護って!いちごちゃん!〜いちごパンティは見えてるか〜 作:ろくさん
十月下旬だというのに季節外れの陽気が続いている。 埃っぽいオタ研の部室は蒸し風呂のようだった。 桃瀬いちごは机に突伏していた。 制服のブラウスが汗で肌に張り付いて気持ち悪い。
「あつーい……」
『スウィートハート』の下敷きで必死に首筋を仰いでいるが熱風しか来ない。
対照的にヨウくんは涼しい顔だった。 彼は新しいハイスペックPCに向かい昨日の「ラップバトル」の音声データと映像データを同期解析していた。 ディスプレイにはいちご(バニー)の3Dモデルが回転している。
「……ふむ。『赤ちゃん』という
「あつーい! もうやだ! 帰る!」 いちごが下敷きを放り出した。 「どこか涼しいところ行きたい! プールとか!」
「プールか」 ヨウくんがそこで初めて手を止めた。 「……いいだろう。次のパトロール対象は市民プールだ」
「え! やったー!」 いちごが椅子から飛び上がる。 その勢いでミニスカートが危うい角度で翻った。 ヨウくんのメガネ(カメラ)のレンズがその動きを正確に追尾する。
「泳げるの!? ヨウくんも泳ぐの!?」
「泳がない。僕は監視だ」 ヨウくんは無表情で立ち上がった。 「現地で報告が上がっている迷惑住民『ウォーキングオババ』の生態調査だ」 「……それと桃瀬さん」
「ん?」
ヨウくんは部室のロッカー(機材用)を開けた。 中から出てきたのは畳まれた濃紺の布地。
「君には新しい『装備』をテストしてもらう」
いちごはそれを受け取った。 「……なにこれ。スクール水着?」
「一見そう見えるな」
布地を広げるいちご。 それは確かにスクール水着の形をしていた。 だが胸元には白地で「ICHIGO」というゼッケンが縫い付けられている。 そして生地全体にうっすらとだが明確に「イチゴ柄」がプリントされていた。
「うわああ! なにこれ! 超カワイイ!」
「プリティストロベリー・オルカ」 ヨウくんが命名した。 「対水中戦闘用特殊コスチュームだ。……そして」
ヨウくんはメガネをクイと上げた。 「(この生地はヨウくんファイバーVer.3を採用している)」 「(水に濡れることで繊維の透明度が上がり水の抵抗を極限まで減らす)」 「(……正義のための必要な
「なに? なんか言った?」
「いや。……早く行くぞ」
(やったー! プールだプールだ!) いちごは新しい
市民プールの匂いは独特だ。 肌を刺すような塩素の匂い。 甲高い子供たちの歓声。 ドーム内に反響するホイッスルの音。 そのすべてが熱気と湿気で息苦しいほどだった。
「(……あんまり涼しくないかも……)」 いちごは少しだけがっかりした。 彼女はロッカールームで既に「オルカ」に着替えていた。 そしてプールサイドで身体を縮こませている。
「う……。よ、ヨウくん……」 いちごは小声で呟いた。 「……やっぱりこれキツい! しかもなんか生地薄くない!?」
『問題ない。データ通りのサイジングだ』
声は二階の観覧席から聞こえた。 見上げるとヨウくんが既に陣取っていた。 新しいノートPCと三脚に固定された望遠カメラ(※データ収集用)がセッティングされている。 彼はいつものチェックシャツ姿だ。
『桃瀬さん。任務を開始しろ。対象は『ウォーキング専用レーン』だ』
「むー……。わかったよ」 いちごは準備運動もそこそこにプールサイドを歩き始めた。 (……すごい視線を感じる) 無理もない。 スクール
25メートルプールはいくつかのレーンに分かれている。 「完泳コース」「フリーコース」そして一番端の「ウォーキング専用コース」。 問題はそこで起きていた。 「ウォーキング専用コース」がひどい渋滞を起こしていたのだ。
「(……なに、あれ)」
