雛芥子の芽吹く頃   作:西楚の一平卒

18 / 19
ep.18 良き隣人

 また留置所にいた。

 

 今回は二人だった。一人が口から火を吐いて、もう一人がその火を大きくした。相性がいい。私とは悪かった。

 

 服が少し焦げた。

 

 腹が立ったので二人とも転ばせた。転ばせて、縛った。火を吐く方はそのままでも危ないので口にも血を巻いたら、警察の人に「窒息させるつもりですか」と怒られた。鼻で息はできるのに。

 

 事情はすぐに分かった。相手が先に襲ってきた。目撃者もいる。最近始まった緊急時の個性使用に関する扱いにも、たぶん入るらしい。

 

 なら帰してくれればいいのに。

 

「手続きがありますので」

 

 だそうだ。

 

 制度が変わっても、書類はなくならない。

 

 残念。

 

 待っていると、面会だと言われた。

 

 和也だった。

 

「受かりました」

 

 座るなり言われた。

 

「何に?」

 

「選挙ですよ!」

 

「ああ」

 

「ああ、って」

 

「やっと?」

 

「三度目の正直です」

 

「二回も落ちてたの?」

 

「知ってるでしょう! 一回目の後も二回目の後も報告しに来たじゃないですか!」

 

 そうだったっけ。

 

 和也はスーツを着ていた。もう見慣れた。似合うようになったというより、着ていることに違和感がなくなった。

 

 ただ、今日は落ち着きがない。座ったばかりなのに時計を見る。

 

「忙しいの?」

 

「忙しいです」

 

「じゃあ来なくてもよかったのに」

 

「だから報告だけです」

 

「そう」

 

「当選しました」

 

「聞いた」

 

「もうちょっと何かないですか?」

 

「おめでとう」

 

「ありがとうございます」

 

 満足したらしい。

 

 鞄へ手を伸ばしたけれど、紙は出さなかった。

 

 珍しい。

 

「今回は、前より異能解放に近い考えの人たちからも票をもらえたんですよ」

 

「へえ」

 

「解放軍に入るほどじゃない。でも、今の規制はおかしいと思ってる人たちです」

 

「和也みたいな?」

 

「昔の俺みたいな、ですね」

 

「同じじゃない」

 

「違いますよ。俺はもう少し面倒なことを知りました」

 

「そう」

 

「異能もその人の個性なんだから、もっと自由に使えるようにしてほしい。でも、何でも好きにしていいとは思わない。そういう人、結構いるんです」

 

「へえ」

 

「使えるようにはする。でも、使い方は決める。事故を起こしたら責任も取る。前から話してたやつです」

 

「そうらしいわね」

 

「他人事だなあ」

 

「他人事だもの」

 

「貴方が毎回捕まるところから始まった話なんですけどね」

 

「最近は早く帰れるわよ」

 

「そのうち捕まらなくします」

 

「頑張って」

 

「頑張ります」

 

 和也が立った。

 

「もう帰るの?」

 

「言ったでしょう。報告だけです」

 

「本当に?」

 

「本当に」

 

 また時計を見る。

 

「この後、会合が二つと挨拶回りです。明日の朝までに読まないといけない資料もあります」

 

「大変ね」

 

「望んでなったんで、そこは言いません」

 

「そう」

 

「じゃあ、また」

 

「うん」

 

 和也が出ていく。

 

 ガラスの向こうから。

 

 本当に報告だけだった。

 

 その日のうちに、私も出してもらえた。

 

     ◇

 

 雛子が警察署を出てから、十分ほど経った頃だった。

 

「少しいいかな」

 

 声をかけた男は、よく仕立てられたスーツを着ていた。年齢は分かりにくい。四十代にも見えるし、それより上にも見える。穏やかな顔立ちをしていて、立ち姿にも声にも他人を急かすところがなかった。

 

「何?」

 

 雛子が振り返る。

 

「初めまして」

 

「そうね」

 

 男は少し待った。

 

 雛子も待った。

 

「……僕を知らない?」

 

「知らない」

 

