「アリウス……?それが、イアちゃんのいた学園の名前なの?」
「…………」
無言で小さく頷くイア。表情こそ変わらないが、その瞳の奥底に渦巻く暗い闇を感じ取ったのかユメの表情は固く、次に何を言うべきか悩んでいるようだった。
「………………」
一方のホシノは、イアの言葉を受けてから口を閉ざし沈黙していた。喉の奥まで出かかっていた言葉は、胸の内に沈澱していく思考の澱みにより阻まれていた。
何故なら……イアが口にした『崇高』という言葉は、彼女にとって忘れたくても頭から離れられない、ある人物から聞いた聞き覚えのあるものだったからだ。
「(まさか"黒服"の奴……イアに何かしたのか?)」
研究者を自称していた胡散臭い男の姿を思い浮かべ、無意識に拳を握り締めるホシノ。その表情からは嫌悪感と不信感が入り交じり、今にも爆発しそうな雰囲気だった。
「(言ってた事はよく分からなかったけど、アイツは『崇高』がどうとかって、確かに言っていた……けど)」
もう1つ、ホシノが気になっていたのはイアが自らを『崇高になれなかった失敗作』と言っていた事だ。まるで自分が人ではないような言い回しに、ホシノは強い不安を覚えた。
それはつまり、イアは……
「…………っ!」
一瞬、頭を過った考えを振り払うように首を横に振り頭を抑えた。その表情には、そうであって欲しくないという願望と、そうだと思ってしまった己への強い嫌悪感があった。
「ホシノちゃん、大丈夫……?」
「あっ……」
ホシノがハッとして見ると、ユメが心配そうに見つめていた。ホシノは動揺を悟られないようすぐに思考を切り替えて口を開く。
「すみません、少し考え事をしてて……」
そう言いつつ、ホシノは自分達を見下ろすイアの巨体を見上げる。
「………………」
静かに自分達を見下ろすイアだが、先ほどから様子が少し変な事にホシノも気付いていた。
そしてそれは、彼女にとってきっと"良くないモノ"だという事は、ハッキリと理解出来た。
「……ごめん、イア」
「………………」
ホシノの口から溢れた声をイアは何も言わず、ただ静かにホシノの事をじっと見つめていた。
「嫌な気持ちにさせたのなら、謝るよ。君の過去に何があったのかは、私達には分からない。イアにはイアなりの理由があってこの砂漠にいて、人に触れられたくない事があるのは私も理解出来るよ」
だけど、とホシノは続ける。脳裏に浮かぶのは、行方不明になっていたユメと共に初めて出会ったあの日に見た、過去に消えた筈の、青く輝く美しいオアシス……あの時に感じた感動は、今もなおホシノの心に刻まれている。
「自分が失敗作だなんて、そんな悲しい事は君に言って欲しくない。あの時、君はユメ先輩を助けてくれた。全て諦めていた私に希望を見せてくれた。君は、決して失敗作なんかじゃない。誰かを思いやれる心を持った、優しい女の子だよ」
「…………」
ホシノをじっと見つめる瞳が、僅かに揺れる。そこへ、ユメも続くように口を開く。
「ホシノちゃんの言う通りだよ!イアちゃんはすっごく大きくて!すっごく優しくて、すっごく可愛い女の子なんだから!」
そう言うと、ユメはイアに向かって手を伸ばす。
「それにね!イアちゃんはもう友達なんだなら困った事があったら何でも言ってよ!」
「…………!」
イアは目を見開き、屈託のない笑みを向けるユメをじっと見つめていた。
「友達……ユメ……ホシノも……?」
「うん。そうだよ、イア……私達は、友達だよ」
ホシノも迷いのない真っ直ぐな瞳でイアの事を見つめ返す。
「………………」
曇りのない、透き通った2人の眼差しを受けたイアは無意識に喉を鳴らす。その瞳には、先ほどまでの暗い闇はなく、ただ目の前で自分の事を『友達』と告げた2人への戸惑いと僅かな熱のざわめきがあった。
「………………」
やがてその瞳がゆっくりと閉じられて、石のように沈黙する。
「ど、どうしたのイアちゃん……?」
急に動かなくなったイアの様子に、ユメは困惑する。
「(何か……迷ってる?)」
瞳を閉じて俯くイアの様子にホシノは、何かを感じ取っていた。