レーンの先頭。 一人の老婆がいた。 推定年齢七十代。 だがその肉体は年齢を感じさせない。 太陽で焼きこんだような褐色の肌。 一切の無駄な脂肪がなく鋼のように引き締まった背筋と肩。 高級そうな黒の競泳水着と黄色いキャップがやけに本格的だ。 彼女は水中を「歩いて」いた。 いやそれは「歩行」というより「進軍」だった。 ザッザッと水が音を立てる。 彼女が歩いた後には渦潮のような小さな「航跡」が残っていた。
そして彼女の後ろ。 五六人の普通のおじいちゃんやおばあちゃんたちが詰まっていた。 彼らはリハビリか健康のためゆっくりと水中を歩きたいだけなのだ。 だが先頭の「オババ」が規格外のスピードで進むため追い抜くこともできず。 かといってオババのペースについていくこともできず。 非常に気まずい「団子状態」になっていた。
「あ、あの……すみません……」 団子の中の一人のおじいさんが勇気を出して声をかけた。 「わしらもう少しゆっくり歩きたいんで……先に行ってもらえませんか?」
オババは止まらない。 進軍を続けたまま低い声で答えた。 「……水は止まらない。止まる水は腐る」
「いやそういうことじゃなくて……」
「私の『
(……会話が成立してない!) いちごはドン引きした。 その時。 団子の中から比較的元気そうな別のおじいさん(水中メガネ装備)が痺れを切らした。 「ちっ! どいてくれるか!」 彼はオババの横をすり抜け追い越そうとした。 オババの「道」を乱した。 その瞬間だった。
「……
オババは追い抜こうとするおじいさんを一切見ずに。 水中ウォーキングの体勢のまま片腕を素早く後ろに突き出した。 まるでクロールのような動き。 鍛え上げられた腕が水圧を伴っておじいさんの
「ぐふっ!?」 おじいさんはカエルのような声を上げ水中に沈みかけた。
「水の『
(……こ、こわい!) (あの人ガチだ!) いちごは完全に怯んだ。 おじいさん(水中メガネ)はなんとかレーンロープに捕まり咳き込んでいる。 残りの
いちごは見てしまった。 団子の一番後ろ。 足が少し不自由そうなおばあちゃんがいた。 彼女は医者に「水中で歩きなさい」と言われて勇気を出して来たのだろう。 だが先頭の「女帝」の
(……あのおばあちゃん……)
いちごの中で何かがカチリと音を立てた。 (……許せない!) (プールはみんなのものだ!) (あの
いちごは決意した。 『ヨウくん!』
『……ああ。観測している』 観覧席のヨウくんが冷静に答える。 『
『(許可するって……もう戦う気満々じゃん!)』 いちごはツッコミを入れたかったがそれどころではない。 オババがターンを終え再びこちら(スタート地点)に向かって「進軍」してくる。 いちごはレーンの入り口のど真ん中に仁王立ちした。
ザッ……ザッ…… オババが近づいてくる。 彼女はいちごの
「……邪魔だ。小娘」
「邪魔なのはあなたです!」 いちごは叫び返した。 「そこはあなたの『道』じゃありません! みんなの『ウォーキングレーン』です!」
「……ほう」 オババはついに足を止めた。 水中からゆっくりと上半身を出す。 褐色の肌。 水滴が滴る引き締まった肉体。 そのゴーグルの奥の瞳が初めていちごを「敵」として捉えた。
「……私の『
「(桃瀬さん! 戦闘態勢に入れ!)」 ヨウくんの声が飛ぶ。 いちごは頷く。 彼女は変身する必要がない。 この「オルカ」が戦闘服だからだ。 いちごはプールの水で顔を洗い気合を入れた。 そしてニチアサアニメの決めポーズをビシッと決めた。
「水の平和とみんなの健康は!」 「プリティストロベリー・オルカが護ります!」
「……オルカ? シャチか」 オババは鼻で笑った。 「所詮は
オババは近くのレーンロープに引っ掛けてあった「ビート板」を掴んだ。 「……小娘。お前も『浄化』してやる」
オババはビート板を盾のように構えた。 (……来る!) いちごも身構えた。 市民プールの片隅で今二人の「水」を巡る戦いが始まろうとしていた。