雛芥子の芽吹く頃   作:西楚の一平卒

3 / 5
ep.03 捨てられない塵芥

 男の後ろを歩くこと、しばらく。

 

 辿り着いたのは、随分とくたびれた建物だった。

 

 元は何に使われていたのかしら。学校にしては小さいし、民家にしては大きい。入口の硝子は割れて板で塞がれ、壁には大きな亀裂が走っている。二階の窓は半分ほど割れたままで、屋根も一部が沈んでいた。

 

 少なくとも、住みたいと思えるような場所ではない。

 

「ここ?」

 

「ああ」

 

「ボロボロね」

 

「屋根があるだけ上等だ」

 

「さっき私、その屋根に潰されたんだけど」

 

「……そうなのか?」

 

「そうよ」

 

 男が私を見る。頭から足まで一度眺め、今度は私が歩いてきた方を見る。何か言いたそうな顔をしたけれど、結局何も言わずに扉を開けた。

 

「戻ったぞ」

 

 その声に反応して、奥から足音が聞こえてくる。ひとつ、ふたつ──いや、多い。

 

「項司!」

 

 最初に飛び出してきたのは、十歳くらいの男の子だった。

 

「おかえり!」

 

「ただいま。水、残ってるか?」

 

「まだあるよ。あの、それより……」

 

 少年の視線が私へ向く。それにつられるように、奥から顔を覗かせていた子供たちもこちらを見た。

 

「…………」

 

 私も見る。

 

 子供。子供。また子供。大きいのでも十代の前半くらい。小さいのは、まだまともに喋れるのかも怪しい。服装もばらばらで、誰かのお下がりらしい大きすぎる服を着ている子もいれば、袖や裾を継ぎ接ぎだらけにしている子もいる。額から小さな角が二本伸びている子もいた。片腕だけ妙に太い子もいる。

 

 数える。一、二、三、四──。

 

「……何これ」

 

「見りゃ分かるだろ。子供だ」

 

「それは分かるわよ」

 

 十二人まで数えたところでやめた。

 

「なんでこんなにいるの?」

 

「いるからだ」

 

「答えになってないんだけど」

 

「俺だって好きで増やしてるわけじゃねえよ」

 

 そう言いながら、男──項司(コウジ)と呼ばれたらしい──は私を中へ招き入れた。

 

 視線が集まる。居心地が悪い。

 

 研究所で見られるのには慣れていた。あそこではいつも誰かが私を見ていた。傷口を見る目。血を見る目。切り取ったものを見る目。数字が期待通りに動くか確かめる目。でも、これは違う。珍しいものを見るような、警戒するような、それでいて少し期待しているような。

 

 よく分からない。

 

「項司、その子は?」

 

「拾った」

 

「また?」

 

「またって言うな」

 

 また、らしい。

 

 部屋の中を見回す。外観から想像したよりは片付いていた。割れた窓は板や布で塞がれ、床には拾ってきたらしい毛布が敷かれている。壁際には缶詰や瓶、鍋、工具が寄せられ、薪らしい木片まで積まれていた。水の入った容器はいくつかあったけれど、どれも満杯には程遠い。

 

 物がないなりに、使えるものは使っているらしい。破れた毛布は縫われ、欠けた鍋には取っ手代わりの針金が巻かれている。壁の隙間には布が詰められ、風が入らないようにしてあった。

 

 それでも、ないものはない。豊かではない。むしろ貧しい。その程度は私にだって分かる。

 

 なのに十三人目を拾ってきた。

 

「馬鹿なの?」

 

「いきなりだな」

 

「食べ物、余ってるの?」

 

「余ってはいない」

 

「じゃあ馬鹿じゃない」

 

「なんでそうなる」

 

「増やしたら一人分減るでしょう」

 

 私の分が。重要な問題だった。

 

「心配すんな。食わせるって言ったろ」

 

「ならいいけど」

 

「いいのかよ」

 

 いいに決まっている。私はそのためについてきたのだから。

 

 項司は呆れたように頭を掻いてから、奥へ歩いていく。その途中で床に転がっていた布を拾い、棚へ放り込んだ。

 

「ちょうど飯にするところだったんだ。お前も座ってろ」

 

「何?」

 

「飯」

 

「そうじゃなくて、何が出るの?」

 

「粥」

 

「…………」

 

「嫌なら食うな」

 

「食べる」

 

 即答した。選り好みできる立場ではない。それに粥なら水分も取れる。

 

 案内された部屋には、大きさも形も違う器が並べられていた。茶碗、金属のカップ、欠けた皿、何に使うものだったのか分からない小さな容器。統一感なんて欠片もない。使えるものを拾ってきて、そのまま使っているのだろう。

 

 その横では、さっきの少年が大きな鍋から粥をよそっていた。少し年上らしい女の子が器を受け取り、小さい子供から順番に配っていく。大きい子が小さい子の面倒を見て、動ける子が水を運び、手の空いた子が器を並べる。項司一人が全部やっているわけではないらしい。誰かに言われるまでもなく、それぞれができることをやっている。

 

 そうしなければ回らないのだろう。

 

 さっき見えた角のある子も、小さな器を二つ抱えて歩いていた。髪の間から伸びた角はまだ短く、先も丸い。邪魔そうではあるけれど、それだけだった。

 

「あの子も拾ったの?」

 

 私が聞くと、項司は視線だけそちらへ向けた。

 

「ああ」

 

「親は?」

 

「生きてる」

 

「いるの?」

 

「いるらしい」

 

「じゃあ何でここにいるの?」

 

「角が生えてから、家に置けねえって追い出されたんだと」

 

「ふうん」

 

 もう一度見る。角は生えている。

 

 それだけだった。

 

「変なの」

 

「何が」

 

「親」

 

「……まあな」

 