それは眩しい光を直視出来ず目を背けるようにも、何か重い決断を求められ葛藤しているようにも見えた。
「………………話す」
「えっ?」
2つの蒼い瞳がゆっくりと開かれると共に溢れた言葉にユメは困惑する。
「全部、話す……私達の、全て」
そう告げると共に、イアの長く艶やかな髪が、ゆっくりと、しかし確実にホシノとユメの全身を包み込んでいく。
「わわっ!?な、何!?」
「イア!何を……!」
「………………」
柔らかく、温かく、それでいて逃げ場のない感触が2人を包んでいく。視界が髪の毛の闇に覆われた瞬間、2人の意識は別の世界へと引き込まれていった。
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「………………ここ、は……?」
気が付けば、ホシノは見知らぬ場所に立っていた。
曇天に覆われた空の下には、人の温もりの消えた寂れた街並みが広がっていて、ホシノは辺りに瓦礫が散らばる広場と思われる場所にいた。
「あっ!ホシノちゃん!」
振り替えると、ユメが慌てながら駆けていくのが見えた。
「ユメ先輩!良かった……怪我はありませんか?」
「うん、私は大丈夫だよ。それよりも、ここは何処なんだろう……?」
「分かりません。私も、イアの髪の毛に包まれて気が付けばこの場所に……」
眼前に広がる街並みには人の気配は存在せず、砂に埋もれたアビドスを連想させた。違いがあるとすれば、広大な砂漠と焼けるような暑さがない事くらいだろうか。
空を覆い隠す厚い雲が光を遮り、街からありとあらゆる熱を奪っているようだった。
すると、何処からか複数の足音が聞こえてくる。振り替えると、7人の幼い少女達が駆けていた。
「あっ!ちょっと待って!」
ユメがその少女達に近付き声をかけようとするが、少女達はまるでユメの存在に気付いていないようにそのまま駆けていき……ユメの身体をすり抜けた。
「ふぇっ!?」
「ユメ先輩っ!大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫だけど……い、今スルッて……ま、まさか……幽霊……!?」
あり得ない光景にユメは目を見開き、少女達がすり抜けた自身の身体をペタペタと触りながら顔を青くしていた。
一方のホシノも、何時もなら冗談と一蹴するところをユメの言葉を否定するにはあまりにも現実離れした状況に何も言えなかった。
「……一先ず、さっきの子達の後を着けてみましょう」
「で、でもホシノちゃん……」
「ここでじっとしていても仕方ありません。今は、少しでも情報を得るのが先決です」
「う、うん……分かったよ、ホシノちゃん」
ホシノの言葉にユメは肩を震わせながらも小さく頷き、2人は少女達の後を着けて行った。
少女達はまだ遠くへは行っておらず、ホシノ達の足ですぐに追い付く事が出来た。
念の為に物陰に隠れながら様子を伺うと、1人の少女を中心に先ほどの7人の少女達が集まっていた。
『ただいま、姉さん!』
長い黒髪の少女の声に、中心にいた少女が小さく笑みを浮かべる。
『────おかえり、サオリ』
その少女は、他の少女達よりも背が高く、年齢は恐らくホシノと同じくらいだった。
青みがかった長い黒髪に、海のような蒼い瞳を持つその少女の面影に、ホシノ達は既視感を覚えた。
『姉さん。これ……あげる』
黒髪の少女の隣にいた、藤色の髪の少女が小さな白い花をそっと差し出す。少女はその花を大事そうに受け取る。
『ありがとう、アツコ。大事にするね』
『うん!』
藤色の髪の少女が嬉しそうに笑うと、少女も嬉しそうに微笑む。すると、何処からか『クゥゥ』と小さな音が響く。
『ヒヨリ……あんた』
『うぅ……だってお腹がすいちゃって……』
黒いショートヘアの少女が、青みがかった緑色の髪をサイドテールにした少女をジト目で見つめる。
『ふふっ。じゃあ、みんなでご飯にしようか。今日は前に外のお店で貰ったクズ野菜でスープを作るからね』
『手伝いますよ、姉さん』
『わ、私も……』
