ブレイブアフター   作:わしのシアン

17 / 18
やっとアルトリウスの住処、傭兵の町サリアにたどり着けました。
三人の旅路の、ようやく休まるところです。


第一章 エピローグ 人に焦がれる魔王の日常

 傭兵の町サリアは、今日ものどかに騒がしい。

 鉄と汗と笑い声。それが、帰ってきた場所の匂いだった。

 

 バヴェルはというと、立派な鬣に真新しい赤い首巻を巻かれ、子どもたちに囲まれていた。

 魔の調律者――銀獅子。いまや町の人気者である。

 背中に乗せられ、尻尾を引かれ、耳を触られ、頬をつままれ――

 

『我ハ……誇リ高イ獅子……何故コウナル……?』

 

 と、誇りと人気の狭間で微妙な顔をしている。

 

 その後、魔王――いや、リィヴラが役所の窓口で眉を寄せていた。

 無表情の美貌の下に、明らかな困惑だけが滲む。

 

「身分証……? 名を告げ、紙切れをもらうのに、どうして心構えが必要なのだ」

 

「この町ではね、剣を抜かないの。魔法も撃たないの。

 人に優しく、威圧しない。あと、笑顔……大事。ほら、練習」

 

「……こうか?」

 

 ぎこちなく口角を引きつらせるリィヴラ。

 窓口の役人は困ったように、しかし優しくうなずいた。

 

「笑顔……む、頬が痛い……これは拷問では……?

 なぜ人はこんな苦行を日常に……?」

 

 アリスは頭を抱えた。

 

 その時、子どもが駆け寄ってきて目を輝かせる。

 

「魔族のおねえちゃんだ! その髪、きれいだね!」

 

 リィヴラが一瞬だけ固まり――反射的に影の鎧を展開してしまった。

 

 母親の悲鳴が町に響く。

 

「ひ、ひいいっ! 街中で魔法なんて使わないでよ!!」

 

「違う! 驚いただけだ! 逃げるな、我は害意など――」

 

 そこへ、通りすがりの老爺がのんびりと近づき、にこにこと笑った。

 

「魔族も人よのう。愛い奴、愛い奴、ほっほっほ」

 

「触るな! わ、我を愛いなどと……やめっ、やめないか……不敬であるぞ、その手……!」

 

 影の触腕がぺしぺし老爺の手を叩き、老爺は笑いながら去っていく。

 

(……はあ。今日も世話が焼ける)

 

 アリスはそっと額を押さえた。

 

 昼には酒場。

 鍋の香り、焼きたてのパン。湯気に包まれた温かい食卓。

 

 二人の前には、にんにくと塩の簡素なパスタ。

 

「この……銀の爪め、巻けないぞ。麺が逃げる」

 

「フォークね。見てて……ほら、こう」

 

 アルトリウスが巻いたパスタを口元に差し出すと、リィヴラは素直にぱくり。

 代わりにパンをちぎって、アリスの口へ押し込んだ。

 

「……交換だ」

 

「交換……まあ、いいか」

 

 となりでは盗賊娘がニヤつきながらバヴェルに串肉を差し出す。

 

「にゃんにゃんかわいい~。ほーら、おいしいお肉だよー」

 

『ウム……アリガタイ……ウマイ、ウマイ』

 

 ご機嫌に噛みしめながらも、ふと首をかしげる。

 

『……リィヴラ、名……慣レタカ?』

 

「名……。ああ、呼ばれるたびに胸がざわつくが……嫌ではない」

 

 リィヴラは指で銀髪を弄ぶ。

 どこか、迷うような仕草だった。

 

「ところで、アリス。どうして“リィヴラ”なのだ?

