何も考えずに、ただ天井の一点だけを見つめ、時間を無駄に浪費する。

 そんな日があっても、誰にも怒られない。だって、怒る人に限ってもうこの世にいないのだから。

 

 そうする事は、できた。

 ただ。そうする事は、許されなかった。許さなかった。

 

 そうしてしまえば、責務を果たすことができないから。 

 責務を果たすために、海堂真は、生き続けなければならないのだから。

 

 ただ単に、生きるために。

 過去にあった事象の全てを、″忘れない″ために。

 そして。たった一人の大切な人物を、守るために。

 

 海堂真は、生き続けなければならない。

 それが、自分に罰を与えることになったとしても。

 弱い人間であるのに。不器用故に、そのような生き方しか取ることができない。

 

(……なあ)

(君は、弱いマネージャーを、許してくれるか?)

 

 そして。

 弱い人間であるが故に、″そろそろ耐えられない″と直感した。

 

 逃げたいと思うほどではないが、自分の弱さを自覚しているが故に、分かる。おそらく、限界は近い。

 これからも為すべき事を為し続けなければならないのだから、どこかで休まなければならない。問題は、休むにしても、いかにして休むかという話であり。

 

 こうすれば休めるだろう、という仮定は既に浮かんでいた。

 しかし。迷いもなしに、直ぐに実行に移せる方法でもなかった。

 

 迷い、悩み。本当にその手を取るべきか、考える。

 考えて、考えて、考えて。まずは実行に移してみるべきだと、思うことにした。

 スマートフォンを取り出し、逡巡して、メッセージを入力し、そして一度消す。

 だが。消したメッセージを復元するべく悩みなおし、こんな事で悩むくらいなら消さなければ良かったと、またどうでも良いことで悩み始める。

 

 人間臭さ溢れる行動を、何度も、何度も、繰り返し。

 そうした果てに完成された、十文字以下で構成された文を、一方的に送り付ける。

 この世にたった一人しか存在しない、自分自身の弱みを曝け出せる人間────″宮下 あずみ″に対して。

 

 ″今すぐ君に会いたい″と。

 それだけ送り、海堂は1つの手提げ袋を持って外へ向かって行った。

 

 

***

 

 

「……返答もなしに来るなんて、何かあったんですか?」

 

 強さで弱さを隠そうとする人間だと、知っていた。

 隠せもしないのに直向きに隠そうとして、勝手に苦しむ。視線の先にいるのは私じゃなくて、何処かにいる幻影。

 この人は、幽谷きららの生まれ変わりとして私を見ている。それを隠そうとする。隠せもしないのに。

 不信感を抱かなかったことがない────と言えば、嘘になる。それは断言できる。

 

(それでも)

(あの瞬間だけは、私の事を見ていた)

 

 フラッシュバックする、3年前の記憶。

 白鳥ドームでのクリスマスライブ、発砲音、異物感が背中に当てられる感触。

 世界の安寧を取るか、大切な人物の命を取るか。それで躊躇もせず、大切な人物の命を取った。

 

 それがある、から。この人は、信用できる。

 視線の先に自分がいなかったのも、ただ過去の出来事に折り合いが付かないで、ひたすら不器用なだけだったって分かったから。

 信用することにして、償う必要もない罪を償うまで、他のマネージャーも就けずに待っていた。

 

 出所後。あの頃と変わらなくて、だけど明確に何かが変わった生活が始まってから、1ヶ月後。

 

 そんな海堂さんが、らしくもない弱みを見せてきた。

 弱みが見える。目の隈も浮かんでいる。けれど、決して今まで弱味を見せようとはしなかった。

 気になる。だから尋ねる。何かあったのではないか、と。

 

「……ただ会いたくなったんだ。メッセージ以外の理由はないよ」

「……本当に、ですか?」

「本当にだ。それ以上の理由もどこにも存在しない」

 