『私も手伝うぞ』
紫がかった黒髪をショートヘアにした少女と、長いグレーの髪を2つの三つ編みにした少女、少女達の中で唯一、背中に白い鳥のような羽を生やした白髪の少女が少女の後を着いていく。
『ありがとう。スバル、マイア、アズサ……とびきり美味しいのを作るから、みんな待っててね』
少女達の身なりは決して裕福とは言えなかったが、そこにいた誰もが幸せそうに笑っていた。
「ホシノちゃん……あの子、もしかして……」
ユメが少女の姿を見つめながら呟く。身体の大きさは異なるが、その少女の正体が何者であるのか、ホシノも直感で感じ取っていた。
ホシノが口を開こうとしたその瞬間、ノイズが走り世界が一変する。
「なっ……」
廃墟と化した街並みは夜の帳が落ちて、闇に包まれていた。同時に、複数の銃声と足音が一斉に響き渡る。
振り替えると、何人もの少女達が武器を手に取り戦いを繰り広げていた。
但しそれは、今までホシノ達が不良生徒やカイザーの兵士を相手するのとは訳が違う、互いの命を奪わんとする戦争そのものだった。
やがて数名の少女達がホシノ達のいる方へ駆けてきた。
「ホシノちゃん!」
咄嗟に盾を構えるユメだったが、少女達はホシノ達の存在に気付く事なく、再びホシノ達の身体をすり抜けていった。
「ま、またすり抜けた……」
「これは……幻?現実じゃない?けど……」
ホシノ達は目の前の光景が全て現実のものでない事に気付く。
しかし、肌に伝わる冷たい風と硝煙の匂い、そして少女達の叫び声と悲鳴は現実のものと何ら変わりなく、ホシノ達の五感にあらゆる情報を伝えてきた。
「ホシノちゃん、見て!」
ユメが指をさした先には、先ほどまで廃墟にいた少女達の姿があった。あれから年月が経ったのか全員成長していたが、身体中傷だらけで、痛みに顔を歪めていた。
『ぅ……ごめん、なさい……』
『しっかりしてマイア!後少し、後少しだから……!』
『姉さん!もう、弾薬が……』
負傷した少女を背負い、必死に戦場を駆ける少女達の姿を、ホシノは唇を噛み締めて見ていた。
少女達の姿に居たたまれなくなったユメが少女達の元へ向かおうとするが、ホシノはユメの手を掴み止めさせる。
「ホシノちゃん離して!みんなが、みんなが……!」
「ユメ先輩!これは現実ではありません!これはきっと……イアの、過去の世界です……」
ホシノ達は既に分かっていた。今、自分達がいるこの世界が、恐らくはイアの過去の世界である事と、あの少女達の中心にいた少女こそが、イア自身である事を……
「だからユメ先輩、たとえ私達が今ここで動いたところで、何も変えられないんです……ここは結局、過去でしかないから……」
「そんな……」
どんな理屈なのかは検討もつかないが、恐らくはイアが何か不思議な力を使い自分達を過去の世界へと導いたのだろうとホシノは推測する。
しかし、他にもまだ気になる事があった。
「(イアは、どうしてあの姿になったんだろう……?)」
砂漠で巨大な機械蛇を倒した力にしろ、自分達を過去の世界へと導く力にしろ、はじめから使えていた訳ではなさそうだった。
何より身体の大きさだけでなく、自分達が知るイアは、今目の前にいるイアと比べて明らかに外見が"幼かった"……それが一体何を意味するのか、その先を想像する事にホシノは恐怖していた。
「……いや、ダメだ」
「ホシノちゃん……?」
ホシノはジワジワと沸き上がる恐怖心を抑えるように拳を握り締めて、戦場を駆けるイア達をじっと見つめる。その瞳には、決して逃げてはならないという強い意思があった。
「イアはきっと、私達を信じてこの世界に導いてくれたんです。イアにとって、触れられたくない、自分の過去を……だから私達には、最後までこの世界の行く末を見届けなければならないんです」
「ホシノちゃん……」
ホシノの言葉にユメは足を止めた。
「そうだよね……一番辛い思いをしているのは、イアちゃんなんだから……」
その表情は暗く、何も出来ない悔しさに肩を震わせていたが、その瞳は真っ直ぐに少女達を見ていた。