 意味があるのだろう?」

 

 アルトリウスは少しだけ頬をかいた。

 

「……天秤って意味だよ。

 揺れても、真ん中に戻ろうとする……そんな名前」

 

「わたしが……?」

 

「うん。

 人と魔のどっちにも寄りすぎないで、歩ける気がしたんだ」

 

 リィヴラは湯気の向こうでそっと目を伏せた。

 

「……重い名だな」

 

「ごめん。重かった?」

 

「違う。

 ……わたしが、勝手に軽いものだと思っていただけだ。

 名に、追いつかねばな」

 

『揺レタラ落トスナ……! 我モ行ク』

 

 リィヴラは小さく息を吐き、柔らかく目を細めた。

 

「……ふ。

 落としてしまったら――拾い上げなくてはな」

 

 その微笑みは、もう“魔王”のそれではなかった。

 人の揺らぎを帯びた、静かな光だった。

 

 午後の大通り。

 揚げ物の香りと、屋台の呼び声と、人々の笑いが混ざり合う。

 

「おぉ、銀獅子さん! 綺麗なおねえちゃん連れてるのかい!

 いいご身分だねぇ!」

 

『子ニ……頼マレタ……子守……』

 

 獅子の低音に、屋台の主人は腹を抱えて笑った。

 

 賑やかさとは裏腹に、リィヴラは歩き疲れて路地の脇で棒立ちになっていた。

 人混みと騒音に耐えていたが、ついに動きが止まる。

 

「……騒がしすぎる……世界とは、こんなに音が……」

 

 湯気の立つ串焼きの匂いにも、視線の多さにも、どう反応していいか分からず固まる。

 その様子を見たバヴェルは、ため息をついた。

 

『動ケヌナラ、運ブ』

 

「はっ――や、やめろ……!」

 

 ぐい、と大きな顎がリィヴラの首根っこをそっと咥えた。

 そのまま、子猫のように持ち上げて大通りを歩き出す。

 

 通りすがりの人々が、驚き半分、微笑ましさ半分で眺める。

 

「お、おい……離せ……! こんな……人前で……!」

 

 影を暴発させることもなく、魔法で抵抗する気配もない。

 ただ、耳まで赤くしてぶら下がっているだけだ。

 

『落トサヌ。揺レルナ』

 

「揺らすなと言ってるんだ!!」

 

 しかしバヴェルは意に介さず、誇らしげに背筋を伸ばして歩いた。

 銀獅子が大通りを練り歩くたび、子どもたちが歓声を上げる。

 

「お姉ちゃんがんばれー!」「銀獅子さんつよーい!」

 

「見るな!! こっちを見るな!!」

 

 アルトリウスは遠巻きにその光景を眺め、そっと頭を抱えた。

 

「……二人とも、ほんとに……仲良くなったなぁ……」

 

 けれど、その声はどこか誇らしかった。

 

 陽が傾くころ、ようやくリィヴラは地面へ降ろされた。

 解放された彼女はしばらく無言で固まっていたが――

 

「ああもう……歩く……歩ける……!」

 

 耳まで真っ赤にしながら裾を払う。

 その姿がどうにも面白くて、アルトリウスは思わず小さく笑った。

 

「今日はずっと賑やかだったね」

 

「賑やか……? 騒音の間違いだろう……だが――」

 

 ふと、リィヴラは通りの向こうを見た。

 家路につく親子、屋台を片づける人、歌いはじめた吟遊詩人。

 

「……意外と、嫌ではなかった」

 

『慣レル。日々、慣レル』

 

「……うるさい。だが……そうだな」

 

 そよぐ夕風が、三人の間をくぐり抜ける。

 昼間の喧噪は遠ざかり、代わりに“帰る時間”の匂いが漂い始めていた。

 

「帰ろう。今日のところは、ね」

 

『家ニ……帰ル……』

 

 アルトリウスが軽く息をつく。

 その言葉に、リィヴラもほんの少しだけ歩幅を合わせた。

 

 ――夕暮れ。

 三人は『黒銀の袂』へ戻る。

 

 扉を押し開けば、香辛料と鉄と、懐かしい声――

 胸の奥がふっとほどける匂いだった。

 