 コートを羽織っていなく、手袋も付けていない。所持品は手提げ袋1つだけ。

 身嗜みも気遣う人だからこそ、焦っていたし急いでいたんだと分かる。

 本当に会いたくなって、服装の乱れも気にせず、ただここまで走ってきた。たぶん、それは本当なんだろう。

 まだ何か隠しているかもしれないけれど、それは信じることはできた。だから、今はいいと思うことにした。

 

「とりあえず、上がってください。炬燵もあるのであったかいですよ」

「ありがとう。……遠慮なくお邪魔する」

 

 丁寧に靴を脱ぎ、奥の部屋へと入っていくその背中が、やけに小さく見えて。

 何かあったんだろうと。そう思うのは、自然なことだった。

 

 

***

 

 

(……ちゃんと綺麗にしてて、よかった)

 

 二十歳になった記念で両親から渡された、一人暮らしのアパート。

 その部屋に誰かを入れるのは初めてだな、と。あずみは、ふと思った。

 

 アイドル活動を行っていたこともあり、高校時代の友人はいないに等しく。

 かといって、白鳥市内に住んでいる以上、同じくして白鳥市内に住んでいる両親もわざわざこちらまで来ることはない。

 担当マネージャーは3年間おらず、フリーで続けていた。正確に言えば、フリーで続けるだけの余力があった。部屋に呼ぶような関係性の人物も、この3年間で増えるはずがない。

 

(呼ぶなら、海堂さんだろうとは思ってたけど)

(……かといって、呼んでも来なさそうな人でもあるから。不思議な感じ)

 

 海堂は、露骨な過干渉を避けるような人間である。

 6年前の幽谷の一件があったから、というのもそうなのだが。それを差し引いたとしても、線引きはしっかりしているだろう。

 守りたいものを守ろうとするし、大切な存在だと明言することはあるが、愛の言葉は決して口にしない。

 強いて言うなら、もう既に亡くなっている人間に告白をしたくらいで。生身の人間に対しては、ある一線を越えようとはしない。

 

 その目で見て来たからこそ、あずみには分かり切っていた。

 何かと理由につけて呼んだところで、海堂は家に上がることはないだろう、と。

 

 そんな人間が今、こうして上がっているのだから。何が起こるか分からないな、と思い。あずみは、海堂に目を配る。

 

(本当に疲れてるんだろうなぁ……)

 

 ぽー、と。そんな音が全身から出ていそうな表情で、炬燵に入りながらテレビ番組を眺めていた。

 随分と気が抜けたと言うべきか。この姿も、滅多に見ないようなものだった。人間そのものの姿という感じで、新鮮に思えた。

 

 部屋の掃除をしながら、流れる音に耳を傾ける。傾けてみれば、和歌の解説を行う教育番組が流れていることが分かった。

 

(……そんなに面白いのかな?)

 

 高校を卒業し、アイドル業に専念している彼女にとって、こういうものはよく分からない。

 何にそんなに惹かれるのだろうかと、あずみは気になった。 

 

「和歌、好きなんですか?」

「好きではないよ。嫌いでもないけれど」

「……もしかして、疲れてます?」

「疲れてる。……でも、ただぼーっとしてるわけじゃなくて、内容は聞いてるよ」

 

 テレビの向こう側。どちらかと言えば、和歌の内容そのものよりも、何度か訪れたことのあるスタジオが映っていたことの方が気になった。

 だが。あずみとは異なり、海堂はその解説自体に耳を傾けていた。興味もあまりないのに、思う所のある表情を携えながら、である。

 

「″東下り″に登場する和歌、らしいね」

「『昔、男ありけり』でしたっけ。高校でやった……気が、します」

「義務教育の範囲には入ってるはずだよ。よく覚えてるね」

「やった事以外はあんま覚えてませんよ。後は……女性のフリをして書いた作品、とか」

「紀貫之だね。……にしても、覚えられ方が不名誉だけど」

 

