雛芥子の芽吹く頃   作:西楚の一平卒

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ep.17 小さな成果

 最近、襲われないなと思った。

 

「オラァ!」

 

 気のせいだったみたい。

 

 横から拳が飛んできた。避ける。拳は私の横を通り過ぎ、そのまま店の壁へ突き刺さった。コンクリートが砕ける。随分と硬い。

 

「死ねぇ!」

 

 もう一発。

 

 今度は血を出した。手首から溢れた赤が正面へ広がり、薄い板になる。拳を受け止める。重い。血の板が大きく撓み、足元の石畳が少し割れた。

 

「やっぱりてめえだな!」

 

「誰?」

 

「俺を知らねえのか!」

 

「知らない」

 

「ふざけんな!」

 

 怒られた。

 

 本当に知らない。

 

 大柄な男だった。背は高いけれど、見た目は普通の人間に近い。違うのは両腕で、肘から先が黒い。皮膚というより石か金属みたいな質感をしている。

 

 殴ると硬くなるのか、最初から硬いのか。さっきは顔も黒かった……かも?

 

 どちらでもいいか。

 

 もう一度殴ってきた。血の板で逸らす。拳が地面へ落ち、石畳が砕けた。ちょうど差し出された首に血の剣を突きつける。

 

「動かないで」

 

 言ってみる。

 

「誰が!」

 

 動いた。剣は意味なかった。

 

 なら仕方ない。

 

 足元へ血を流す。細く伸ばし、靴の裏を抜けて後ろへ回す。足首へ絡めて引いた。

 

「うおっ!?」

 

 転んだ。

 

 倒れた男の腕へそのまま血を這わせる。両腕、両足。巻きつけて締める。

 

「クソッ! 離せ!」

 

「嫌」

 

「こんなもん!」

 

 腕に力を入れた。血が軋む。

 

 切れそう。

 

 もう少し流す。巻きついた赤が太くなる。

 

「ぐっ……!」

 

「大人しくして」

 

「ふざけ――」

 

 頭を上げたので、地面へ戻した。

 

 ごん、と音がした。静かになった。

 

 死んでない。たぶん。近づいて確認する。息はしている。

 

 よかった。

 

「警察だ!」

 

 来た。

 

 早い。

 

 最近は本当に早くなった。昔は警察が来るまでに全部終わっていることが多かったけれど、今は全部終わった頃には来る。

 

 進歩ね。

 

 男を縛っていた血を解く。赤が地面を這い、私の足元まで戻ってくる。

 

 警察官が止まった。

 

 私を見る。

 

 男を見る。

 

 壊れた壁を見る。

 

 また私を見る。

 

「……あなたですか」

 

「私よ」

 

「またですか」

 

「またよ」

 

 顔を覚えられていた。あまり嬉しくない。

 

「怪我人は?」

 

「この人だけ」

 

「あなたは?」

 

「ない」

 

「分かりました。では――」

 

 警察官が何かを取り出した。いつもの手帳かと思った。

 

 違った。

 

「登録証をお願いします」

 

「何の?」

 

「個性使用者の登録証です」

 

 知らない。

 

「持ってない」

 

「え?」

 

「それ」

 

 警察官が私を見る。

 

 少し考える。

 

 もう一度見る。

 

「……試験運用の参加者ではないですよね」

 

「違うと思う」

 

「ですよね」

 

「何で聞いたの?」

 

「いや……あまりにも普通に使っていたので」

 

「使っちゃ駄目だった?」

 

「原則は駄目です」

 

「そう」

 

「そうなんですよ」

 

 困った顔をされた。

 

 少し離れたところで、別の警察官が倒れている男へ手錠を掛けている。壁を壊したところも誰かが確認していた。

 

「相手から襲撃されたということで間違いありませんか?」

 

「うん」

 

「目撃者もいるようなので、その点はすぐ確認できると思います。ただ、公共の場での個性使用については別になりますので」

 

「うん」

 

「一応、署まで来ていただけますか」

 

「いいわよ」

 

 いつもの。

 

 少しだけ違った。

 

     ◇

 

「またですか」

 

「またよ」

 

「この前会ったばかりじゃないですか」

 

「私に言わないで」

 

「今度は何人?」

 

「一人」

 

「減りましたね」

 

「そうね」

 

 和也がガラスの向こうに座った。

 

 スーツにも慣れてきた。最初に着てきた時より、もう借り物っぽくない。鞄も同じものを使っているらしく、角に少し傷が増えていた。

 

 私もいつもの椅子に座る。

 

「今回は何したんです?」

 

「殴られそうになったから捕まえた」

 

「相手を?」

 

「うん」

 

「それで?」

 

「捕まった」

 

「貴方が?」

 

「うん」

 

 和也が額を押さえた。

 

「……まあ、まだそうなりますよね」

 

「そうなの?」

 

「そうなんですよ」

 

 警察の人と同じことを言った。

 

「でも、登録証を聞かれた」

 

 和也の手が止まった。

 

「登録証?」

 

「うん。持ってますかって」

 

「……ああ」

 

「試験運用の人じゃないですねって言われた」

 

「そりゃそうでしょうね」

 

