雛芥子の芽吹く頃   作:西楚の一平卒

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ep.04 この時代らしさ

 銃声が響いた。

 

 乾いた音が一つ。少し遅れて、遠くで鳥の群れが飛び立つ。ばさばさと重なった羽音もすぐに遠ざかり、辺りにはまた静けさが戻った。

 

「…………」

 

 粥を食べる手を止める。

 

「今の、近くない?」

 

「近いな」

 

 項司は気にした様子もなく、自分の器を傾けている。

 

「大丈夫なの?」

 

「一発だけだ。こっちじゃない」

 

「そう」

 

 ならいい。食事を再開する。

 

 最近知ったことだけれど、この辺りでは銃声なんて珍しいものでもないらしい。元々この国には、それほど多くの銃が出回っていたわけではないそうだ。それでも警察や自衛隊、それ以外にも銃を扱う人間はいた。国がまともに機能しなくなり、それを管理する側までいなくなれば、残された銃がどこへ行くのかなんて考えるまでもない。

 

 項司も一丁持っていた。警察署から拝借したものらしい。

 

「泥棒ね」

 

「誰もいなかったんだからいいだろ」

 

「泥棒はみんなそう言うのよ」

 

「お前にだけは言われたくねえな」

 

「失礼ね。私はまだ何も盗んでないわよ」

 

「まだって言ったな?」

 

 言ったかしら。覚えてない。

 

 そんなことより粥である。昨日よりさらに薄くなった気がする。

 

「項司」

 

「なんだ」

 

「これ、水?」

 

「粥だ」

 

「米が見つからないんだけど」

 

「探せ」

 

 箸で器の中をかき混ぜる。一粒、二粒、三粒。

 

「…………」

 

「数えるな。悲しくなる」

 

 仕方がないので飲んだ。腹は膨れない。それでも温かいものが腹に入れば、何も食べないよりはずっといい。

 

 ここに来てから分かった。項司たちは、いつも腹を空かせている。水も足りない。食べ物も足りない。薬もない。薪だって好きなだけ燃やせるわけじゃない。拾ってきた服は継ぎ接ぎし、壊れた道具は何度も直して使っている。

 

 昨日、項司は朝から何かを探しに出ていった。夕方になって帰ってきた時、食料は増えていなかった。

 

 代わりに子供が一人増えていた。

 

 本当に馬鹿だと思う。

 

 ◇

 

「項司!」

 

 昼を少し過ぎた頃、入口の方から声が上がった。前に私を出迎えた、あの男の子だった。

 

「誰か来た!」

 

 空気が変わる。遊んでいた子供たちが動きを止めた。

 

「何人だ?」

 

「四人。たぶん」

 

「知ってる奴か?」

 

「前に来た人がいる」

 

「分かった。小さいの連れて奥行け」

 

「うん」

 

 少年はすぐに動いた。幼い子の手を取り、年長の子供たちにも声を掛ける。泣きそうになった子を抱き上げ、奥の部屋へ押し込んでいく。

 

 随分と慣れている。

 

 項司も立ち上がり、腰の後ろへ手を回した。拳銃。

 

 私も立ち上がる。

 

「お前も中にいろ」

 

「なんで?」

 

「なんでって……危ねえからだよ」

 

「私、建物に潰されても死ななかったけど」

 

「それとこれとは別だ」

 

「何が?」

 

「いいから」

 

 意味が分からない。けれど項司はもう外へ向かっていたので、仕方なく後を追う。

 

「おい」

 

「中にはいるわよ」

 

「じゃあなんでついてくる」

 

「入口も中でしょう」

 

「屁理屈覚えるの早えな……」

 

 褒められた。

 

 入口まで行くと、さっきの少年が壁際にいた。

 

「奥にいろって言っただろ」

 

「みんな連れてった」

 

「お前もだよ」

 

「でも──」

 

「行け」

 

「…………」

 

 少年は不満そうだった。それでも逆らわず、奥へ戻っていった。

 

 私は残った。

 

「お前もだっつってんだろ」

 

「私は言うこと聞くって言ってないもの」

 

「……後で覚えてろよ」

 

 何を覚えておけばいいのかしら。

 

 外には四人いた。全員男。見覚えはない。ただ、項司の方は先頭の一人を知っているらしい。

 

「またお前か」

 

「悪いな」

 

 男が言った。悪いと思っている顔には見えない。でも、楽しそうにも見えなかった。

 

「食い物、余ってないか」

 

「余ってるように見えるか?」

 

「少しくらいあるだろ」

 

「ない」

 

「この前はあった」

 

「あったから渡した。もうない」

 

 男が舌打ちする。後ろの三人も苛立っていた。頬がこけ、服は汚れ、髭も伸びている。ひどく疲れた顔をしていた。

 

 なるほど。あっちも腹が減っているらしい。

 

「こっちも限界なんだよ」

 

「だからって、ないもんは渡せねえ」

 

