雛芥子の芽吹く頃 作:西楚の一平卒
また留置所にいた。
今回は二人だった。一人が口から火を吐いて、もう一人がその火を大きくした。相性がいい。私とは悪かった。
服が少し焦げた。
腹が立ったので二人とも転ばせた。転ばせて、縛った。火を吐く方はそのままでも危ないので口にも血を巻いたら、警察の人に「窒息させるつもりですか」と怒られた。鼻で息はできるのに。
事情はすぐに分かった。相手が先に襲ってきた。目撃者もいる。最近始まった緊急時の個性使用に関する扱いにも、たぶん入るらしい。
なら帰してくれればいいのに。
「手続きがありますので」
だそうだ。
制度が変わっても、書類はなくならない。
残念。
待っていると、面会だと言われた。
和也だった。
「受かりました」
座るなり言われた。
「何に?」
「選挙ですよ!」
「ああ」
「ああ、って」
「やっと?」
「三度目の正直です」
「二回も落ちてたの?」
「知ってるでしょう! 一回目の後も二回目の後も報告しに来たじゃないですか!」
そうだったっけ。
和也はスーツを着ていた。もう見慣れた。似合うようになったというより、着ていることに違和感がなくなった。
ただ、今日は落ち着きがない。座ったばかりなのに時計を見る。
「忙しいの?」
「忙しいです」
「じゃあ来なくてもよかったのに」
「だから報告だけです」
「そう」
「当選しました」
「聞いた」
「もうちょっと何かないですか?」
「おめでとう」
「ありがとうございます」
満足したらしい。
鞄へ手を伸ばしたけれど、紙は出さなかった。
珍しい。
「今回は、前より異能解放に近い考えの人たちからも票をもらえたんですよ」
「へえ」
「解放軍に入るほどじゃない。でも、今の規制はおかしいと思ってる人たちです」
「和也みたいな?」
「昔の俺みたいな、ですね」
「同じじゃない」
「違いますよ。俺はもう少し面倒なことを知りました」
「そう」
「異能もその人の個性なんだから、もっと自由に使えるようにしてほしい。でも、何でも好きにしていいとは思わない。そういう人、結構いるんです」
「へえ」
「使えるようにはする。でも、使い方は決める。事故を起こしたら責任も取る。前から話してたやつです」
「そうらしいわね」
「他人事だなあ」
「他人事だもの」
「貴方が毎回捕まるところから始まった話なんですけどね」
「最近は早く帰れるわよ」
「そのうち捕まらなくします」
「頑張って」
「頑張ります」
和也が立った。
「もう帰るの?」
「言ったでしょう。報告だけです」
「本当に?」
「本当に」
また時計を見る。
「この後、会合が二つと挨拶回りです。明日の朝までに読まないといけない資料もあります」
「大変ね」
「望んでなったんで、そこは言いません」
「そう」
「じゃあ、また」
「うん」
和也が出ていく。
ガラスの向こうから。
本当に報告だけだった。
その日のうちに、私も出してもらえた。
◇
雛子が警察署を出てから、十分ほど経った頃だった。
「少しいいかな」
声をかけた男は、よく仕立てられたスーツを着ていた。年齢は分かりにくい。四十代にも見えるし、それより上にも見える。穏やかな顔立ちをしていて、立ち姿にも声にも他人を急かすところがなかった。
「何?」
雛子が振り返る。
「初めまして」
「そうね」
男は少し待った。
雛子も待った。
「……僕を知らない?」
「知らない」
「これでも名は売れていると思っていたんだが」
「興味ないもの」
「自惚れというやつだね。これだから年を取りたくはない」
男は苦笑した。
「それで?」
「食事でもどうかと思ってね」
「嫌」
「即答だね」
「知らない人だし」
「もっともだ」
気を悪くした様子はない。
「一応、紹介を受けて来たんだよ」
「誰の?」
「僕の方は何人か心当たりがあるが、君の方はどうだろうね。こういう話は本人より周囲が張り切るものだから」
「何の話?」
「見合いだよ」
雛子が男を見る。
「私と?」
「そのつもりで来たのだけれど」
「嫌」
「二度目だ」
「数えてるの?」
「印象に残るからね」
雛子は歩き出した。
男も隣を歩く。
「ついてこないで」