やがてノイズが走り、場面が切り替わると、イアを含め戦場にいた少女達は全員、膝をつき、地面に横たわっていた。
そんな少女達を見下ろすように、1人の人物が現れた。
『今日からこのアリウス分校は私の支配下に置かれます。あなた達はアリウス分校生徒会長であるこの私の命令に従い、忠誠を誓いなさい。それこそが、あなた達に残された、たった1つの福音であると知りなさい』
「あの人、なんか怖い……」
「何だ、アイツ……」
その自分以外の全てを見下しているような傲慢極まる物言いに、ユメは身を竦ませ、ホシノは顔をしかめる。
その人物は、貴婦人を彷彿とさせる白いドレスを身に纏う大人の女性であった。
しかし、肌は血のように赤く、頭は目の付いた無数の羽根で埋め尽くされた怪人とも言うべき姿をしていた。
また、異質なのはその見た目だけでなく、目にするだけで言い様のない不安と恐怖を煽るような不気味な気配であった。そしてホシノは、その不気味な気配を漂わせているもう1人の人物を知っていた。
「(この嫌な感じ……間違いない、コイツは黒服の仲間だ……!)」
それは最早、根拠もない勘に過ぎなかったが、ホシノは確信していた。少女達を見下ろすあの傲慢な女は、自分に取引を持ちかけてきた黒服と同類であり、信用に値しない存在であると。
『…………………』
そして少女達の中で唯一、イアだけはその異形の貴婦人を警戒の眼差しで睨み続けていた。
再びノイズが走り、場面が切り替わると、眼前の光景にホシノ達は言葉を失った。
『うぅ……痛い……』
『もうやだ……こんなこと、したくない……!』
『ごめんなさい、ごめんなさい……命令にしたがいます。だから、なぐらないで……』
そこにあったのは、地獄だった。
異形の貴婦人は自らを『マダム』と名乗り、少女達に過酷な戦闘訓練を課した。命令に逆らえば、反抗の意思が消えるまで暴力を振るわれ続けた。
また、夢や希望を抱く事を禁じられ、ただひたすらに『人殺し』の術だけを学び続けられた少女達からは表情が消えて、この世の全てに対する憎しみだけが募っていった。
そんな中で、1人の少女だけは反抗の意思を瞳に宿していた。
『そう……全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいもの……それがこの世界の真理なのです。まだ、それが理解出来ないのですか?』
『────出来ないよ。出来る訳、ないじゃない』
「イアちゃん……!」
イアは身体を拘束され、全身が傷だらけだった。しかしその瞳からは光が消えておらず、真っ直ぐにマダムを睨み続けていた。
『ほう?飽くまで私に逆らうと?それが何を意味するのか……あなたには分からないのですか?』
『……あなたは、悲しい人だね』
『…………何ですって?』
自分を恐れるどころか、逆に憐れむような眼差しを向けるイアに、マダムは不快感を露にする。
『全てが虚しいなんて、一体誰が決めたの?あなたが勝手に言っているだけじゃない。だって、私は全然虚しくなんてないんだから。そう言うマダムはさ、どうして誰かを傷付ける事ばかりするの?そんな事をして、あなたは楽しいの?』
『……黙りなさい』
『私達はマダムが来るまで、ずっとみんなで争ってばかりだったよ。けど、マダムのおかげでみんなは争いを止める事が出来た。そこは感謝しているよ。だから私はずっと考えてたんだ……マダムなら、きっと出来たんじゃないの?誰かを憎んだり、誰かと争ったりする事のない、誰もがみんな笑っていられる、楽園のような────』
『─────黙りなさいっ!!!』
手にしていた扇子をへし折り、苛立ちから歪に並んだ歯を軋ませながらイアを睨み付けるマダム。
『よくも、よくもこの私の前でそのような妄言を宣い、あまつさえこの私を憐れむとは……なんという不遜!なんという愚かさ!どうやらあなたには、まだまだ躾が足らないようですね……!』
その後、イアに対する仕打ちは半日に及び、終わった頃にはイアは身体の至るところから出血して血まみれになっていた。
『………………っ』
