第1話 最愛の死を抱いて
夜の帳が下りるたび、アイツの……ブレイブの声が耳の奥で響く。
ある夜、二人で安酒を酌み交わしながら語り合ったんだ。
そいつは、こんな青臭くて可愛らしい夢――“いつか世界を共に変えよう”。
幾度も死線を超えてきた、でもきっと『あの夜』こそがアタシらの終わりの始まりだった。
冬の洞窟で、火を焚いて暖を取ろうとしたらさ。
しめった薪が煙を上げて、アタシは気付かず鼻まで真っ赤にした。
『馬鹿!窒息するだろ!外でやれって言った!』
そう怒鳴った後で、アイツは震える手でアタシの背中をさすってくれた。
どうせアタシは死なないから、体がどうなるかなんてわからなくて……
世界を知らなかったアタシに、アイツは人としての生き方を教えてくれた。
草原でゴブリンどもに囲まれた日なんか、いい思い出さ。
アタシが魔導符で壁を張って、アイツが双剣で突っ込み大暴れ。
「数が多すぎるよ、ブレイブ!」
「じゃあ減らせよ、ローエン!」ってね。
互いに笑いながら、泥と血まみれで戦ってた。
酒場じゃ、アタシが喧嘩を売られて、
アイツが止めて、結局アイツも殴られて乱闘になった。
他の酔っ払いどもが笑って、安い酒がうまかった。
あの頃のアタシらは、未来も死も、他人事だと思ってた。
今思えば、それが一番の幸せだったのかもしれない。
……そんな日々の先に、水龍の夜があった。
運命だなんて思っちゃいなかった。
ただ、『あの夜』だけは忘れられない。
ギルドの依頼で湖の怪異を討ちに向かった。
水面を割って現れたのは、水龍――半ば透けた鱗が月を映す、巨大な魔物だった。
ブレイブは黒銀の双剣を構え、アタシは魔導符を右手の指先で弾いて雷撃を走らせた。
動きを鈍らせた水龍に、アイツが飛び込む。
返り血と水飛沫が視界を塗りつぶし、
アタシは短剣を左手で抜いて、喉元を狙った。
泥と血と蒸気――神も奇跡もない、
ただの人間と魔物の、泥沼の戦いだった。
それでも。
ブレイブと二人、息を合わせれば、どんな怪物だって倒せた。
いつものように背中を預け、
報酬を山分けする――そう信じていた。
けれど。
倒れた水龍の体から光が立ち昇り、
アイツはその真ん中に立っていた。
湖の精霊がブレイブを見初め、
聖剣がその手に降りやがったんだ。
月明かりよりも眩い白光が水面を照らす。
あの光に照らされた瞬間――
アイツは一歩、アタシの届かない所へ行っちまった。
聖女マリアを迎えて、三人で祈った教会の灯。
石造りの床に膝をついて、差し込む陽光があの子の金髪を照らして、とても綺麗だった。
ブレイブは静かに目を閉じ、アタシはその横顔を見つめて。
いつかこの穏やかな時間が終わると知りながら、あの子の声と神父サマの説教が、あの教会を満たしてた。
でも今じゃ、その全てが思い出の奥底だ。
盗賊ギルドの依頼で、アタシは情報収集の援助をしていた。
いつもの仕事のはずだった。だけど、それは共犯者がアタシを陥れるための罠だったのさ。
トラップにかけられ、常人ならば肉片も残らねえ爆発を受けちまった。
それでもアタシは血まみれで立ち上がった。
裏切りには報いを。ギルドの掟だ、遠慮なく刃を振るった。
そして、その姿を見たアイツは、アタシの秘密を知っちまった。
でもアイツはアタシに怯えなかった。
ただ、焦げた頬に手を伸ばし、言った。
『――生きていてくれれば、それでいい』
ブレイブが勇者になって、魔王を討って、王様になって――
気づきゃアタシの腹には子がいた。
正妻は聖女マリア。
かつて妹のようにアタシを慕ってくれたあの子の瞳には、
いつしか嫉妬の炎が宿ってた。
……でも、あの子だけのせいじゃない。
聖堂派の貴族どもが囁きやがった。
『魔族の血は国を腐らせる。あの女と子を追放しろ』――ってね。
神だ真理だと喚きながら、
よくもまあ汚らわしい欲望を聖衣に包めるもんだ。
あいつらは怖かったんだろうさ。
『自分たちの作った理想の国』が、魔族の血で揺らぐのが。
マリアは……あの子は、結局そいつらの声に押し流された。
アタシが後妻で、アタシが先に産んだ。
神の声とやらと、貴族どものささやきに、アタシはじわじわと王宮の外へ追い出された。
アタシが出て行ったあと、マリアは聖堂に籠もり、
それでも長い時をかけてブレイブとの子を授かった。
それはきっと、あの子なりの“救い”だったんだろう。
その陰で、アタシは市井へ堕ちた。
我が子アルトリウスを抱いて眠る夜のたび、あの白い宮殿の灯を遠くに見上げていた。
今、目の前の棺の中で、ブレイブは静かに眠っている。
呼びかけても、もう答えない。
『――生きていてくれれば、それでいい』
あの言葉に、アタシが軽口返せる日は、もう来やしねぇ。
……それでも、アタシは生きなきゃならない。
この命が呪いでも、アリスの明日くらいは守ってみせる。
ブレイブみたいに世界は変えられなくても、アイツが信じた光だけは、この手で息子に渡すんだ。
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