 古典と言えば、それだろうと。そうあずみが言えば、海堂はクスクスと笑った。

 どこか大人びた、達観したような考えを抱く彼女の、年相応な一面が見れたからかもしれないが。海堂本人ではないため、笑った理由は分からない。

 ただなんとなく、嬉しかった。どこか愁いを帯びた表情を多く見せていた自分のマネージャーが、純粋に笑う姿を見れたから。

 

 少し、ほっとしたような気分で。次の言葉を待つ。

 

「面白い事を言ってるから、是非聞いてみると良い。……炬燵、入る?」

「ここ、海堂さんの家じゃありませんからね?」

「知ってる。けど、炬燵の外なのも寒いでしょ?」

「それはそうですけど。……らしくない、ですね。ちょっと呆れられれば謝りそうなものだと思ってました」

「さっきも言ったけど、疲れていてね。少し、我儘に付き合ってほしいんだ」

「お言葉に甘えてあげます。3年間で大人になったので」

 

 ふん、と鼻を鳴らして。あずみは、海堂の隣に座り、炬燵に足を入れた。

 隣に座るマネージャー曰く、″面白い事″を言っているらしい。少しだけ内容が気になり、普段なら見ないテレビの映像に目を向けてみることにした。

 

 

 ────駿河なる宇津の山べのうつつにも 夢にも人にあはぬなりけり。

 

 

 『伊勢物語』の中に収録された、東下りに登場するもの。第九段という速さで登場するため、高等教育の授業で取り扱われることも多い和歌だ。

 

 当時の価値観では、夢に恋しい人が現れないのはその人が自分のことを思ってくれていないからだと考えられていたらしい。

 故に、この歌では″あなたはわたしのことを忘れてしまい、わたしのことを想ってはくれないのですね″という悲哀の意味が詠われているのだと。解説者は、そう語っていた。

 

「……相手に思われてなければ、夢に誰かが出てくることはない、か」

「思うところでもあるんですか?」

「あるかないかで言えば。ある、ね」

「絶対碌なものじゃないですよね?」

「……さあ、どうなんだろうね」

 

 絶対に碌でもないものだ、と。あずみはそう思った。

 

(こういう時の海堂さんは、隠せもしないのに隠そうとする)

(だって、そういう人だから)

 

 3年間。面会に行ける隙があれば、面会に行って話をした。

 2025年4月の出会い以後、2人の会話には″幽谷きらら″が介在していた。もっとも、介在していたのは海堂だけかもしれないが。

 その介在なく会話を行ったのは、洗脳が解けたクリスマスライブ以降の事。その会話も、直後儀間によって奪われた。

 

 結局。出会ってから4年前後経過した段階で、会話らしい会話というものは行えていない。

 故に、あずみはその機会を無駄にしようとは思わなかった。何度も、何度も、飽きることなく面会に行き、行えなかった会話を試みた。

 

 たったそれだけの関係性でも、簡単に分かる。

 隣に座る人物が、嘘をついている事くらい。

 

 

***

 

 

「そういえば。持ってきたんだけど、食べる?」

 

 結局。″海堂が嘘をついている″ことに関する話は有耶無耶になり。話が一度切れたところで、海堂は持っていた手提げ袋を差し出した。

 

「お菓子ですか?」

「そう。……結局、一度も食べて貰えなかったからね」

「アレ、記憶の中でしたからね。……覚えてますよ、記憶の中だったとしても。とっても美味しかったです」

「……そっか。それなら嬉しいよ」

 

 記憶の中────無限回繰り返した、″宮下あずみ″の記憶の世界。

 その世界の果てで。クリスマスライブ前にお菓子を作り、それを渡した。

 

