ブレイブアフター   作:わしのシアン

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ローエンと魔王の決着の裏で、
アルトリウスを背負って戦った“もう一人の英雄”の視点を描きました。

ちょっと獣っぽくて、ちょっと家族っぽい、
そんな匂いのする回です。


第11-2話 魔王との対決――バヴェル

――嗅いだ。

鉄と土と、古い血の匂い。

そして、子の匂い。震えている。まだ折れていない。

 

バヴェルは爪を砂に沈め、体を低くした。

喉の奥で、吠えが生まれる。だが、ただ吠える獣ではない。

母を見て、勇者を見て、戦を覚えた獣だ。

 

影が滑る。音が遅れる。

魔王――あの黒いものは、風より速く、臭いより薄い。

怖い。

だが、怖いままで守ることを覚えた。

 

『子ニ……触レルナ……!』

 

床が鳴る。飛ぶ。

角で影を裂き、肘の剣で薙ぎ――空を切った。

一瞬遅い。目では追えない。だが、匂いが残る。

熱の尾。血の気配。あれは“動いた”後に、必ず冷たい穴を残す。

 

(そこだ)

 

尾で穴を塞ぎ、踏み込む。

がつ、と硬い。影の杭。痛み。構わない。

牙が石を砕き、黒い外套の縁を噛み裂く。

わずかな血の匂い。当たった。届く。

 

「獣ごときが」

 

冷たい声が右に回る。

右ではない。右の“少し先”。

バヴェルは耳を倒し、空気の流れを聞いた。

魔王が消えると、風の穴が…生まれる。

そこに先回りする。地を蹴る。砂を噛む。

 

『逃ガサナイ……!』

 

肘の剣が火花を散らす。

黒い掌が弾く。腕が痺れる。

それでも、止まらない。

守るための脚は、折れない。

 

横で母の声。

「凍れ!」

蒼い霜が床を走る。魔王の足が半歩、鈍る。

半歩でいい。半歩あれば、獣は喉を狙える。

 

飛ぶ。

喉は硬い。殻みたいだ。

ならば押す。

体ごと。角ごと。

壁へ。地へ。空気ごと、押し潰す。

 

石が割れる音。

黒い影がぶれ、赤い目がこちらを見る。

そこに――薄い恐れがあった。ほんの少し。

(見タナ。ワレヲ。戦友ノ獣ヲ)

 

「しつこい」

 

影が開く。紫の杭が林になる。

突き刺さる前に、身体を曲げる。

母が教えた。直線は避ける、獣は円で生きろ。

肩を捨て、背で受け、尾で払う。

杭が砕け、皮が裂ける。血の温度。耐えられる。

 

『子、立テ……呼吸、忘レルナ……!』

 

子は返事をしない。息が浅い。

でも、黒銀はまだ鳴っている。

白い火と黒い影。あれは危うい。だが、強い。

(待テ。今ハ、待テ。生キ残ルタメニ)

 

魔王が再び消える。

今度は、匂いが薄い。速度が上がった。

怖い。胃が縮む。脚が震える。

それでも、止まらない。

 

床のわずかな沈み――

風の穴――

石粉の舞い――

三つを重ね、未来を読む。

そこへ先に脚を置く。

空になった場所へ肘の剣を置いておく。

来い。そこに、来る。来させる。

 

がん、と硬い手応え。

黒い腕が弾かれ、魔王の体勢が崩れる。

母の水刃が横を走り、影が削られる。

子の黒銀が、遅れても、確かに届く。

 

「鬱陶しい」

 

魔王の視線が揺れる。

怒り。焦り。嗜虐。

そして――警戒。

 

『守ル。母、子、守ル……!』

 

吠えるたびに、恐怖が薄れる。

吠えるたびに、脚が速くなる。

獣は、生きるために学ぶ。

敵の呼吸。目の予感。肩の傾き。

刹那の“次”を、読む。

 

三度、四度、五度。

魔王の影を踏み、爪で縫い止め、角で押し返す。

母の霜が足を奪い、子の斬圏が壁を抉る。

追い詰める。

穴の少ない壁際へ。

逃げ道は――上。

翼はない。だが、影は跳ぶ。

 

(跳ブ前ニ、落トス)

 

尾で砂を巻き上げ、視界を奪い、

肘の剣で床を割って段差をつくる。

踏み切る“面”を壊す。

魔王の膝がわずかに泳いだ。

そこへ、牙。

 

――届く、その寸前。

 

「退け」

 

紫の衝撃が炸裂した。

世界がひっくり返り、バヴェルの身体が石塔に叩きつけられる。

骨が鳴る。視界が白い。

それでも、立つ。

片膝をつき、また前へ。

――そのとき、母の声が落ちた。

 

「バヴェル!」

 

呼ばれると同時に、水が走り、蒼い幕が子を覆う。

母は片手で魔王とやり合いながら、もう片手で道を作った。

冷たい風が遺跡の奥――抜け道へ流れ始める。

 

「アルを連れて退きな!」

 

