雛芥子の芽吹く頃   作:西楚の一平卒

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ep.11 紙切れに刃はない

 最初は、小さなことだった。

 

「今月から場所代を上げる」

 

「聞いてませんけど」

 

 それだけ。市場を管理している男が値上げを告げ、商人が聞き返した。以前なら、そこで終わっていた。上が決めた。なら払う。払えないなら出ていく。それだけの話だった。

 

「先に知らせる決まりでしょう」

 

 商人が市場の柱を指差す。そこには、炭で場所代が書かれている。雨や人の手で少し擦れていたけれど、まだ読めた。少し前までなら、そもそも存在しなかった文字だ。

 

「警備に金がかかるようになった」

 

「それは分かりました。でも、変えるなら先に知らせるって決めたでしょう」

 

「必要なんだよ」

 

「だから、払わないとは言ってません。来月からなら払います。今月は書いてある通りにしてください」

 

 商人は困った顔をしていた。怒鳴ってもいない。拳を握ってもいない。値上げするな、とも言っていない。決めた通りにしてくれ。それだけ。でも、言われた側には違って見えるらしい。

 

「誰に物言ってんだ」

 

「いや、だから……」

 

「俺が上げるっつってんだよ」

 

 商人が黙った。周りにも人がいる。誰も助けない。でも、誰も立ち去らない。近くの店で品物を並べていた者も、荷を降ろしていた者も、何となく手を止めている。商人ではなく、市場の柱を見る。そこに書かれた文字を見る。

 

 管理する男も、それに気づいた。

 

「……来月からだ」

 

 吐き捨てるように言って、男は去った。商人が息を吐く。誰かが小さく笑った。

 

 それだけだった。大したことではない。誰も勝っていない。誰も負けていない。でも、以前なら一言で終わったやり取りに、二言、三言と必要になった。

 

 それが、あちこちで起こるようになった。

 

 水路では、担当者が配分を変えようとして農民に止められた。

 

「板と違うぞ」

 

「今日は水が少ねえんだよ」

 

「だったら少ない時の方でやれ」

 

「俺が決める」

 

「だから、決めたのがあそこに書いてあるだろ」

 

 工房では、給金を減らそうとした主人が壁を指差された。

 

「材料が上がったんだ」

 

「分かってる」

 

「なら」

 

「でも、変えるなら五日前に言うって書いたろ」

 

「今はそんなこと言ってる場合じゃねえ」

 

「じゃあ、何のために書いたんだ」

 

 組の下で働く者まで、命令を聞き返すようになった。

 

「昨日は倉庫を守れって言われました」

 

「今日はこっちだ」

 

「じゃあ昨日の命令はなしで?」

 

「当たり前だろ」

 

「記録に残してください」

 

「は?」

 

「後で倉庫を離れたって怒られるの、俺なんで」

 

 誰も、組に逆らおうとしているわけではなかった。場所代は払う。水の管理にも従う。働けと言われれば働く。命令も聞く。ただ、一つ増えた。

 

「決めたことと違う」

 

 その一言が。

 

「面倒になったわね」

 

 私が言うと、彼は少し考えた。

 

「何がです?」

 

「全部。前なら『やれ』で終わったでしょう」

 

「まあ」

 

「今は『どうして』『前と違う』『ここにこう書いてある』」

 

「いいことじゃないですか」

 

「命令する側からしたら面倒でしょうね」

 

 彼が黙った。少しして、

 

「でしょうね」

 

 と答えた。

 

 

 鬱陶しい。たぶん、それが一番近かったのだと思う。怖い、ではない。まだ。

 

 商人が一人、場所代について文句を言ったところで怖くない。農民が木札を指差したところで、組の力は揺らがない。工房で働く人間が給金について尋ねても、町がひっくり返るわけではない。

 

 でも、鬱陶しい。昨日まで一言で済んだことに理由を求められる。昨日まで好きに変えられたことを、前に決めたことと違うと言われる。昨日まで自分の頭の中にしかなかったものを、壁や板に書いた文字と比べられる。

 