「せめて食事くらいはどうかな。予約を取るのもなかなか大変な店でね」
「高い?」
「安くはない」
「奢り?」
「もちろん」
雛子の足が止まった。
「ならいいわ」
「理由は何であれ、機会をもらえたことを喜ぶべきだろうね」
男は嬉しそうに笑った。
交差点へ差しかかる。荷物を積んだ車が曲がってきた。男が雛子を内側へ誘導するように、その肩へ手を伸ばす。
ぱし、と乾いた音がした。
雛子がその手を弾いていた。
「触らないで」
男は宙に残った自分の手を見る。
「これは失礼」
怒らない。
もう一度伸ばしもしない。
「つい、ね」
雛子は少し男を見た。
「店、どっち?」
「あちらだよ」
二人は並んで歩いた。
◇
予約されていた店は、本当に高かった。
入口で男の名前を告げる必要すらなかった。給仕は彼を見るなり頭を下げ、奥の席へ案内した。白い布が掛かったテーブル。磨かれた銀食器。薄い硝子の杯。照明は明るすぎず、隣の席との間隔も広い。
窓の向こうには補修跡の残る街がある。
ここにはあまりない。
「随分儲かってるのね」
「おかげさまで」
「何してる人?」
「商売人だよ。食料に機械、薬品。海の向こうから運んだり、こちらから向こうへ運んだり。最近は扱えるものも随分増えた」
「貿易?」
「そう呼んでもらって構わない」
「悪いことしてる?」
「初めての食事で聞くことかな」
「駄目?」
「いや。率直な女性は嫌いじゃないよ」
「それで?」
「商売をしているだけだとも」
「そう」
「信じていないね?」
「別に」
「本当なんだが」
男は笑っていた。
「何にする?」
「高いの」
「それは頼もしい」
料理は男に任せた。
最初の皿が運ばれてくる。
雛子は食べた。
「美味しい」
「それはよかった」
「それで?」
「何がだい?」
「私のどこが気に入ったの?」
男が少し目を丸くした。
「随分直接的だね」
「お見合いなんでしょう?」
「それもそうか」
男は少し考えた。
「丈夫なところかな」
「それだけ?」
「長く付き合う相手なら大切なことだよ」
「顔じゃないの?」
「もちろん、美しいと思っているとも」
「身体目当て?」
「そう聞かれると、否定するのも不誠実かな」
「変態」
「手厳しいな」
男は楽しそうだった。
「君は随分と長く生きているそうだね」
「そうね」
「僕もなんだ」
「そう」
「驚かない?」
「別に」
「残念だな。もう少し興味を持ってもらえると思っていた」
「何歳?」
「女性との食事で年齢の話をするものではないと聞いている」
「あなたのよ」
「それもそうか」
男は笑った。
「六十は越えているよ」
「爺ね」
「君に言われるとは思わなかった」
「私もそう変わらないもの」
「それは奇遇だね」
次の料理が来た。
肉。
柔らかい。美味しい。
「昔は、今より商売が難しくてね」
「そうなの?」
「道がなければ物は運べない。港が動かなければ船も着けられない。何より、人が昨日と同じ姿で明日も働けるとは限らなかった」
「ああ」
「自分の身体を嫌がる人も多かったよ。昨日まで普通だったのに、朝になれば家族に怖がられる。仕事にも出られない。逆に、力が足りなくて困っている人もいた」
「いたわね」
「随分、相談に乗ったものだ」
「親切なのね」
「そう言ってもらえると嬉しいな」
「治してあげたの?」
「できる範囲ではね」
「欲しがる人には?」
「力になったよ」
雛子のナイフが止まった。
少しだけ。
「何でも?」
「何でも、なんて言えるほど傲慢ではないつもりだよ」
「そう」
「自分には不要なものを手放したい人もいる。誰かが不要とするものを、欲しがる人もいる。世の中は案外、上手くできている」
「ふうん」
昔、似た話を聞いたことがある。
見た目が変わって家を追い出された人間が、元の姿で戻ってきた。何の力も持たなかった人間が、突然強くなった。逆に、それまで持っていたものがなくなった人間もいた。
話によって細かいところは違った。
でも、だいたい同じ人が出てきた。
「慕われてる?」
「ありがたいことにね。慕ってくれる人が多くて困るくらいだよ」
「そう」
「君にも心当たりがあるんじゃないかな」