 他の記憶で渡したかどうかは分からず、そもそも現実で渡してすらいない。

 何故、儀間の誘いに乗ったのか。現実の自分が、どういう思考回路でその決断に至ったのか。それすらも覚えていない。

 結局。2人で過ごした記憶は″不確かな事″だらけで。唯一確かなのは、あの儀間の実験室で目覚めて以降の事だけ。

 

 ただ、それでも。

 それでも。あの時に食べたお菓子は、美味しかった。

 たとえ記憶の中の世界だったとしても、覚えている。

 隣に座る宮下あずみが、そう答えたことが。純粋に、嬉しかった。それが理由で、海堂はまた笑った。

 

「案外、数年触ってなくても体は覚えてるものでさ。色々作ってきて……どっちが食べたいとか、ある?」

 

 手提げ袋の中に手を入れて、海堂は2つの箱を取り出した。

 サイズは同じ、デザインも同じ。外見から分かる情報はないが、どっちを開けても美味しい事だけは保証されている。

 

「海堂さん、利き手どっちでしたっけ?」

「左利きだね」

「じゃあ左にします。持ちやすい方に美味しいのが入ってる気がするので」

「ならその宣言通りに。どっちを渡しても味は保証するけどね」

「夢の中で一度食べましたし、期待してますよ」

 

 パカ、と。あずみは箱を開ける。

 

「……チョコ?」

「チョコだよ」

「市販品じゃなく?」

「そこら辺の市販品よりかは美味しいだろうね」

 

 中に入っていたのは、チョコレートだった。

 粒数にして15粒。色は黒がほとんどではあるが、形はワンパターンではない。

 滑らかな口触りであろうものや、クランチ状のもの、アーモンドがぴょこりと飛び出たものまで、様々な物が丁寧に収められている。

 

「……市販品、じゃなく?」

 

 外装を除けば、市販品そのものである。

 少なくとも。″別の箱に移したけど、中身はお店で買って来たものだ″と言われて出されれば、完全に信じてしまうような出来具合。

 3年ぶりのお菓子作りで、このレベルのものが作れるのかと。あずみは、海堂に訝しげな視線を向けた。

 

「……疑ってる?」

「……本当の本当に、少しだけ」

「食べれば思い出すと信じてるけどね」

 

 ────記憶の中の事を覚えているなら、そうじゃないかな?

 と。そう付け加えた海堂は、もう一つの包みを開け、その中の1つ────ピンク色のマカロンを口にした。

 

(……海堂さんの言う通り、かも)

 

 根拠こそないが。それに関しては、そうかもしれない。などと思った。

 故に。隣でお菓子を食べつつテレビを眺める海堂に何も言い返さず、あずみはチョコを口にした。

 チョコ特有の甘みの中に、ほのかな苦みを含んだもの。しかしその苦みに異物感を覚えるようなことは一切ない、甘みと苦みのバランスが完璧なチョコ。

 

「どう?」

「……これは、海堂さんの味です」

 

 直感でそう思ったから、そう答えた。

 

「ファイナルアンサー?」

「疑心暗鬼にさせないでください。……海堂さんの味だと、思います」

「冗談だよ。……まあ、何度も言っている通り手作りなんだけどさ。そう感じるところはあった?」

「……このチョコからは、なんというか。″愛情″を感じました」

 

 愛情、と。理由を言葉にして、あずみはまたチョコを手に取った。

 先程食べたものと同じ色、形状。まったく同じチョコを指で摘み、覚えた理由を口にする。

 

「たとえばなんですけど。市販品のチョコって、甘みが強いものが多いじゃないですか」

「お店で買うのは嗜好品で、甘いのが中心だからね」

「でもこれ、カカオ成分が強いかも……って思ったんです。甘さと苦さのバランスが良いんです。カカオからちゃんと作ってるなって思います」

「合ってるよ。とは言っても、基本的には市販品のカカオニブを買ってるから、労力は思う何倍も少ないけど」

「板チョコから作れば良いものを、わざわざカカオを買ってまで作ってくれてるわけで。健康に気を遣ってくれてるんだなって、思って。……それが愛情を感じた理由です」

 

