ブレイブアフター   作:わしのシアン

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さあ、旅の終わりが近づいてきましたね。
心してお読みください。


第11-1話 魔王との対決――アルトリウス

 夜明けの光は、昨日と同じ色のはずなのに、どこか冷たかった。

 湖の余韻は胸にまだ残っている。パンの甘さも、あの声も。

 だけど砂を踏む足音は、静かに戦の方へ向かっていた。

 

「……行こっか。寝癖は、あとで直しな」

 

 ローエンが指先でアルの髪をつつく。

 その仕草は相変わらずで、だから余計に、胸がざわつく。

 

『行ク……遺跡……』

 

 バヴェルが低く唸り、砂を蹴った。

 まるで“急げ”と言うように。

 いや、“怖い”を隠しているように見えた。

 

 遺跡は、砂に噛まれたまま静かに沈んでいた。

 石柱は折れ、壁に刻まれた祈りは風に削がれて、ただの痕。

 

「……ここ、嫌な匂いがする」

 

『腐敗……呪イ……血……古イ……悪イ……』

 

 バヴェルの鬣が逆立つ。

 アルは無意識に黒銀を握った。手が汗ばむ。

 

「怖がるほどの相手じゃないさ。……前は、ね」

 

 ローエンは小さく笑う。

 その横顔を、アルは見つめてしまう。

 あの焚火の光よりも、少しだけ影が濃い気がした。

 

 地下へ降りるほどに、空気は腐り、空は遠くなる。

 光が消え、湿り気が増し、冷たさが骨に入る。

 

 ――そして、闇から、声が降った。

 

「……来たか、魔女」

 

 それは地の底から響く声。

 怒りでも憎悪でもなく、恨みと、覚悟の音。

 

「魔女、その息子、獅子か……」

 

 闇が裂け、黒い影が、金に縁どられた黒鎧を纏った吸血種の男が立ち上がる。

 切れ長の赤い眼が、ゆっくりとこちらを見た。

 

「忌々しい魔女め。

 また私を殺しに来たのだな!」

 

 空気が震え、石がひび割れる。

 アルの喉がひゅっと鳴った。息が浅くなる。

 

「だが勇者も聖女も無しに勝てるのか!?

 二度同じ轍は踏まん!」

 

 かつて勇者と聖女と魔女が追い詰めた魔王。

 その“悔恨”が、目の前にいた。

 

 ローエンは、にやりと笑った。

 焚火みたいに温かくて、刃みたいに冷たい。

 

「あっはっは。体を乗り換えてまで出てくるなんて……ほんと、しつこいねぇ」

 

 短剣が鳴る。

 影が揺れ、魔力がそっと滲む。

 

「それにね……勇者がいないとでも思ってるのかい?」

 

 アルは息を呑む。

 その言葉は――まっすぐ、彼の胸に刺さる。

 

「全く、おめでたいねぇ」

 

 ローエンは背を伸ばし、静かに宣言した。

 

「あたしが、勇者さ!」

 

 その声には、沈まぬ太陽の色があった。

 けれど――アルの胸の奥では、水音が微かに揺れた。

 

(……違う……それは……)

 

 否、という思いはある。

 けれど名前がつかない。

 喉まで来て、形になれない。

 

 魔王の咆哮が闇を震わせた瞬間、

 ローエンの足がひとつ踏み込む。

 

 水も砂もない地下で、風が巻いた。

 

「さ、踊ろうか。

 あんたの怨念、今日で干上がらせてやるよ」

 

 その声は静かで、ひどく遠い。

 焚火より優しく、戦場より鋭い。

 

(……僕だ……僕、なのに……まだ……)

 

 胸の奥で、焦りとも誇りともつかないものが泡になる。

 黒銀が、呼吸みたいに震えた。

 

 次の瞬間、闇が爆ぜ、魔力が滑った。

 

 

 気づけば、砂を蹴っていた。

 

(行かなきゃ。そこに、いなきゃ)

 

 喉の奥で、熱と冷たさがひっくり返る。

 黒銀が震え、空気がひずむ。

 

「……魔女の子か。無策に飛び込むとは……滑稽だな」

 

 魔王が振り返る。

 その視線は、獣を見下ろす飢えた刃。

 