「知らないもの」

 

「新聞読んでます?」

 

「たまに」

 

「どのくらい?」

 

「包むものがない時とか」

 

「読む用途じゃないなあ……」

 

 便利よ。

 

 魚とか。

 

「始まったんですよ」

 

「何が?」

 

「前に話した制度です」

 

「ああ」

 

 そういえば。

 

「もうできたの?」

 

「できてません。だから試験運用です」

 

「そう」

 

「一部の地域だけですけど、登録した人に訓練を受けてもらって、決められた条件で公共の場所でも個性を使えるようにしてます。今は救助と災害対応が中心です」

 

「へえ」

 

「へえ、って」

 

「警察の人が言ってた」

 

「じゃあ知ってるじゃないですか」

 

「登録証があることだけ」

 

「それは知ってるって言わないんですよ」

 

 そうなの?

 

 和也は鞄を開けた。紙が出てきた。

 

 いつもの。

 

「今のところ、大きな事故は出てません」

 

「よかったわね」

 

「はい」

 

 少し嬉しそうだった。

 

「火事で水を出せる人が消防の補助に入ったり、崩落現場で重いものを動かせる人が瓦礫を持ち上げたり。前から仕事で異能を使ってた人が参加してる例も多いです。現場の人からも、訓練して指示を聞いてくれるなら助かるって」

 

「そう」

 

「最初は反対してた人もいたんですけど、実際に助かった人が出ると話が変わるんですよ」

 

「そうなの?」

 

「変わります」

 

 和也が紙を一枚こちらへ向けた。

 

 細かい字がたくさん書いてある。

 

 見えない。見えても読まないけど。

 

「こっちは、救助された人数。こっちは現場で止められた件数です」

 

「止められた?」

 

「使わせなかったってことです。できると思ってたことが、訓練してみたら危なかったり。逆に本人が無理だと思ってたのに、やり方を変えれば使えたり」

 

「へえ」

 

「そこは結構、上手くいってます」

 

「よかったわね」

 

「はい」

 

 また嬉しそうだった。

 

 でも、紙は減らない。

 

「それで?」

 

「……分かります?」

 

「何が?」

 

「まだあるって」

 

「紙があるもの」

 

「そうです」

 

 和也が次の紙を出した。

 

「始めたら、別の問題が出てきました」

 

「大変ね」

 

「もう少し興味持ってくださいよ」

 

「聞いてるでしょう」

 

「そうですけど」

 

 何が不満なのだろう。

 

「まず、資格を取った時に想定してなかった状況です」

 

「何それ」

 

「例えば、水を出せる人が火災対応で登録してるとします」

 

「うん」

 

「目の前で車が横転して、中に人が閉じ込められた」

 

「うん」

 

「その人の異能で助けられるかもしれない。でも、登録されてるのは火災対応だけ」

 

「助けちゃ駄目なの?」

 

「そこなんですよ」

 

「助ければいいじゃない」

 

「そう簡単に言わないでください」

 

「なんで?」

 

「何の訓練も受けてないことをさせて事故が起きたら、この前悩んでたところに戻るでしょう」

 

「また悩めば?」

 

「……それは嫌ですね」

 

 まあそうよね。

 

「じゃあ見てるの?」

 

「それもおかしいでしょう」

 

「面倒ね」

 

「面倒なんです」

 

 和也が紙を置いた。

 

「決めた範囲を守らせれば安全にはなる。でも、決めた範囲から一歩でも出たら何もできない制度だと、目の前で助けられる人まで見殺しにすることになる」

 

「ふうん」

 

「それと、資格を持ってない人です」

 

「私?」

 

「ちょうど貴方です」

 

「持ってないわね」

 

「今日みたいな場合ですよ。突然襲われた。相手を止めないと自分か周りの人が怪我をする。そこで『資格がないから使うな』は無理でしょう」

 

「警察の人は使っちゃ駄目って言ってたけど」

 

「今の法律では、まだそっちが原則です」

 

「じゃあ捕まるの?」

 

「今のところは」

 

「そう」

 

「嫌じゃないんですか?」

 

「そのうち帰れるし」

 

「そこを何とかしようとしてるんですよ!」

 

 そうだった。

 

 和也は昔から、それを気にしている。

 

 私は別に困っていない。捕まる。待つ。帰る。最近は顔を覚えられたので、話も早い。

 

「だから、緊急時の例外が必要だと思ってます」

 

「例外」

 

「資格がなくても、他に手段がなくて、人命や身体を守るために必要だったなら、その範囲では認める」

 

「何でも?」

 

「何でもにしたら意味ないでしょう」

 

「じゃあどこまで?」

 

「それを今揉めてます」

 

「大変ね」

 

「大変です」

 

 即答だった。

 

「本人が必要だと思ったら何でもいい、では駄目なんです。火事で風を吹かせた人だって、本人は必要だと思ってたでしょう」

 

「そうね」

 

「でも、後から結果だけ見て判断するのも違う。助けようとして失敗した人を全部犯罪者にしたら、誰も助けなくなる」

 

「そう」

 

「だから、その時に分かっていたこととか、他に手段があったかとか、使った力が必要な範囲だったかとか……」

 