「ガキばっかり十何人も抱えてるじゃねえか」

 

「だからないんだよ」

 

「こっちにもガキがいる!」

 

 男が怒鳴った。項司が黙る。

 

「昨日から何も食ってねえ奴もいる。乳の出ねえ女もいるんだ。このままじゃ赤ん坊が死ぬ」

 

「…………」

 

「少しでいい。分けてくれ」

 

「少しってどれだけだ」

 

「米。缶詰。何でもいい」

 

「ねえよ」

 

「あるだろ!」

 

「こいつらの明日の分しかない!」

 

「だから言ってんだろ! こっちにも子供がいる!」

 

 男の視線が建物の奥へ向いた。そこに、額から角の出た子供がいた。

 

「……ああいうのまで抱えてるくせに」

 

 項司の目が細くなる。

 

「何だよ」

 

「俺らの子供は昨日から食ってねえんだ。だったら、そっちに回す分を少し寄越せって言ってんだよ」

 

 ああ。面倒臭い。

 

「そんなのに食わせる飯があるなら、俺らの子供に食わせてくれよ」

 

「……そんなの?」

 

「見りゃ分かるだろ」

 

 項司が振り返る。奥にいる子供を見る。

 

「こいつもガキだ」

 

「だから何だよ」

 

「だから、食う」

 

 話を聞いていて分かった。どちらも食べ物が欲しい。どちらにも子供がいる。そして、どちらも譲れない。

 

 なら、簡単な話だ。

 

「奪えば?」

 

 全員が私を見る。

 

「雛子」

 

「何よ」

 

「黙ってろ」

 

「だって欲しいんでしょう? そっちの人たち」

 

 男を見る。

 

「項司は渡したくない。あなたたちは欲しい。なら奪えばいいじゃない」

 

「お前な……」

 

「勝った方が食べればいいでしょう?」

 

 沈黙。

 

 何かおかしなことを言ったかしら。

 

 外では普通だった。食べ物を持っている。欲しいなら奪う。奪われたくないなら抵抗する。それでも欲しければ殺す。殺された側は食べない。生き残った側が食べる。

 

 単純な話だ。

 

 男の一人が笑った。

 

「ガキの方が話分かるじゃねえか」

 

「笑えねえよ」

 

 項司はそう返した。

 

「帰れ」

 

「手ぶらじゃ帰れねえ」

 

「こっちだって渡せねえ」

 

「だったら──」

 

 一人が前へ出た。

 

 項司が拳銃を抜く。それでも男は止まらず、代わりに片腕を顔の前へ出した。

 

 皮膚の色が変わる。灰色。表面がひび割れるように盛り上がり、石のような質感へ変わっていく。

 

 面白い。

 

「撃てよ」

 

「…………」

 

「弾が勿体ねえか?」

 

 項司の眉が動いた。

 

 なるほど。撃たれても平気なのね。

 

「便利ね、それ」

 

「雛子!」

 

 怒られた。けど、そういえば。

 

「あんたのところにもいるじゃない」

 

 私が硬い腕の男を見る。

 

「何がだ」

 

「同じでしょう?」

 

 男は一瞬黙った。

 

「こいつは役に立つ」

 

 次の瞬間、別の男が項司へ飛びかかった。

 

 銃声。

 

 空へ向けて一発。狭い場所で聞くと、耳の奥まで痛い。

 

「次は当てる!」

 

 項司が叫び、男たちが止まった。

 

「……撃てるのかよ」

 

「試すか?」

 

 睨み合いが続く。誰も動かない。

 

 奥の暗がりを見る。さっきの少年が、壁から半分だけ顔を出していた。

 

 項司は気づいていない。

 

 私は項司の背中を見る。面倒ね。

 

「私がやろうか?」

 

「何を」

 

「追い払うの」

 

「駄目だ」

 

「なんで?」

 

「ガキを人殺しに使えるか」

 

「…………」

 

 何を言っているのか分からなかった。

 

「私、あの人たちより多分強いわよ」

 

「そういう問題じゃねえ」

 

「じゃあどういう問題?」

 

「ガキはガキだ」

 

「…………」

 

 本当に、何を言っているのか分からない。

 

 研究所では、私が子供だから実験をやめようなんて言う人はいなかった。切る時も、潰す時も、血を抜く時も同じだった。外に出てからだってそうだ。子供だろうが、弱ければ奪われる。強ければ奪える。

 

 年齢なんて関係ない。

 

 項司だけが、違うらしい。

 

「話は終わりだ」

 

 項司が言った。

 

「帰れ」

 

「だから、こっちは──」

 

「分かってる」

 

「分かってねえよ!」

 

 硬い腕の男が踏み込んだ。今度は止まらない。

 

 項司の拳銃がそちらを向く。

 

 銃声。

 

 男が腕で顔を庇った。弾丸が硬化した皮膚へ当たり、小さな破片と血を散らす。

 

「ぐっ……!」

 