『ハァ……ハァ……今日のところは、これくらいで許してあげましょう。私の寛大な処置に感謝し、自分の愚かさを噛み締めながら反省しなさい』
地面に横たわるイアに捨て台詞を吐いてマダムは去っていくと、複数の少女達がやってくる。
『姉さん!』
真っ先にかけつけたのは、紫がかった黒髪の少女だった。後からやってきた少女達はイアの姿を捉えると顔を青くし、中には小さな悲鳴を上げる者もいた。
『すぐに水と止血する為の布を!急いで!』
『は、はい!』
グレーの三つ編みの少女と、一緒にいた少女達は慌ててその場を去っていく。
『ふぅ……ありがとう、スバル……』
『姉さん!またマダムに逆らったんですね!?何でそんなバカな真似を……』
『だって、マダムの言ってる全てが虚しいだなんて、間違ってるから……』
『姉さん!あなたは何時までそんな戯れ言を信じるのですか!?姉さんがどんなに頑張ったところで、何も変わらない!トリニティに捨てられ、世界から忘れ去られた私達が光を見る事なんて永遠に訪れる事なんてないんですよ!?』
『そうかな?私は、そんな事はないと思うな……』
『な……なんで』
『だって、みんなとこうして出会えたんだから、ちっとも虚しくはないよ』
『今は確かに辛い事ばかりだけど、いつかアリウスのみんなが、幸せになる時がくると私は信じているよ』
『たとえ全てが虚しくても、信じたい気持ちは決して間違いじゃないから』
その声は、静かで、それでも確かに希望に満ちていた。
次の瞬間、光景が一変する。
「ひっ……」
ユメの顔から血の気が引き、歯の根をカタカタと鳴らす。ホシノは喉の奥まで込み上げる吐き気を必死に堪えた。拳を握る手に、爪が食い込み血が滲み出る。
廃墟から一変し最初に目に映ったのは、長く続く無機質な廊下。白い壁に反射する冷たい蛍光灯の光。空気は乾ききり、消毒薬と鉄の匂いが混じっている。
厚い金属の扉の向こうから聞こえてくる、複数の小さな悲鳴と低い声。
扉が開かれて、視界に入った部屋の中には、整然と並べられた器具の数々。拘束と、拷問を目的としたような金属の輪郭が、ちらりと光を反射した。
『ああっ……やだぁ……』
下卑た笑みを浮かべた大人達に囲まれ、少女達はその身体と心を穢されていた。少女達の悲鳴と大人達の怒号が室内に響き渡る。
『ねえ、さん……だめ……みないで……』
『あぁ、みんな……!どうして……!』
その地獄の光景を前に、イアはくず折れていた。その瞳からは光が消え、手足は鎖で拘束されていた。
そんな彼女の姿を満足げな笑みを浮かべたマダムが彼女の髪を引っ張り、無理やり立たせる。
『フフッ、よく見ておきなさい。これが、あなたの犯した罪です。あなたが私に刃向かわなければ、こんな事にはならなかった。あなたがこのアリウスの地で希望を語りさえしなければ、彼女達は私の慈悲の下で安寧を享受出来た。そう……全部、あなたのせいなのですよ』
マダムの言葉を受けたイアは、力なく座り込み、光を失った瞳からは雨のように澪が溢れ落ちていく。
『ごめんね……ごめんね……みんな……』
『さて、ようやく自らの過ちに気付いたようなので今一度問いましょう。あなたは、私に忠誠を誓いますか?』
『はい……誓います』
『もう二度と、希望を語らないと誓いますか?』
『はい……誓います』
『宜しい────では。次は、たたが無力な子供の分際で、この私を憐れんだ事に対する罰を与えましょう』
マダムの言葉と共に、下卑た笑みを浮かべた大人達がイアを取り囲んでいく。
『あ……』
迫りくる絶望を前に、イアはただ呆然としていた。
更に映像は加速していき、イアは延々と大人達によって身体を穢され続け、心を砕かれていった。
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『ぅ……ぁ……』
『やれやれ、やっと壊れましたか。思いの外手こずりましたが、"器"として利用するには申し分ないでしょう』
長く続いた責め苦によって、言葉を発する事も出来なくなったイアを、マダムは冷たい目で見下ろしていた。