 一面真っ黒なチョコの箱からは、言葉には現れない労力と愛情を感じた。あずみは、そう答えた。

 勿論。こういう事をするのであれば、妥協はしたくない。ならばカカオから作る。そういう思いもあるだろう。

 

 ただ、これは。思いではなくて、想いだと。食べた時に、そう感じた。

 自意識過剰であればそれで結構。ただ、横に座る男はそういう想いを平然と込めてくる。込めた結果は3年前に示している。

 

「それは……アイドルに渡すチョコとなれば、健康なものじゃなきゃだからさ。マネージャーとしては当然の愛情だよ」

「当然じゃないです」

 

 そして。

 そういう褒め方をすれば、躱そうとすることも。知っている。

 

 知っているからこそ、きっぱりと。あずみは言い切ってみせた。

 

「当たり前じゃないから、海堂さんが出てくるのを待ってたんです」

「────それは」

「……9ヶ月間。私にとっても特別でしたから。3年待ってでも海堂さんにマネージャーして欲しいって、3年前の大晦日にも伝えたじゃないですか」

「……はは。これは、参った。改めて君がそう言うとは思わなかったからさ。驚いてる」

 

 睡眠不足によってもたらされた朧げな瞼が、一瞬見開かれた。

 良くも悪くも。海堂がイメージするあずみは、達観した女の子で固まっている。空白の3年間があったからこそだ。

 

(″何とかなる″と。そう思っていた節はある)

(君は子供だけれど、大人だから。俺がいなくても上手くやっていけるだろうと、考えていた)

 

 彼女は、自分より余程大人だと。そう考えていたからこそ、その言葉が口から出るとは思っていなかった。

 

(……同じ、なのだろうか)

(同じであれば、嬉しいな)

 

 ────出所するまで、貴方を待っていたい。

 ────出所後はとりあえず、引退するまで君を見たい。

 

 ────貴方でなければならない。

 

 

 その想いは、自分も抱いていたものだったから。

 海堂真は、目を細め。そしてマカロンの箱を差し出した。

 

 君に食べて欲しいのは、実はこっちの方だったと。そう言いながら。

 

 

***

 

 

「何時までいていいの?」

「気が済むまでいていいですよ」

「優しいんだね。案外」

「……我儘に付き合ってあげてるだけです。今日だけですからね」

 

 結局。あれから2時間程度が過ぎ。炬燵で温もりを感じるだけの、何も生産性のない時間を2人は送り続けていた。

 和歌の授業はとっくに終わり、番組はありふれたニュース番組に切り替わっていた。未だテレビは付けたままで、ニュースが流れている。

 

 ────白鳥ドームでのクリスマスライブ、4年ぶりに開催決定。

 ────史上最悪のクリスマスから4年。株式会社白鳥ドーム代表は「問題がない」と声明を……

 

「……忘れないだろうな」

「……忘れられない、が正しいかもしれませんね」

 

 全ての事柄の始まりであり、全ての事柄の終わりである場所。

 ふと。″白鳥ドーム″という単語が目と耳に入り。2人は、言葉を漏らした。

 

 史上最悪のクリスマスであったと、世間はまだ覚えている。

 けれど。それも何時か忘れ去られ、風化してしまうのだろう。城木の死も、与田の行いも、儀間の殺害も。後10年後も経てば、どうなっているのかは分からない。

 ずっと覚えているのは、世界でたった2人だけ。それがたまらなく虚しく感じたからか、2人はただただ黙ってニュースを眺めていた。

 

「ねえ」

 

 そんな中で、唐突に。海堂は言葉を投げかける。

 

「10年後。どうしたいとか、希望はある?」

「10年後って……唐突ですね」

「10年経てばお互い30代だからね。……それに、今聞いてみたくなったんだ」

「……それは」

 