「何の?」
「熱心な人たちのことさ」
雛子が男を見る。
「最近よく襲われるのよね」
「それは災難だ」
「知ってる?」
「何人かは」
「知り合い?」
「顔が広いのが取り柄でね」
「止めて」
「僕が?」
「知り合いなんでしょう?」
「困ったな。人の恋路に口を挟むのは野暮だと思っていたんだが」
「殺しに来るけど」
「愛情表現が下手なのかもしれない」
「下手すぎるでしょう」
「それは同感だ」
男はワインを一口飲んだ。
「君に袖にされたのがよほど堪えた者もいるようだよ」
「誰?」
「腕から刃を出す男を覚えていないかな」
「ああ」
少しだけ覚えている。
「生きてたの?」
「元気だ、と言ってあげたいところなんだがね。最近はどうも調子が出ないらしい」
「調子?」
「以前はできていたことが、上手くできなくなったそうだ」
「へえ」
「本人は随分落ち込んでいるよ。君に嫌われたうえ、自慢まで失ってしまった、とね」
「嫌ってないけど」
「それを聞けば喜ぶかもしれない」
「また来る?」
「伝えないでおこう」
「そうして」
雛子は肉を切った。
個性が上手く働かない。
心当たりはある。
男はそのことを知っている。
自分の身体を嫌う者から不要なものを取り、欲しがる者へ力を与えた。昔から、そんな噂があった。
雛子は肉を口へ運んだ。
美味しい。
「あなたなのね」
「何がだい?」
「別に」
「そうか」
男は聞き返さなかった。
次の皿が来た。
「それで」
雛子が言った。
「私のこと、欲しい?」
「見合いの席でそう尋ねられるとは思わなかったな」
「嫌?」
「とても魅力的な質問だ」
「答えは?」
「君は素晴らしい女性だと思っているよ」
「そう」
「信じていないね」
「別に」
「本当なんだが」
男の視線が雛子へ向いている。
顔なのか。
身体なのか。
その内側なのか。
分からない。
どれでもいいか。
雛子は片手をテーブルの上へ出した。
掌を上にする。
「触る?」
男の視線が手へ落ちた。
「先ほどは触るなと言われたと思うけれど」
「今はいいわよ」
「心変わりが早い女性だ」
「嫌?」
「魅力的な誘いだ」
男は手を伸ばさなかった。
雛子はそのまま待った。
触れれば、何が起きるのだろう。
昔の噂が本当なら、なくなるのかもしれない。
何が、とは考えなかった。
なくなったらなくなったで、その時だ。
「触らないの?」
「せっかく許してもらったのに、申し訳ないね」
「さっきは触ろうとしたのに」
「つい、ね」
「今は?」
「少し冷静になった」
「爺だから?」
「経験を積んだと言ってほしいな」
男は笑った。
「年を取ると、欲しいものほど慎重になるものだよ」
「そうなの?」
「少なくとも僕はね」
「臆病になったのね」
「否定はしないよ。臆病さのおかげで長生きできることもある」
「そう」
雛子は手を戻した。
男は最後まで触れなかった。
「残念だった?」
「何が?」
「断られて」
「別に」
「僕は少し残念だよ」
「そう」
「せっかく距離が縮まる機会だったのに」
「自分で断ったんでしょう」
「そうとも言うね」
食事は続いた。
男は昔の話をした。道が壊れていた頃。港を動かすのに武装した人間が必要だった頃。薬より銃の方が手に入りやすい土地があったこと。昨日まで隣人だった人間が、翌日には化け物と呼ばれたこと。
雛子も、聞かれれば答えた。
水を奪い合ったこと。食べ物がなくなったこと。強い人間が人を集めたこと。人を集めた人間が決まりを作ったこと。決まりを作った本人が最初に破ったこと。
同じ時代だった。
見ていた場所は違ったらしい。
「君は不思議だ」
食後の飲み物が運ばれてから、男が言った。
「そう?」
「それだけ長く生きて、それだけ丈夫なのに、あまり欲がない」
「欲しいものはあるわよ」
「例えば?」
「今日の料理はまた食べたい」
「店ごと買ってあげようか?」
「いらない」
「ほら」
男が笑った。
「もっと大きなものでもいいんだよ」
「いらないもの持ってどうするの?」
「使えばいい」
「面倒」
「人を集めるのも悪くない」
「面倒」
「人の上に立つのは?」
「もっと面倒」
「勿体ないな」