 和也が紙を見る。

 

「増えました」

 

「何が?」

 

「決めることが」

 

「大変ね」

 

「はい」

 

 少し疲れていた。

 

「他にもあるの?」

 

「あります」

 

「まだ?」

 

「始めたばかりですから」

 

 そういうものなのだろう。

 

「登録した人同士でも、できることが違いすぎます。同じ『救助』でも、力が強い人と、水を出す人と、身体が柔らかくなる人では訓練内容を同じにできない。異形型みたいに、使用と不使用を分けにくい人もいる。あと、現場で誰の指示を優先するか」

 

「消防じゃないの?」

 

「火事なら消防です。でも、火事の最中に犯罪が起きたら?」

 

「警察?」

 

「その警察と消防で指示が違ったら?」

 

「知らない」

 

「ですよね」

 

「あなたは知ってるの?」

 

「知ってたら困ってません」

 

「そう」

 

 まだ困っているらしい。

 

「でも、前よりは進んだんでしょう?」

 

 和也が少し止まった。

 

「……珍しいですね」

 

「何が?」

 

「貴方からそういうこと聞くの」

 

「資格聞かれたから」

 

「ああ」

 

 納得された。

 

「進みましたよ」

 

「そう」

 

「小さいですけど」

 

「そう」

 

「本当に小さいんですよ。一部の地域だけで、使える場面も少ない。参加してる人もまだ多くないし、事故が一件起きたら止まるかもしれない。反対してる人もいます」

 

「うん」

 

「でも、実際に使えた」

 

 和也が言った。

 

「前は、使うか、使わないかの二つしかなかった。今は、使っていい場所が少しできた」

 

「そう」

 

「助かった人もいる」

 

「そう」

 

「だから、そこは成果です」

 

 そうらしい。

 

 前に会った時は、まだ紙の上にしかなかった。訓練をするとか、資格を作るとか、誰かと一緒に使うとか。面倒そうなことをたくさん言っていた。

 

 今は警察の人が、その資格を私に聞いた。

 

 持っていなかったけれど。

 

「政治家にはなれたの?」

 

「まだです」

 

「制度はできたのに?」

 

「だから俺一人で作ってるんじゃないですって」

 

「そうだった」

 

「役所も、消防も、警察も、研究者も、実際に参加してる人もいます。俺はその中に混ざってるだけです」

 

「大勢ね」

 

「大勢です」

 

「それでもできたの?」

 

「少しだけ」

 

「そう」

 

 和也が笑った。

 

「最初は、全部変えないと意味がないと思ってました」

 

「そうなの?」

 

「そうだったんですよ。異能を自由に使えるようにする。禁止そのものをなくす。それができなきゃ何も変わらないって」

 

「へえ」

 

「でも、全部は無理でした」

 

「そう」

 

「だから、とりあえず救助だけ。次に災害対応。できるところから始めた」

 

「妥協?」

 

「……そうですね」

 

 少し考えてから、和也は頷いた。

 

「たぶん、妥協です」

 

「嫌なの?」

 

「前なら嫌だったと思います」

 

「今は?」

 

「助かった人がいるので」

 

「そう」

 

「全部取れなくても、取れた分まで捨てる必要はないでしょう」

 

 そういうものらしい。

 

 和也が紙を揃える。

 

「ただ、このままだと貴方は次も捕まります」

 

「そうなの?」

 

「そうですよ」

 

「じゃあまだ駄目ね」

 

「そこだけで判定しないでもらえます?」

 

「私のために始めたんでしょう?」

 

「……そうでした」

 

 忘れていたらしい。

 

「恩返し、出来たの?」

 

「まだですね」

 

「大変ね」

 

「大変です」

 

 でも、笑っていた。

 

「次はそこも何とかします」

 

「私、資格取らないわよ」

 

「分かってます」

 

「試験も嫌」

 

「分かってます」

 

「訓練も」

 

「それは受けてほしいんですけどね……」

 

「嫌」

 

「でしょうね」

 

 諦めが早くなった。成長ね。

 

 面会時間が終わった。

 

「じゃあ、また来ます」

 

「捕まってたらね」

 

「その台詞を言えなくするために頑張ってるんですよ」

 

「そう」

 

「少しは期待してください」

 

「考えておく」

 

「絶対考えないでしょう」

 

 失礼ね。

 

 和也が出ていった。

 

 ガラスの向こうから。

 

 少しして、私も出してもらえた。相手が先に襲ったことは確認できたらしい。異能を使ったことについては、また何か書かされた。

 

 外へ出る。

 

 最近、襲われないなと思っていた。

 

 気のせいだった。

 

 でも、少しだけ違うこともあった。

 

 今までなら、警察は最初に「異能を使ったか」と聞いた。

 

 今日は、「登録証を持っているか」と聞いた。

 

 持っていなかったので、結局いつも通りだった。

 

 それでも、聞かれることが一つ増えた。

 

 一歩くらいは進んだのかもしれない。

 

 面倒も、その分増えたらしい。

 

 和也がまた紙を増やすのだろう。

 

 大変ね。

 

 私は帰った。

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