 そして何より、それを言う人間が一人ではなくなった。

 

「呼ばれてる」

 

 彼が言った。

 

「誰に?」

 

「父に」

 

「へえ」

 

「興味なさそうですね」

 

「ないもの」

 

「一応、行ってきます」

 

「そう」

 

「帰ってこなかったら?」

 

「死んだんじゃない?」

 

「縁起でもないな」

 

「聞いたのはあなたでしょう」

 

 彼は笑った。その時は、本当に冗談だった。

 

 

 彼の父親には、以前にも会ったことがある。

 

 大きな男だった。体格の話ではない。声を荒らげなくても周囲が話を聞く。自分で物を取りに行かなくても、誰かが持ってくる。歩けば道が空く。本人が命じなくても、周囲が何を求めているか先回りして考える。

 

 そういう人間。

 

 昔から組にいる。まだ町が町と呼べなかった頃から。道を作った。水源を奪った。食料を運ぶ道を守った。外から来た連中を追い返した。何人も殺した。何人も生かした。今では、その道を荷車やトラックが走る。奪った水源から水路が伸びる。守った場所には倉庫が建ち、食料が集められる。

 

 たぶん、どちらも本当だった。

 

「座れ」

 

 彼が座る。

 

 私はいない。これは後で聞いた話だ。だから、どんな顔をしていたのかは知らない。

 

「やめろ」

 

 父親は言ったらしい。

 

「何を?」

 

「全部だ」

 

「全部じゃ分からないよ」

 

「お前がやってることだ」

 

「規則のこと?」

 

「そうだ」

 

「無理だよ」

 

 即答したらしい。親子だと思う。似ている。

 

「お前が何をしたいかは知ってる」

 

「なら」

 

「知ってるから言ってる」

 

 父親は怒鳴らなかった。

 

「やめろ」

 

「嫌だ」

 

「子供みてえなこと言うな」

 

「じゃあ、どう言えばいい?」

 

「お前は頭がいい。だから分かるだろ」

 

「何を?」

 

「このまま続けたら、どうなるかだ」

 

 彼は答えなかった。

 

「商人が徴収に文句を言う。農家が水の配分に口を出す。工房の奴らが給金を勝手に変えるなと言う。下の連中まで、命令を出せば理由を聞いてくる」

 

「悪いこと?」

 

「面倒なんだよ」

 

 父親はそう言った。

 

「人を動かすのに、いちいち話して、説明して、納得させてたら間に合わねえ時がある。夜中に襲撃が来た時、倉庫が燃えた時、水路が切れた時、橋が落ちた時。その場で集まって話し合って、板に書いて、それから動くのか?」

 

「そんなこと言ってない」

 

「同じだ」

 

「違うよ。急ぐ時は、その場で責任を持つ人間が決めればいい」

 

「なら今まで通りでいいだろ」

 

「普段まで全部それで決める必要はない」

 

「誰が普段と急ぎを決める」

 

「それも決めればいい」

 

「誰が決める」

 

「……皆で」

 

「ほら見ろ」

 

 父親は鼻で笑ったらしい。

 

「決めてる間に人が死ぬ」

 

「だから、先に決めておくんだよ」

 

「全部か?」

 

「できるところから」

 

「できなかったら?」

 

「その時に決める」

 

「結局、人が決めるんじゃねえか」

 

「そうだよ」

 

 彼は答えた。

 

「人が決める。でも、決めた後までその人のものにはしない」

 

 父親はしばらく何も言わなかったらしい。

 

「分かってねえ」

 

「分かってるよ」

 

「ならやめろ」

 

「それとこれとは別だ」

 

 また、沈黙。

 

「俺たちはな」

 

 父親が言った。

 

「話し合ってここまで来たんじゃねえ」

 

 道を守った。倉庫を守った。水源を取った。襲ってきた連中を殺した。従わない者を追い出した。奪った。守った。

 

「それで人が生きられる場所を作った」

 

「知ってる」

 

「お前もその飯食って育った」

 

「知ってる」

 

「その紙も、その本も、その時間も、誰が作ったと思ってる」

 