「アリス! 帰ったか!」

 

 大柄な傭兵たちが、弟分が帰ってきたかのように笑って寄ってくる。

 その輪に足を踏み入れた瞬間、アルトリウスの肩から力が抜けた。

 

「……ただいま」

 

 その言葉に、仲間たちの笑顔がさらに深くなる。

 一方、初めて見る喧噪に、リィヴラは無意識に背筋を伸ばし――

 バヴェルは鼻をひくつかせて匂いを確かめていた。

 

「……母さんは……魔王にやられた。相打ちだったよ」

 

 その一言で場の空気がひと息沈む。

 だが次の瞬間、戦士の大きな手がアリスの肩を叩いた。

 

「つらかったな。よく帰った」

 

 アルトリウスは息を震わせたが、顔は上げていた。

 

 そして仲間たちの視線がふたりの新顔へ移る。

 

「髪色は違うが……アリスの母さんに似てるな。

 魔族か? 仲間になるってんなら歓迎するぜ」

 

 リィヴラは一瞬だけ目を丸くし、アリスは「大丈夫」と小さくうなずく。

 

 魔術師がリィヴラの周囲をそっとなぞるように魔力を測り、頷く。

 

「ローエンさまの系統とは違う。……影の魔力だな」

 

 その一言に、アリスは胸をなでおろし、

 リィヴラは押し黙りながらも、わずかに胸を張った。

 

 盗賊娘がひょいと近寄る。

 

「その短剣……ローエン殿の作だよね~!

 ちょっとだけ貸してもらえないかな~!」

 

「ダメです」

 

「にゃんにゃんに肉串あげてるのに!?」「ダメです」

 

 バヴェルは盗賊娘を見ると嬉しさに尻尾を振った。

 

 そこへ剣士がずかずかと近寄り、腕を組む。

 

「短剣使いなら敏捷性が命だ! つまり走り込み――

 アリス、その子連れて走りに行くぞ!」

 

「え、今から!?」

 

 と、そこで重い足音が響いた。

 場が静まる。

 

「落ち着け。走らせるのは明日だ」

 

 現れたのは団長ウォルソー。

 灰じみた髪、深い皺。だが眼光は若狼のように鋭い。

 

「戻ったな、アリス」

 

 たったそれだけで、胸に帰宅の重みが落ちた。

 

 続いて、ウォルソーの視線がリィヴラへ移る。

 

「……客か。いや、仲間になる顔だな」

 

「我は魔族だぞ」

 

「人を傷つけぬ意思があるなら、それで足りる」

 

 短く、それだけ。

 だが、リィヴラの肩の緊張がわずかに解けた。

 

「ただし――町では剣を抜くな。

 人を脅すな。笑えぬなら目を伏せろ。

 守れるなら、ここはお前の帰る場所だ」

 

「……約束する」

 

「よし」

 

 リィヴラは胸に手を当て、そっと息をついた。

 アルトリウスはそれを見て、小さく微笑む。

 

「さあ、飯にしろ。泣くのは風呂でやれ。

 生きて帰った者の務めだ」

 

 仲間たちが一斉に声を上げる。

 

「飯だぞー!」「風呂だー!」「酒は控えろよー!」

 

 リィヴラはアリスの袖をつまんで小声で言った。

 

「……あれが、人を導く者か」

 

「うん。僕らの団長だよ」

 

 アルトリウスは笑う。

 泣かずに笑える――ようやくできた。

 

「……僕は家に帰ってきたんだ」

 

「アリスの家……」

 

 バヴェルが低くうなった。

 

『ウム……家……ココ……』

 

 灯りがゆらぎ、人々の声と温かい湯気が混ざり合う。

 

 リィヴラは胸に手を置き、そっと呟いた。

 

「……ふ、悪くない」

 

 そのひと言に――夜が、ゆっくりと馴染んでいく。

 

――第一章 完




こうして新しい日常が始まりました。
あと一話だけ一章でお話があります。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。