『光栄に思いなさい。これより行うのは、私が高次元の存在に至る為の大いなる実験であり、神聖な儀式なのです』
イアは身体を拘束され、マダムは怪しげな機械を操作しながらつらつらと語り続けていた。
『使い物にならなくなった子供達の神秘と、あなた達の"子"の神秘を抜き取り、あなたという器に全て注ぎ込む事で、あなたはやがて"崇高"へと至る。あなたは私を更なる高みへと至らせる為の供物として、その身を捧げるのです。それで以て、あなたの全ての罪悪は清算されるのです』
そう言い切るのと同時に、イアの喉の奥から激しい絶叫が無機質な室内に響き渡る。
「イヤぁ……イヤぁ……!」
「やめろ……やめろぉぉぉっ!」
ユメは耳を塞いでも聞こえてくるイアの悲鳴に髪を掻き挘り、ホシノは喉が焼き切れる程の叫び声を上げるが、ただ目の前で少女が悶え苦しむ様を見る事しか出来ずにいた。
『ん?これは……』
絶叫と共に、イアの身体が急速に小さくなっていく。
成長した少女の姿が、まるで時計の針を戻すように縮んでいき、幼い子供の体躯へと変化していく。髪の長さも、瞳の深さも、明らかに「以前のイア」ではなくなっていた。
やがてしばらくして"何かが割れるような音"と共に少女の悲鳴は聞こえなくなり、マダムの落胆した声が聞こえてくる。
『ふむ……失敗しましたか。まあ、所詮は役立たず共を処分するついでで行った研究ですし、こんなものでしょう。一先ず、データは保存しておくとして、残りは全て破棄し────』
すると突然、機械から激しい警告音が鳴り響くと共に、砕けたはずのヘイローの粒子が、空間に留まっていく。
『何……?』
淡い光が集まり、形を結び直していく。完全に消えたはずの光輪が、再びイアの頭上に浮かび上がった。
次の瞬間、幼い姿のイアの指が、微かに動いた。閉ざされたまぶたが開き、瞳に光が灯る。
『おぉ、これは……!』
マダムの顔に、信じられないという色が広がり、それがやがて、一気に狂おしい喜悦へと変わった。
『何と素晴らしい!砕かれたヘイローが修復され、再び蘇った!そしてこの溢れ出る神秘の輝きと胎動!これこそまさに奇跡!私が求めていた崇高が、今まさに私の手中に収まった!ああ、その身を挺してこの私にこんな素晴らしい贈り物を授けてくれたあなた達の献身に感謝を!私はついに、ついに崇高へと至る時がきたのです!フフッ、フハハハッ!アッハハハハハハハハハ!!!』
『………………』
目覚めたイアは、何も言わずマダムの顔をじっと見つめていると……全身を縛る鎖やベルトを紙のように引きちぎった。
そしてその小さな身体からは蒼い光が迸り、周囲の機械や壁を破壊し、空間そのものを歪めていく。
『…………は?』
ようやく、イアの異変に気付いたマダムだったが、イアの姿を視界に捉えた瞬間に凍り付いた。
『──────』
そこには、幼さの残る顔立ちに似つかわしくない深い敵意と、積み重ねられた殺意があった。
次の瞬間、目映い光が奔る。室内にあった機械は粉々に砕け散り、衝撃波がマダムに直撃した。
彼女の体が大きく後方へ弾かれ、壁を粉砕しながら吹き飛ばされた。
『……ぐっ、あ……な、何が……!?』
『──────』
膝をついたマダムの前に、音もなくイアが降り立つ。そしてゆっくりと掲げた手を振り下ろし……マダムの左半身を"抉り取った"。
『ぎぃやァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッ!!?』
醜い悲鳴と共に鮮血が飛び散り、純白のドレスを穢していく。
顔の左半分は削り取られ、腕と足はねじ切られた箇所から絶えず鮮血が滴り落ち、マダムは激しい痛みと、あり得ない現実が同時に襲いかかり錯乱していた。
『う、腕……!あ、足が……!わ、わたくしの顔がぁぁぁ……!』
『─────』
イアは無言でマダムの首根っこを掴むと、力任せに投げ飛ばした。
『ごはぁっ……!?』
壁を粉砕し、外へと放り出されたマダムは近くの廃屋に激突し、瞬く間に瓦礫の山と化す。