 ────白鳥ドームのニュースを見たからですか? と。

 あずみは、海堂にそう問うた。

 

「……そうだね」

 

 こくり、と頷いて。海堂の視線が、テレビの向こう側へと移った。

 何処かを視ているようで、何処も視ていない、ただただ物思いに耽るかのような、曖昧な目。

 そんな海堂の目を、あずみは黙って見つめていた。見つめ返されることはないと、分かっていても。

 

「随分と過去に囚われている。俺の良い所でも、悪い所でもあると思ってる」

「そうですね。……すごく良い所でも、すごく駄目な所でもあります」

「ただ。過去に囚われているのも、良くないと思って……未来があるなって。ニュースを見て思ったんだ」

 

 過去を覚え、未来に向かって歩んでいく。時の流れに沿って生きていく。

 それが人間のあるべき姿だと思い出すのに、7年がかかった。

 

(……″過去に縛られること″に縛られすぎていたのかもしれないな)

 

 忘れることのない罪を刻んだ者にも、未来を視る資格はある。

 掴み取った未来を視ずに、過去だけ視る行為は、誤っていると。それを心に刻みつけるかのように、目を閉じた。

 

「正直に言えば、未だ囚われてる節はある。囚われるない方が難しいのかもしれないけどね」

「……それで、寝れてない、と?」

「……バレた?」

「目の下の隈、浮かんでますし」

「……ならバレるか」

 

 諦めたように笑って、海堂は視線を意図的にズラした。

 自分の事をしっかり見ているのだと気づき、物思いに耽る気も失せ。何処でもない場所に向いていた視線を、現実へと戻す。

 

(何時まで、マネージャーを続けているかは分からない)

(ただ。……何も分からない未来に向かえることを、今は享受したい)

 

 護りたいもの。

 紡ぎたいもの。

 過去を覚え、未来を視ること。

 それをただ、繰り返していきたい。それを心から欲した。

 それを心から欲している自分がいることに、気がついた。それで充分だった。

 

「君と今日数時間を過ごして、未来を視ることの大切さを感じたよ。過去に囚われ過ぎるのもおしまいだ」

「なら、今日は安眠できそうですか?」

「少しは安眠できそうな気がする。なんとなくだけどね」

 

 実際に、その悪夢から解放されるかどうかは分からない。

 ただ、隣に座る護りたい存在に、魔法をかけられたような気はした。

 

 魔法。″ない″を″ある″に変える力。

 視ようと思えなかった未来を、視ようと思うようにした。さながら魔法使いだな、と。夢想家のような考えを抱いた。

 

「だから、聞かせて欲しい。君がこれからどうしたいかとかひっくるめて、未来の話をね」

「いいですよ。……何言ったって馬鹿にしないなら、ですけど」

「馬鹿にすると思う?」

「思いませんよ。お遊びみたいな質問です」

 

 そうして。

 2人は、これから訪れる未来について、語り始める。 

 

「何時か。俳優にでもなりませんか?」

「あの時のドラマは上手く行ったからね。いいかもしれない」

「その時は海堂さんも一緒です。俳優、やれると思いますよ」

「こんな低身長な人間に需要があるのか……って思っちゃうけど、そこはどうなの?」

「良いと思いますよ。海堂さん、かっこいいですし」

「そうかな……そうかも?」

 

 不確実な未来を、共に紡ぎ。

 

「グループ結成したいな、とかは考えないの?」

「考えたことはありますけど……1人の方がやりやすいなって、思っちゃうんですよね」

「入り口がそうだとね。……まあ、正直俺も同じ気持ちだからさ」

「何人も面倒見れない、ってことですか?」

「同じだけの愛情を注げるとは思えないからね。だったら1人で良いなって思うよ」

 

 何時か必ず訪れる選択に、先んじて答えを出し。

 