「知ってるよ」

 

 彼は否定しなかった。自分が恵まれていることも、父親たちが作った秩序の上に立っていることも。全部。

 

「だから、続ける」

 

「……何?」

 

「父さんたちが作ったものが要らないなんて言ってない」

 

 彼は言った。

 

「逆だよ」

 

「何が逆だ」

 

「残したいんだ」

 

 父親が黙った。

 

「父さんが死んだら、今のやり方を誰が決める?」

 

「次の奴だ」

 

「そいつが父さんと違うことを言ったら?」

 

「そいつが決める」

 

「もっと酷い奴だったら?」

 

「そん時はそん時だ」

 

「俺は、それが嫌なんだよ」

 

「世の中ってのはそういうもんだ」

 

「だから変えたい」

 

「お前一人でか」

 

「一人じゃない」

 

 その言葉が、たぶん一番まずかった。

 

 父親は長いこと黙っていた。息子一人が勝手なことをしているだけなら、止めれば済む。でも、人がついている。商人がいる。農民がいる。工房の人間がいる。下っ端の組員まで、自分の言葉ではなく壁の文字を見始めている。

 

 それはもう、息子の気まぐれではない。

 

「やめろ」

 

 三度目。

 

「嫌だ」

 

「次は言わん」

 

 彼も黙った。

 

「お前は俺の息子だ」

 

「うん」

 

「だから、今言ってる」

 

「うん」

 

「やめろ」

 

「嫌だ」

 

「そうか」

 

 父親は息を吐いた。

 

「なら、次に会う時は」

 

 そこで一度、言葉を切ったらしい。

 

「殺すことになる」

 

 

「それで帰ってきたの?」

 

「帰ってきました」

 

「馬鹿ね」

 

「そうですか?」

 

「殺すって言われたんでしょう?」

 

「言われました」

 

「やめれば?」

 

「嫌です」

 

「でしょうね」

 

 彼はいつものように笑った。

 

「怖くないの?」

 

 聞くと、少し考えた。

 

「怖いですよ」

 

「そう」

 

「普通に」

 

「ふうん」

 

「何ですか」

 

「別に」

 

 怖いらしい。少し意外だった。やめない人間は、怖くないのだと思っていた。

 

 違うらしい。

 

「逃げないの?」

 

「今逃げたら、何のために始めたのか分からないでしょう」

 

「死んだらもっと分からないと思うけど」

 

「それはそうなんですけどね」

 

「じゃあ逃げれば?」

 

「嫌です」

 

「面倒ね」

 

「すみません」

 

「謝るくらいなら逃げればいいのに」

 

「それは嫌です」

 

 面倒。本当に。

 

 

 それから、少しずつ壊れ始めた。

 

 最初は市場だった。場所代の変更に抗議した商人が殴られた。死んではいない。歯が一本折れて、頬が腫れた程度だった。

 

「転んだ」

 

 本人はそう言った。

 

「拳の形に?」

 

「変な地面だったんだよ」

 

「そう」

 

 市場の柱に書かれていた文字は、その日の夜に消された。翌朝には、また書かれていた。誰が書いたのかは知らない。

 

 水路の板が引き抜かれた。農民が拾って、元の場所へ立て直した。次の日には割られた。今度は別の板が立った。

 

 工房の壁に書かれていた給金の決まりが消された。その日の昼には、少し横へ同じ内容が書き直されていた。

 

 組の下で働いていた男が、命令を記録に残してほしいと言って腕を折られた。

 

「それも転んだの?」

 

「階段から」

 

「拳の形に?」

 

「雛子さん」

 

「何?」

 

「もういいです」

 

 彼は笑っていなかった。

 

 誰かが決める。従う。従わなければ殴る。それでも従わなければ、もっと殴る。簡単。とても。

 

 それでこの町は作られた。道を守るにも、水を奪うにも、倉庫を守るにも、敵を追い払うにも、最後に必要だったのは力だった。

 

 紙は人を殴れない。壁に書かれた文字は水路を守らない。木札は剣を止めない。規則は拳を握れない。

 