「お前の行動は無意味だ……止まれ」

 

 命令のような声。

 でもアルは止まらない。

 

「――っ!」

 

 刃が閃く。黒銀が唸る。

 アルトリウスは真正面から斬りかかった。

 

 けれど。

 

 ひらり。音もなく。

 魔王の黒い外套が、影のように揺れただけでかわされる。

 

 一撃、また一撃。

 全部、空を裂く。

 

「ふふ……その剣だけでは勇者になれぬぞ、魔女の子よ」

 

「黙れ……!」

 

 喉が焼ける。呼吸が荒い。

 それでも斬る。届かないのに、斬る。

 

「焦りの匂いは心地よい、しかしその刃は好かん」

 

 魔王の指先が黒銀の刃を叩き落とす。

 光が弾け、鉄が悲鳴を上げる。

 

 その瞬間――

 

「“凍れ”」

 

 ローエンの声。

 水音とともに霜が走り、魔王の腕に白が咲く。

 

「……相変わらず鬱陶しい女だ」

 

『吠エルナ……喰ラウ!』

 

 バヴェルの咆哮が岩壁を震わせる。

 獅子の爪が石を砕き、魔王を追い詰める。

 

 アルは息を吸った。

 胸が焼け、魔力が暴れる。

 

「僕を……無視、するな――ッ!」

 

 黒銀が暴走する。

 影と白が混ざり、斬圏が膨れ上がる。

 

「ほう……“それ”か」

 

 魔王の瞳に、楽しげな色が宿った。

 恐怖ではなく、渇望。

 

「では――それを壊そう」

 

 刹那。

 空間が裂け、黒い鎖がアルへ伸びた。

 

 鈍い音。

 胸元で何かが弾ける。

 

「っ……!」

 

 影纏いの匂い袋が破れ、黒い煙が散った。

 香りが、空気を刺す。

 

 魔王の動きが止まる。

 

「……その匂いは」

 

 静寂。凍りつく空気。

 

「勇者の……匂い」

 

 魔王の声音が、今度は震えた。

 恐怖でも怒りでもない。渇望が濁った音。

 

「勇者の子か」

 

 赤い双眸が、ぎらりと笑う。

 

「――ならば、子供だろうと容赦はせぬ」

 

 影が爆ぜる。

 魔王の殺気が、地下を満たした。

 

 アルの背筋が冷えた。

 だけど足は、まだ前に出ていた。

 

 次の瞬間、空気が切り裂かれた。

 

「――まずは心を砕く」

 

 魔王が消える。

 

 いや、速すぎて見えなかった。

 

 影が滲み、音が遅れてくる。

 アルの視界が黒で埋まり、頬が焼けるように熱い。

 

(……は、速――)

 

「死線を越えられぬ剣など、ただの鉄だ」

 

 黒の腕が突き出される。

 刃ではない。掌底。

 それでも、山を割る重さ。

 

「アリス――!」

 

 ローエンの叫びと同時。

 氷符が飛び、蒼い盾が弾けた。

 

 バチン、と音。

 防御の膜が砕け、霜が地に散る。

 

 それでも衝撃は止まらない。

 

「っぐ……!」

 

 アルの体が吹き上がり、石柱に叩きつけられる。

 胸の奥で、何かがずれる音。

 

『子ッ!!』

 

 バヴェルの咆哮が地を震わせる。

 牙が闇を裂き、魔王へ飛びかかる――が、

 

「獣風情が吠えるな、邪魔だ、除け」

 

 紫の魔力が走り、影の杭が突き出た。

 バヴェルが牙を噛み砕かれるように押し返され、砂をえぐる。

 

 アルの視界が揺れる。

 肺が焼ける。空気が喉に入らない。

 

(……息が……吸えない……)

 

 魔王の足音が近づく。

 一歩ごとに、冷たい圧が降る。

 

「美しき勇者の子よ。

 我にもっと見せよ、その顔を絶望に染めよ!」

 

 魔王の指がアルの喉元へ伸びた。

 影が巻き、骨が締め上げられる。

 

「っあ……!」

 

 視界が白く、音が遠い。

 

『離レロ! 魔王、殺ス!』

 

 バヴェルが飛ぶ。

 ローエンが符を切る。

 二つの殺意が、空気を切り裂く。

 

 だが――魔王の赤い眼は、ただ一人を見ていた。

 

「泣いているのか?