「夢があります」

「言ってみると良い。無謀な夢は子供の特権だからね」

「……もう一度、白鳥ドームでクリスマスライブをしたいです」

「……訂正しようか。無謀でもなんでもない、直ぐに現実になる夢だ」

「その時は必ず、一番近くで見てくださいね」

「最後まで見てるよ。……あんな事は二度と起こさせない」

 

 あの時抱いた夢とまた同じ夢を、叶えようと約束する。

 

 この場で口にされているのは、全て未来の話だ。

 海堂にも、あずみにも、未来は視えない。アイドルは短命で、刹那的なもの。あまりにも寿命の短い世界にいる2人には、10年後はおろか、1年後に何をしているかすら予想もつかない。

 

 だが。

 だからこそ。語る権利がある。

 夢を大きく語り、予想をし。ああでもない、こうでもないと、童心に帰ったように未来を語らう権利が、2人はあった。

 

 誰も否定をしない未来の語らいが、一通り落ち着いた頃。

 

「あの」

 

 今度は。あずみが海堂に問いかけた。

 

「そういう海堂さんこそ、やりたい事はないんですか?」

「マネージャー業に注力したい気持ちが強いかな。勿論君が望めばだけど、10年後も同じ事をしてると思うよ」

「そうじゃなくて。……マネージャー業が落ち着いたりした後でも良いので。やりたい事があれば教えて欲しいというか」

「考えたことがなかったんだよね。……ここ数年間は、激動だったし」

 

 数年先の未来さえも分からなく、この世界の主人公は自分ではない。黒子に徹するマネージャーが主導で行えることなんて、たかが知れている。

 それでも、答えを求めているのだから。なんとかそれには応えたい。そのような思いで、唸って、唸って、唸って。そうして数分目を閉じた後に、口を開いた。

 

「……本を書きたいな」

「本?」

「本というか、エッセイかな。随想録ってやつだね」

 

 随想。それは文字通り、随って想うこと。

 記されるのは筆者の体験や感情で、筆者が感じたままの事を、そのまま文字として出力する文章。

 小説でもなく、ドキュメンタリーでもなく。ただ、随想を書きたいと。海堂はそう夢を語らう。

 

「さっきも言ったけど、過去に囚われるのは俺の悪い癖だ。ただ、良い癖でもあると思っているからそれを生かしたい」

「……もしかして、マネージャー人生の事に関して書くつもりですか?」

「そう。とは言っても……書くのは俺の事じゃなくて、君の事に関してだけど」

 

 瞼を閉じれば、その裏に全てが浮かぶ。

 浮かんで、消えて、また浮かぶ。走馬灯のように記憶が駆け巡る。

 

 あずみとの記憶の全てが。海堂真の瞼の裏側に、焼かれている。

 だから、書ける。引き出したい記憶を、引き出そうと思えば引き出せるのだから。

 

「焼かれたCDみたいなものさ。覚えていたい記憶は、何時でも引き出せるようにしているんだ」

 

 邂逅を覚えている。

 会話を覚えている。

 約束を覚えている。

 覚悟を覚えている。

 成就を覚えている。

 本音を覚えている。

 今までの事は、全て覚えている。

 

「これからの事も……何時か来る別れまで、君との思い出は全部覚えるよ。記憶力は良いから」

 

 会話は必ず忘れない。

 約束は必ず忘れない。

 覚悟は必ず忘れない。

 成就は必ず忘れない。

 本音は必ず忘れない。

 離別は必ず忘れない。

 これからの事は、全て忘れない。

 

 何ともまあ、荒唐無稽な話だ。

 荒唐無稽で、大胆で、実現不可能な宣言。しかしそれすらも叶えるのではないかと思わせるような魅力が、この男にはあった。

 

「どれくらいかかるんでしょうね。書き終わるまで」

「何時まで続けてるか分からないからね。老後の楽しみにでもしておこうかな」

「……″少なくとも老後までは一緒にいる″、って遠回しに言いました?」

「まだまだ容量はあるから。覚えているし、忘れることはないよ」

 