「これでも名は売れていると思っていたんだが」

 

「興味ないもの」

 

「自惚れというやつだね。これだから年を取りたくはない」

 

 男は苦笑した。

 

「それで?」

 

「食事でもどうかと思ってね」

 

「嫌」

 

「即答だね」

 

「知らない人だし」

 

「もっともだ」

 

 気を悪くした様子はない。

 

「一応、紹介を受けて来たんだよ」

 

「誰の?」

 

「僕の方は何人か心当たりがあるが、君の方はどうだろうね。こういう話は本人より周囲が張り切るものだから」

 

「何の話?」

 

「見合いだよ」

 

 雛子が男を見る。

 

「私と?」

 

「そのつもりで来たのだけれど」

 

「嫌」

 

「二度目だ」

 

「数えてるの?」

 

「印象に残るからね」

 

 雛子は歩き出した。

 

 男も隣を歩く。

 

「ついてこないで」

 

「せめて食事くらいはどうかな。予約を取るのもなかなか大変な店でね」

 

「高い?」

 

「安くはない」

 

「奢り?」

 

「もちろん」

 

 雛子の足が止まった。

 

「ならいいわ」

 

「理由は何であれ、機会をもらえたことを喜ぶべきだろうね」

 

 男は嬉しそうに笑った。

 

 交差点へ差しかかる。荷物を積んだ車が曲がってきた。男が雛子を内側へ誘導するように、その肩へ手を伸ばす。

 

 ぱし、と乾いた音がした。

 

 雛子がその手を弾いていた。

 

「触らないで」

 

 男は宙に残った自分の手を見る。

 

「これは失礼」

 

 怒らない。

 

 もう一度伸ばしもしない。

 

「つい、ね」

 

 雛子は少し男を見た。

 

「店、どっち?」

 

「あちらだよ」

 

 二人は並んで歩いた。

 

     ◇

 

 予約されていた店は、本当に高かった。

 

 入口で男の名前を告げる必要すらなかった。給仕は彼を見るなり頭を下げ、奥の席へ案内した。白い布が掛かったテーブル。磨かれた銀食器。薄い硝子の杯。照明は明るすぎず、隣の席との間隔も広い。

 

 窓の向こうには補修跡の残る街がある。

 

 ここにはあまりない。

 

「随分儲かってるのね」

 

「おかげさまで」

 

「何してる人?」

 

「商売人だよ。食料に機械、薬品。海の向こうから運んだり、こちらから向こうへ運んだり。最近は扱えるものも随分増えた」

 

「貿易?」

 

「そう呼んでもらって構わない」

 

「悪いことしてる?」

 

「初めての食事で聞くことかな」

 

「駄目?」

 

「いや。率直な女性は嫌いじゃないよ」

 

「それで?」

 

「商売をしているだけだとも」

 

「そう」

 

「信じていないね?」

 

「別に」

 

「本当なんだが」

 

 男は笑っていた。

 

「何にする?」

 

「高いの」

 

「それは頼もしい」

 

 料理は男に任せた。

 

 最初の皿が運ばれてくる。

 

 雛子は食べた。

 

「美味しい」

 

「それはよかった」

 

「それで?」

 

「何がだい?」

 

「私のどこが気に入ったの?」

 

 男が少し目を丸くした。

 

「随分直接的だね」

 

「お見合いなんでしょう?」

 

「それもそうか」

 

 男は少し考えた。

 

「丈夫なところかな」

 

「それだけ?」

 

「長く付き合う相手なら大切なことだよ」

 

「顔じゃないの?」

 

「もちろん、美しいと思っているとも」

 

「身体目当て?」

 

「そう聞かれると、否定するのも不誠実かな」

 

「変態」

 

「手厳しいな」

 

 男は楽しそうだった。

 

「君は随分と長く生きているそうだね」

 

「そうね」

 

「僕もなんだ」

 

「そう」

 

「驚かない?」

 

「別に」

 

「残念だな。もう少し興味を持ってもらえると思っていた」

 

「何歳?」

 

「女性との食事で年齢の話をするものではないと聞いている」

 

