ガンダム一年戦争外伝 オデッサの最下層 -Underdogs' Chronicle- 作:Ginさん
ア・バオア・クー裏側・暗礁宙域「第11区画」
そこは、音のない処刑場だった。
カツオのストライカー・カスタムは、右腕の出力系をやられ、スラスターも片肺となっていた。
対するRX-80H2 ペイルライダー・オーバーロードは、無傷。
深紅の
【詰みの盤面】
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
カツオの荒い呼吸だけがコクピットに響く。
(……見えているのに、当たらない。俺が動こうとする『意思』を感知して、先回りされる)
ハンスの解析が絶望的な結論を告げる。
『……カツオ、撤退しろ。……勝てない。
奴の学習機能は、お前の『紫電』の間合いすら完全に見切った。
……次に飛び込めば、確実に死ぬ』
「……逃げて、どうする」
カツオは血の味がする口元を拭った。
「ここで引けば、こいつは戦場の他の連中を狩りに行く。
……それに、グリムをあのままにしておけるかよ」
オーバーロードがライフルを構える。
照準は、カツオのコクピット一点。
感情のない指が、トリガーにかかる。
【老兵の最期の仕事】
その時、ボーン・ヤードのブリッジで、シャリア・ブルがヘッドセットを外した。
その顔には、憑き物が落ちたような穏やかさがあった。
「……ハンス君。マロン君の回線を、私に回してくれ」
「……何をする気だ、シャリアさん」
ハンスの手が止まる。
計器が示すシャリアの脳波数値は、危険域を超えて上昇していた。
「……計算機には
だが、奴は『敵意』しか知らない。
……ならば、『愛』という未知の変数をぶつければ、計算は狂う」
シャリアは、モニター越しにカツオの機体を見つめた。
「……カツオ君。私が道を作る。
一瞬だ。奴の目が眩むのは、ほんの一瞬だぞ」
『……シャリアさん、よせ!
そんなことをすれば、あんたの脳が!』
「……ふふ。長く生きすぎた男の、最後の悪あがきさ」
シャリアは目を閉じた。
精神の海へ。深く、深く。
(……マロン君。……君の未来を、見せておくれ)
【システムへのダイブ】
宇宙空間に、虹色の光が波紋のように広がった。
それはミノフスキー粒子の干渉ではない。
人の意志の光だった。
オーバーロードのコクピット内。
HADES-Ωのシステムログに、異変が生じる。
> 敵意検知……エラー
> ターゲット……特定不能
> 侵入者あり……精神感応波……解析不能
(……ここは、寒いな)
シャリアの意識体は、HADES-Ωの電脳空間に立っていた。
そこは、無限に続く赤い数字の羅列。
憎悪と殺意だけが「定数」として敷き詰められた、冷たい地獄。
その中心に、意識を封じ込められたグリム・ローゼンがいた。
鎖に繋がれ、ただシステムの燃料として焼かれている魂。
(……待たせたな、若者よ)
シャリアは、その鎖に手を伸ばした。
(……もう、眠っていいんだ)
グリムの魂が、シャリアを見上げる。
『……貴方は……』
現実世界。
ボーン・ヤードのブリッジ。
シャリア・ブルの鼻と耳から、鮮血が噴き出した。
「……ぬぅぅぅぅぅッ!!!」
脳細胞が焼き切れる音。
血管が破裂する激痛。
だが、彼は手を離さない。
システムが「理解できない感情」を流し込み、強制的に
> FATAL ERROR: UNDEFINED EMOTION DETECTED.
オーバーロードの深紅のカメラアイが、激しく明滅し――
そして、一瞬だけ光を失った。
「……今だ、カツオくぅぅぅぅぅんッ!!!」
【紫電一閃】
その絶叫は、通信機を通さず、カツオの脳に直接響いた。
直後、シャリアの
「……爺さんッ!!!」
カツオは涙を振り払い、ペダルを踏み抜いた。
スラスターが限界を超えて悲鳴を上げる。
0.1秒。
永遠にも等しい一瞬の空白。
オーバーロードは反応しない。
「敵意」を見失い、再計算のループに陥っている。
カツオは叫ばなかった。
ただ、静かに、研ぎ澄まされた実体剣『紫電』を構えた。
(……グリム。アンタの欲しかった答え、これが俺たちの答えだ!)
「……秘剣・墓標割り……」
紫の閃光が、
ビームサーベルでも、ヒートホークでもない。
物理的な質量と速度、そして『覚悟』を乗せた一撃が
オーバーロードの左肩から右脇腹へと奔った。
装甲が砕ける音。
フレームが断裂する音。
そして、HADES-Ωの中枢ユニットが物理的に破壊される音。
ズバァァァァンッ!!
オーバーロードの機体が、くの字に折れ曲がった。
【騎士の解放】
二つの機体は交差した後、背を向けて静止した。
ストライカー・カスタムの手の中で、「紫電」が真ん中からパキンと折れた。
役目を終えた名刀の最期だった。
背後で、オーバーロードから火花が散る。
爆発の直前、カツオの通信機にノイズ混じりの声が届いた。
『……見事だ……
それはシステムの合成音声ではない。確かに、グリム本人の声だった。 安らかな、憑き物が落ちたような声。
『……これで……私も……還れる……』
ドォォォォォォォォォン!!
ア・バオア・クーの暗闇に、巨大な華が咲いた。
最強にして最悪のシステム、HADES-Ωは
その開発者たちの野望と共に星屑となった。
【残されたもの】
「……終わった……のか」
カツオは、震える手でバイザーを上げた。
歓喜はない。
ただ、どうしようもない喪失感だけが胸を塞いだ。
『……カツオ……』
マロンが泣いている。
『……お爺ちゃんの……お爺ちゃんの音が、しないの……』
「……!」
カツオはボーン・ヤードへ帰投した。
ハンガーではなく、直接ブリッジへと走る。
そこには、指揮官席に座ったまま動かないシャリア・ブルの姿があった。
ハンスが、その脈を取っている。
ビッグXやクェン兵長が、立ち尽くしている。
「……ハンス」
ハンスは首を横に振った。
「……心臓は動いてる。呼吸もある。……だが、脳波がない」
カツオはシャリアの前に膝をついた。
その顔は、眠っているように穏やかだった。
だが、もう二度と、あの知的な瞳が開くことはない。
「……爺さん。……約束、守ったぞ」
カツオはポケットから、出撃前に託された分厚い封筒を取り出した。
血と油で汚れた手で、それを握りしめる。
「……バカ野郎。一緒に読むって、言ったじゃねえかよ……」
ア・バオア・クーの彼方で、一年戦争終結を告げる停戦信号が上がり始めていた。
だが、アンダー・ドッグスたちの船内には、静かな嗚咽だけが響いていた。