「だから言ったでしょう」

 

 私が言う。

 

「何を?」

 

「面倒になるって」

 

「言ってましたっけ」

 

「言ったわよ」

 

「そうでしたね」

 

「やめる?」

 

「やめません」

 

「馬鹿ね」

 

「知ってます」

 

 知ってるらしい。

 

 

 殴られた人間が増えても、決まりは消えなかった。少し不思議だった。

 

 市場の柱を消せば誰かが書き直す。木札を壊せば新しい板が立つ。工房の壁を塗り潰せば、その横に書かれる。

 

 別に勇敢な人間ばかりではない。殴られたくないから黙る人もいる。組に目を付けられたくないから、彼のところへ来なくなった人もいる。

 

 それでも、全部は戻らなかった。

 

 以前なら、偉い人が「今日からこうする」と言えば、それで終わった。今は違う。

 

「それ、前と違うだろ」

 

 誰かが知っている。

 

「そこに書いてあった」

 

 誰かが覚えている。

 

「昨日までこうだった」

 

 誰かが比べられる。

 

 文字を消しても、読んだ人間の頭からまでは消えない。

 

「そこが違うと思うんです」

 

 彼が言った。

 

「何が?」

 

「殴れば、従わせることはできます」

 

「でしょうね」

 

「でも、殴られた方も、自分が決まりを破ったから殴られたのか、殴った方が決まりを破ってるのか、分かるようになった」

 

「分かったら殴られなくなるの?」

 

「なりません」

 

「じゃあ意味ないじゃない」

 

「今は」

 

「今は?」

 

「少なくとも、どっちがおかしいのかは残ります」

 

「紙に?」

 

「人にも」

 

 私は市場の柱を見る。また書き直された文字。昨日より少し汚い。でも、読める。

 

 

 最初に銃声がした時、私は屋台で串焼きを食べていた。肉は少し硬かった。何の肉かは聞いていない。聞かない方が美味しいものもある。

 

 乾いた音が一つ。少し遅れて、通りの向こうで誰かが悲鳴を上げた。

 

 私は串を咥えたまま振り向いた。

 

 彼が倒れていた。

 

「……あ」

 

 胸の辺りから血が出ている。

 

 撃った男は、人混みの向こうで銃を構えていた。

 

 二発目。

 

 今度は見えた。

 

 手首から先が溶ける。圧縮された血液が硬化し、弾丸を受け止めた。損失は無し。火薬の質でも悪いのか、昔に比べて威力が低い。

 

 でも面倒。

 

 私は串を屋台へ置いた。

 

「ちょっと見てて」

 

「え?」

 

「まだ食べるから」

 

 男が三発目を撃つ前に、血の壁を解き、無数の糸にして銃に巻きつける。引く。銃口が跳ね上がり、弾が屋根を抜いた。そのまま腕を横へ振る。男は勢いのまま顔から地面へ突っ込んだ。痛そう。

 

「雛子さん!」

 

「生きてる?」

 

「たぶん!」

 

「じゃあ伏せてて」

 

「後ろ!」

 

 言われる前に分かっていた。足音。振り返る。刃物を持った男が走ってくる。

 

 腕を上げる。血を固める。薄い赤の板が手首から伸び、刃を受けた。金属が鳴る。

 

 男が目を見開いた。

 

「何だそれ」

 

「血」

 

「は?」

 

 説明している間に足を払った。男は地面に頭から突っ込んだ。痛そう。

 

 もう一人。力自慢なのか、こいつはバール。

 

 振り下ろされる前に血の糸を柄へ絡めて引く。男の手からバールが抜け、後ろへ飛んだ。

 

「おい!」

 

「危ないわね」

 

 そのまま足首へ糸を巻く。引く。転ぶ。今度は背中から。さっきよりは痛くなさそう。

 

 ここまでで三人。

 

 四人目は少し違った。

 

 腕を振り上げる。皮膚が変わった。色が濃くなり、表面が鉄のような光沢を出した。

 

 異能。

 

 殴られた。

 