「あなたのよ」

 

「それもそうか」

 

 男は笑った。

 

「六十は越えているよ」

 

「爺ね」

 

「君に言われるとは思わなかった」

 

「私もそう変わらないもの」

 

「それは奇遇だね」

 

 次の料理が来た。

 

 肉。

 

 柔らかい。美味しい。

 

「昔は、今より商売が難しくてね」

 

「そうなの?」

 

「道がなければ物は運べない。港が動かなければ船も着けられない。何より、人が昨日と同じ姿で明日も働けるとは限らなかった」

 

「ああ」

 

「自分の身体を嫌がる人も多かったよ。昨日まで普通だったのに、朝になれば家族に怖がられる。仕事にも出られない。逆に、力が足りなくて困っている人もいた」

 

「いたわね」

 

「随分、相談に乗ったものだ」

 

「親切なのね」

 

「そう言ってもらえると嬉しいな」

 

「治してあげたの?」

 

「できる範囲ではね」

 

「欲しがる人には?」

 

「力になったよ」

 

 雛子のナイフが止まった。

 

 少しだけ。

 

「何でも?」

 

「何でも、なんて言えるほど傲慢ではないつもりだよ」

 

「そう」

 

「自分には不要なものを手放したい人もいる。誰かが不要とするものを、欲しがる人もいる。世の中は案外、上手くできている」

 

「ふうん」

 

 昔、似た話を聞いたことがある。

 

 見た目が変わって家を追い出された人間が、元の姿で戻ってきた。何の力も持たなかった人間が、突然強くなった。逆に、それまで持っていたものがなくなった人間もいた。

 

 話によって細かいところは違った。

 

 でも、だいたい同じ人が出てきた。

 

「慕われてる?」

 

「ありがたいことにね。慕ってくれる人が多くて困るくらいだよ」

 

「そう」

 

「君にも心当たりがあるんじゃないかな」

 

「何の?」

 

「熱心な人たちのことさ」

 

 雛子が男を見る。

 

「最近よく襲われるのよね」

 

「それは災難だ」

 

「知ってる?」

 

「何人かは」

 

「知り合い?」

 

「顔が広いのが取り柄でね」

 

「止めて」

 

「僕が?」

 

「知り合いなんでしょう?」

 

「困ったな。人の恋路に口を挟むのは野暮だと思っていたんだが」

 

「殺しに来るけど」

 

「愛情表現が下手なのかもしれない」

 

「下手すぎるでしょう」

 

「それは同感だ」

 

 男はワインを一口飲んだ。

 

「君に袖にされたのがよほど堪えた者もいるようだよ」

 

「誰?」

 

「腕から刃を出す男を覚えていないかな」

 

「ああ」

 

 少しだけ覚えている。

 

「生きてたの?」

 

「元気だ、と言ってあげたいところなんだがね。最近はどうも調子が出ないらしい」

 

「調子?」

 

「以前はできていたことが、上手くできなくなったそうだ」

 

「へえ」

 

「本人は随分落ち込んでいるよ。君に嫌われたうえ、自慢まで失ってしまった、とね」

 

「嫌ってないけど」

 

「それを聞けば喜ぶかもしれない」

 

「また来る?」

 

「伝えないでおこう」

 

「そうして」

 

 雛子は肉を切った。

 

 個性が上手く働かない。

 

 心当たりはある。

 

 男はそのことを知っている。

 

 自分の身体を嫌う者から不要なものを取り、欲しがる者へ力を与えた。昔から、そんな噂があった。

 

 雛子は肉を口へ運んだ。

 

 美味しい。

 

「あなたなのね」

 

「何がだい?」

 

「別に」

 

「そうか」

 

 男は聞き返さなかった。

 

 次の皿が来た。

 

「それで」

 

 雛子が言った。

 

「私のこと、欲しい?」

 

「見合いの席でそう尋ねられるとは思わなかったな」

 

「嫌?」

 

「とても魅力的な質問だ」

 

「答えは?」

 

「君は素晴らしい女性だと思っているよ」

 

「そう」

 