『ぐがぁ……ッ!あぐっ……!』
全身をズタズタにされながも、マダムは未だに生きていた。しかし千切れた手足から発する痛みと、全身の骨を砕く衝撃に立ち上がる事すら出来なかった。
『マダム!一体何が……』
そこへ、見覚えのある少女達と、複数の少女達が騒ぎを聞いてやってくる。
少女達は血まみれになったマダムの惨状に絶句し、そしてその原因であるイアの姿を視界に捉えると、全員が目を見開き、凍り付いた。
『まさか……姉さん、なのか……?』
『──────』
少女達の姿を目にした瞬間、イアの瞳から敵意と殺意の色が霧散する。イアが口を開こうとする前に、耳障りな金切り声が響き渡る。
『サオリィ!何をしているぅ!早く、早くアレを殺せェェェッ!』
『ま、マダム……しかし』
『いいから早くやれぇぇぇッ!まだ"躾"が足りないのかぁぁぁぁッ!?』
その言葉に、少女達全員の顔から血の気が引く。ある者は頭を抱えて蹲り、またある者は息を荒くし冷や汗を流していた。
『うぅ……あ、あああああああっ!』
1人の少女が絶叫と共に引き金を引き、銃口から放たれた弾丸は、無防備なイアの身体へと炸裂する。
その一撃を皮切りに、少女達は一斉に銃口をイアへと向ける。
ある少女は、葛藤を噛み殺し目を閉じたまま引き金を引き、またある少女は、涙を流しながら弾を撃ち込んでいった。
『──────』
イアの小さな身体がその度に大きく揺れ、火花が散る。それでも彼女は倒れる事はなく、ゆっくりと、緩慢な動作で少女達の下へ歩み寄ろうとしていた。
『ぐっ、うぅ……!』
少女達の中で唯一、サオリと呼ばれた少女だけは、未だに引き金を引く事が出来なかった。
『──────』
イアが、1歩踏み出した。
弾丸の雨をその身に浴び続けながらも、彼女はゆっくりと、真っ直ぐにサオリの下へと歩いてくる。
『く、来るな……こないでくれ……!』
『──────』
銃を構えるサオリの手は激しく震え、瞳からは絶え間なく澪が溢れていた。1歩ずつ、力の抜けた足取りで近付いていくイアが、サオリの前で立ち止まった。
『─────』
サオリの呼吸が、止まる。
幼い手が、震えるサオリの手を優しく包み込む。イアは導くようにして、銃口をゆっくりと自分の胸に当てた。
『やめろ……やめてくれ、姉さん……!』
イアのやろうとしている事を悟ったサオリの目が大きく見開かれ、首を横に振ろうとするが、そのまま動けずにいた。
『──────』
イアの瞳が、サオリを見つめていた。
そこに敵意も殺意もなく、その表情からは、申し訳なさが浮かんでいた。
『────ごめんね、サオリ』
その言葉が聞こえた瞬間、サオリの喉から、言葉にならない絶叫が飛び出し、引き金を引いていた。
銃声が至近距離で鳴り響き、イアの身体が大きく後ろにのけ反った。
幼い身体から力が抜け、ゆっくりと膝から崩れ落ちる。
『………………ぁ』
サオリの手から、銃が滑り落ちる。イアは床に横たわり、まぶたをゆっくりと閉じていく。
そしてヘイローの光が、静かに消えていくと共に、世界は暗闇となって全てを飲み込み、ホシノとユメの意識はそこで途絶えた。
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「ここ、は……」
気が付けば、ホシノ達は果てのない暗闇の中に佇んでいた。
暗く、音のない世界で、淡い光が灯る。
『──────』
光は声を伴い、ひとつ、またひとつとその数を増やしてホシノ達を照らすと共に、いくつもの声が2人の意識に直接流れ込んできた。
『姉さんは辛い時、いつも私達を助けてくれた』
『先輩がいたから、私達は頑張れた』
『誰も、イアさんを助けてくれなかった』
『姉さんは、壊れちゃった』
『どうして、姉さんがひどい目にあうの?』
『だから、マダムはゆるさない』
『大人は怖い』
『憎い』
『ころす』
『おかあさんといきたかった』
『おかあさんをたすけて』
『ゆるさない』
『みんなにあいたい』
『しあわせになりたい』
『イアさんをたすけて』
『おかあさんをたすけて』