 実に美しく、そそられるモノだな!」

 

 その瞬間、アルトリウスの胸で何かがはじけた。

 

(……違う……!

 僕は……泣かない……泣けない……!

 だって……だって――)

 

 喉から漏れる声は、言葉にならなかった。

 けれどその瞳は、決して折れていなかった。

 

 息が、肺に戻らない。

 心臓が暴れ、意識が揺れる。

 

 ――それでも。

 

 視界の端に、黒ではなく“銀”が揺れた。

 

 ローエンの指先。

 震えてなどいない。

 いつもの、魔女の笑み。

 

 バヴェルの爪。

 血を滲ませても、地を掴んでいる。

 ただ一匹でも、二人を離さないと誓う獣の姿。

 

(……ひとりじゃない)

 

 喉が焼けても、声にならなくても。

 ただその事実だけが、全身に灯った。

 

「……母さん……」

 

 掠れた声。

 それは助けではなく、立つための言葉だった。

 

 魔王の指が強まる。

 影が締まり、骨が軋む。

 

「折れぬか。

 ならばその意地ごと砕いてやる」

 

 闇色の魔力が膨らむ。

 地鳴りのような低音が、遺跡の奥で唸る。

 

(折れない……折れない……!)

 

 アルの指が、黒銀へ伸びた。

 爪が剥けようと、握り返す。

 

 ――その瞬間。

 

 黒銀の刀身が、かすかに白く脈打った。

 

 水音。

 あの日の湖が、胸の奥でまた揺れた。

 

(僕は……消えない)

 

 影ではなく、光を抱えた影。

 魔女ではない、勇者の血が疼く。

 

 遺跡の空気がひび割れた。

 

 黒銀の刀身が、かすかに白く脈打った。

 

 水面の揺れみたいな光。

 一瞬だけ、影の奥に“光”が差した。

 

 魔王の瞳が細くなる。

 

「……今のは、なんだ?」

 

 その声には、ほんのわずかだが

 警戒が混じっていた。

 

(……見た、のか……?)

 

 アルの心臓が跳ねた。

 胸の奥に灯った“何か”を、自分でも掴みきれないまま。

 

 けれど魔王は気づいてしまった。

 

 そして次の瞬間――

 

「その芽、ここで摘む」

 

 冷たい声が落ちた。

 

 影が牙になる。

 アルが立つより早く、

 

 ――殴り飛ばされた。

 

「ッ――!」

 

 視界が裏返る。

 石床が頬を裂き、鉄の味が口に広がる。

 

 頭が回らない。

 呼吸がうまく入らない。

 

 それでも、黒銀だけは震えていた。

 折れていない。折られていない。

 

「まだ立つか。愚かだが……嫌いではないぞ」

 

 魔王の声が遠い。

 砂を擦る音。闇がまた近づく。

 

(……立つ……立たなきゃ……)

 

 その意志だけが、どこにも行かずに残った。

 

 ――その瞬間、

 アルの世界に“咆哮”が割り込んだ。

 

『子ニ……触レルナ……!』

 

 大地が鳴る。

 獣の声が雷のように遺跡を裂いた。

 

 視界の縁で、黒い影と銀の鬣が燃える。

 

 バヴェルだ。

 

 彼の瞳は、怒りで、恐怖で、

 そして何より――守るという意志で満ちていた。

 

 アルの指先が震える。

 手が、黒銀を探し、握る。

 

(……僕、は……)

 

 まだ、終わっていない。

 その証のように、

 刃の奥で白い光がわずかに瞬いた。

 

 しかし――次の瞬間、視界が途切れる。

 

 力が抜け、砂に頬を落とす。

 音だけが残る。

 獅子の脚音。魔王の嘲笑。

 

 そして、バヴェルの息遣い。

 

――ここで視点が変わる。

――“獣”の心が吠える番だ。




倒れてしまったアルトリウスを、バヴェルが身を張って庇います。
明日は、その銀獅子がどんな心で少年を見ているのかを描きます。
次回もどうぞお楽しみに。
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