「信じていないね」

 

「別に」

 

「本当なんだが」

 

 男の視線が雛子へ向いている。

 

 顔なのか。

 

 身体なのか。

 

 その内側なのか。

 

 分からない。

 

 どれでもいいか。

 

 雛子は片手をテーブルの上へ出した。

 

 掌を上にする。

 

「触る?」

 

 男の視線が手へ落ちた。

 

「先ほどは触るなと言われたと思うけれど」

 

「今はいいわよ」

 

「心変わりが早い女性だ」

 

「嫌?」

 

「魅力的な誘いだ」

 

 男は手を伸ばさなかった。

 

 雛子はそのまま待った。

 

 触れれば、何が起きるのだろう。

 

 昔の噂が本当なら、なくなるのかもしれない。

 

 何が、とは考えなかった。

 

 なくなったらなくなったで、その時だ。

 

「触らないの?」

 

「せっかく許してもらったのに、申し訳ないね」

 

「さっきは触ろうとしたのに」

 

「つい、ね」

 

「今は?」

 

「少し冷静になった」

 

「爺だから?」

 

「経験を積んだと言ってほしいな」

 

 男は笑った。

 

「年を取ると、欲しいものほど慎重になるものだよ」

 

「そうなの?」

 

「少なくとも僕はね」

 

「臆病になったのね」

 

「否定はしないよ。臆病さのおかげで長生きできることもある」

 

「そう」

 

 雛子は手を戻した。

 

 男は最後まで触れなかった。

 

「残念だった?」

 

「何が?」

 

「断られて」

 

「別に」

 

「僕は少し残念だよ」

 

「そう」

 

「せっかく距離が縮まる機会だったのに」

 

「自分で断ったんでしょう」

 

「そうとも言うね」

 

 食事は続いた。

 

 男は昔の話をした。道が壊れていた頃。港を動かすのに武装した人間が必要だった頃。薬より銃の方が手に入りやすい土地があったこと。昨日まで隣人だった人間が、翌日には化け物と呼ばれたこと。

 

 雛子も、聞かれれば答えた。

 

 水を奪い合ったこと。食べ物がなくなったこと。強い人間が人を集めたこと。人を集めた人間が決まりを作ったこと。決まりを作った本人が最初に破ったこと。

 

 同じ時代だった。

 

 見ていた場所は違ったらしい。

 

「君は不思議だ」

 

 食後の飲み物が運ばれてから、男が言った。

 

「そう?」

 

「それだけ長く生きて、それだけ丈夫なのに、あまり欲がない」

 

「欲しいものはあるわよ」

 

「例えば?」

 

「今日の料理はまた食べたい」

 

「店ごと買ってあげようか?」

 

「いらない」

 

「ほら」

 

 男が笑った。

 

「もっと大きなものでもいいんだよ」

 

「いらないもの持ってどうするの?」

 

「使えばいい」

 

「面倒」

 

「人を集めるのも悪くない」

 

「面倒」

 

「人の上に立つのは?」

 

「もっと面倒」

 

「勿体ないな」

 

「そう?」

 

「僕なら欲しい」

 

「でしょうね」

 

 男は否定しなかった。

 

「そういえば」

 

「何?」

 

「最近、よく会っている若い男性がいるそうだね」

 

「和也?」

 

「継木和也。そう、その人だ」

 

「今日も会ったわよ」

 

「親しいのかな?」

 

「捕まると来るわね」

 

「それは親しいと言うべきなのかな」

 

「知らない」

 

「今日、当選の報告を受けたんだろう?」

 

「そう」

 

「嬉しい?」

 

「本人は嬉しそうだった」

 

「君は?」

 

「おめでとうって言ったわよ」

 

「なるほど」

 

 男はカップを持ち上げた。

 

「大切な相手なのかと思っていたよ」

 

「何で?」

 

「何度も会っているからね」

 

「向こうが来るのよ」

 

「そうか」

 

「うん」

 

「なら、僕の勘違いだったかな」

 

 それで終わった。

 

 何が気になっていたのかは知らない。

 

