ブレイブアフター   作:わしのシアン

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前回はバヴェルの奮闘を描きましたが、今回はローエンの側から――
魔王との戦い、その結末までを追います。


第11-3話 魔王との対決――ローエン

(バヴェルとアリスは泉に戻れたかねぇ……)

 

 大海を地に降らせた魔女は心の内で祈る。

 魔王の手の届かぬところへ、友と子が逃げ切れたことを。

 

「おのれ……勇者の子、逃げおおせたか。許し難い」

 

「悪いね、魔王。あたしはしぶといんだ。――このまま死んでおくれよ」

 

 ローエンは悪びれず言い放つ。

 

「笑止。あれを喰えぬなら、お前を喰らうまでだ、魔女」

 

 再び魔王の拳が迫る。

 銀の刃は健在。暴威を正確に削ぎ落とす。

 

 魔王の影が揺れた。

 地を蹴ったのか、空気を裂いたのかすら分からない。黒い軌跡が視界を切り裂き、世界が一瞬だけ歪む。

 

 ――くる。

 

 ローエンは刃を逆手に返し、腰を沈めた。

 身体ごと薙ぎ払う拳圧が走り抜け、後方の砂丘が「爆ぜる」。砂が炎のように舞う。

 

「速くなったじゃない、魔王」

 

「喰らい尽くすためだ。貴様の“再生”に付き合うのは飽いた」

 

 魔王が踏み込む。足音は無い。

 あるのは質量の襲撃だけだ。

 

 ローエンは滑るように退きつつ、銀の刃で拳を切り裂いた。

 血は出ない。黒い殻の肉が割れ、すぐに蠢いて塞がる。

 

 嫌な音だ。

 あたしの方がまだましだよ、と皮肉を噛み潰す。

 

 魔王の腕が伸び、影が縫い付けるように迫る。

 避けきれないと判断し、刃で斜めに打ち払った。

 

 火花ではなく、呻き声が散る。

 

「断ち切れないのが腹立つねぇ……」

 

「しぶとさだけは魔物並みだな、魔女」

 

 重さが、急に消えた。

 魔王の姿が視界から外れる。

 

 ――上だ。

 

 振り仰いだ刹那、影が墜ちる。

 空間ごと潰すような拳。大気が悲鳴を上げた。

 

「――っとと」

 

 刃を交差させ受け流し、その衝撃を身ごと滑らせて殺す。

 地面に膝をつく前に踏み込み返す。

 

 銀の閃きが魔王の脇腹をえぐった。

 黒い肉がめくれ、熱い蒸気が噴く。

 

「ちっ、まだ芯まで届かないか……!」

 

 魔王が咆哮する。

 その音は大地の振動となり――

 

 砂が沈む。空気が止まる。

 

 ――静かだ。

 

 水の匂いが遠のき、砂の熱が薄れる。

 足先はまだ温かい。だが胸の奥は、もうどこか冷えていた。

 

「……はぁ、骨が折れるねぇ」

 

 眉尻をぴんと上げ、笑ってみせる。

 ほんの少し、手が震えた。ばれないように指先を握る。

 

 向かいの魔王は黒い血を滴らせ、影を千切り、荒く息を吐く。

 それでも笑う。美しいものを見るみたいに。

 

「この身で魔女を倒す。歴史に刻まれる戦果だ」

 

「歴史なんてねぇ……残ったところで、本人は見られないさ」

 

 ローエンは短剣を逆手に構えた。

 手の中で水が鳴り、氷が剥け、蒸気が立つ。

 魔力の流れが「限界だ」と喉の奥で呟いている。

 

(限界……か。

 あたしは昔から、ここが分からないんだよ。

 死ねないって、案外不便だねぇ……)

 

 若いころからずっとだ。

 傭兵時代、仲間が血反吐を吐いて倒れる隣で、

 自分だけは“終わり”の線を一度も見せなかった。

 

 どれだけ削れば死ぬのか、今も分からない。

 

(でも、まだ踊れる)

 

 それだけで十分だった。

 

 ――刹那。

 

 影と水が弾ける。

 斬撃が交差し、氷柱が砕け、黒い雷が焼ける。

 

 砂と血の霧の中、二つの影が幾度も擦れ違う。

 魔王の拳が砕け、爪が飛び、影が裂ける。

 ローエンの刃は血を弾き、骨を噛み、霜を食わせる。

 

 いくつ刻んだか分からない。

 ただ前へ。

 一つでも多く、未来を置くために。

 

「……まだ立つのか」

 

 魔王の声が、ようやく掠れた。

 

「立つさ。倒れるのは……あの子の未来に触れた時だよ」

 

 肩が落ちる。重さではなく、優しさの重みが宿る。

 

 笑おうとした瞬間――膝が折れた。

 

「あ……?」

 

 地面に手をついたとき、胸の奥で何かが潰れる音がする。

 

(……今さら、限界なんて……)

 

 息が荒れ、手に汗が滲み、視界が揺れた。

 身体が初めて“死に向かっている”手応えを見せる。

 

(まだだよ……まだ倒れちゃならないんだよ……!)