喉が焼ける。

バヴェルは言葉を選べない。

選べるのは、従うか従わないか。

 

『……行カナイ。ワレ、戦ウ。三人デ、勝ツ――』

 

母は振り向かない。

それでも、笑った気配がした。

焚火みたいな、生きて帰る笑い。

 

「お願いだ、戦友。今は“勝つ”より“残す”。

 マルタの泉へ。――あの子を生かして」

 

マルタ。

水の匂い。癒しの石。

昔、勇者が喉を潤した泉。

そこなら、子は戻る。息も、刃も、心も。

 

魔王の影が伸びる。

奪いに来る。壊しに来る。

母の霜が砕け、刃がきしむ音。

時間が薄い。

 

『……分カッタ』

 

バヴェルは走った。

子を顎で抱え、胸で支え、尾で石片を払い飛ばす。

軽い。危ういほど軽い。

(息、聞コエル。心、鳴ル。大丈夫。連レル)

 

「逃がすと思うか!」

 

魔王の声が背を刺す。

影の杭が雨になる。

振り向かない。

振り向けば、届く。

前だけを見る。風の穴だけを見る。

母が開けた道は、水の匂いがする。

そこへ――獣は真っ直ぐだ。

 

霜の幕がまたひとつ割れ、

紫の雷が壁を焼く。

背に熱。皮が焦げる匂い。

構わない。走る。

家に連れて帰るために。

 

『母……死ヌナ。必ズ、生キロ……!』

 

叫びは祈りになる。

祈りは誓いになる。

脚が千切れても止めないという誓い。

 

背後で、水の轟き。

母の大技。

“海”が一瞬だけ地下に落ちる音。

魔王の咆哮が割れる。

今だ。

 

バヴェルは最後の角打ちで扉を砕き、

冷たい通風の谷へ飛び込んだ。

闇が薄れ、湿り気が増える。

石壁に刻まれた導きの印――マルタの泉。

 

子の胸が上下する。

小さい。だが確か。

『子、息、吸エ。泉、近イ。助カル』

 

背で、世界がまだ吠えている。

母と魔王の刃が、遠雷のようにぶつかっている。

戻りたい。今すぐ。

でも、今は残す。

母が言った言葉を、獣は忘れない。

 

泉の間へ躍り込み、

子を澄んだ水の縁へそっと下ろす。

喉へ、一滴。

額へ、一滴。

黒銀の刃先にも、一滴。

水が鳴り、揺り起こすように光る。

 

――その時。

小さな足音が水面に跳ねた。

 

「……アル、なの……?」

 

薄闇の奥から、

白い耳とふわふわの尻尾がぴょこ、と覗いた。

 

ルーナだ。

昼寝のために泉へ来ていたのだろう。

子どもの匂い、草と日だまりの匂い。

砂や血とは違う、柔らかい匂い。

 

「アル……寝てるの……?

 ねぇ……なんで、そんなに……冷たいの……?」

 

震える指で、アルの頬をそっと触る。

尻尾がへたりと落ちて、目が潤んだ。

 

バヴェルは低く鼻を鳴らす。

言葉はうまく伝わらないだろう。

けれど――伝えねばならない。

 

『……守レ。子、弱イ。息、戻ル。

 オマエ……見張レ。助ケロ』

 

ルーナは意味が分からず首をかしげる。

けれど、アルの手をぎゅっと握りしめて、言った。

 

「……ルーナ、ここにいるの。

 アルが起きるまで……ちゃんと守るの……!」

 

ふわふわの尻尾が、力なくも揺れた。

それだけで、バヴェルの胸の奥が少しだけ温かくなる。

 

『良イ……子ダ……頼ンダ……』

 

ルーナは涙をこらえて、必死に笑った。

 

「うん……!

 アル、起きたら……また“おはようなの”って言うの……!」

 

バヴェルは子の匂いと泉の匂いをもう一度確かめ、

深く、短く息を吐いた。

 

――任せられる。

この小さな、ただの子に。

 

母が言った言葉がよぎる。

 

(残ス……今ハ、残ス……)

 

バヴェルはルーナへ向けて、そっと額を寄せる。

仲間に触れるみたいに。

 

『……頼ム。子、母、守ル……帰ル……必ズ』

 

ルーナは強く頷いた。

震えても、逃げずに。

 

バヴェルは踵を返し、

暗い通路へ視線を向けた。

 

水の音が背中を押す。

ルーナの「……アル、がんばれなの……」という小さな声が届く。

 

そして獣は――再び走った。




バヴェルにとって、アルトリウスとローエンがどれほど“大事な仲間”なのか、その距離感がよく分かる回になりました。
言葉よりも鼻と本能で動く獣だからこそ、守る相手への想いがまっすぐで、ちょっと不器用で、でも強い。

彼にとって“二人の匂い”は家の匂いで、戦場の中で唯一迷わない道しるべなんだと思います。

次回はローエン視点。
彼女らしい軽口としぶとさと、あの人にしかできない戦い方を描きます。
しっかり暴れてもらいましょう。

また読んでくれると嬉しいです。
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