「そう?」
「僕なら欲しい」
「でしょうね」
男は否定しなかった。
「そういえば」
「何?」
「最近、よく会っている若い男性がいるそうだね」
「和也?」
「継木和也。そう、その人だ」
「今日も会ったわよ」
「親しいのかな?」
「捕まると来るわね」
「それは親しいと言うべきなのかな」
「知らない」
「今日、当選の報告を受けたんだろう?」
「そう」
「嬉しい?」
「本人は嬉しそうだった」
「君は?」
「おめでとうって言ったわよ」
「なるほど」
男はカップを持ち上げた。
「大切な相手なのかと思っていたよ」
「何で?」
「何度も会っているからね」
「向こうが来るのよ」
「そうか」
「うん」
「なら、僕の勘違いだったかな」
それで終わった。
何が気になっていたのかは知らない。
「仕事熱心な青年だそうだ」
「そうね」
「随分、忙しくなるだろう」
「今日も忙しそうだった」
「身体には気をつけてほしいものだね」
「本人に言えば?」
「機会があれば」
「そう」
男はそれ以上、和也のことを聞かなかった。
「ところで」
「まだあるの?」
「見合いだからね。今後の付き合い方についても話しておいた方がいいだろう?」
「結婚?」
「それも魅力的だけれど」
「嫌」
「三度目だ」
「まだ数えてたの?」
「印象的だからね」
男は肩をすくめた。
「無理強いはよくない」
「そうね」
「けれど、今日限りというのも寂しい。せっかくこうして知り合えたんだ。今後も良い関係を築ければと思っている」
「食事?」
「それも含めて」
「奢りなら」
「もちろん」
「じゃあいいわよ」
「それは嬉しいな」
男は笑った。
「僕の知人にも、君のことは話しておこう」
「何て?」
「大切な知人だから、あまり迷惑をかけないように、と」
「迷惑かけてるの、あなたの知り合いばっかりなの?」
「顔が広いのも考えものだね」
「止めてくれるなら何でもいいけど」
「善処しよう」
「全員?」
「僕の話を聞いてくれる人にはね。そうでない人まで縛るのは、さすがに難しい」
「そう」
「その時は、君の好きにするといい」
「そうする」
簡単に決まった。
「君も、僕の仕事については温かく見守ってくれると嬉しいな」
「何してるか知らないもの」
「貿易だよ」
「じゃあ興味ない」
「それはありがたい」
「でも、目の前で変なことしてたら邪魔するかも」
「変なこと?」
「変なこと」
「それは困ったな」
「私の前でしなければいいでしょう」
「なるほど」
男は少し考えて、笑った。
「善処しよう」
「さっきも聞いた」
「便利な言葉なんだ」
「政治家みたい」
「君の周りには増えそうだね」
「一人で十分」
「違いない」
男はカップを置いた。
「互いの生活には必要以上に口を出さない。けれど困った時には、多少の便宜を図る。そういう関係ならどうだろう」
「友達?」
「そこまで馴れ馴れしくするつもりはないよ」
「知り合い?」
「それでは少し寂しいな」
「じゃあ何?」
男は少し考えた。
「良き隣人、とでも言おうか」
「近所に住むの?」
「比喩だよ」
「そう」
「嫌かな?」
「別に」
「よかった」
男は満足そうだった。
それで話は終わった。
契約書はない。
署名もしない。
握手もしなかった。
給仕が伝票を持ってくる。
男が受け取った。
「本当に払うの?」
「もちろん。女性との食事で払わせるほど野暮ではないよ」
「よかった」
「そこは疑っていたのかい?」
「一応」
「信用がないな」
「今日会ったばかりだし」
「それもそうだ」
二人は店を出た。
夜になっていた。街には灯りが点き、車が走っている。店から漏れる明かりの中を、人が歩いていた。
「今日は楽しかったよ」
男が言った。
「そう」
「同じ時代を知る相手と話せる機会は、そう多くない」
「そうね」
「また食事でもどうかな」
「奢り?」
「もちろん」
「なら考える」
「光栄だ」
男が手を上げる。
握手を求める形ではない。
ただの別れの挨拶。
「では、また」
「うん」
二人は別々の方向へ歩いていった。
最後まで、一度も触れなかった。
傍から見れば、少し変わった男女が食事をしただけだった。