 

 苛立ちが骨を焼く。

 自分の身体を殴りたいほど悔しい。

 

「……立て、魔女。最後まで踊れ」

 

「言われなくても……ね」

 

 立とうとした――が、足が動かない。

 

 その隙を刺すように、影が針となり胸を貫いた。

 

「――っ」

 

 血がひと筋。

 呼吸が途切れ、世界から音が消える。

 

 その時。

 

『……マジョ……ッ!』

 

 荒い息。石を砕く足音。

 バヴェルが崩れた通路から飛び込んできた。

 

 ローエンは振り向く。

 笑顔を、ちゃんと形にして。

 

「遅いよ。……でも、来てくれてありがと」

 

 足が前へ出そうになる。

 だが身体はもう言うことを聞かない。

 

『治ス……泉……戻ル……母、帰ル……!』

 

「駄目だよ」

 

 短く。だが柔らかく。

 まるで子をあやすように。

 

「バヴェル。あんたはね……生かす側なんだ」

 

 獣が震える。

 牙を噛み鳴らし、涙の代わりに血を零す。

 

『離レヌ……! 一緒……帰ル……!』

 

「帰れないさ。あいつはあたしを逃がしちゃくれない……」

 

 魔王が立ち上がる。

 血と影を引きずり、満ちた瞳でこちらを見る。

 

 ローエンはバヴェルの頭に手を置いた。

 

「ごめんよバヴェル。あっちへお行き」

 

 甘える声ではない。

 別れでもない。

 

 ただ――戦友に声をかけるように。

 

『……イヤダ……行クナ……!』

 

「泣かないで。泣いたら、あの子が起きちまうだろ」

 

 喉に笑いが詰まり、息が震える。

 

「大好きだよ、バヴェル……あんたはあたしの大事な戦友だよ」

 

 ローエンの声が風に触れた。

 

 ――次の瞬間。

 

 魔王の腕が捻じれ、影が槍のように突き出される。

 ローエンの短剣は同時に魔王の胸核を貫いた。

 

 血と黒煙が弾け、二つの肉体が崩れ落ちた。

 

 相打ち。

 

 だが――

 魔王の影だけが、蠢いた。

 

「……っ!」

 

 傷ついた肉体を影が包む。

 粘つく闇が伸び、ローエンの身体を引き寄せた。

 

『ヤメロ……ヤメロォォ……!』

 

 バヴェルが飛びかかる。

 黒い腕が咆哮を嘲るように獣を弾く。

 

 ローエンは抵抗しない。余力はもうない。

 ただ、目だけで笑った。

 

「……心配ないよ。もう痛くないさ」

 

『母……帰ル……ッ……』

 

「……あの子を……アリスを頼んだよ」

 

 影が閉じる。

 ローエンの姿が魔王の胸奥へ吸い込まれていく。

 

 闇が絡み、肉と骨と魔力を包み込む。

 

 ――黒い繭が生まれた。

 

 ぬらり、と脈打ち、赤い光が内部で灯る。

 

 魔王は死んでいない。

 喰らい、蓄え、次の姿を育てている。

 

『……母……ローエン……』

 

 バヴェルは動けなかった。吠えもせず、ただ涙を落とす。

 

(戻らない。二度と)

 

 獣の本能は悟っていた。

 戦友は還らない。

 けれど、この場に留まれば――あの子も喰われる。

 

 選べる道は、一つ。

 

『……守ル……生カス……』

 

 バヴェルは踵を返した。

 砂塵が舞い、爪が石を砕く。

 

 逃げるのではない。

 連れて帰るための撤退だ。

 

 繭の光が背を照らす。

鼓動が墓標のように響く。

 

『泉……戻ル……子、連レテ……戻ル……魔王……許サナイ……』

 

 声は震える。

 それでも前だけを見る。

 

 戦場を離れ、闇から光へ。

 母のいない世界で、

 遺された未来を背負いながら。

 

 砂の匂いの中、ただ一匹の獣が走る。

 

 夜明けなど、まだ遠い。




お読みいただきありがとうございました。
悲しい話でしたね。
次回はどうなることやら……
紅茶でも飲んで、肩の力を抜いて次回へどうぞ。
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