声は怒りと悲しみと寂しさ、そして微かな温もりを同時に孕んでいた。
ホシノとユメの意識に、言葉にならない感情の塊が直接叩きつけられる。
やがて全ての光はひとつに収束し、目映い光が世界を埋め尽くしていく。
光の奔流に呑まれたホシノ達に、言葉にならない意思そのものが流れ込んできた。
『……会えて、嬉しかった』
『化け物じゃなくて……人として、見てくれたから』
その意味だけが、ホシノ達にははっきりと理解出来た。
最後に、優しく包み込むような声が聞こえる。
『……ありがとう』
瞬間、光が弾ける。気が付けば、2人はイアの前に佇んでいた。
イアは俯いたまま、少しだけ肩を震わせていた。ユメが声を上げて泣き崩れた。
巨大な、それでいて幼い身体に縋るようにして、何度も何度も彼女の名を口にした。
「辛かったよね……イアちゃん、辛かったよね……!もう、大丈夫だよイアちゃん……もう、絶対に1人にしないから……!」
ホシノは拳を握りしめたまま、俯いていた顔を上げる。
左右の色の違う瞳に、抑えきれない怒りの炎が燃えていた。
己の歯を砕かんばかりに軋ませて、その表情からは明確な殺意に近い感情が混じっていた。
「どうして……どうしてアイツらはあんな事が出来るんだ!!?イアが、あの子達が一体何をしたって言うんだ!!?」
ホシノは、吼えた。少女達を玩具のように弄び、その命を平気で踏みにじる"大人達"へと、激情を叩き付ける。
「あの子達はただ、みんなと一緒に生きていたいだけだった!ただそれだけの願いを持つ事が、そんなに悪いのか!?ふざけるな!イアは、あの子達は……私達は、お前達の道具なんかじゃない!」
ホシノの絶叫は虚空へと消え、後に残ったのは少女達の嗚咽と、行き場のない怒りだけだった。
「………………」
イアは、俯いて肩を震わせる2人を静かに見下ろしていた。
巨大な手がゆっくりと動き、その掌がホシノとユメの身体を優しく包み込むように、そっと撫でた。温かく、丁寧で、まるで壊れ物を扱うように。
「……大丈夫」
短く、掠れた声。それでも、そこには確かな優しさが宿っていた。
「私達は、ずっと……一緒。だから、辛くない……」
イアの瞳が、わずかに細められる。その幼い顔には、全てを慈しむような穏やかな笑みが浮かんでいた。
「ホシノ、ユメ……新しい、友達……できた、から……」
その言葉に、ユメの瞳からは涙が止まらなくなった。彼女はイアの大きな手にすがりつくように抱きつき、声を嗚咽に変えながら何度も頷く。
「うん……!うん……!友達だよ、イアちゃん……ずっと、一緒だからね……!」
ホシノはしばらく、拳を握ったまま俯いていた。怒りはまだ胸の奥で燻っていたが、その熱は別の形に変わりつつあった。
彼女は深く息を吸い、ゆっくりと顔を上げる。瞳は涙で潤んでいたが、そこにはもう迷いがなかった。
「……うん、そうだね。私達は、友達だ」
そう告げると、ホシノもまた、イアの大きな手に身体を預けるように寄りかかった。
ユメと並んで巨大な掌の上で、必死に腕を回す。届かないほど大きな存在なのに、不思議とすごく近く感じられた。イアは2人を両手で優しくすくい上げるようにして、胸の近くまで持ち上げる。
心臓の鼓動が、大きく、ゆっくりと2人に伝わってきた。
「……ありがとう」
今度は、イア自身の声だった。
小さく、でもはっきりと。砂漠の風が3人の間を吹き抜け、イアの長い髪を穏やかに揺らす。
カイザーの基地を沈めた湖の水面が、遠くで陽の光を反射して、きらきらと輝いていた。ホシノは目を閉じ、ユメはイアの体温に顔を埋めたまま、静かに泣き続けた。
イアはただ、2人を抱きかかえるようにして、ゆっくりと瞬きをする。
この巨大な身体の中にいる"私達"も、目の前の小さな2人も、みんな一緒なのだと。
今この瞬間、私達はこの世界で生きているのだと。
アビドスの蒼い空の下で、少女達は新しい出会いに歓びを噛み締めていた。
ホシノ「……そう言えば、イアって私より年上だったんだ……先輩って、呼んだ方が良いのかな?」
イア「…………?」