 完全には防げないらしい。それでも腕は吹き飛ばなかった。

 

 大したものだ。

 

 そのまま男が項司へ突っ込み、拳銃を持った腕を掴む。残りの三人も動いた。

 

「だから私が──」

 

「来るな!」

 

 仕方がない。見ていた。

 

 殴る。蹴る。掴む。転ばせる。拳銃を奪おうとして、奪われないように腕を捻る。硬い腕があるからといって、戦い方まで特別になるわけではないらしい。

 

 随分と原始的だった。異能があっても、結局やることはそんなに変わらない。

 

 項司が一人を殴り倒す。横から別の男に組みつかれ、二人まとめて壁へぶつかる。硬い腕が振るわれ、項司の頬を掠めた。

 

 赤いものが飛ぶ。

 

「…………」

 

 血。

 

 勿体ない。落ちる前に回収したくなる。

 

 もう一発、銃声。

 

 今度は地面。弾けた石片に、男たちが怯む。

 

「帰れ!」

 

 項司の口元から血が流れている。

 

「次は足を撃つ!」

 

 嘘ね。たぶん。撃てるなら、とっくに撃っている。

 

 でも向こうには分からない。

 

 四人が項司を見る。拳銃を見る。傷ついた仲間を見る。

 

 やがて一人が吐き捨てた。

 

「……覚えてろ」

 

「忘れられるなら忘れたいね」

 

 しばらく睨み合ってから、男たちは離れていった。誰も追わない。項司も拳銃を下ろした。

 

 奥から、あの少年が飛び出してくる。

 

「項司!」

 

「だから奥にいろって言っただろ」

 

「血出てる!」

 

「これくらい平気だ」

 

「でも──」

 

「大したことねえよ」

 

 項司が少年の頭を乱暴に撫でる。少年は納得していない顔をしていた。

 

「終わった?」

 

「ああ」

 

「殺せばよかったのに」

 

「嫌だよ」

 

「また来るわよ」

 

「その時考える」

 

「またそれ」

 

 便利な言葉ね。

 

 項司が顔の血を袖で拭う。

 

「怪我したじゃない」

 

「大したことねえ」

 

「そう」

 

 頬から顎へ伝う血を見る。

 

「舐めていい?」

 

「やめろ。怖えよ」

 

 冗談だったのに。半分くらい。

 

 ◇

 

 項司が拳銃を弄っていた。弾倉を抜き、残っている弾を一つずつ机へ並べる。

 

 さっきの少年も少し離れたところに座っていた。項司が追い払わないところを見ると、見ていてもいいらしい。

 

「何してるの?」

 

「数えてる」

 

「見れば分かるわよ」

 

 隣に座って、私も数える。

 

「十三」

 

「…………」

 

「十三発」

 

「二回言うな」

 

「少ないわね」

 

「分かってる」

 

「今日三発使ったから、朝は十六発?」

 

「数えんな。嫌になる」

 

 少年が机の上の弾丸を見る。

 

「これ、なくなったら?」

 

 私が聞こうと思っていたことを先に聞かれた。

 

 項司は少しだけ黙る。

 

「どうにかする」

 

「どうやって?」

 

「それを今考えてる」

 

「さっき考えてどうにかなるなら、とっくに考えてるって言ってなかった?」

 

「お前は余計なことだけよく覚えてんな」

 

「雛子が言ってた」

 

「お前も言うな」

 

 少年が少し笑う。項司はため息を吐きながら、弾丸を拾い上げた。

 

「また警察署から取ってくれば?」

 

 私が言う。

 

「もうない」

 

「別のところ」

 

「行ける範囲はだいたい漁られてる。警察署も交番も、自衛隊の施設もな」

 

「作れば?」

 

「俺が?」

 

「誰かが」

 

「作れる奴がいたら紹介してくれ」

 

 いないらしい。

 

「じゃあ、本当になくなったらどうするの?」

 

「さあな」

 

「考えてないの?」

 

「考えてどうにかなるなら、とっくに考えてる」

 

 結局、同じ答えだった。

 

 少年は何も言わず、十三発の弾丸を見ている。項司はそれを一つずつ弾倉へ戻した。

 

 外から銃声が聞こえた。一発。少し間を置いて、二発。遠い。さらに別の方向から、腹に響くような爆発音がした。銃なのか、何かの爆発なのか、異能なのかは分からない。

 

 項司は少しだけそちらを見て、すぐに手元へ視線を戻した。

 

 私も窓の外を見る。

 

 食べ物がない。薬がない。燃料もない。弾もなくなっていく。昨日まで当たり前に作られていたものを、今では誰も作ってくれない。残されたものを拾い、使い、奪う。壊れても補充されない。使えば減る。そして、いつかはなくなる。

 

 それでも腹は減る。病気にもなる。冬になれば寒くなるし、誰かを守ろうと思えば武器だって必要になる。

 

 作る人間はいないのに、使う人間だけはいくらでもいた。

 

 それが、この時代だった。

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