「仕事熱心な青年だそうだ」

 

「そうね」

 

「随分、忙しくなるだろう」

 

「今日も忙しそうだった」

 

「身体には気をつけてほしいものだね」

 

「本人に言えば?」

 

「機会があれば」

 

「そう」

 

 男はそれ以上、和也のことを聞かなかった。

 

「ところで」

 

「まだあるの?」

 

「見合いだからね。今後の付き合い方についても話しておいた方がいいだろう?」

 

「結婚?」

 

「それも魅力的だけれど」

 

「嫌」

 

「三度目だ」

 

「まだ数えてたの?」

 

「印象的だからね」

 

 男は肩をすくめた。

 

「無理強いはよくない」

 

「そうね」

 

「けれど、今日限りというのも寂しい。せっかくこうして知り合えたんだ。今後も良い関係を築ければと思っている」

 

「食事?」

 

「それも含めて」

 

「奢りなら」

 

「もちろん」

 

「じゃあいいわよ」

 

「それは嬉しいな」

 

 男は笑った。

 

「僕の知人にも、君のことは話しておこう」

 

「何て?」

 

「大切な知人だから、あまり迷惑をかけないように、と」

 

「迷惑かけてるの、あなたの知り合いばっかりなの?」

 

「顔が広いのも考えものだね」

 

「止めてくれるなら何でもいいけど」

 

「善処しよう」

 

「全員?」

 

「僕の話を聞いてくれる人にはね。そうでない人まで縛るのは、さすがに難しい」

 

「そう」

 

「その時は、君の好きにするといい」

 

「そうする」

 

 簡単に決まった。

 

「君も、僕の仕事については温かく見守ってくれると嬉しいな」

 

「何してるか知らないもの」

 

「貿易だよ」

 

「じゃあ興味ない」

 

「それはありがたい」

 

「でも、目の前で変なことしてたら邪魔するかも」

 

「変なこと?」

 

「変なこと」

 

「それは困ったな」

 

「私の前でしなければいいでしょう」

 

「なるほど」

 

 男は少し考えて、笑った。

 

「善処しよう」

 

「さっきも聞いた」

 

「便利な言葉なんだ」

 

「政治家みたい」

 

「君の周りには増えそうだね」

 

「一人で十分」

 

「違いない」

 

 男はカップを置いた。

 

「互いの生活には必要以上に口を出さない。けれど困った時には、多少の便宜を図る。そういう関係ならどうだろう」

 

「友達?」

 

「そこまで馴れ馴れしくするつもりはないよ」

 

「知り合い?」

 

「それでは少し寂しいな」

 

「じゃあ何?」

 

 男は少し考えた。

 

「良き隣人、とでも言おうか」

 

「近所に住むの?」

 

「比喩だよ」

 

「そう」

 

「嫌かな?」

 

「別に」

 

「よかった」

 

 男は満足そうだった。

 

 それで話は終わった。

 

 契約書はない。

 

 署名もしない。

 

 握手もしなかった。

 

 給仕が伝票を持ってくる。

 

 男が受け取った。

 

「本当に払うの?」

 

「もちろん。女性との食事で払わせるほど野暮ではないよ」

 

「よかった」

 

「そこは疑っていたのかい?」

 

「一応」

 

「信用がないな」

 

「今日会ったばかりだし」

 

「それもそうだ」

 

 二人は店を出た。

 

 夜になっていた。街には灯りが点き、車が走っている。店から漏れる明かりの中を、人が歩いていた。

 

「今日は楽しかったよ」

 

 男が言った。

 

「そう」

 

「同じ時代を知る相手と話せる機会は、そう多くない」

 

「そうね」

 

「また食事でもどうかな」

 

「奢り?」

 

「もちろん」

 

「なら考える」

 

「光栄だ」

 

 男が手を上げる。

 

 握手を求める形ではない。

 

 ただの別れの挨拶。

 

「では、また」

 

「うん」

 

 二人は別々の方向へ歩いていった。

 

 最後まで、一度も触れなかった。

 

 傍から見れば、少し変わった男女が食事をしただけだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。