雛芥子の芽吹く頃 作:西楚の一平卒
項司に拾われて、二度目の冬が来た。
相変わらず、私は小さかった。
別に成長できないわけではない。今の体は、血が足りなくなった時にたまたまこの大きさになっただけだ。食べて、飲んで、十分な栄養があれば、血を作って以前の大きさへ戻すこともできる。誰かの血を貰えばもっと早い。
ただ、特に困らなかったのでそのままにしていた。食べ物だって余っているわけではないのに、わざわざ大きくなるために使うのも勿体ない。
「雛子、そっち持てるか?」
「持てるわよ」
木箱の端を掴む。項司が反対側を持ち上げ、二人で部屋の奥まで運んだ。床へ下ろすと、中身がガチャリと音を立てる。
缶詰が六つ。包帯。消毒液。錆びた鉈が一本。釘がいくらか。それから矢が十七本。
「少ないわね」
「あるだけマシだ」
「去年もそれ言ってなかった?」
「去年はもうちょっとあった」
「じゃあ悪くなってるじゃない」
「言うな」
項司が箱を閉じる。
銃弾はなかった。
拳銃そのものは今も項司の腰にある。ただ、使うところを見ることはほとんどなくなった。警察署も交番も、とっくに誰かが漁っている。放棄された自衛隊の施設まで足を伸ばしたこともあったらしいけれど、危ない思いをした割に、持ち帰れたものは大したことがなかった。
当然といえば当然だ。誰かが撃つたびに一発減る。誰かが拾えば、その場所からなくなる。それなのに、新しく作ってくれる人はいない。
だから項司も変わった。鉈を研ぐ。刃物を長い棒の先へ括りつける。弓を拾えば弦を張り直し、折れていない矢は持ち帰る。壊れたものは直して、直せないものは分解し、使えそうな部品だけ残す。昔なら銃弾一発で済ませていたことに、ずいぶん手間が掛かるようになった。
それは項司だけではない。二年前には彼の後ろへ隠れていた子が、今では薪を割っている。年長の子供たちは何人かで外へ出て、水や食べ物を探すようになった。私を最初に出迎えたあの少年も、その中に混じっている。どこに水が残っているか、どの道なら比較的安全か、誰のところへ行けば物を交換してもらえるか。そういうことを、いつの間にか項司より先に年下の子へ教えるようになっていた。
建物の脇には小さな畑までできた。育っているのが食べ物なのか雑草なのか、私にはいまいち区別がつかないけれど、誰かが毎朝水をやっているところを見ると、たぶん食べ物なのだろう。
死んだ子もいる。新しく拾われた子もいる。
項司は相変わらずだった。
「なあ、雛子」
「何?」
「最近、静かになったと思わないか?」
言われて耳を澄ます。風の音。誰かが薪を割る音。遠くで人が話している声。
「そう?」
「前はこの時間になると、どっかで撃ち合ってただろ」
「ああ」
そういえば、聞かなくなった。
二年前には銃声なんて珍しくなかった。朝でも夜でも、どこかで何発か鳴っていた。喧嘩の声もよく聞いたし、時々何かが爆発した。異能なのか爆弾なのか、最後まで分からなかったものも多い。
今は銃声が減った。道端で殴り合っている人間も、以前ほど見かけない。
「いいことじゃない?」
「……どうだろうな」
「なんでよ」
答える代わりに、項司が窓の外を見る。
ちょうどその時だった。
「てめえ、誰に断ってここで商売してんだ!」
怒鳴り声が響いた。続いて、何かが倒れる音。
「す、すみません!」
「すみませんじゃねえ! 決まり知らねえのか!」
私は項司を見る。
「静かね」
「だろ?」
「怒鳴ってるけど」
「撃ってない」
「なるほど」
確かに。
窓の隙間から外を覗く。少し離れた道端で、三人の男が一人を囲んでいた。二年前ならそのまま殴り合いになっていてもおかしくなかったけれど、今日は違う。
三人組の一人が何かを言う。囲まれた男が抗議する。また怒鳴られる。最後には男が抱えていた荷物を開き、中からいくつかを差し出した。それを受け取った三人組は、それ以上何もせずに去っていく。
殴られなかった。
「何してたの?」
「場所代だろ」
「場所代?」
「ここらを仕切ってる連中がいる。勝手に物を売ったり交換したりしたきゃ、そいつらに払えってことだ」