 私の前にも器が置かれる。

 

「どうぞ」

 

 差し出してきたのは、私とそう変わらない見た目の女の子だった。

 

「ありがとう」

 

「…………」

 

 驚かれた。

 

「何よ」

 

「ううん」

 

 失礼な子ね。

 

 粥を口へ運ぶ。

 

 薄い。恐ろしく薄い。米より水の方が圧倒的に多い。塩気もほとんどない。底を掬ってみても、米粒は申し訳程度にしか入っていなかった。

 

 でも温かい。

 

 もう一口。もう一口。

 

「おかわり」

 

「早えよ」

 

「足りない」

 

「まだ全員に行き渡ってねえんだよ。待て」

 

 仕方なく器を置く。項司自身の器には、まだ何も入っていなかった。

 

 そこで、部屋の隅に横になっている子がいることに気づいた。

 

 私より少し小さいくらいの女の子だった。毛布を何枚か重ねて掛けられているのに、時々小さく震えている。顔が赤い。呼吸も浅く、速い。その傍らに項司がしゃがみ込み、濡らした布を額へ乗せる。

 

「まだ熱下がんねえか」

 

「うん……」

 

「薬は?」

 

「朝ので最後」

 

「そうか」

 

 項司の顔が険しくなる。

 

 薬がない。食べ物もない。水だって十分じゃない。それなのに、外からまた一人拾ってきた。

 

 分からない。

 

「その子、死ぬの?」

 

 部屋が静かになった。器の触れ合う音まで止まる。

 

 項司が振り返る。

 

「縁起でもねえこと言うな」

 

「でも薬ないんでしょう?」

 

「探してくる」

 

「見つからなかったら?」

 

「別の場所を探す」

 

「それでもなかったら?」

 

「しつこいな、お前」

 

 項司が立ち上がった。怒ったのかと思ったけれど、そうでもないらしい。困っているようにも見えた。

 

「その時考える」

 

「今考えればいいじゃない」

 

「何を」

 

「諦めるかどうか」

 

 何人かがこちらを見る。項司も黙った。

 

 私は別に酷いことを言ったつもりはない。一人に薬を使えば、その薬は他の誰かには使えない。一人に食べ物を与えれば、その分だけ他の誰かが食べられなくなる。助かる見込みの薄い一人に使ったものがあれば、それで助かった別の一人がいたかもしれない。

 

 研究所でも、使えなくなったものは捨てられた。壊れた器具。役目を終えた薬品。期待した結果の出なかった実験材料。限られたものを、より価値のある方へ回す。

 

 それは別に、残酷なことではない。効率がいいというだけだ。

 

「全員助けるなんて無理よ」

 

「ああ」

 

 あっさり返ってきた。

 

「知ってる」

 

「…………」

 

 なら、なおさら分からない。

 

「じゃあ、なんで?」

 

 項司は少し考えた。難しいことを聞いたつもりはなかったけれど、答えを探しているようだった。天井を見て、それから横になっている女の子を見て、最後に私を見る。

 

 やがて、困ったように眉を寄せた。

 

「目の前にいたからだよ」

 

「…………」

 

「放っといたら死にそうなガキが目の前にいる。だったら拾うだろ」

 

「拾わないけど」

 

「お前はそうなんだろうな」

 

 それだけ言って、項司はまた女の子の額の布を替え始めた。

 

 分からない。本当に、分からない。理由になっていないと思う。助けられるからでもない。何か得をするからでもない。将来役に立つからでもない。

 

 目の前にいるから。ただ、それだけ。

 

 そんな理由で食べ物を減らして、薬を探して、怪我までして。馬鹿みたい。

 

「そういや」

 

 項司がこちらを見た。

 

「お前、名前ないんだったな」

 

「そうね」

 

「不便だな」

 

「私は困ってないわよ」

 

「俺たちが困るんだよ。おい、とか、お前、とか、ずっと呼ぶわけにもいかねえだろ」

 

「じゃあ好きに呼べば?」

 

「いいのか?」

 

「呼ばれて自分だと分かれば何でもいいわ」

 

 項司が腕を組み、しばらく私を眺めた。

 

「……何よ」

 

「いや」

 

 視線が頭の先から足元まで動く。

 

「……雛子」

 

「何それ」

 

「お前の名前」

 

「それは分かるわよ。なんで?」

 

「小せえから」

 

「子供はみんな小さいでしょう」

 

「今いる中じゃ、お前かなり小せえぞ」

 

 血が足りないからね。

 

「じゃあ嫌か?」

 

「…………」

 

 別に。今まで番号で呼ばれていたくらいだ。数字よりは人間らしい。

 

「それでいいわ」

 

「よし。じゃあ雛子な」

 

「名字は?」

 

「いるか?」

 

「知らないわよ。あなたが不便だって言い出したんでしょう」

 

「それもそうか」

 

 項司は少し考えて、自分を指差した。

 

「じゃあ、芥」

 

「あなたの名字?」

 

「ああ」

 

「なんで私が?」

 

「他に思いつかん」

 

「適当ね」

 

「嫌なら自分で考えろ」

 

「面倒臭い」

 

「なら決まりだ」

 

 芥、雛子。頭の中で繰り返してみる。

 

 芥雛子。

 

 悪くはない。

 

「芥雛子」

 

 項司が呼ぶ。

 

「何よ」

 

「いや。呼んでみただけだ」

 

「馬鹿なの?」

 

「お前、それ好きだな」

 

 項司が笑った。何がおかしいのか、やっぱり分からなかった。

 

 食べ物も足りない。薬も足りない。自分だって怪我をしている。それでも目の前に誰かがいれば拾ってくる。

 

 捨てれば楽になるものを、この男は捨てられないらしい。

 

 私には、まだ理解できなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。