 避けるのが面倒だったので受けた。腕が変な方向へ曲がった。

 

「あ」

 

「雛子さん!」

 

「大丈夫」

 

 曲がった腕を振る。骨も筋肉も一度崩して、元の形へ戻す。

 

 男の顔が引きつった。

 

「……何だ、お前」

 

「人間」

 

「嘘つけ!」

 

「失礼ね」

 

 もう一発。今度は避ける。拳が壁へ当たり、表面が砕けた。

 

 硬い。たぶん殴っても効かない。

 

「硬くなるのは、腕だけ?」

 

「何?」

 

 返事はいらない。

 

 首へ血の糸を巻いた。締める。

 

「がっ……!」

 

 よかった。

 

 少し締める。男が膝をついた。もう少し。倒れた。

 

 死んではいない。たぶん。

 

「雛子さん」

 

「何?」

 

「殺してないですよね?」

 

「たぶん」

 

「たぶん?」

 

「確認する?」

 

「してください」

 

 面倒。

 

 全員、息はしていた。銃を持っていた男は鼻血が出ていた。顔から転んだからだと思う。

 

 私のせいではない。たぶん。

 

 

 彼の傷は大したことがなかった。一発目は脇腹を掠めていた。血が多かったから、もっと酷く見えただけらしい。

 

「死ぬかと思った」

 

「私も」

 

「本当ですか?」

 

「少し」

 

「少しなんだ」

 

「あなたが死んだら面倒でしょう」

 

「それだけ?」

 

「他に何があるの?」

 

 彼は笑った。いつもより顔色が悪かった。

 

「襲った人たち、組の人間?」

 

「二人は見たことがあります」

 

「残りは?」

 

「知らないです」

 

「じゃあ偶然?」

 

「四人で?」

 

「仲良しだったとか」

 

「武器持って?」

 

「物騒な友達ね」

 

「……もうちょっと真面目に考えてください」

 

「考えてるわよ」

 

 四人。銃。刃物。バール。それから硬くなる異能。殺すつもりだったのは間違いない。

 

 今までは殴るだけだった。今度は殺しに来た。

 

「やめる?」

 

「やめません」

 

「でしょうね」

 

「聞く意味あります?」

 

「一応」

 

「雛子さんは?」

 

「何が?」

 

「帰らないんですか」

 

「どこに?」

 

「いや、別にどこでも」

 

「何で?」

 

「危ないですよ」

 

 何を今さら。

 

「私が?」

 

「……そうでした」

 

「忘れないで」

 

「はい」

 

 彼は少し黙った。

 

「でも、巻き込まれる理由はないでしょう」

 

「もう巻き込まれたけど」

 

「それは、すみません」

 

「別に」

 

「何で助けてくれるんです?」

 

 考える。よく分からない。

 

 項司の時もそうだった。

 

 あの人は、勝手に子供を拾った。勝手に食わせた。勝手に守った。最後には、そのうちの一人に殺された。

 

 馬鹿だと思った。

 

 今、目の前にいる人も似たようなことをしている。誰かに頼まれたわけでもない。放っておけばいいものを拾って、考えて、書いて、説明して、面倒なものを増やしている。そのせいで殺されかけた。

 

 馬鹿だと思う。

 

「何となく」

 

「何となくで銃弾止めます?」

 

「止めたのは血よ」

 

「そういう話じゃないです」

 

「じゃあ知らない」

 

 本当に、知らない。

 

 彼はしばらく私を見ていた。それから、

 

「ありがとうございます」

 

 と言った。

 

「どういたしまして」

 

 串焼きは冷めていた。不味くなっていた。

 

 最悪。

 

 

 紙切れに刃はない。木札に拳はない。壁に書いた文字は銃弾を止めてくれない。硬い身体を持つ人間が殴りかかってきても、紙は何もしてくれない。

 

 そんなことは、最初から分かっていた。分かっていたはずだった。

 

 それでも彼は、紙切れを捨てなかった。

 

 だから、その日だけは。

 

 代わりに私が、少しだけ刃になった。

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