「払わなかったら?」
「殴られる」
「払ったら?」
「何もされねえよ。少なくとも、あいつらからはな」
もう一度外を見る。荷物を取られた男は不満そうな顔をしていたけれど、残った品物を拾い直している。少なくとも全部を奪われたわけではないし、怪我もしていない。
「便利じゃない」
「どこがだよ」
「決まりがあるんでしょう?」
項司が嫌そうな顔をした。
「払えば殴られない。払わなかったら殴られる。分かりやすいじゃない」
「それをみかじめ料って言うんだよ」
「名前はどうでもいいわ」
「よくねえよ」
何が気に入らないのかしら。
少なくとも以前より分かりやすくなった。最近は、どの道を通っていいのか、どこで物を交換していいのか、何をすると誰が怒るのかが、なんとなく決まっている。
人を殺せば、その仲間がやってくる。物を盗めば、捕まえて殴られる。決められたものを渡せば、その場所で商売をしてもいい。他所から勝手に奪いに来る人間がいれば、今度は場所代を取っている側が追い払う。
誰もそれを法律とは呼ばない。警察もいない。裁判所もない。役所だって動いていない。ただ、力の強い人間たちが縄張りを作り、その中で決まりを作って、破った人間を殴るようになっただけだ。
それでも、銃声は減った。
「前より人が死ななくなったんでしょう?」
「だからって、いい奴になったわけじゃねえよ」
「いい奴じゃないと駄目なの?」
「……お前、たまに難しいこと聞くよな」
「簡単なことしか聞いてないけど」
項司は答えなかった。
私には、やっぱり何が不満なのか分からない。善人かどうかなんて、生きていくのに関係あるのかしら。約束を守れば殴られない。物を渡せば守ってもらえる。それで人が死ななくなるなら、二年前よりずっとマシだと思う。
「雛子」
「何?」
「あいつらには近づくなよ」
「なんで?」
「ろくな連中じゃねえからだ」
「でも役に立ってるじゃない」
「役に立つ悪党もいるんだよ」
「便利ね」
「褒めてねえ」
難しい。
ただ、項司が気に入らないからといって、周りまでそう思っているわけではなかった。
道端に人が戻り始めた。決まった場所へ品物を持ち寄る人も増えた。食べ物と布を交換する人。割れた鍋を直す代わりに薪を受け取る人。誰かが道を見張っているからと、以前より遠くまで水を汲みに行く人もいる。畑を作る人が現れ、壊れた家を直す人もいた。
そこには、異能を持つ人間も混じっていた。荷車を一人で引く大男。高い場所の見張りを任されている、妙に目のいい女。指先から小さな火を出して、薪へ火を移している男も見た。額から角が生えている程度なら、もう振り返る人間も以前ほど多くない。
別に、皆が仲良くなったわけではないらしい。嫌そうな顔をする人間はいるし、近づきたがらない人間もいる。それでも荷車を引けるなら荷物を運ばせるし、遠くが見えるなら見張りに立たせる。火を出せるなら、火種がなくても火を起こせる。
随分、寛容になったものね。
役に立つ限りは。
項司のところでも同じだった。拾って食べるだけでは足りないから畑を作った。銃弾がないから弓を使う。薬がないから、草や傷の手当てに詳しい人間へ頭を下げて教わる。できる子供が、まだできない子供の分まで働く。
明日、あっちの道を見てくる。
いつだったか、あの少年が項司にそう言っていた。
一人で行くなよ。
分かってる。
そんなやり取りを、もう誰も珍しいとは思わなくなっていた。
昨日までのやり方で生きられないなら、今日を生きるやり方を考える。考えられなかった人から死んでいった。
「……そういうことなのね」
「何が?」
「別に」
人間は、思っていたよりしぶとい。国がなくなっても生きている。警察がいなくなれば、別の誰かが見張る。法律がなくなれば、力のある誰かが決まりを作る。銃弾がなくなれば刃物を持つ。拾う食べ物がなくなれば、自分たちで育て始める。何かがなくなるたび、その代わりになるものを探している。
それが正しいのかなんて、今の私には分からない。
ただ一つだけ、確かなことがあった。
人間は、この時代に適応し始めていた。