 あははと笑って、海堂は一つ間を置いた。

 言葉を続けても良いが。なんとなく、その間が必要だと、そう思ったのだ。

 

「あずみ」

 

 そうして。優しい表情で、名前を呼んだ。

 顔つきが変わったような気がした。気がしただけで、変わってはいない。人間の顔はそうも簡単には変わらない。

 ただ、纏う雰囲気が変わった。纏うヴェールを変えた程度の違いを、あずみは感じ取った。

 

 見慣れたようで、見慣れていない顔。本当に大切で心から想っている本音を語る時にしか見せない、貴重な顔。

 宇宙のように深い黒をした瞳に、意識が吸い込まれるような気もしながら。あずみは、続きの言葉を待った。

 

「改めて、これからもよろしく」

「はい、よろしくお願いします」

 

 改めての挨拶も、この関係性では行う必要もないように思えるが。

 間違いなく。この日を境に、2人は新たな一歩を踏み出すこととなった。

 

 それを理解していたからこそ。海堂は口にし、あずみはそれに応えた。

 その理由を口にする必要は、どこにもなかった。

 

 

***

 

 

「……少し、寝ても良い?」

「寝ても良いですよ」

「ありがとう。2時間くらい眠りに就かせてもらうよ」

 

 もぞり。そのような音と共に、海堂は炬燵へと潜り込む。

 家主から許可を貰った海堂は、炬燵に潜り込むや否や、すぐさますやすやと眠りについた。

 

「子供っぽい人だなあ」

 

 これが素なのかもしれない、と。海堂の寝顔を見て、あずみは思った。

 知識があって、才能があって、体力があって、嘘が下手くそな、自分より少しだけ大人な人。邂逅の際に抱いた印象は、今日一日のやり取りで薄れつつあった。

 頑張りすぎた反動と言うべきか、虚栄心と言うべきか。案外、この人はずっと身近な存在なのかもしれない。だがそれならそれで、より嬉しい。許されているの証なのだから。

 

 ふと。机の上に置かれた、閉じられたマカロンの箱が目に入る。

 二択を迫られ選ばなかった方。しかし結局蓋を開けてみれば、作って来た本人曰く″食べて欲しかったのはこっちだ″らしい。

 

(……なら素直に渡せば良いのに)

 

 狡猾さか、奥手さか。その理由こそ分からないが、おそらく選ばせたことに意味がある。そう考えたあずみは、スマートフォンを起動した。

 マカロン、渡す意味。そうサジェストに打ち込めば、次に出てくるのは″お菓子言葉″というワード。そのままタップをして、表示される文字の羅列に目をやる。

 

「……選ばせずに渡してくれた方が、よっぽど嬉しかったですよ」

 

 どこか嬉し気で、しかしながらどこか寂し気な表情で。

 つ、と。画面上の文字を、表示された意味を細い人差し指でなぞる。

 

 

 ────あなたは特別な人。

 

 

 それを口で伝えて欲しかった、という気持ちも混じる中。あずみは、海堂の寝顔に目を視線を向ける。

 ロマンスの作品の主人公には向かない性格。きっとこれから先も、なんとなあくの遠回しで愛情を伝えてくるのだろう。

 大人という立場を用いることに、狡さを覚える。きっと同じ事を考えているからこそ、ひらりとはぐらかす行為が目に余る。

 

(……何時か)

(何時か、海堂さんの口から聞けることを、願ってますから)

 

 願うのは、そう。子供の特権だ。

 

 それを願うことくらいは自由だと。そう信じ、優しく手を握る。

 誰の耳にも届くことのない、独り言を呟いて。

 

「夢の中で、逢いましょう。海堂さん」

 

 大事な人の夢の中に、他でもない自分が現れることを願いながら。

 宮下あずみは、愛の象徴であるマカロンを1つ口にした。


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